本日(10月4日)夜中の1時半頃、私はあわや「救急車を呼ぶべきか!?!」との切羽詰まった事態に直面した。
別室で寝ている身内の息遣いが尋常ではないのだ。
定年退職前の現役時代より夜中に「無呼吸症状」がたまに出現する身内であり、それに類似した呼吸症状を夜中に呈する事はよくある。 ただ今までそれが元で大事に至った経験は一度もない。 本人自身も普段よりその体質を重々自覚していて主体的に喫煙を全面的に取りやめ、定年退職後は飲酒もせいぜい360mlビール1本程度に抑えている。
昨夜身内の息遣いが尋常ではない事に気付き目が覚めた私は、いきなり身内の部屋へ訪れる事は避け(むしろ驚かせる事態となる事を配慮したのだが)少しその息遣いの様子を自分の布団の中で分析した。
私の分析では、どうやら気管支・肺症状が出現しているのではないかと勘ぐった。 と言うのも、身内は最近肺の異常症状を訴え、専門医の下で精密検査を実施したばかりだからである。 その結果、特段の異常が見つからなかったものの、相変わらず肺症状を私に訴えてくるのが気にかかっていた。 ただ私の診断では、身内の特質を考慮しておそらく精神的な要因から来ている症状であろうと捉えていた。
その時、過去の出来事が脳裏に過った。
我が実父が郷里の実家で急性心筋梗塞により突然死したのが、ちょうど夜中の1時半頃から始まった発作によるものと実母から聞かされている。(母が発作後直ぐに主治医を呼んだものの、1時間程で父は死に至ったらしいが…。)
何だか悪い予感がした。
同じ真夜中の時間帯に我が身内が、(発作とは言えないまでも)異常な息遣いを繰り返している。 これはやはり、本人を叩き起こしてでも様子を聞くしかない!
そしてデジタル目覚まし時計が1:38を掲示した時、私は懐中電灯を伴って身内の寝室に向かい「苦しそうだけど、どうしたの!?!」と問い詰めた。 ところが(幸いと言うべきか?)身内は私の問いかけに気付かない程に熟睡している。 しばらく身内の熟睡の様子を観察して、これは大丈夫かと一旦判断し自分の部屋に戻った。
ところが、身内の異常息遣いはその後も続く。
眠れやしない…。 その息遣いを聞きつつ私の脳裏に浮かんだのは、「未必の故意」との法的責任概念である。
ここで「未必の故意」に関して簡単に説明しよう。 例えば家庭内身内が死にそうなまでに苦しがっている。それを承知していながら“このまま死んでも仕方ない”と思い放置した結果実際死に至った場合、家族にこの法的責任が問われかねないのだ。
そんな法的責任発想すら真夜中に脳裏に浮かびつつ、まだ続く身内の異常息遣いを放置しておく訳にはいかないと結論付けた私は、再び身内の寝室へ向かう。 その時間はデジタル時計によれば、2:24。
そして、今度は身内の体を揺さぶり目覚めさせる行動に出た。 相当大声で「苦しそうな息遣いをしているけど、大丈夫なの!?」と問う私。 それに気付いた身内。 まだ睡眠中だったようだが、私が寝室まで様子を伺いに来た事にうすらうすら安堵した様子でもある。 「大丈夫ならばいいけど、もし調子が悪くなるようなら私に言って。」と言い残して私は自室の布団に戻った。
翌朝(本日の朝だが)、身内は普通に起きて来て私に言う。 「ちょっと風邪をひいているようで…」
(真夜中に「未必の故意」責任が我が脳裏に過った事はひた隠しつつ)、「そうだね、風邪をひいてるね」で昨夜の騒動をすべて“おじゃん”にした私である。
ただどうやら我が身内にとっては、夜中に私が助け船を出しに行った事態が嬉しかった様子だ。
そうだろうなあ。 定年退職後自宅での生活が基盤である男性にとって、“まさか”の時に助けてもらえるのは「奥方」しかいない現状であろう。
ご亭主側としてはそれで事が済むのかもしれないが、病院に急送するべく立場の奥方側から言わせてもらうならば、それこそ大仕事だ。
いつ何時、救急車を呼ぶべきかの判断こそが奥方に課せられる。
特に身内が重篤な症状である場合、奥方は救急車に同乗せねばならない宿命にあろう。 それが真夜中であった場合など、まさかパジャマ姿で救急車に同乗出来る訳があるはずもない。 その場合、如何なる着替えをするべきかなる課題こそが奥方側にとって切実だ! 一体全体、救急車とは奥方が着替えをする時間を確保してくれるのか??
昨夜の私は正直言って身内の体調よりも、(顰蹙は承知の上だが)救急車に同乗せねばならない場合に自分が何を着ていくかこそが一番の関心事であり、本気で夜も寝れなかった程だ。
それに加え例えば身内が救急搬送された事態を想定し、最悪結果に至ったとすれば、奥方として喪主の立場にある場合は直ぐに葬儀の手配をもせねばなるまい。 もしも夜中に身内が緊急搬送された先の病院で死に至った場合、奥方は直ぐにその手続きに入らねばならない事であろう。
その際、奥方として少し落ち着くために一旦自宅に戻り休ませて欲しいなる嘆願が叶うのか否か、ご経験者に是非共お聞きしたいものだ。
我が義父が存命の頃、義母から聞いた話がある。
義父とは何度も救急車を呼ばなければならないがごとく、義母に迷惑をかけた人物らしい。
そんな義母のアドバイスとは、「たとえ救急車に同乗するとて、その後の病院内での対応等を鑑みた場合、奥方とはある程度の服装をしておかねば事が運ばない。 私は最初に我が身を整えて後に救急車を呼んだものだ。」
それにあやかりたいものの、まだまだ若輩者の自分を実感させられる…
別室で寝ている身内の息遣いが尋常ではないのだ。
定年退職前の現役時代より夜中に「無呼吸症状」がたまに出現する身内であり、それに類似した呼吸症状を夜中に呈する事はよくある。 ただ今までそれが元で大事に至った経験は一度もない。 本人自身も普段よりその体質を重々自覚していて主体的に喫煙を全面的に取りやめ、定年退職後は飲酒もせいぜい360mlビール1本程度に抑えている。
昨夜身内の息遣いが尋常ではない事に気付き目が覚めた私は、いきなり身内の部屋へ訪れる事は避け(むしろ驚かせる事態となる事を配慮したのだが)少しその息遣いの様子を自分の布団の中で分析した。
私の分析では、どうやら気管支・肺症状が出現しているのではないかと勘ぐった。 と言うのも、身内は最近肺の異常症状を訴え、専門医の下で精密検査を実施したばかりだからである。 その結果、特段の異常が見つからなかったものの、相変わらず肺症状を私に訴えてくるのが気にかかっていた。 ただ私の診断では、身内の特質を考慮しておそらく精神的な要因から来ている症状であろうと捉えていた。
その時、過去の出来事が脳裏に過った。
我が実父が郷里の実家で急性心筋梗塞により突然死したのが、ちょうど夜中の1時半頃から始まった発作によるものと実母から聞かされている。(母が発作後直ぐに主治医を呼んだものの、1時間程で父は死に至ったらしいが…。)
何だか悪い予感がした。
同じ真夜中の時間帯に我が身内が、(発作とは言えないまでも)異常な息遣いを繰り返している。 これはやはり、本人を叩き起こしてでも様子を聞くしかない!
そしてデジタル目覚まし時計が1:38を掲示した時、私は懐中電灯を伴って身内の寝室に向かい「苦しそうだけど、どうしたの!?!」と問い詰めた。 ところが(幸いと言うべきか?)身内は私の問いかけに気付かない程に熟睡している。 しばらく身内の熟睡の様子を観察して、これは大丈夫かと一旦判断し自分の部屋に戻った。
ところが、身内の異常息遣いはその後も続く。
眠れやしない…。 その息遣いを聞きつつ私の脳裏に浮かんだのは、「未必の故意」との法的責任概念である。
ここで「未必の故意」に関して簡単に説明しよう。 例えば家庭内身内が死にそうなまでに苦しがっている。それを承知していながら“このまま死んでも仕方ない”と思い放置した結果実際死に至った場合、家族にこの法的責任が問われかねないのだ。
そんな法的責任発想すら真夜中に脳裏に浮かびつつ、まだ続く身内の異常息遣いを放置しておく訳にはいかないと結論付けた私は、再び身内の寝室へ向かう。 その時間はデジタル時計によれば、2:24。
そして、今度は身内の体を揺さぶり目覚めさせる行動に出た。 相当大声で「苦しそうな息遣いをしているけど、大丈夫なの!?」と問う私。 それに気付いた身内。 まだ睡眠中だったようだが、私が寝室まで様子を伺いに来た事にうすらうすら安堵した様子でもある。 「大丈夫ならばいいけど、もし調子が悪くなるようなら私に言って。」と言い残して私は自室の布団に戻った。
翌朝(本日の朝だが)、身内は普通に起きて来て私に言う。 「ちょっと風邪をひいているようで…」
(真夜中に「未必の故意」責任が我が脳裏に過った事はひた隠しつつ)、「そうだね、風邪をひいてるね」で昨夜の騒動をすべて“おじゃん”にした私である。
ただどうやら我が身内にとっては、夜中に私が助け船を出しに行った事態が嬉しかった様子だ。
そうだろうなあ。 定年退職後自宅での生活が基盤である男性にとって、“まさか”の時に助けてもらえるのは「奥方」しかいない現状であろう。
ご亭主側としてはそれで事が済むのかもしれないが、病院に急送するべく立場の奥方側から言わせてもらうならば、それこそ大仕事だ。
いつ何時、救急車を呼ぶべきかの判断こそが奥方に課せられる。
特に身内が重篤な症状である場合、奥方は救急車に同乗せねばならない宿命にあろう。 それが真夜中であった場合など、まさかパジャマ姿で救急車に同乗出来る訳があるはずもない。 その場合、如何なる着替えをするべきかなる課題こそが奥方側にとって切実だ! 一体全体、救急車とは奥方が着替えをする時間を確保してくれるのか??
昨夜の私は正直言って身内の体調よりも、(顰蹙は承知の上だが)救急車に同乗せねばならない場合に自分が何を着ていくかこそが一番の関心事であり、本気で夜も寝れなかった程だ。
それに加え例えば身内が救急搬送された事態を想定し、最悪結果に至ったとすれば、奥方として喪主の立場にある場合は直ぐに葬儀の手配をもせねばなるまい。 もしも夜中に身内が緊急搬送された先の病院で死に至った場合、奥方は直ぐにその手続きに入らねばならない事であろう。
その際、奥方として少し落ち着くために一旦自宅に戻り休ませて欲しいなる嘆願が叶うのか否か、ご経験者に是非共お聞きしたいものだ。
我が義父が存命の頃、義母から聞いた話がある。
義父とは何度も救急車を呼ばなければならないがごとく、義母に迷惑をかけた人物らしい。
そんな義母のアドバイスとは、「たとえ救急車に同乗するとて、その後の病院内での対応等を鑑みた場合、奥方とはある程度の服装をしておかねば事が運ばない。 私は最初に我が身を整えて後に救急車を呼んだものだ。」
それにあやかりたいものの、まだまだ若輩者の自分を実感させられる…