原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

骨折記念日

2015年04月11日 | 医学・医療・介護
 昨年4月12日に自宅バルコニーにて洗濯物取り込み中に転び、左鎖骨及び右手首2か所を同時骨折して以降、明日で丸1年を迎える。

 これぞ我が人生最大の大怪我であり、整形外科医を受診したのも産まれて初めての経験だった。 まさに“青天の霹靂”であり、私にとっては「記念日」と称するに値する出来事である。


 いえいえ、骨折自体は我が人生に於いて何度か経験している。

 小学校中学年の頃、就寝中に足の指(記憶によればおそらく左足第4指辺り)を掛布団に引っかけて骨折した事がある。
 その時の痛みの程が尋常ではない事を親に告げたのだが、「そんなもの直ぐに治る!」とけんもほろろに無視されてしまった。 確かに通常の怪我など2,3日も経てば治る事は子供心にも既に経験済みのため、痛みに耐えつつ日々を過ごした。  その後2週間程が経過しても痛みが消えないため再び親に訴えた。 相変わらず「放っておいたら治る!」との回答だ。 (そもそもこの頃から、私は我が親どもの態度に不信感を募らせ始めていたのだが…)
 保護者である親に2度に及びそう言われてしまえば、子供としては打つ手がない。 もう諦めた。 私は学校での日常(体育授業も含め)すべてを足指の痛みを耐えつつ普通にこなした。
 後の考察だが、当時の我が怪我とは「骨折」だったのであろう。 それが証拠に1ヶ月程で完治した記憶がある。 

 次なる骨折私事は、我が30代後半期教員時代に被った(あくまでも極秘処理するべき)骨折体験だ。
 これに関しては当エッセイ集バックナンバーにて既に公開済みのため、ご存知の読者の方もいらっしゃる事であろう。
 (実に顰蹙な話だが)何分生来“飲兵衛”体質の私。 バブル経済後半期頃高校教諭をしていた私は、職務を終えた時間帯に飲兵衛仲間達との“居酒屋”等飲み処をはしごする日々だった。   そのはしごの行き着く先は「カラオケ処」である。 ある日、何軒かをはしごした後に辿り着いた「カラオケ処」にて、私は椅子から転げ落ち胸を強打した。  ところが酔っ払っているが故にその痛みがさほどでもないのを良きこととして、私は帰宅した。 帰宅後の夜中から胸の激痛が増すのだが、現役教師としてはそんなことは言っていられない。 次の日にはきちんと職場である高校へ出向き、いつも通りの職務を果たす日々が続いた。  
 当時既に医学経験を積んでいた私は、“肋骨骨折”と自己診断していた。 加えて法学経験もある私は、自己の瑕疵(例えば酒による負傷等)による怪我に関しては、医療保険対象ともならない事実も承知していた。 
 ただ肋骨骨折とは一般人にとってさほどの苦悩を伴わない骨折らしく、それに気付きもしない患者氏も存在するようだ。 その一例である私は胸の痛みに耐えつつも、医療に頼ることなくほぼ1ヶ月程で完治に至った。

 数年前にも、自宅にて左手薬指骨折を経験している。
 それは着替え中の出来事だ。 足元がふらついた私は咄嗟に左手で近くにある椅子を掴もうとした。 ところがそれに失敗し、激しく左手を椅子にぶち突けた!  薬指の痛みはその後1ヶ月続いたが家族の誰に直訴するでもなく、私は咄嗟に「骨折」と判断し、完治までの1ヶ月を普通に生活しつつ耐え抜いた。   

 そして迎えた我が大災害こそが、昨年4月12日の両腕2カ所(正確に言うと左鎖骨と右手首骨折)の全治2ヶ月重傷の大怪我である。

 この日(というよりそれ以前に発生していた)我が身にまつわる“予期せぬ惨事”に私は心を痛め続けていた。
 我が所有賃貸マンション物件に新たな賃借人氏を迎え入れたのはよかったのだが、それを仲介した不動産会社から「賃借人氏よりクレームが出ているから直ぐに仲介会社まで来て欲しい」との要望だ。 既に20年の年月に渡り賃貸歴がある私としては、オーナーに向かって現地に来い!なる仲介会社からの指示は初めての経験だった。 それでもその指示に従って現地に向かったところ、(私の解釈では)“ヤクザもどきの賃借人”に仲介会社が難儀していたとの事実だ。 出来れば仲介会社こそがその対策を打って欲しかったものの、それが叶わず(今時の新進不動産仲介会社とは経験不足の若手社員が多い有様だ。) やむを得ず、オーナーである私に事の決着を頼ったと判断した。 
 そうだとしても、賃借人側の要求額の程が尋常ではない。 それにすべて応えるか否か等々を含め、我が所有物件に関する最終結論を投げかけられる程の事態と私は判断した。 その後、ある程度賃借人の要求に応じつつ、我が賃貸物件事態を売却するべきとの判断に至った。
 それ以前に遡ると、特に昨年4月頃は“ヤクザもどき”の賃借人氏から日々直接、我が家の電話やメールアドレス宛に「ここが不備だから改築しろ!」、やれ「排水管が詰まっているぞ!」 「こんな古い物件に賃借人を入居させた責任をオーナー側が取るべきだ!」 さて「修繕中のホテル補償しろ!」 「修理中の労働対価を保障せよ!」等々… 言わせておけばきりがない…。
 私としては自分自身に法的バックグラウンドがある事を相手に明示しつつ、賃借人側よりの全ての要求に対し出来る限りの「修繕及び補償」を紳士的に実行した。 その総額が150万円に上ったとの事だ。
 その後それ以上の損失を避けるべく、当該不動産物件を「オーナーチェンジ兼リノベーション対象物件」として売却するに至った後、“ヤクザもどき”の賃借人氏より私宛に何も言って来ない事実に大いに安堵している…。


 私事が長引いた事をお詫びしよう。

 要するに、何故私が昨年4月12日に自宅バルコニーで突如として転ばざるを得なかったのかを今解説するなら、当時私は上記のごとくの人生に於ける大きな難問課題を一身に抱えていたのだ。
 何をなすにも“ヤクザもどき賃借人”よりの理不尽な要求が頭から離れなかった。 あの日洗濯物をバルコニーから入れる時にも我が脳裏には“ヤクザに如何に対応するべきか!??”なる課題が多くを占領していたと推測する。 そして、私はその“ヤクザもどき賃借人”に背後からぶち倒されたような感覚だった…
 結果として左肩からバルコニーの地面に直撃で突き落とされた(感覚の)私は左鎖骨を骨折した。 その際、右手を植木鉢に打ち付けた事で2箇所の骨折を招いたと結論付けている。


 よく言われる世間の談話では、「骨折など“時間薬”であり時が経過すればすぐ治る」との決まり文句だ。 ところがそれはまったくもって迷信である事実を、今年還暦を迎える骨折経験者の私から指南しておこう。
 「骨折が日にち薬」とのセリフとは、おそらく子供相手か、あるいは骨折経験がない人物からの“希望的観測”に過ぎないであろう。
 
 明日「骨折記念日」を迎える私も、実は左鎖骨及び右手首周辺に今尚“違和感”がある事が否めない。 
 そんな事実が許し難く昨日もジムにて両腕を鍛えて来たのだが、トレーニングをやり過ぎると直ぐに骨折箇所周辺の関節が痛むのだ…  実に情けない思いだが、「骨折が日にち薬」なる表現とは、あくまでも回復が早い子供相手に発するべきと再度指南せざるを得ない。 

 私自身が「骨折記念日」を設け、今後決して骨折だけはしない人生を歩むべきと志している。

 世間の高齢者の皆様がもし未だ骨折経験がおありでないならば、ご自身が思われている以上に高齢にての骨折後の人生がままならない事実を、明日「骨折記念日」を迎える私から今一度是非共お伝えしておきたいものだ。