原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

誕生日雑感 Part3

2014年10月18日 | 自己実現
 (写真は、昨日原左都子の誕生日に際し“自分で”買って来てろうそくを灯したケーキ。)

 誕生日を迎えるのも59回目ともなれば、もうどうでもよかったり、あるいは自分の誕生日を忘れたりする人が多いのではなかろうか?
 実は私も前日の夜までは記憶していたのだが、朝目覚めた時点ですっかり昨日が誕生日である事を忘れていた。 自分で書き込んだカレンダーの記載を見てやっと思い出した次第だ。

 
 それにしても部屋から空を見上げると、とてもいいお天気だ。
 この時期は1年のうちで一番好天に恵まれる季節と感じるのだが、事実、我が誕生日はいつも素晴らしい秋晴れが誕生日を祝ってくれる。
 母が毎年誕生日に電話を掛けてきて言うには、私が生まれた59年前のこの日も秋晴れだったそうだ。
 昨日の59歳初日もまるで地球からの祝福を受けるかのように、好天に恵まれ幸先の良いスタートが切れた事が何よりのプレゼントだ。


 ところで私は年齢を重ねる事を好意的に捉えている旨に関し、バックナンバー「誕生日雑感」及び「誕生日雑感Part2」に於いて既述している。

 特に30歳直前期より、その思いが強かった。
 元々結婚願望や子育て願望が希薄だった私にとって、“年齢が若い”事に対する執着やメリットはほぼなかったと言える。(外見的若さに関しては今尚こだわっているかもしれないが。)  むしろ(人格面や能力面での)「若さ」に対し“鬱陶しい”とも表現出来そうな一種の嫌悪感すら抱いていて、早く成熟した大人になりたい!思いが内面に溢れていた。  事実30歳を迎えた日には、やっとこさ「若さ」とのしがらみから解放され心が自由になれた気さえしたものだ。

 我が40代は晩婚で産んだ子供の教育指導に追われる日々だったが、40代後半にはやはり早く50代に達したい願望があった。
 あれは何故だったのかに関して今考察してみると、未だ小学生であった娘の母親連中(いわゆるママ友たち)との付き合いがとにもかくにも鬱陶しかった記憶がある。 「私は既に50代の婆さんなのだから、若い世代の母親である貴方達との共通項は少ない故に、お願いだから付き合いを勘弁して!」と訴えるには、“50代”を前面に売りに出す事こそが武器だったような感覚だ。(実際には個人情報保護が定着しつつあった頃であり、周囲ママ友よりも私こそが若く見えた??ようで、結局“50代”をママ友敬遠の武器に出来る事は皆無だったのだが…)


 時が流れ、私は昨日59歳の誕生日を迎えた。

 現在娘も大学3年生にまで無事に成長していて、幸いな事には、上記“ママ友”たちと不本意にも義務感にてまみえざるを得ない機会など、既に過ぎ去った過去の物語と化している。
 子供を巡る環境から解放されたとの意味合いで自分の自由度が大幅に拡大した反面、別分野に於いて周囲との確執が増大するのがこの年齢の特徴でもあろう。

 実は我が58歳の1年間とは、今まで経験した事が無い程に多忙かつ過酷な試練が押し寄せる時期だった。

 昨夏には義理姉が膵臓癌で不覚の死を遂げた。 それまでケアマンションに暮らす義母の保証人を受け持っていた義理姉に替わりそれを我が亭主が受け継いだ時より、私の日常業務が大幅に増大した。
 特に義母の税務申告を税理士試験半分取得者である私が担当するようになった事が、我が日常生活を大きく変えたとも言える。 今年2月末に義母の青色申告を終えるまでは、(賃貸不動産管理業務も含め)その作業に心身共に没頭させられたものだ。

 同時に我が所有賃貸物件の賃借人選択を誤り多額の損失を計上した挙句の果てに、当該不動産を“オーナーチェンジ”物件として売却せざるを得ない運びともなった。
 これに伴い発生した我が損失額総額は 150万円也 だ。 これ程の損失を1年内に計上したのは、我が人生に於いて初めての大失策事件だった。 これにより私は老後資金の一部を確実に失うと同時に、この年齢にして(人は疑ってかかるべきとの)人間不信にも陥ってしまった…

 それに加え、我が身に降りかかった58歳最大の災害と言えば、4月の両腕骨折、及び8月の足小指骨折に他ならない。
 何故これだけの災害を我が身にもたらしてしまったのかに関して考察するに、要するにすべての心労が連動していた事実を私は分析済みだ…。


 還暦近い女とは、通常既に子育てを終えている(我が家は大学3年生娘の今後の就職成就まで通じる課題だが…)のが普通でなのであろう。
 この年齢層の女性に何が要求されるかと言えば、まず第一に身内高齢者の支援である事には間違いない。 それが私の場合、義理姉の死と共に突然降って湧く運命にあった事は理解可能だ。
 高齢者の老いぼれとは急激に訪れる対象体であることも、実母も含め既に把握している。 まだまだ試練は続く…

 そんな厳しい環境下に、昨日59歳を迎えた私だ。
 今後1年間も我が精進・努力が叶う限り、課せられた課題に実直に向かうべく頑張ろうではないか!

 そして来年の10月には、今年よりも大きなケーキをやはり“自分で”買ってきて、我が輝かしき「還暦」を祝いたいものだ!!