原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

地味との理由で政権続行が許される訳はない!

2012年05月19日 | 時事論評
 「原左都子エッセイ集」に於いて、ここのところしばらく民主党政権をバッシングしていない。

 バックナンバーを確認してみたところ、私が一番最近政権関連の記事をしたためたのは 5ヶ月前の2011年12月 「そして誰も民主党政権に興味がなくなった…」 に於いてであった。
 上記記事内でも述べたが、一貫して“無党派層”の原左都子がまさか断じて野田政権“支持派”に鞍替えした訳ではあり得ない。


 早いもので当時より数ヶ月が経過した今尚、民主党政権の官僚依存体制を正当化せんと我が物顔に総理の立場で“意味不明の笑み”を浮かべつつ、国内外で報道陣に応じているメタボ体質 野田氏の態度には“身の程知らず”の感さえ抱かされる。
 
 消費税問題にしてもそうだ。 国民や野党はもちろんのこと、民主党内部にさえ消費税増税反対意見が根強い中、国会や国民への説明責任を果そうともせず官僚に操られつつまともな議論をせずして、現在に至って尚強引に増税を押し通そうとしている。 あの得体がしれない“どじょう”の姿をメディアで見るにつけ、何でこの人物にいつまでも一国の総理としてのさばれる資格があるのだろうか? との不可思議な感覚しか抱けないでいる。 
 (参考のため原左都子は消費税増税に必ずしも反対の思想でないのだが、野田氏のあの官僚の言うままの態度には徹底的に嫌悪感を抱かされるのだ!)

 その間、確かに国政の存在が希薄になる事態が我が国に発生し続けている。 
 地方自治を操る大阪市の橋下市長こそがその張本人であろうし、先だって本ブログで取り上げた東京都知事の石原慎太郎氏も、高齢にしてその片棒を担ごうかと目論んでいる人物なのであろう。
 ところが上記ご両人は、現在あくまでも地方自治を司る立場にしかないのが事実だ。 若い世代の橋下氏に関しては、将来的には国政のトップの座を狙っての魂胆・諸行動であることなど誰しも承知のことであろう。 片や石原慎太郎氏の場合、そのご年齢から察するに申し訳ないが今後の政治生命は短いことと結論付けたい。 しかも“一匹狼”体質であったと原左都子が分析する石原氏の後継者が一人として育っていない厳しい現状だ。

 政権政党である民主党内部に於いても 「小沢氏起訴」 との大事件が勃発した。
 その結論として小沢氏には「無罪」判決が下されたものの、先だって検察側が「控訴」をした事実を私は高く評価している。 
 今となっては小沢氏の政治家生命自体が既に消え去ったような現実と心得るが、それでも元々“反小沢派”の立場(と言うよりもそもそも“反民主党派”の私だけどね…)の原左都子に言わせていただくと、小沢氏が「白」であるはずがないのだ。  法律を多少心得る私の場合、裁判で争われる事象により今回のように小沢氏「無罪」判決が下される事も想定内ではあった。 それでも、検察側には「控訴」をして欲しいと切望していた私にとってはそれが実った事はうれしい思いだ。
 ただし野田氏も既に承知の上ではあろうが、小沢氏の控訴結果が何処に傾こうとも、あなたの首相生命にさほどの影響力はなさそうな時代に突入しているね~~。

 去る5月15日には、沖縄復帰40周年を向かえた。
 この記念すべき式典会場に於いて、国の首相の立場で相変わらず官僚依存で米国に迎合するべく中途半端な挨拶を述べるしか手立てがなかった野田氏である。 これに対して、ご高齢の仲井間知事は未だ沖縄を米軍基地と欲する政権の姿勢に対し、本土と沖縄の間に深まる溝に関する自身の痛恨の思いを述べられた。
 原左都子が沖縄基地反対派であることに関しては、本エッセイ集で幾度か訴えて来ている。 その立場として、今後東京に米軍基地を移設してでも沖縄の基地負担の程を早急に軽減したいと本気で考えている。
 (石原知事はもしかしたら、尖閣諸島を将来米軍基地にしようとでも考えた上で今回買収行動に入ったのか? そうだとすると、沖縄県の現在の負担に対処できるのかもしれないが…??)


 今回私がこのような記事を綴るきっかけを得たのは、本日(5月19日)朝日新聞朝刊記事による。
 その記事によれば、野田政権の藤村官房長官が民主党政権内で“9ヶ月”もの長きに渡って官房長官を続けているとのことだ。
 
 実は、原左都子もこの藤村氏を一度だけバックナンバーで取り上げている。
 野田氏よりずっと年上にして野田氏の“側近”であるらしき無名の藤村氏が“なんと!”官房長官に抜擢された直後、事もあろうに藤村氏はメディア上で野田氏に対して「敬語」を繰り返していたのである!
 無名の立場で官房長官に抜擢された事に喜び、野田氏に恩義を感じたのであろう藤村氏の心情も重々お察しするが、国民が皆見聞しているメディア上で政権内身内の野田氏を“奉る”表現は如何なものか!? と私はバッシングした。
 よもや、藤村氏が「原左都子エッセイ集」など読んではおられないであろうが、おそらく周囲より同様の指摘があったのだろう。 その後、野田氏を奉る“敬語”は藤村氏の口より聞かれなくなった。

 それにしても、朝日新聞が指摘している通り、この官房長官は“地味”な存在である。
何故に総理が指名した官房長官がこれ程に“地味”な存在であるのかを慮った場合、それは総理自体が“地味”な存在であるからに他ならない。

 民主党が政権奪取した当時は、小沢氏の策略により、一見礼儀正しく国民に受け入れられそうなイケメンの鳩山氏を党首に打ち立てていた。 その小沢氏の戦略が一時成功して民主党は歴史的政権交代を果した。
 ところが、悲しいことに総理である鳩山氏の存在とは“バブル”以外の何物でもなかった。(総理退任後の鳩山氏民主党内の“奇行”の程を思えば、国民の皆さんもおそらく同感であろう。)
 それを引き継いだ菅氏に関しては原左都子は肯定の立場であるが、反論も既に多く頂いているためこの場で菅氏肯定見解を述べることは自粛しておこう…。

 そしてその後の野田政権……
 朝日新聞が官房長官の実態を“地味”と評価したように、私も野田政権自体を「地味政権」と後ろ指を指したいのだ。 

 政界においてある程度著名で目立っていた鳩山政権、菅政権の時代であれば、少しでも支持率が低下すると新聞のトップニュース扱いとなったものだが、何故かメディアが野田政権の支持率さえも報道しない現在に移り果ててしまっている…
 それは現政権が“地味”であるからに他ならない。
 
 それでは、政権とは“地味”であれば済むのだろうか?!?
 そんなことはあり得ない。 
 国民皆の我が身が助かるも滅びるも国政次第なのだ。 
 民主党に政権交代して3年程の年月が流れた現在、やはり政治とは国民を本気で助けてくれない存在なのだねえ…、と嘆くにはまだ早過ぎる。 

 “地味”野田政権の今後の動向を国民皆がしっかりと注視していくべきなのである。
 政治とは目立ちさえすれば誰がやってもいいはずもないが、“地味”ならば許されるというものでも決してない。

故人の正しい偲び方

2012年05月17日 | 人間関係
 原左都子のこれまでの半生に於いて一番懇親の付き合いをしたとの感覚がある友が、今年2月にくも膜下出血にて急逝したことに関しては、本エッセイ集のバックナンバーに於いて幾度か述べた。


 私がその第一報を手にしたのは、友の急逝より1ヶ月以上が経過した3月下旬の事だった。 「生前妹と仲良くしていただいていたことを伺っていた」との事で、故人のお姉様が葬儀の後に私宛に訃報を届けて下さったのだ。
 そのお知らせを受け取った私は、49日の法要に間に合えば出席させていただきたいとの趣旨の返答を早速したため投函した。  残念な事に友は一人暮らしの自宅にての突然死だったため、その無残な最期の姿が発見された時には既に日数が経過していたようだ。  そのため葬儀に引き続き、死亡推定日より数えて49日目に当たる日にお身内のみで49日の法要も済ませた、とのお姉様よりのご返答だった。

 それではせめて墓前に伺ってお花を供えさせていただきたいと、さらにお手紙を書かせていただいたところ、またまたご丁寧にそのお返事を頂戴した。  お姉様曰く、「(原左都子の住居地より)遠方に霊園墓地が位置するため、もしも今後その近くを通られる折りにでもお手を合わせていただけたらそれで十分…」云々とのお手紙の内容だった。
 そこで遅ればせながら、私は「ご霊前」でも「ご仏前」でも「ご香料」でもなく 「お花料」 との名目でお姉様宛に少しばかりのご香典をお送りした。 「○○様(故人のお姉様)にはお手数をおかけしますが、今後ご身内の法要の機会に墓前にお花をお供えしていただければ幸いです…」云々との挨拶文を添えて…。

 その後、さらに故人のお姉様よりそのお礼を兼ねてお葉書を頂いた。
 急逝した我が友が生涯独身を貫き一人暮らしだったため、故人亡き後の部屋の片付けを身内であるお姉様が現在一人で担当されているとの事だ。
 お便りによれば「貴方(私のこと)もよく訪ねられた妹の住居の片付けに現在遠方から通っております。 思い出に浸るというより半端ではない片付け物に辟易としているというのが正直なところです…」
 そのお姉様のお気持ちが重々理解可能な私である!  確かに(既に故人となった)我が友一人暮らしの3LDKの空間には雑多な物品が所狭しと散乱し、居住可能空間はリビングだけだったように記憶している……  お姉様よりのお便りを拝見した私は、「ここは私も片付けをお手伝いします!」と申し出るべきか?? と一瞬迷った程であるが、霊園を訪れることすら辞退されたお姉様の心情を鑑み遠慮させていただく結論とした……。


 そして昨日故人のお姉様より、私がお送りした少しばかりの「お花料」のお礼の品と共にまたもやお葉書を頂戴した。  その内容を少し紹介しよう。
 「早いものでもう5月になりました。 お嬢さん(原左都子の娘)は大学生になられ青春真っ盛りといったところでしょうね。  先日、○子(我が友である故人)のお墓に行って参りました。 貴方からと言ってお花を供えてきました。 茶目っ気のある妹のこと、風になって貴方の処へお礼に伺ったかもしれませんね。  お茶をお送り致します。お茶好きだった○子の供養のためにご笑納下さいませ。」


 昨日、故人のお姉様より届けて頂いた地元産の“手揉み新茶”のまろやかで優しい風味を味わいつつ、(ヨーコちゃんと呼ばせて頂いていた)故人を偲び再び涙した私である。
 ヨーコちゃんは本当にお茶好きだった。 職場に常備している“安くてまずい”お茶ですらいつも美味しそうに味わうヨーコちゃんの姿を、お姉様より頂いたお便りにより懐古させていただいた。

 加えてお姉様がおっしゃる通り、ヨーコちゃんは実に“茶目っ気”があられる人物だった。
 私より13歳年上のベテラン高校教諭の立場の大先輩であるにもかかわらず、当時はまだ若き世代の私のつまらない誘いに乗って一緒に楽しんでくれた事を思い出す。
 ある時私は、勤務先高校の地元商店街の福引“特等賞”「東京ディズニーランドペアご招待」をゲットしたのだ。  これは是非「ヨーコちゃんを誘っていこう!」(でも、こんなくだらない企画にヨーコちゃんが一緒に行ってくれるだろうか…)と迷いつつ誘ったところ 「絶対行きたい!」 との即答である。  そして当日、既にディズニーランドには何度か行っている私以上に本気ではしゃいでいた“茶目っ気たっぷり”のヨーコちゃんだったものだ。

 あるいは、ヨーコちゃんはカラオケ好きの私にいつも付き合ってくれた。
 当初ご本人はカラオケの経験などないと言いつつ、私が「ヨーコちゃんも歌って!」と無理強いすると、織井茂子氏の「黒百合の歌」や西田佐知子氏の「アカシアの雨がやむ時」「エリカの花…」等々の歌を、しっかりした音程の下、ハリのあるアルトの歌唱力で披露してくれたものだ。
 実に“茶目っ気がある”と表現するよりも、多才でキャパ豊富なヨーコちゃんに支えられつつ、我が過去の青春時代が成り立ち十分に楽ませて頂いことを、お姉様より頂戴するお便りにより今さらながら実感させていただける思いだ。


 そろそろ、“故人の正しい偲び方”と題した今回の「原左都子エッセイ集」の結論に入ろう。

 何だか、こんな死後を迎えたい気になっている私だ。
 「こんな死後」とは、ヨーコちゃんのお姉様と私がヨーコちゃんの突然死の後交わしている文書の数々のごとくの死後である。 
 故人の生前にお会いした事は一度もなかったけれど、今回ヨーコちゃんの突然死を痛み入る思いを共有し、「親族」「友」とお互いの立場は異なるが2人で故人を偲びあう文書を何度も交わす間柄になり幾度となくお便りのやり取りをしているこんな関係…

 おそらく天国に行ったヨーコちゃんが、この2人のやり取りを一番喜んでくれているような気もする。


 自分の死後遺族に盛大な葬儀を挙行させ、その後の法要をも続行することを後世に命じて死に至る人物も未だこの世には数多いことであろう。
 生前の業績が素晴らしければその墓を訪れる後進も存在するのかもしれないが、今の時代、自分からそれを後世に強制してこの世を去る事自体が実にみっともない現実と誰しも判断出来よう。

 そんな中我が友のヨーコちゃんのごとく、死後自然体で生前を語り合ってくれる人物がたとえ少数なりとも存在する事の方が、自分がこの世に生きてきた意義をずっと高く見積もられるように思うのだが… 

“お抱え家庭教師”とは徹夜すら余儀なくされるもの…

2012年05月14日 | 教育・学校
 この年齢になって、まさか「徹夜」をするはめになるとは思ってもいなかった。

 昨夜、私はほとんど「徹夜」状態だった。
 正確に言うと、夜11時頃から1時間程寝た。 そして朝方5時頃から6時過ぎまでの1時間も何とか寝る時間が取れた。 その間の時間帯において、寝ている場合ではない状態を余儀なくされることと相成ったのである。
 夜を徹して一体何をしていたのかについては「原左都子エッセイ集」の長期読者の方々は想像がつかれると思うのだが、我が娘の“お抱え家庭教師”稼業に一夜励まざるを得なかったのだ。

 さすがに還暦に手が届きそうな年齢になって、「徹夜」等乱れた生活は体調維持に大打撃である。 そこで、日頃より我が理想とする体型維持を第一義とした食事や適度な運動、そして睡眠管理のために日々厳しく自分を律している私である。(その割には、酒に関しては一貫して自分に寛容な私だけど~

 そこで我が“お抱え家庭教師”遍歴においても、娘の高校卒業までは、とにかく娘も私もお互いに健康体でいられるべく睡眠時間の確保をはじめとする綿密な計画性の下に、現在までそれを遂行してきている。 


 今春娘は大学生になった。 まだまだ未熟ではあるが、ここはやはり娘の自主性を尊重してやるべく方向転換を目指した私である。

 それにしても、現在の大学とは実に学生に厳しいようだ。
 少なくとも我が娘が在籍している私立大学はそうである。 それはおそらく卒業後国家試験等資格試験に合格する事を条件として就職する学生が大多数であり、学生の国家試験合格率が大学自体の評価、ランキングとも重なるためだ。  (ここで参考であるが、原左都子の場合は国公立出身のためか他大学との競争等は表立って存在しなかったが、私も新卒時には医学関連国家資格取得を前提として就職しているが故に、娘の大学が置かれている状況は重々理解可能である。)  幸いなことに、娘が通う大学はその専門分野国家試験合格率私立全国1位を争う立場に位置付け、それに伴い高就職率を維持し続けている。 
 我が娘が所属する学科は大学のメイン学科とは異なり国家試験を受験せねばならない訳ではないのだが、それでも大学の厳しい教育方針の下に学業に励む日々である。 

 特に大学の基礎課程である1、2年次は学部全体の共通科目が多い状況だ。 
 そんな中、学長自らが担当される基礎学問の授業に於いて、我が娘にも“膨大な量”の課題が入学当初より課されている。
 医学関連分野の位置付けにある娘の大学の教育内容ではあるが、我が専門だった“バリバリ医学分野”とは相当内容が異なる現実の下、専門外科目の手助けに弱音を吐きそうな私でもある。
 それでも可能な限りのフォローをするのだが、さすが大学生になった娘の方も私の“下手な”手助けに違和感を呈しているようだ。
 こうなれば娘の自主性に委ねつつ、私の“お抱え家庭教師”稼業も一歩退かねばならないことぐらいは直ぐに察しがつく。


 ところが事はそう簡単には行かないことなど、重々想定内でもある。

 娘の自主性を尊重するとはいえ、未だ不安材料が盛り沢山だ。
 確かに、我が長年に渡る“お抱え家庭教師”遍歴により我が娘には確実な学習習慣が身についている。 そして、それに伴ってコツコツと着実に努力を続ける姿勢にも揺ぎ無いものがある。
 それと同時に、「原左都子エッセイ集」を日々綴る我が批判精神の影響も知らぬ間に受け継いでいるようで、未熟ながらも時事問題等に関する批判力も少し育成されていて、時折テレビニュースを見ては“黄色いくちばし”でご意見している。(いやはや、怖いね~~)   あるいは、それと同時進行で周囲や社会に対する観察力の程も相当のものがある。 (やっぱり親の背中の影響力とは怖いものがある事を、娘18歳にして実感だね~


 その反面、我が娘に育っていない能力を昨夜「徹夜」をしている最中に実感した私でもある。
 まず「自己能力診断力」がない。
 次に「計画力」もない。 
 そして我が娘に一番欠けているのが他者に対する「指導力」である。
 上記二つの「自己能力診断力」と「計画力」に関しては、今後我が娘にはまだまだその能力を習得するに当たって時間が必要であろうが、経験を重ねる毎に追々に身につくであろうことも想像可能だ。

 それを承知しつつ我が娘に即刻身に付けて欲しいと感じたのは、「指導力」である。
 
 昨夜、夜を徹して娘の課題を傍らで手伝いつつ原左都子が娘に一番訴えたかったのは、母である私に対する「指導力」だった。 (親以外の他人に対して何らかの指導をせよ!などと言うつもりは現在のところ一切ない。それは未だ時が早い。)
 私はただ、娘が一番信頼してくれているであろう母である私を「指導」する力量を早急に身に付けよ!と言いたいのである。 要するに、昨夜も母である私に対して「これを手伝え!」と主体性を持って言って欲しかったのだ。 それにより自身の課題負担が大幅に削減したはずである…。
  
 放っておくと一人ですべてを抱え込み、夜寝もせずに自分一人の力で自身の課題を全うせんとする程の「自主性」と「学習意欲」を娘に身に付けさせた“お抱え家庭教師”の原左都子である。
 そんな健気ではあるが不器用な娘の現在の生き様に接した昨夜の「徹夜」騒動であったと感じつつ、今朝、夜通しかけて作成したその課題を持っていつも通りに大学へ向かった娘の体が丈夫になった事にだけは、心より安心している私でもある。

自分の価値とは自分自身が決めていくもの

2012年05月12日 | 自己実現
 「原左都子エッセイ集」に於いては久々の登場となるが、仏教家 小池龍之介氏 が朝日新聞夕刊に毎週連載を続けておられるエッセイにヒントを得て、今回の我がエッセイを綴らせていただくことにしよう。

 最初に断っておくが、原左都子はバリバリの“無宗教人種”である。 過去において宗教の勧誘に心が傾きそうになった事などただの一度もなければ、今後老齢に突入して体が弱ろうが宗教に頼って命乞いしようなどとのみっともない思想も一切持ち合わせていない。

 それ故、朝日新聞が毎週掲載している小池氏の“仏教思想に基づくエッセイ”に大変失礼ながらも、 (いつも通り一遍の“そんな事ではお前はダメだ!”と言わんばかりのマイナーな仏教の教えを公開し続けたとて、これを読んで人生の参考とする朝日新聞読者が存在し得るのであろうか??)…… と首を傾げつつ、いつもは素通りしている私である。


 そんな中、5月10日付夕刊の 「『良い扱い』は続かない」 と題する小池氏のエッセイには珍しく同感する部分も一部あったのだ。
 早速、小池氏によるエッセイを要約して以下に紹介しよう。
 「上司にホメてもらえたから自分の価値が上がった」「パートナーが久しぶりにプレゼントをくれたから自分の価値が上がった」…  かように人間とは究極、我の価値の上げ下げにしか興味がないように見える。 そこに大きな落とし穴がある。  自分の心の中だけで「えへん、自分は価値があるんだぞ」と思い込むのは難しいため、他者よりの尊重や扱いにより自分の評価を吊り上げたいがためにそれに依存することになる。 ところが、他者よりの好意や配慮とはいつも得られるものではなく、むしろ大抵は徐々に減っていくものである。  そうなると「前はホメてくれたのに最近そうでない」「前よりメールの文面がおざなりになった」等と今度は“相手のせいで自分の価値を下げられた”と逆恨みしたくなるだろう。  他者の評価により自分の価値の上げ下げでイラつくこととは自分に時限爆弾を仕掛けたようなものだ。 この乱高下を防ぐには、よい評価を受けた時に「この扱いも一時的なもの、やがて過ぎ去る」と諸行無常を念じるのが特効薬だ。


 原左都子の私論に入ろう。
  
 以前より小池氏のエッセイを読ませていただきつつ、氏はおそらく若い世代の仏教家であろうと想像しながらそのバックグラウンドの調査を怠っていた私だ。
 先程ウィキペディアにて調べたところによれば、なるほど、小池氏とは1978年生まれであられるとのことは未だ34歳の若さである!
 この私などその年代には未だ新たな学問分野に突進し、今後の自分の生き様を模索していた最中の頃だ。 よもや他人に対して「こうせよ、ああせよ」などとご意見できる立場には到底なく、自身の存在を問い直しつつ悪戦苦闘していた時代である。
 
 それにしても、宗教家先生が置かれている立場とは厳しいものがあろう。 
 社会規範の一つである「宗教」には、それを信仰する市民に対して“人倫を導く”使命も課せられていることには間違いない。 
 仏教を業とする家系に生まれついた小池氏が現在ネット上で若い世代よりバッシングされつつも、若干34歳にして世間を相手に“説法”を垂れ続けねばならない現実の厳しさの程も理解できそうに感じた私でもある。


 生まれもってそんな厳しい立場にはない一般市民であり、ましてや“無宗教”を貫いている私の人生とはその分野より何らのしがらみを経験することもなく幸せに経緯しているのかと感じつつ、上記小池氏の朝日新聞エッセイを再分析することにしよう。

 確かに人間とは日常的に他者の評価に依存しつつ、その信憑性の乏しい評価に単純に活気付いてしまう“愚かな存在”である事は認める。  
 特に若い世代とは、身近な他者からの評価により日々の生活が成り立っているとも言えるのが現実なのではなかろうか?
 もっと幼少の子どもなど、まさに“他者よりのプラス評価”の世界の中で生き延びている生物体と断言できよう。 我が教育者としての経験や、現在続行中の我が娘の“お抱え家庭教師”遍歴を懐古してもその通りなのだ。 逆に言うと、子どもとは“褒めずして育たない”のが現実と言い切れる。
 それを認めずして人間の進化は成り立たないことも、既に歴史的、科学的に実証されている。


 それでも仏教家 小池氏が、若い世代が「他者の評価」に頼ってばかりで軟弱であることがこの世において許し難き現実との結論を出されている事に関しても、私はある程度理解可能であるし、その小池氏の心理状態の程も許容可能な気がする。
 おそらく「仏教」世界に出生された小池氏とは、幼少の頃より生まれ持って厳しい現実を生き延びてこられたのかもしれない。  自身の内面から湧き出る自然欲求さえ叶わない子ども時代を耐え偲ばれた後、それでも小池氏が仏教家をご自身の性(さが)として今後の人生を歩んでいかれる以上、その生まれ持っての類稀な武器を片手に、自身にバッシングを浴びせるネット上の若き世代を“叩き潰す!”との方策を打ち出すしか手立てがないのかもしれない。

 そんな厳しい世界にいる小池氏には誠に申し訳ないが、原左都子は今後も単なる一般市民としてこの世を渡っていくしか他に道筋はない。
 元々単純に他者の評価を鵜呑みにする性質の私では決してないが、我が信じる人から頂いたプラス評価にはその御礼の意味でも一瞬活気付きたいと心得るのだ。
 その評価が仏教上はあくまで一時の“煩悩”にしか過ぎず馬鹿げているとしても、それで十分と思える年代の私である。

 小池氏がおっしゃる通り、人間の価値とは他者の評価により左右されるのではなく、自分自身が決めつつ生きていくものであると私も考える。
 ただ、若き世代が他者からのプラス評価を我が物として信じ、それを自身の力に転化し活気付きつつ成長していく姿とは、実に健全かつ未来志向の心理状態と心得るのだが……

勝負事の醍醐味

2012年05月10日 | 自己実現
 人間が勝負事に挑んだりそれを端から観戦する場合、闘う者同士の力が拮抗していてこそ面白い。

 そういう意味では、もうすぐ開催されるロンドン五輪 競泳平泳ぎ 北島康介氏の金メダル争奪のライバル的存在だったノルウェー代表 ダーレオーエン選手の心不全による急死が実に残念であった事に関しては、本エッセイ集前回の記事で綴り公開したばかりである。

 そんな考察をする原左都子は、元々“勝負好き”人種であると言えよう。
 そもそも人の人生とは “勝負の連続” であるのかもしれない。
 内心では人知れず“勝った”“負けた”のドロドロした心の葛藤を繰り返しながら、現実社会の表面上は綺麗事を並べつつ良識的に振舞って世を渡っていくのが人としてのスマートな素養というものなのかもしれない、などと分析したりもする。

 例えばの話、昨秋娘を第一志望大学学部へ推薦合格させた時にも、正直なところ我が内心に“勝利感”が過ぎったものだ。
 こんな場面において他者との比較をするのはナンセンスとの事は重々承知しているものの、春になっても娘の周囲には大学合格がままならず例えば専門学校への進路を余儀なくされた同級生も存在したとのことだ。  事情を抱えている我が子の実力をとことん鍛え上げた結果としての“逆転勝利”と認識して、内心ほくそ笑んだのが正直なところである。 (今後我が娘にはまだまだ厳しい現実が続行することを承知した上での話だが…)


 “負けず嫌い”である事には間違いない私の長年に渡る趣味の一つに、テレビのクイズ番組観戦がある。
 昔一番好んだのが「クイズタイムショック」(俳優の田宮ニ郎氏が司会を担当していた頃が一番面白かった)であるが、現在あの番組は特別版を除いて放送されていないようだ。
 月曜夜に放送されている「ネプリーグ」も時々視聴している。 私が一番ライバル心を煽られるのが“東大チーム”だの“エリートチーム”だのと一種特権意識をくすぐられつつ登場するタレント連中である。  当然ながら番組を面白おかしく盛り立てる演出でしかなく、それらのチームのタレント達が必ずや高得点をマークするという訳ではない。 それは心得つつも、その種の “特権意識をいつまでも引きずって芸能界で生き延びるしか方策のないタレントども” にテレビの前で打ち勝っては清々している原左都子である。  (結局、私も妙なコンプレックスを未だに抱えているのかと自己分析するはめになる、というだけの話だが…

 今年4月からNHK午後1時のニュース直後の時間帯に放映されている「連続クイズ ホールド・オン」も時間が許す限り見聞している。
 ところがこの番組はさすがに昼の時間帯のクイズ番組であって出演者も一般市民よりの公募に頼っているため、設問が比較的簡単である。 番組冒頭のクイズに関してはおそらく全問正解できる視聴者が大方ではなかろうか?
 一時チャンピオンたる者が(言っちゃ悪いが)低レベルのせめぎ合いを続けつつ日々移り変わる時期があり、その頃に(こんなもの見ている暇はない)と一旦視聴をやめた私だ。
 再び見始めた現在、松田智潮くんと名乗る19歳の少年がチャンピオンとして快進撃を続けている! この松田くんの回答の程が素晴らしくてその快進撃の続行を見届けたく、日々番組を視聴している私だ。(今後チャンピオンが交代して“低レベル”に戻ったらまた見る気を失うと思うけど~
 テレビの放映力が万人に与える影響とは計り知れない事を、たかがクイズ番組、しかも昼の時間帯の番組であろうが考慮して欲しい思いだ。 視聴者である市民も多様化した時代であり、面白くない番組など見やしないことを肝に銘じて、真にクイズ回答力のある市民を選抜できるシステムをNHKは構築して欲しい、とこのクイズ番組を日々視聴して思うのである。


 「勝負事の醍醐味」と題して綴っている今回の「原左都子エッセイ集」に於いて、紹介したい我がもう一つの趣味がある。

 実は、私はパソコンゲームを好んでいる。 
 とは言っても、決してインターネットを介して実在の市民と対戦するバーチャルゲームではあり得ない。
 単にパソコンの中に元々内蔵されている各種ソフトのゲームを、一人で(あるいはたまに娘と)対戦しているだけの話である…。
 
 2ヶ月程前から原左都子がはまっているのが「挟み将棋」だ。
 元々将棋自体の経験が一切ない私だが、我が娘がパソコンでこの「挟み将棋」をやっていると聞いて私も負けじとチャレンジを開始したのだ。
 おそらく、元々の将棋ファンにとっては「挟み将棋」などほんの子どもだましの“じゃれごと”の位置付けである事だろう。 それは当初より認識していた私だが、これがどうしても勝てない…
 コンピュータ相手であるものの、憎らしい事にこれが勝てない。 
 絶対に勝つ! との勝利宣言を虚しくもコンピュータ相手にした私は、ある日突然、その絶妙な方策を見出したのだ!
 結局は“挟まれなきゃ”勝つのが「挟み将棋」の一番の勝法であった。(当たり前だけど…)  何で私はこんな初歩的な事に最初から気付かなかったのだろう…  と悔やみつつ端から順に上へ上へと根気よく相手を攻め続けたら、レベル5でも勝ちまくる“百戦錬磨”の日々が訪れたのだ。

 例えば「五目並べ」には“禁じ手”があるのに、「挟み将棋」には禁じ手制度がないのだろうか…  などと百戦錬磨の今となっては敗者であるコンピュータを気遣う程の余裕だ。  私にとっては闘いを優位に進めているのに「禁じ手!」との表示が出て出鼻をくじかれる「五目並べ」よりも、「挟み将棋」に実力で立ち向かった日々の方がずっと充実していたからこそのこの余裕である。
 “一人勝ち”が続き対戦相手がいなくなった「挟み将棋」を、もう引退するしかない原左都子の考察である…


 コンピュータゲームなど二の次でよいのだが、人間とは現実社会にライバルが存在してこそこの世を勝ち残っていかれるのではあるまいか? そしてその相手との力関係が拮抗していて初めて闘いが挑めるという事ではないのか??

 そんな相手を一生捜し求めて彷徨うのが人間の人生であることには間違いない。
 よきライバルを模索しつつ歩む人生にこそ、また新たな未来が訪れると言っても過言ではないであろう。