原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

新入社員にすぐ退職される企業採用側のレベルの程

2015年04月07日 | 時事論評
 (写真は、つい先だって就活に向かう娘を高層住宅上階に位置する我が家のバルコニーから撮影したもの。   参考だが都心に近くして何故このように空き地が目立つかについて説明するなら、近い将来道路計画予定地であるためだ。 既に東京都と地主との買上交渉が完了している区分地に於いては、当該土地を空地のまま放置したり駐車場として運営している様子である。 左側の建物も現在空き家状態だが、近々取り壊されるのだろう。)


 ところで4月に入り新入職員として就職したばかりの若者達が、早くも辞職し始めているとの書き込みがネット上で相次いでいるようだ。
 以下に、その一つをネット情報より引用しよう。

 某SNSには、初出勤日となる4月1日に「新入社員が出社すらせず退職した」というスレッドが出現。「ゲームの練習で忙しくて朝起きれない」という理由で辞められてしまい、新人を楽しみにしていた職場は暗く落ち込んでいるという。  書き込みによると、その新人は面接時には真面目な印象だったといい、採用側はまさに寝耳に水だったようだ。 出社日に正式な雇用契約を結ぶ予定だったため、「入社辞退」との扱いになった。
 こうした書き込みはツイッター上にも見られる。「昨日入った新入社員が、今朝辞めた。 」と書いた会社員は、「昨日の“精一杯頑張ります”って言葉はどこいった?」と突っ込んでいる。 「いくらうちの会社がブラックだろうが、社会舐めてるとしか言いようがない。バイトじゃあるまいし。」
 別のケースでは、4月2日に体調不良で休んだ新入社員がそのまま退職。「今の若い子は分からない…」と困惑する。「4月1日に入社した新人が、4月2日の朝一で辞めた。」という別の書き込みもあり、速攻で退職決断しているようだ。
 4月4日の土曜日に新入社員が辞めた、とのツイートも。 完全週休2日制ではなく、土曜日出勤があることにショックを受けたのが原因だという。面接時にその旨説明していたが、実際に週末も働くとなると嫌になってしまったのだろう。後日親が会社に謝りに来たらしい。
 「先見の明がある」と理解を示す先輩社員も。 すぐに辞めてしまう新入社員に対し批判が出ている一方で、会社に問題ありとする意見もある。 「新入社員がもう辞めたと笑い話にしてるが、自分達の教育方法や扱い方がヤバいと少しでも考えたりしないのかね。」
 辞めたいと言い出した新入社員の説得を任された人からは、「私自身辞めたいし辞める人間だから正直人選ミス」という嘆きの声もあがる。  他にも、「先輩社員がウンザリしながら働いている会社で、新入社員が辞めたくなるのも無理はない。」等々…
 ツイッターでも「退職届」がトレンド入りしているようだが、さて、貴方の会社では今年何人の新入社員が残るだろうか。
 (以上、ネット情報より要約引用。)


 原左都子の娘が今春大学4年生に進級し、現在まさに「就活」に日々精力的に励んでいる。
 そんな我が娘が早くも一企業の採用試験を受験し、「不採用」の結論を叩きつけられてしまった。   とは言うものの、娘本人にとっては元々専門分野でない企業であり“お試し受験”の意味合いが大きかったためさほどのダメージはないようだ。
 
 ところが、サリバン先生(娘のお抱え家庭教師を幼少の頃より現在に至るまで一貫して担当している母)である私の感想は、まったく異なる。
 たとえたかが新卒者の“就活”と言えども、企業側は“不採用”にした理由を受験者本人に公開通知する義務があるのではなかろうか!?!  それに関する記述が一言もなく、ただ紙切れ一枚に“不採用”の文言と共に「この度はせっかくの我が社への就職希望に沿えず残念です」と郵送にて文書を寄越されたとて、娘本人が承諾しようが、母の私が到底承諾出来る訳もない!
 何故“不採用”の通知を寄越すのかに関して企業側は説明責任あり!   との怒りを訴えるのは、元教育者の原左都子のみであろうか!??


 引き続き我が娘の私事で恐縮だが、我が娘が通う私立大学は「就活専門コンサルティング会社」“とやら”を学生の就活援助策として(恐らく大学との癒着で)採用しているようだ。 (当然ながらこれにも多大の学費負担が親に課せられている事実だが…。)

 その「就活専門コンサルティング会社」による模擬面接を、先だって就活4年生全員強制にて受けてきた娘が、サリバンである私に落胆して報告した事実に驚かされた。
 (一体全体如何なるバックグラウンドある人物なのか得体の知れない)コンサルティング会社“とやら”の面接担当者が娘に対して曰く、「貴方の場合、趣味として“ランニング”を上げているが、大したタイムも出せない現状でそれを就職面談にて話題に出すにはお粗末過ぎる。そんなことは就活の場では発言を控えるべきだ。」とけんもほろろに直言したらしい。
 それにしょげて帰宅した娘に応えてサリバン母の私曰く、 「コンサルティング会社とやらの面接担当者の方こそ、一体全体如何なるバックグラウンドに基づいて偉そうに学生の模擬面接などを担当してるんだ!?  現在の世の動向を知らない実にみっともない奴だよ。 そいつはそれしきの人生を歩むしか今まで手立てが打てなったからこそ、得体の知れない零細“就活コンサルティング会社”とやらにやっとこさ辿り着いたと想像するよ。 趣味とはあくまでも趣味でしかない。プロのランナーを目指すならともかく、ランニングを趣味範疇で実施する場合タイムが第一義であるはずがない。しかも21歳の若輩者がランニングが趣味と言って何が悪いんだ!?? あなたは現在の趣味であるランニングを高らかに就職面接で豪語していい!  加えてランニング趣味だけでなく、クラシックバレエ観賞や美術鑑賞もエントリーシートに記載しておくと、同趣味があってキャパある企業採用者が同感してくれるかもしれないよ。」
 まったくもって、いい大人が自分こそが大人になって少しは若造の話に耳を傾けてやれよ!  それぞ人材育成だよ。 と元教育者の私の怒りは収まらない。


 ここで、「原左都子エッセイ集」2009.10.10 公開バックナンバー 「実力と人気と使い易さの3次方程式」 と題するエッセイの結論部分のみを以下に紹介しよう。

 残念ながら現生の世の中のシステムとは、狭い集団内における(名目だけ)上の立場にいる人間が下の人間を「使い易い」という安易な論理のみで扱っていたのでは発展し得ないものである。
 組織体の如何にかかわらずその“長”たるものは、世の中をオープンシステムとみなして自分の都合や狭い見識のみではないグローバルな視野で捉え、真に「実力」のある人材を勇気を持って育成していかないことには、結局はオープンシステムにおける長続きする「人気」を確保できず、その発展も望めないのではなかろうか。   真の実力がものを言い、それが世を動かす時代に早く移り変わって欲しいものである。
 (以上、我がエッセイ集2009年公開のエッセイより結論部分のみを引用。)


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 今春せっかく新入社員として採用試験を通過させ自社に迎え入れたものの、わずか数日でギブアップしたり、入社式にさえ来ない新人が少なからず存在するようだ。 その元凶とは、採用企業側こそが新卒採用を誤った故と結論付けられよう。

 歪んだアベノミクス経済政策により現在“一時のみ”活気付いている企業が我が国に蔓延っている有様だ。 それら“勘違い企業”が今後に及ぶ経済情勢に関し深い思慮無きまま、今年は大量新人を採用している実態とも把握している。
 何千人との膨大な新人を大量採用する企業とは、新人を「使い捨て」する魂胆と私は娘に教育し続けている。  それでも自らが欲してそんな企業を目指したいならばそれも選択肢の一つかもしれない。

 ただ娘のサリバン先生を長年務め上げている私としては、表題に掲げたような新卒採用社員に入社後直ぐに退職される事態を呈す愚かな企業体質を見抜く能力をも磨き、自らの就活上避けるべきと教育したいものだ。

 まだまだ厳しい娘の“就活”道程だが、私自身が陰ながら見守りつつ、引き続き娘なりの良き就職先を見定めていこう。

政治家も医師も労働対価以外の金銭授受は慎むべき

2015年04月03日 | 時事論評
 庶民には厳しく、自分たちには大アマな安倍内閣の金遣いが明らかになった。
 3月30日の衆院予算委で民主党の玉木雄一郎議員が、石破茂地方創生担当相が高級公用車を短期間で乗り換えていた事実を指摘した。  それによると、石破氏は内閣府が13年11月に購入した公用車のトヨタ「クラウン」を、たった1年3カ月で“乗り捨て”。 今年2月に月39万円のレンタカー代を支払ってトヨタ「レクサスLS460」に乗り換えた後、さらに3月今度はワンランク上の「レクサスLS600HL」を購入したという。
 内閣府の運用ルールでは、大臣の公用車は「12年間使用か10万キロ走行」をメドに買い替えるのが一般的。  庶民がカツカツの生活費で暮らしているのにフザケた金銭感覚ではないか。 予算委で玉木議員に追及された菅官房長官は「日本の技術力の高さを発信するため。購入前に運転手の習熟度を高めるためまずはレンタルにした」などと、まったく説明になっていない。
 あらためて玉木議員に聞くと、「国の借金が1000兆円を超える中、政府の要職にある人間は節制に努め身を正すべき。 石破大臣は認識が甘過ぎる。」
 (以上、4月2日付ネット情報より引用。)


 いやはやまったくもって“恥知らず”のみっともない醜態を国民に晒した石破氏だが、カネに関する感覚が麻痺しているのは政治家のみならず、医師も同様の惨憺たる有様だ…。

 朝日新聞4月1日朝刊一面トップ記事によると、「医師に謝礼1000万円超184人 製薬会社、講演料など」とある。
 以下にその一部を要約して紹介しよう。
 国内の製薬会社72社が2013年度に医師へ支払った講演料や原稿料を公表した。 のべ10万人程の医師に対し、計35万件の講演等で総額300億円が支払われていた。 医師学会各学会が病気毎に定める「診療指針」の作成医も多額を受け取っていた。


 ここで原左都子の私事だが、元医学関係者であり民間医学関連企業経験者の私は、この実態を数十年前の現役の頃より十分に承知している。

 我が所属民間企業からも、巨額の“謝礼”が大学や病院医師へ支払われる現実だった。

 例えば前回のエッセイ内に、我が勤務会社から某大学医学部「免疫学研究室」へ出張した旨記述した。 あれなど当時の最先端免疫学情報及び実験手技等を教授願う目的での出張だったのだが、一社員である私を研究室へ出向かせるに際し会社が大学側へ支払った謝礼とは、私の想像を絶する程の巨額だったことであろう。
 あるいはその後、別大学医学部研究室と共同学会発表を実施したこともある。 その際、またもや私は実験係として会社から駆り出された。 当該医学部研究室にて所属研究員氏達にペコペコ頭を下げ「先生、先生」とへーこら気を遣いつつ、日々地道に実験に励んだ。  こっちこそが“謝礼”を貰いたい思いだが、それを支払うのは民間企業側と世の相場が決まっていた。 しかもその金額とは、当時の私にとってはこれまた想像不能な程の巨額だったと推測する。
 ある時は、社内上層部の取締役が病院医師への贈賄容疑で逮捕された。 この事件は報道トップニュース沙汰となり、一時社内に大勢の報道陣が詰めかけて社員の立場で対応に苦慮した経験もある。
 (一切何も答えるな!との上層部からの指示だったが、もしも報道陣からマイクを突き付けられたならば当時よりの私論、“医療業界自体が腐り切っている!”とぶちまけたい思いだったものだ!)

 とにもかくにも、“医師中心の医療業界ピラミッド虚像構造”こそがどうにかならないものか!と、我が“医師・病院嫌い”に拍車をかけられ続けた民間企業医学経験時代の事実には間違いない。


 ここで話題を大きく変えよう。

 「原左都子エッセイ集」2008.7.29バックナンバーに於いて、私は 「ホリエが後進に残した功罪」 と題するエッセイを綴り公開している。  以下にその一部を要約して紹介しよう。
 ホリエの存在は、確かにインパクトはあった。  だが私は、あの若造のやることなすこと全てが鼻につき、嫌悪感を抱き続けていた。  
 ㈱ライブドアの連結決算を粉飾したなどとして、金融商品取引法(元・証券取引法)違反の罪に問われた元ライブドア社長の堀江貴文被告に対し、一審判決に引き続きこの度二審においても実刑判決が下された。
 ホリエを取り巻く経済界に於ける新しい価値観を認識した上で、以下に私論を展開しよう。  ホリエには明らかに何かが欠けている。  マスメディアを通じてずっとホリエを観察していると、大変失礼ではあるが、“千と千尋…”のブタの姿になって子どもを放ったらかしてご馳走を食いあさる千尋の両親を私は連想してしまう。(あの両親も子を持つ親として“醜さの象徴”と私は捉えているのだが…)  要するにホリエは私の目から見ると経済界における“醜いブタ”でしかないのだ。
 ホリエとは皆さんもご存知のように途中までは“一応”エリートコースをたどっている人物ではある。東大(なぜか文学部宗教学科)に入学し中退しているが、在学中に自ら事業を立ち上げている。
 そんなホリエが生きていく意味は何にあるのだろう。   未だ35歳。 人生80年の時代に、たかだか30年前後の人生経験に基づく価値判断を元に、すべてが“想定内”と豪語し、どうしてそんなくだらない“こまっしゃくれた”人生を急ぎ、小さい天下を取りたいのか?? 
 ホリエの価値観は金であり名声でしかありえない。そこには何ら“文化”や“美学”が感じられないのだ。学問や科学や芸術の香りが一切ない。私の目から見るととんでもなくつまらない。  金儲けを否定する訳では決してない。ただ、金儲けには必ず人間としての喜びや幸せや達成感が表裏一体として伴っているはずだ。 そのような裏付けのないお金の価値は低く、結果として社会から排除されていく運命にあるのではなかろうか。
 いずれにしてもホリエ氏はまだまだ若い。 頭の良い人物でもある。 今後の更正に私は心底期待申し上げたい。
 (以上、原左都子エッセイ集2008年バックナンバーより一部を引用。)

 このホリエ氏(堀江貴文氏)を先だってのテレビのクイズ番組で見た。(参考のため、私はクイズ番組ファンである。)
 インテリ(と言えども私の感想ではどこかインテリ??と蔑みたくなるような)タレントどもが出演したクイズ番組なのだが、その中でなんと! ホリエ氏が並み居るインテリタレントどもを蹴散らして「優勝」に輝いたのだ!!
 この番組をずっと視聴していた私は、ホリエ氏の魅力を再確認させられるはめとなった。 この人、確かに学の程は不確実性が高い(東大中退)ながら、その後の人生経験に於いて培った知識力の程が並大抵でない。 しかも“たかが”クイズ番組で優勝したその時のホリエ氏の“はしゃぎぶり”が何とも可愛いではないか!
 この人、一旦刑事告発にて実刑判決が下された事実が、その後の人生に活きているのではないかと感じた一場面だった。
 

 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 政治家先生達や医師先生達。
 貴方達は本気で、根拠無き巨額の金銭を受け取る事を“自分らの当然の権利”と認識してしまっているのだろうか??
 少しはこの世に生を受けた人間として、「恥を知ろうよ」。

 自分自身が成し遂げた“労働対価”以外の金銭を深い思慮もなく安易に受け取るその姿とは、経済弱者である庶民達の目線からは“醜いブタ”すなわち“乞食同様”に映り、実にみっともないとしか表現しようがない。

 もしもこの世を“上から目線”で操っている(と勘違いしている)政治家及び医師諸先生方が、少しは我が身を省みて「恥を知る」観点に立てたならば、世はもっと活性化するとの未来展望がありそうな気もする。
 更には諸先生達にとっても世の底辺に位置するその他大勢の庶民を味方に付けておいた方が、今後不確実性が至って高い現世に於いて、ずっと面白い人生が展開するのではないだろうか。

私にも初々しい新人時代があったなあ…

2015年04月01日 | 仕事・就職
 4月1日、我が国に於いて本日よりまた新たな年度が始まる。 

 昨日の東京は初夏のような陽気に加え、南からの強風が吹き荒れた。 つい最近まで冬のコートに頼る肌寒い日が続いたが、昨日の陽気に誘われミニスカワンピースに軽い上着のいでたちで街に出た私の足元を、南風がスカートを捲り上げに来る。

 一転して本日4月1日の東京は、どんよりと曇り空が広がる中、強風も収まり落ち着いた新たな年度の幕開けだ。
 テレビニュースによれば、新卒新入社員達がそれぞれの職場の入社式を迎えた様子だ。  本日昼のNHKニュースにてその報道を視聴したが、トヨタ自動車㈱と東京都庁の入社式が取り上げられていた。 トヨタ自動車㈱の場合新人皆が制服姿、そして都庁は皆がリクルートスーツ着用の入社式風景だった。


 毎年4月1日に「新卒採用社員入社式」の映像をメディアで目にする度、私自身の「入社式」が我が脳裏にフラッシュバックする。
 これに関してエッセイを綴ろうとするのが今回の趣旨である。

 それに先立ち、当該「原左都子エッセイ集」7年程前の 2008.4.24 バックナンバーに於いて 「旅立ちの日の情景」 と題するエッセイを公開しているため、その一部を以下に要約させて頂こう。

 桜咲く時期に、今なお私の脳裏に浮かぶ忘れえぬ光景がある。   それは、今からウン十年前の3月下旬のある日、新卒で就職するために田舎から東京へ上京した日の情景である。
 東京へは父が軽トラに荷物を積んで、私の田舎から海路フェリーで東京まで送ってくれる計画を立てていた。 出発の日の前日からあいにく春の大雨で、荷物の積み込みに難儀した。 そして旅立ちの朝となり、まだ降り続く春の雨の中いよいよ出発の時間となった。  さっきまでお弁当を持たせてくれたり何だかだと世話を焼いてくれていた、今回は留守番役の母の姿が見えない。  もう出発しなければフェリーの時間もある。 どうしたんだろう、娘の旅立ちという人生におけるビッグイベントの大事な時に母は見送りもせず何をしているのだろう、と不服に思いつつ車に乗り込んだ。
 車が動き出そうとした時、やっと母が玄関から少し顔を出した。その顔を見て母の姿が見えなかった理由がわかった。泣きはらした顔をしているのだ。  普段は決して人前では涙を見せない気丈な母が、私の出発準備を終えた後、陰で泣きはらしていたのだ。 旅立ちの時に、一人で旅立つ私に泣き顔を見せてはいけないと考えたのだろう。それでも私が旅立つ姿を一目見たくて玄関から少しだけ顔を覗かせたのだろう。   あんなに泣きはらした母の顔を私はこの時生まれて初めて見た。  母の思いが沁みて、今度は私が涙が溢れて止まらない。それでも、今私が泣いて父を心配させてはいけないと考え、泣くまい泣くまい、気丈に振舞おうと助手席で涙をこらえるのだが、そんな思いとは裏腹に止めどなく涙が溢れ出る。  父は私の心情を察してか一言も話しかけず、ただ黙々とフェリー乗り場まで運転を続けた。もしかしたら、父も泣いていたのかもしれない。
 フェリーは一昼夜かけて次の日の朝東京に着いた。  父がしばらく滞在して私の東京での新生活の準備を手伝ってくれた。
 そして父が田舎に帰る日がやって来た。 どうしても父との別れがつらい。心細い。朝から泣けてしょうがない。 後1日でも滞在を延長して欲しいと泣きながら父に訴えるのだが、父には仕事もある。 実は私の東京行きを直前まで反対した父だった。 そんな父が、東京でひとりで生きる決意をした私を激励し、心を鬼にして田舎へ帰って行った。
 後で父から聞いた話だが、父にとってもあの時ほど辛かったことはなかったらしい。アパートの部屋の窓から泣きながら手を振る私の姿が、父にとっても人生において忘れえぬ光景だと、よく話してくれたものだ。   そんな父ももう既に他界している。
 こうして私の東京での初めての自立生活がスタートしたが、父が去った後午前中泣きはらした私は、午後には気持ちの切り替えをした。 この東京で強く生きていかねば!、とその日の午後早速都心の街に出かけることにした。ターミナル駅まで電車に乗って出かけ買い物をしたことを憶えている。
 あれからウン十年が経過し、大都会東京で図太く生き抜いている私が今ここにいる。  今年の母の日には、どんな親孝行をしようか。
 (以上、原左都子エッセイ集2008年4月公開バックナンバーより一部を要約引用。)


 その後まもなく私は4月1日を迎え、某医学関連企業(現在東証一部上場企業)の新卒対象入社式に参列した。
 その日に着用する“衣装”に関しては郷里の母とも相談しつつ、私に似あうワンピースを郷里にて母に買って貰っていた。 (リクルートスーツが幅を利かせている現世に於いて、入社式にワンピース姿など想像不能な話であろう。)、ただ私の場合、国家資格取得を条件とした医学専門職にての民間企業就業だったため、周囲の新卒者も同様に服装はバラエティに富んだ入社式風景だったものだ。  その後の研修期間中も、新人皆がジーパン姿等ラフないでたちだった事に大いに助けられる職場環境だった。(古き良き時代背景だったのかもしれない…)
 そして、我が配属先が少人数の部署だった事が集団嫌いの私にとって幸いした。 その年度に開設されたばかりの(仮称)「研究室」には一人の女性上司と私しかいなかった。  
 ところが新人研修が修了した5月の連休明けに、私は早くも“単身での出張”を余儀なくされた。
 その出張先とは、都心にして自宅アパートから電車を2本乗り換え途中“殺人的ゲロ混み山手線”に揺られる運命だった。  出張先だった某大学医学部“免疫学研究室”にての業務使命よりも、ゲロ混み電車内での殺人的混雑こそが、“田舎ポンと出”の私にとって耐えがたかったものだ…

 その後数十年が経過した今現在、首都圏では交通網の通勤時混雑緩和を主たる方策として複々線化を実行して来ている。 それを評価するとして、私は今尚混雑時間帯に電車に乗る事態を出来る限り避けている。


 話題が飛んだが、その後私は通勤先への「逆方向」への住居を買い求め「電車内混雑」を回避する方針を貫き通している。

 遠隔地の親の心配とかかわりなく、子供本人が社会進出するに当たり様々な「障壁」にぶち当たるのは自然の摂理であろう。
 私の場合は新卒就職当初時点で、その主たる障壁対象が「都心電車のゲロ混み」状態だったと言えよう。 その事実に上京直後の出張により気付けた事がラッキーだった。 そんな事態は、自分の今後の住居地選択によって幾らでも解消可能な分野だ。 その原則に従い、私はその後もずっと住居地を勤務先(通学先)より中央の地に買い求め“下り方向”へ通勤(通学)する方策を導いている。(娘にも痴漢回避等の理由でそれを指南し続けている。)


 それはそうとして、私が上京直後に経験した“初々しかった新卒新入社員時代”など、後で思えばほんの僅かな期間でしかない。
 その後郷里へ戻りたいなどとの想いをただの一時も我が心情として描くことなく、現在の住居地である東京を“終の棲家”と愛おしみ続ける日々だ… TOKYO