原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

誕生日雑感 Part3

2014年10月18日 | 自己実現
 (写真は、昨日原左都子の誕生日に際し“自分で”買って来てろうそくを灯したケーキ。)

 誕生日を迎えるのも59回目ともなれば、もうどうでもよかったり、あるいは自分の誕生日を忘れたりする人が多いのではなかろうか?
 実は私も前日の夜までは記憶していたのだが、朝目覚めた時点ですっかり昨日が誕生日である事を忘れていた。 自分で書き込んだカレンダーの記載を見てやっと思い出した次第だ。

 
 それにしても部屋から空を見上げると、とてもいいお天気だ。
 この時期は1年のうちで一番好天に恵まれる季節と感じるのだが、事実、我が誕生日はいつも素晴らしい秋晴れが誕生日を祝ってくれる。
 母が毎年誕生日に電話を掛けてきて言うには、私が生まれた59年前のこの日も秋晴れだったそうだ。
 昨日の59歳初日もまるで地球からの祝福を受けるかのように、好天に恵まれ幸先の良いスタートが切れた事が何よりのプレゼントだ。


 ところで私は年齢を重ねる事を好意的に捉えている旨に関し、バックナンバー「誕生日雑感」及び「誕生日雑感Part2」に於いて既述している。

 特に30歳直前期より、その思いが強かった。
 元々結婚願望や子育て願望が希薄だった私にとって、“年齢が若い”事に対する執着やメリットはほぼなかったと言える。(外見的若さに関しては今尚こだわっているかもしれないが。)  むしろ(人格面や能力面での)「若さ」に対し“鬱陶しい”とも表現出来そうな一種の嫌悪感すら抱いていて、早く成熟した大人になりたい!思いが内面に溢れていた。  事実30歳を迎えた日には、やっとこさ「若さ」とのしがらみから解放され心が自由になれた気さえしたものだ。

 我が40代は晩婚で産んだ子供の教育指導に追われる日々だったが、40代後半にはやはり早く50代に達したい願望があった。
 あれは何故だったのかに関して今考察してみると、未だ小学生であった娘の母親連中(いわゆるママ友たち)との付き合いがとにもかくにも鬱陶しかった記憶がある。 「私は既に50代の婆さんなのだから、若い世代の母親である貴方達との共通項は少ない故に、お願いだから付き合いを勘弁して!」と訴えるには、“50代”を前面に売りに出す事こそが武器だったような感覚だ。(実際には個人情報保護が定着しつつあった頃であり、周囲ママ友よりも私こそが若く見えた??ようで、結局“50代”をママ友敬遠の武器に出来る事は皆無だったのだが…)


 時が流れ、私は昨日59歳の誕生日を迎えた。

 現在娘も大学3年生にまで無事に成長していて、幸いな事には、上記“ママ友”たちと不本意にも義務感にてまみえざるを得ない機会など、既に過ぎ去った過去の物語と化している。
 子供を巡る環境から解放されたとの意味合いで自分の自由度が大幅に拡大した反面、別分野に於いて周囲との確執が増大するのがこの年齢の特徴でもあろう。

 実は我が58歳の1年間とは、今まで経験した事が無い程に多忙かつ過酷な試練が押し寄せる時期だった。

 昨夏には義理姉が膵臓癌で不覚の死を遂げた。 それまでケアマンションに暮らす義母の保証人を受け持っていた義理姉に替わりそれを我が亭主が受け継いだ時より、私の日常業務が大幅に増大した。
 特に義母の税務申告を税理士試験半分取得者である私が担当するようになった事が、我が日常生活を大きく変えたとも言える。 今年2月末に義母の青色申告を終えるまでは、(賃貸不動産管理業務も含め)その作業に心身共に没頭させられたものだ。

 同時に我が所有賃貸物件の賃借人選択を誤り多額の損失を計上した挙句の果てに、当該不動産を“オーナーチェンジ”物件として売却せざるを得ない運びともなった。
 これに伴い発生した我が損失額総額は 150万円也 だ。 これ程の損失を1年内に計上したのは、我が人生に於いて初めての大失策事件だった。 これにより私は老後資金の一部を確実に失うと同時に、この年齢にして(人は疑ってかかるべきとの)人間不信にも陥ってしまった…

 それに加え、我が身に降りかかった58歳最大の災害と言えば、4月の両腕骨折、及び8月の足小指骨折に他ならない。
 何故これだけの災害を我が身にもたらしてしまったのかに関して考察するに、要するにすべての心労が連動していた事実を私は分析済みだ…。


 還暦近い女とは、通常既に子育てを終えている(我が家は大学3年生娘の今後の就職成就まで通じる課題だが…)のが普通でなのであろう。
 この年齢層の女性に何が要求されるかと言えば、まず第一に身内高齢者の支援である事には間違いない。 それが私の場合、義理姉の死と共に突然降って湧く運命にあった事は理解可能だ。
 高齢者の老いぼれとは急激に訪れる対象体であることも、実母も含め既に把握している。 まだまだ試練は続く…

 そんな厳しい環境下に、昨日59歳を迎えた私だ。
 今後1年間も我が精進・努力が叶う限り、課せられた課題に実直に向かうべく頑張ろうではないか!

 そして来年の10月には、今年よりも大きなケーキをやはり“自分で”買ってきて、我が輝かしき「還暦」を祝いたいものだ!! 

子どもは “絶対評価” で褒めてよい

2014年10月15日 | 教育・学校
 親が未だ幼き我が子を褒める場合、その基準として「絶対評価」以外考えられないのではあるまいか。

 ところが、世の中にはそれを実行して悔やんでいる母親が存在するようだ。


 少し前の朝日新聞「声」欄に、自分の子を「絶対評価」で褒めた事実を「裸の王様」だったと反省している投稿があった。  早速その内容を、原左都子の記憶に頼り紹介しよう。

 幼稚園児の我が息子は元々運動能力が劣っていたのだが、今まで出来なかった“飛越し”運動が出来たため、母の私はそれを瞬時に褒めた。  その時、隣にいた息子の友達がそれを見て、軽々と“飛越し”運動をやってのけた。  その時に、母である私は悟った。 我が子が今まで出来なかった事が突然出来たとは言えども、すぐさま褒める行動とは「裸の王様」状態である事実を…。 我が子を褒める場合には、必ずや世間標準と照らし合わせてそれを実行せねば、今後の息子の成長の足を引っ張る事態ともなりかねない。
 (以上、朝日新聞「声」欄投稿より原左都子の記憶に頼り引用。)


 早々に私論に入ろう。
 
 自分の子を“絶対評価”で褒めた事態が、「裸の王様」???
 それならば、世の中のすべての子を持つ親は「裸の王様」であってよいと私は結論付けたい。

 原左都子の私事を語るならば、多少の事情を抱えて誕生した娘幼少の頃より、我が子が幼稚園や学校等の集団内では恐らく他者から“褒められる”という事を経験する事が稀であろうと推測していた。 そんな私は、娘と1対1対応時には何をさて置いても娘のほんの少しの成長を親の私が“褒めまくった”ものだ。
 その我が行動がその後の娘の成長に於いて、大いなるプラスになったと私は自負し続けている。

 我が娘の場合、(親馬鹿ながら)他者から褒められるべく各種要素を生まれ持つDNA及び生育環境レベルで大いに兼ね備えていた子であり、私のみならず学校等集団内でも“褒められる”経験を数多く重ねて来れた事が幸いしている事を私も認めている。

 ただやはり特に子どもが幼き頃には親こそが我が子を褒めずして、一体誰が我が子を褒めてくれる?? 


 話題を変えよう。

 娘が既に大学3年生にまで成長している我が家の関心事とは、今後の娘の就職先に他ならない。

 ところが一旦都心の電車に夕刻時間帯に乗れば、未だ若き世代である受験生達の“ぼやき”の声が聞きたくなくとも我が耳に入る。 その多くが「偏差値」に翻弄される嘆きの声である事に我が心が痛む…。

 「偏差値」すなわち「相対評価」に翻弄されつつ、それでも未来を目指して精進せねばならない若者群像に真の未来が訪れるのだろうか?? 
 そんな老婆心すら抱かされる程に、子供の学力評価を巡る教育背景とは昭和終戦直後から一切変貌していない事を実感させられる次第だ。

 電車の中で「偏差値」すなわち「相対評価」を頼りに大学受験対象を絞り込もうとしている若者の親達こそが、幼き我が子を褒めるに当たり「絶対評価」ではなく、周囲の子供達と比較した「相対評価」に依存してきた事実が歴然とも言えそうだ。

 
 
 私自身が「親」の立場として、娘の受験時期を既に無事クリア出来ているからこそ言いたい事がある。

 我が子の教育を「塾」や「予備校」等による市場競争原理主体に任せ切る親達とは、可愛い我が子を“編差値”基準で序列化される事態に慣れ切ってしまい、悲しいかな神経が麻痺している現実を突きつけられる思いだ…。
 そんな親どもに私が何を提言したとて、子の能力に関し、例えば「結婚相手」選択等に関しても、一生「相対基準」評価を下し続けるであろう事を危惧する。


 そのような日本の現状に於いてこそ、親自身が現在置かれている我が子を取り巻く厳しい環境を再度振り返る事に期待したい思いである。
 現世代の過ちを引き継ぎ、次世代を生き抜かざるを得ない若者たちにとって、「絶対評価」「相対評価」にかかわらず厳しい現世を突き進まねばならない事実を、親世代こそが今一度顧みて欲しい思いだ。

平和賞マララさん、若輩17歳にしての“上から目線”が気になる…

2014年10月13日 | 時事論評
 「太ったソクラテス」…

 大変失礼ではあるが、現在のマララさんの写真を見て私の脳裏に浮かんだフレーズがこれだ。

 まるで「4,50台のおばさん」の風貌だ。 いや、むしろ「ノーベル平和賞」を狙うためには、(よく言えば)この“貫録”を故意に演出せねばならなかったのかもしれない。

 もちろん、マララさんが生まれ育った過酷な環境を私も十分に理解出来ている。
 ただ、やはり今回のノーベル平和賞受賞は、欧米の価値観により“仕組まれた劇場ドラマ”であった感が否めない。


 それではここで、マララさんが歩んだ17歳までの半生(1/5生と言うべきか)を、ウィキペディア情報を参照しつつ少し振り返ってみよう。(敬称略)

 マララ・ユサフザイ(1997年7月12日 生 )は、パキスタン出身の女性。 フェミニスト・人権運動家。
 スンニ派の家庭に生まれる。 父親は地元で女子学校の経営をしており、マララは彼の影響を受けて学校に通っていた。 2007年に武装勢力パキスタン・ターリバーン運動(TTP)が一家が住むスワート渓谷の行政を掌握すると恐怖政治を開始し、特に女性に対しては教育を受ける権利を奪っただけでなく、命を狙うような状況になった。 2009年、11歳の時にTTPの支配下にあったスワート渓谷で恐怖におびえながら生きる人々の惨状をBBC放送の依頼でブログにペンネームで投稿してターリバーンによる女子校の破壊活動を批判、女性への教育の必要性や平和を訴える活動を続け、欧米から注目された。
 2009年、TTPがパキスタン軍の大規模な軍事作戦によってスワート渓谷から追放された後、パキスタン政府は彼女の本名を公表し、「勇気ある少女」として表彰した。 その後、パキスタン政府主催の講演会にも出席し、女性の権利などについて語っていたが、この事によってTTPから命を狙われる存在となる。
 2012年10月9日、通っていた中学校から帰宅するためスクールバスに乗っていたところを複数の男が銃撃。頭部と首に計2発の銃弾を受け、一緒にいた2人の女子生徒と共に負傷した。 
 奇跡的に回復後、2013年1月3日に約2カ月半ぶりに退院した。家族とともにイギリス国内の仮の住まいでリハビリをしながら通院を続け、2月2日に再手術を受けた。
 2013年1月9日、シモーヌ・ド・ボーボワール賞(英語版)を受賞。 同年7月12日、国際連合本部で演説し、銃弾では自身の行動は止められないとして教育の重要性を訴えた。国連は、マララの誕生日である7月12日をマララ・デー(英語版)と名付けた。また、同年10月10日にはサハロフ賞を受賞した。
 2013年10月13日、容疑者とみられる5人が逮捕された。 2013年11月10日、ホワイトハウスでオバマ大統領一家と会談。
 そして2014年10月、「ノーベル平和賞」受賞。
 (以上、ウィキペディア情報の一部を引用要約。)


 次に、「ノーベル賞」受賞直後のマララさんの談話を10月11日付朝日新聞より引用しよう。
 「この賞を与えられてとても光栄。私一人に与えられたものではなく、声を聞かれるべき子供達すべてに対するものだ」 共同受賞が決まったインドのサティヤルティさんと電話で話した後、「これは始まりにすぎない。私はすべての子供に学校へ行って欲しい。」「パキスタンでは、私には黙って殺されるか、発言して殺されるかしか選択肢がなかった。だから私は立ち上がって殺されようと思った」と、イスラム過激派の武装勢力タリバーンと対峙した時の自らの決意の固さを説明した。
 (以上、朝日新聞記事より一部を要約引用。)

 引き続き、朝日新聞記事よりノーベル賞委員会委員長の談話を紹介する。
 ノルウェーのノーベル賞委員長ヤーグラン氏は、朝日新聞よりのインタビューに応じ、今年の平和賞授与の狙いに関してこう語った。「世界中の若者に希望を与える事に、焦点を当てたかった」 「その最善の方法は、学校に通う権利を与える事だ」と指摘。 インドとパキスタンについては「両国は長年紛争を抱えている」と指摘し、「子供の労働問題や教育を受ける権利のためにベテランのサティヤルティさんが長年取り組んできた活動に、若きマララさんが光を当て推進した」と話した。
 (参考だが、ヤーグラン氏は、今回「憲法9条」護憲の日本国民の動きに関しても平和賞検討対象だった事を認め、真剣に検討した。との事だ。)
 (以上、同じく朝日新聞記事より一部を要約引用。)

 更には、今回のマララさん平和賞受賞への各国からの賛否両論意見を朝日新聞記事より紹介しよう。
 国連バンギムン事務総長は、「彼女は一本のペンが世界を変える事ができると述べ、一人の若い女性が模範を示せる事を証明した。国連は彼女と共に過激主義に立ち向かい、暴力から逃れ、学校に通い学ぶ権利を享受するという全ての少女の権利を擁護し続ける」と宣言した。 マララさんが現在暮らす英国ブラウン前首相は、「彼女の教育ビジョンや勇気、決意は平和賞に値する」とのコメントを発表した。
 ただ、パキスタンでは冷めた意見も根強い。 外務省幹部は「なぜマララだけが注目されるのか。米国の無人機巻き添えで亡くなった数多くの子供達に世界はなぜ目をつむるのか」と指摘する。 インターネット上の書き込みにも「マララは欧米の操り人形だ」「かつて平和賞を受賞したオバマ大統領と同類だ」など、批判的な見方が圧倒的だ。 
 米軍による対テロ戦のあおりで、治安が悪化した隣国アフガニスタンなどでは欧米に対する反感が根強い。 ノーベル平和賞に「欧米価値観の押しつけ」を感じる世論を反映したものとみられる。
 (以上も、同じく朝日新聞記事より一部を引用したもの。)


 最後に、原左都子の私論で締めくくろう。

 マララさんが生まれ持った「不運」と「幸運」が私の脳裏に入り混じる。
 戦闘下にある国家に生まれ出るを得なかった事実は確かに不運であろうが、マララさんは家庭環境には恵まれていたようだ。  学校を経営する父親の下、教育の素晴らしさを幼い頃より体得可能だった環境下に育ったマララさんは幸運だったと言えよう。
 それを自らの武器とするマララさんが、イスラム過激派の標的となったのも“運命のいたずら”範疇かもしれない。

 マララさんが今まで歩んで来た17年間の人生の中で一番評価されるべきは、襲撃を受けた後(先進国医療のバックアップに恵まれた事は事実であろうが)未だ10代半ばにして恐らく“うつろな脳裏で”「自分はパキスタンの子供を救うべく生き延びよう!」との決意の下、奇跡的に回復した事実であろう。 その類稀な“意気込み”に関しては私も大いに評価対象としたいものだ。

 ところがその後マララさんとは今尚、英国バーミンガムに居住しているとの報道だ。 それもそのはず、今現在自国であるパキスタンに帰国したとて、タリバーンの襲撃を受けかねない事を配慮しての措置であろう。
 ただそうした場合、マララさんの教育理念とは“机上の空論”に過ぎないと表現されても致し方ないのではなかろうか。 教育とは、まさに現場で子供と親身に向き合ってこそ成就が叶う対象現象でしかないのだ。 
 その意味で、インドのサティヤルティさんの国内行動は直に「ノーベル平和賞」に結びついたと言えるのではあるまいか。

 未だ17歳のマララさんが「ノーベル平和賞」を受賞しても、恐らく世界中の誰もが困らない事は歴然であろう。
 ただわずか17歳との年齢故に、私は老婆心ながら今後のマララさんの行く末を案じざるを得ない。
もしも欧米価値観に依存した受賞だったとすれば、今後マララさんはこの世で如何に活躍するのであろうか?
 まさか商業主義に操られる人生をマララさんが欲さない事に、期待したいものだが。

一昔前はまさに“ウイスキー”全盛時代だった

2014年10月11日 | 
 (写真は、原左都子が1970年代後半~80年代初頭にかけ飲食店にてコレクションしたマッチ。 もう既に廃棄処分したものと思っていたところ、先程押入れ内を探索したらその一部が出て来て感激した!   中央辺りの“I want you”と書かれたマッチは私が20代前半頃常連で通い詰めた六本木のサパークラブ「最後の20セント」のマッチ。 その左隣が新宿歌舞伎町のディスコ「カンタベリーハウスギリシャ館」、その左が同じく新宿伊勢丹裏にあったディスコ「ラジオシティ」。  「カンタベリーハウス ビバ館」や「新宿クレイジーホース」のマッチも保存されていますので、ご興味がある方は上記写真を探索してみて下さい。)


 今回のエッセイを綴るきっかけを得たのは、9月末より放映中のNHK連続テレビ小説「マッサン」である。

 冒頭から、「マッサン」に関してウィキペディア情報の一部を要約しつつ紹介しよう。
 朝ドラとして、史上初となる純外国人のヒロインの物語。 また、一連の連続テレビ小説における男性を主人公に置いた作品としては、1995年度下期の『走らんか!』の三国一夫以来19年ぶり。
 大正時代、ウイスキーづくりに情熱を燃やす酒屋の跡取り息子が、単身スコットランドへ渡る。そこで出会ったスコットランド人の女性と息子が半ば駆け落ちの状態で国際結婚するところから物語が始まる。 ヒロインは日本とスコットランドの違いに戸惑いつつも、異なる文化を学びながら成長していく。 
 本作のモデルとなる人物は、ニッカウヰスキーの創業者である竹鶴政孝とその妻リタであり、タイトルの「マッサン」はリタが政孝のことをこう呼んだことにちなんでいる。
 舞台地は大阪府の住吉・山崎、北海道の余市、広島県の竹原、スコットランドのグラスゴーが予定されている。
 (以上、NHKドラマ「マッサン」に関するウィキペディア情報の一部を要約して紹介。)

 ここで一旦私論に入るならば、「マッサン」スタート直後の感想は“面白い”と表現できよう。
 前作の「花子とアン」に関して寸評するならば、蓮さま役の仲間由紀恵氏の芸達者ぶりこそが光ったものの、視聴率程の内容には乏しく、寂しい中でエンディングを迎えたと捉えている…
 それに比し「マッサン」の何を評価するかと言えば、第一に、主役エリーを演ずる女優氏の当初の予想を超える熱演ぶりに、私ならずとも日本人の誰しもが心を打たれているのではあるまいか?
 しかも「マッサン」を演ずる男優氏がいい! 実は私はこの男優の名こそ知れども、演技を見たのは今回が初めてだった。  それでも、マッサンがエリーを一途に愛する思いが天邪鬼気質の私にも十分に伝わるのだ。 だからこそ、今後共このドラマを応援したい思いを募られているとの事だ。


 話をウィスキーに戻そう。

 原左都子が上京した直後数年間の時代背景に於いて、当時我が飲兵衛人生を貫く主たる舞台とは新宿であり六本木(銀座、赤坂等もたまにあったが)だったと言えるのだ。

 と言うのも今現在“飲兵衛主流飲み処”の確固たる地位を築き上げている「居酒屋」が発足するのは、ずっと後の事だった。 
 私の認識によれば我が30歳前後頃に、「つぼ八」を元祖として全国チェーン展開の「居酒屋」がその生命力を徐々に得た記憶がある。
 それ以前の時代に地元で飲もうと志す場合、(大変失礼ながら)地元に根付く零細経営の寂れたスナックや酒屋で飲食せざるを得なかったものだ…。
 若気の至りの身として、人に誘われ地元のこの種零細飲食店で“お世話になった”事も無きにしもあらずだ。  ところがやはり居心地が悪い。 飲兵衛で名高い私など、店主(特に女将)から幾度「あんたは飲み過ぎだ!」と叱咤された事だろう。 これぞ真正飲兵衛としてご勘弁願いたかったものだ。

 その点、東京中心部に位置してる洗練された飲み何処は居心地がいい。
 と言うのも、当時の飲み処の流儀とは「ウィスキーボトルキープ」が主流だったからに他ならない。

 現在の居酒屋に於いては“焼酎ボトルキープ”が主流だろうが、私が上京した直後の70年代後半時期は“ウイスキーボトルキープ”こそが主流の時代だった。
 これぞ、我が意を得たりの思いだった!  ボトルをキープしておきさえすれば、後は他者の干渉を受けずに客席で自由に好き放題飲める。 底なし飲兵衛にとってこんな幸せはない!

 これに味を占めた私は、何処の飲み処へ行っても「ウィスキーボトル」をキープしまくった。 (自分が支払った事より誘ってくれた他者の支払いが大方だった事実をお詫びするが…


 我が記憶にあるままに、私が飲み処でキープした「ウイスキー」の銘柄を挙げてみよう。

 何と言っても「サントリーオールド」が、当時主流だったのではあるまいか?
 もちろん、「ニッカG&G]もキープしたなあ…。
 私の好みを言うならば「ロバートブラウン」だ。 これは少々高額だったものの、まろやかなテイストが好みでよくキープして“もらった”。
 緑ビンに入った「カティ・サーク」も忘れ難いなあ。
 あるいは、「カナディアン・クラブ」なども私のお気に入りだった。
 サントリー・ホワイトなど、安価だったが私の舌には美味しかった。
 ついでに語ると、私はバーボンウィスキーは癖が強すぎて苦手だった。 ところが当時付き合っていた彼氏が「I.W.ハーパー」が好みだと言った時には、それに迎合してしばらく一緒に堪能した時期もある。
 「マッサン」と言えば、スコッチウイスキーも忘れてはならないだろう。 緑ビンに入った「J&B」はよくボトルキープしたし、「ホワイトホース」も好きだった。 「バレンタイン」などは年代物にもよるが高額だった記憶がある。


 今となっては、我が遠い時代のノスタルジーでしかないウイスキー。

 それでもNHKドラマ「マッサン」が、我が脳裏に“ウィスキー愛好時代”を蘇らせてくれる事実には間違いない。
 今後もマッサンとエリーを応援していく意向だ。
 どうかマッサンには美味しいウィスキーを作ってもらって、我がノスタルジーを超越するべく更なる飲兵衛人生を堪能させて欲しいものだ。 

ノーベル物理学賞受賞は嬉しい反面、平和賞の行方が気にかかる…

2014年10月08日 | 時事論評
 昨夜19時前頃突然舞い込んで来た 「日本人3名ノーベル物理学賞受賞」 速報に、原左都子も大いに喜んだ。
 なのに何故、今回のエッセイ表題に「嬉しい反面」…などと語尾を濁らせる描写をせざるを得なかったのかに関して説明しよう。

 恐らく皆様もご承知であろうが、今年の「ノーベル平和賞」候補として「憲法9条」護憲を願う“日本国民”が挙げらている。
 これが、有力候補として浮上しているとの報道を目にしたばかりだ。
 
 ところが蓋を開けてみれば、「物理学賞」に於いて日本人3名がノーベル賞受賞。

 それはもちろん褒め讃えられるべきとして、そうであるならば今年の「ノーベル平和賞」に護憲を訴える日本国民が平和賞を受賞する事は既にあり得ないとの結論なのか??
 と言うのも過去に於ける「ノーベル賞」受賞国に関して考察するに、一国の人民が複数分野の賞を受賞した歴史は皆無と判断するが…


 ここで一旦、原左都子の憶測が脳裏に過る… 
 (そんな事はあってはならないとの希望の上での憶測に過ぎない事をお断りしておくが…)

 政権発足後政府チャーター機ANAに乗って夫人と共に外遊しまくり、国内感情を無視して世界中へ巨額のカネを配るとの外交を展開し、それを自分の業績と自負している安倍首相である。
 もしかしたら、そのノリで「ノーベル賞」決定の“裏側”にまで手出しして、政権として内密に「今回は国民の護憲に平和賞は思い留まってもらって、是非共我が国のLED物理学研究成果にこそノーベル賞受賞を!」とノーベル賞本部に訴え出てカネを配ったとしても不思議ではないと考えられないか??

 もしも今年のノーベル平和賞を日本国民が本気で受賞出来たならば、「集団的自衛権」を大々的に実行に移そうと企てている安倍政権のお先が真っ暗闇である事には、絶対間違いない!
 そこで安倍首相として如何にそれを阻止するかと言えば、現在世界で主流の「LED」を前面に出して利用するのは歴然だ。
 原左都子の推測によれば、物理学賞分野に於いて既に何年も前からノーベル賞候補に挙がっていた「LED」こそを今年の受賞対象にするべく、安倍首相自らが裏で動くしか方策が取れなかったと憶測するのだが。


 以下に、「憲法9条」ノーベル平和賞受賞が現実味を帯びていたとのネット情報を要約して紹介しよう。

 その表題とは、「安倍首相は真っ青 『憲法9条』ノーベル平和賞受賞の現実味」(2014年10月7日)である。
 ノーベル賞の発表が6日からはじまった。 本当に日本の「憲法9条」がノーベル平和賞を受賞するのか。もし受賞すれば安倍首相の「改憲」のもくろみは吹っ飛ぶことになる。
 医学生理学、物理学、化学、文学、経済学、平和と6部門あるノーベル賞のうち、平和賞はノルウェー国会が選ぶ5人の委員会が決定する。
 「ノーベル平和賞ウオッチャー」として知られるオスロ国際平和研究所が、「憲法9条を保持する日本国民」を平和賞の最有力候補と予想したことでガ然、注目が集まっている。 オスロ国際平和研は、ゴア元米副大統領の受賞も当てている。平和賞は10日18時以降に発表されるが、実際に受賞する可能性は高いのか。 「知っていそうで知らないノーベル賞の話」の著者、北尾氏はこう言う。
 「受賞する可能性はあると思います。一昨年はEUが選ばれている。 ノーベル平和賞は、世界への影響を考えて選ばれることが多い。政治的な意味合いの強い賞です。 世界的な世相も考慮する。いま世界中で紛争が起きているだけに、憲法9条を選んでおかしくない。 憲法9条によって、日本が戦後70年間、戦争をせず、一人も殺さず、一人も戦死しなかったことは事実ですからね。強いメッセージになります」


 話題を変えて昨日のNHK報道によると、現在過激派“テロ組織”として勢力をのばす「イスラム国」への戦闘員を希望した複数の日本人若者に関連するニュースがあった。

 それに関連するネット情報を、以下に参照しよう。
 イラクやシリアで勢力を伸ばす過激派「イスラム国」に戦闘員として参加する目的でシリアへの渡航を計画したとして、警視庁公安部は10月6日、刑法の私戦予備・陰謀容疑で北海道大生の男(26)から任意で事情を聴くとともに、東京都杉並区の宿泊先など都内の関係先数カ所を家宅捜索した。イスラム国への参加を図った日本人の動きが明らかになったのは初めて。
 ほかにも複数の日本人が渡航を計画していたという。 公安部は、男とは別の日本人がイスラム国への参加を呼びかけたとみて詳しい経緯を調べている。 (中略)
 男の捜索容疑は、シリアの反政府武装組織に戦闘員として加わることを目的に海外渡航を企てた疑い。
 捜査関係者の話では、男は東京都千代田区の古書店内に貼られたシリアへの渡航の呼びかけに応募、周辺国からの不法入国を計画していたとみられ、シリア周辺国への航空券も購入していたという。

 昨夜(10月7日)9時のNHK報道によれば、既に「イスラム国」にて闘っていた男性(26)をインタビューしていた。
 その男性の談話によれば、特段「イスラム教徒」ではなく単に“闘い”に参加したかったとの事だ。 トルコ経由で「イスラム国」に入国した後、モスクに案内され「コーラン」(と言うべきかどうかすら不明だが)を2度程唱えれば、直ぐにイスラム教徒として扱われたらしい。 その後「イスラム国」軍師一員として戦いに参加し、本人も足に負傷した後帰国したとの報道だった。


 安倍政権はこれら日本の若者がごく少数ながらも実際問題我が国に実存している現実を、如何に捉えた上で「集団的自衛権」を大々的に政権のポリシーとして掲げているのであろう??
 
 原左都子自身は元々バリバリ「護憲派」であるため、安倍首相の意図が未だまったく理解出来ないでいる。
 まさか、「イスラム国」戦闘に参加してでも“闘いたい”なる“意味不明”に闘志を燃やす若者を、自分の味方に付けようとの単純発想に基づいていないことに期待したいものだが…

 ただ今後もやみくもに安倍政権が「集団的自衛権」を我が物顔で国民に吹聴し続けるならば、公教育力が乏しい我が国に於いて、単純志向でイスラム国テロに参加して闘いたいとの若者が増殖しても仕方がないとの“末恐ろしい”感覚すら抱かされるのが事実だ…


 (日本人3者が受賞した「ノーベル物理学賞」に関する私見は、日を改めて公開する予定です。)