原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

勤労学生のススメ

2014年10月23日 | 時事論評
 世の中とは、実に理不尽だ。

 元々勉強嫌いで学習机に座る事すら苦手、元より大学になど進学したくもないのに、親族達から「お願いだからどうしても大学だけは卒業して欲しい!」と嘆願されカネを積まれ、泣く泣く誰でも入れる底辺大学への進学を余儀なくされそうになった子供がいる。

 片や、進学高に於いて成績優秀、本人も大学を出て将来公務員を目指したいのに、親の経済力の無さ故に大学進学を断念せざるを得ない若者も存在する。


 私事を述べると、身近な知人の事例が冒頭に紹介した前者だ。
 その子供さんは、「勉強が嫌いだ」と小学生の頃より主張し続けていたらしい。 それでも親族皆が有名大学を卒業している事もあり、特に祖父母が彼の大学進学を切望し、孫のために少なからずの大学資金を用意したとのことだ。(私の知人とは、息子氏の祖母にあたる人物である。)
 ところが、どうしても学業には興味がない息子氏のようだ。 (息子氏の親御さん達がそれに対して如何に捉えていたのかに関してさほどの情報がないのだが)  それはともかく、祖母氏のその熱意の程は尋常ではなかった。 祖母氏曰く、「この世を生き抜くにはどうしても学歴がネックになる。どこでもいいからとにかく孫息子には大学へ行って欲しい。」
 ただこの事例の場合、孫息子氏の“勉強嫌い”の方に軍配が上がったようだ。 結局、祖母の立場にある知人も、「これ以上孫に大学進学を押し付ける事により派生するマイナス面こそが大きい、と悟るしかなかった…」との結論を出すに至ったとの事だ。
 実はその後の孫息子氏の人生の歩みを私は知人の話を通じて少しだけ知っている。 同じく高卒女性と“ネット上”で知り合い、その女性に“(親族の)財産目当”で10年程追っかけられた挙句の果てに婚姻に至ったとの事だ。 (それで現在二人が幸せならば何ら問題はないが、私には露知らない事象であり論評不能なのが残念だ…)


 片や、後者(大学進学したいのにそれが叶わない事例)に関しては、朝日新聞10月15日記事「地方の子 遠のく大学」より紹介しよう。
 地域により広がる大学進学率の差は、能力があるのに進学できないとの状況を生んでいる。 大学が少ない地方から大都市圏への大学を目指す高校生を持つ家庭には下宿代などの経済負担がのしかかる。

 ここで一旦原左都子の私論に入ろう。
 大学の少ない過疎地方にも必ずや47都道府県に少なくとも一つは国立大学が存在するはずだし、現在に至っては分野によれば国立単科大学とて設立されていると認識している。 あるいは公立大学も全国各地域に設立認可されていて、受験者の希望分野がそこで叶うならば何も大都市圏に下宿せずとて済む話であろう。
 と言うのも私自身が高校時代に親の希望を強制され、地元国立大学への進学をやむなくされた事情を抱えている。
 故に上記朝日新聞記事後半部分の記載は、経済力無くして大学進学を断念される事態とは相容れるはずもない“次元が異なる内容”である事実をひとまず指摘しておきたい。


 私の指摘が正しいとしても、確かに現世に於いて大学進学希望者にまつわる“地域差”故の不公平感は否めない事実であろう。

 その一つの現象として、大学設立に於ける「大都市集中化」を朝日新聞記事は指摘している。
 大学が大都市圏に集中する現象背景に関して、国の方向転換があるようだ。 大都市圏では国公私立を問わず、高校側の進学熱が高い。 これを利用せんとして国は以下の発言をしたとのことだ。「少子化が進む中、若年人口が多い都市部に大学が集まるのは当然。」 一方「競争の激化により特色の無い大学の定員割との事態も産まれている。」との民間からの発言もある。
 これらを受けて文科省幹部が言うには、「教育機会均等が望ましく、大学が少ない地域では新増設も選択肢。だが財政難と少子化の現状で増やすのは容易でない」
 (以上、朝日新聞記事より私論を交えつつ引用。)


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 朝日新聞の記事内容もいい加減ならば、その中に紹介されている文部省幹部のコメントとて“大学が少ない地域では新増設も選択肢”の部分で論理破綻と私は結論付ける。

 それでは一体全体、親や親族から大学資金を得る事が期待できない大学進学希望者が、本気で大学進学を目指すには如何なる手段を採ればよいかの具体例を、原左都子より伝授しよう。

 とりあえず自宅から通える国公立大学へ進学しては如何か、と言いたくなるのが私の本音だ。
 何も首都圏の大学を狙わずとも、地元の大学で自分の希望進路がある程度事足りるのなら、アルバイトでもしながら自宅から通学し学問を成就し大学を卒業した暁に、首都圏の大企業や公務員でも狙えば済む話であろう。
 その後経済的に独り立ちした暁に、もしも自分の方向性が間違っていたと判断するならば、あくまでも自己の経済力によりそれを修正しても少しも遅くはない。(私自身がそれを決行し、再び首都圏の公立大学及び大学院にて学業を修め現在に至っている。)

 あるいは、最初から首都圏大学にしか自分の志望分野がないと判断した学生に関しても、私はその生活に打ち勝つ方策を伝授したい。 本気で自分が目指した進路が大都市圏にしかないのであれば、思い切って郷里の我が家を出て自分が志望する首都圏の大学に進学しよう!  その際奨学金を借りてよいがこれは後々自分にその返済義務が降りかかる運命にある。 一切親の経済力を頼らない強さを持つ事を自覚出来るならばこの制度を有効活用して欲しい。

 奨学金との借金を背負うのが嫌ならば、アルバイトで自分の生活費を賄うしか方策はない! 
 今現在の東京都の最低賃金とは ¥880- 也。 まずは何の専門能力もない貴方達の労働価値がこのレベルの賃金である事を脳裏に刻もう。  
 そしてもっと大事なのは、学生の本分である学問を大学で貫く事に他ならない。 そうした場合、いつの時間帯に自分がアルバイト可能なのかが自ずと計画できるであろう。 
 原左都子試算によれば、時給¥880- で月間110時間ほど労働すれば、贅沢を欲しない限りおそらく学生氏の家賃を含めた1か月の生活費が賄えるのではあるまいか?  学費も自己負担となると、大学が休みの期間にまとめて労働する手もあるだろうし、あるいは賃金が高い夜間に働くとの手段もあろう。 親が血の通った人間ならば、それ程に頑張る貴方の姿を見て多少の資金援助を申し出るはずだ。

 そんな“貧乏生活”が元々受け入れ難いのならば、田舎の自宅から通える国公立大学へ行けば十分だろうし、あるいは大学進学を断念してこの世を渡れば済む話だ。


 何故原左都子がこの種のエッセイを綴るのかと言えば、私こそが無類の学問好きだからに他ならない! 大学を志す若者には、苦労を承知の上で是非共大学にて本気で学問を享受して欲しいのだ。 本気で学問に没頭出来たならば、必ずや“一時の貧乏”に勝るフィードバックを一生に渡り堪能出来る事であろう。

 加えて我が娘が現在大学3年生であるが、未熟な彼女なりに学問とかかわりつつ楽しそうに大学に通う姿に、親として日々少しだけ幸せをもらっているからに他ならない。