原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

両陛下にもういい加減ご公務を退任させて差し上げませんか?

2012年02月18日 | 時事論評
 私は決して「皇室」贔屓という訳ではないが、平成天皇皇后両陛下がお歳を召された現在も尚、日々ご誠実に公務に励まれるご様子をメディアを通じて拝見する都度、忍びない思いだ。

 国家が両陛下に 「お年寄り虐待」 とも表現出来そうな程の過重労働を課している現実を、政権始め国民の皆さんは如何に捉えているのだろうか?


 天皇陛下は本日(2月18日)、東京大学医学部附属病院に於いて「狭心症」治療の心臓冠動脈バイパス手術を受けておられるとの報道だ。 午後3時には手術終了予定との報道のため、原左都子がこの記事を書き始めた今、もうそろそろ手術が終わりに近づいているものと思われる。

 今回の天皇陛下の手術入院に関するニュース報道の街のインタビューに対し、市民は「手術が無事終わって天皇陛下がお元気になられた姿を早く拝見したい…」等々の応答を返している様子だ。

 もちろん、天皇陛下の本日の手術後の予後はこの私も大いに気に掛かる。
 ただこれに関しては、一国の天皇の心臓手術に際してまさか“いい加減”な判断で医療措置が施される訳はあり得ず、当然の事ながら我が国トップレベルの医師団が熟慮の上手術を執行するであろう事には間違いない。 加えて、本日天皇陛下がお受けになられている心臓冠動脈バイパス手術とは、現在に於いては比較的手術事例が多い医療措置でもあるようだ。
 医師団による今回の手術は間違いなく成功することであろうし、その後天皇陛下が安静に過ごされた後には、お元気な姿を国民の前でご披露されることでもあろう。


 ただ政権及び国民の皆さん、もう既に80歳近いご高齢でいらっしゃる天皇皇后両陛下に、皇室歳費が国費から賄われているとは言えいつまでも公務をご負担いただく事の是非とは如何なものであろうか??

 繰り返すが、ご高齢にもかかわらず誠実さと実直さをお失いになる事なくいつまでも精力的にご公務に励まれている両陛下のお姿を拝見する事は、この原左都子には忍びないのだ。
 報道のインタビューに応えた市民は上記のごとく「また陛下のお元気な姿を拝見したい」と言うが、それが高齢になられた両陛下へどれ程の負担を更に負荷するかを理解した上で発言しているのであろうか?


 こんな場で原左都子の私事を持ち出すことになるが、我が過去の一時の職業経験と両陛下のご公務とを一緒くたにして比較する大いなる無礼をあらかじめお許し願いたい。

 それなりの正装で人前に出て見知らぬ大勢の相手の反応やその受け答えに合わせてその場を振舞わねばならない「仕事」とは、それ自体が大いに過酷な労働である。
 原左都子が過去のバブル期において東京丸の内や六本木界隈で“ラウンジコンパニオン”や“パーコン”の仕事をしつつ自活して学業に励んだ話題は、バックナンバーでも幾度か公開している。
 一般人の認識としては“綺麗な恰好”をして顧客に媚びるべく振舞うだけの職業とは、「やり得」かつ「低俗」「卑劣」の印象があるのだろう。 私自身ももっと若かりし頃に芸能人や“夜の蝶”を一見してそう感じていた。
 ところが自分自身がその種の職業を経験した後に、私の考えは大幅に変わった。
 この種の職業とは“ある意味で”実に大変なのである。 原左都子の場合“コンパニオン系”だったため、仕事に及ぶ前にまず外見的要素としてお化粧及びヘアスタイルを丹念に整えて、体にフィットしたロングドレスを着用しハイヒールを履く事を義務付けられた。 当時まだまだ若かった私にとって、体調良好の時にはこの“外見繕い”はさほどの問題はなかった。 だが一旦体調不良となり便秘でおなかが張ったり風邪で鼻汁が出てもこの恰好を強要されるとなると、この職業がどれ程の激務であるかを思い知らされたものだ。
 しかもこの職業の本質は顧客の接待にある。 そうなると、体調不良の時とて当然ながら顧客中心に物事が進む。 当時の私は既に30代に達していたため、これは既に得意分野だったかもしれない。 それにしても顧客とはそんな私に容赦なく無理難題を吹っかけてきたものだ。
 たかが2時間の派遣業務にして「高給」だったからこそ、当時の私が達成できた仕事だったと推測する。


 さて天皇皇后両陛下の“ご公務”に話を移そう。

 現在80歳を間近に迎えられている両陛下が、ご公務を執行されるに当たり“正装”を強いられている現状を国民の皆さんもご理解であろう。
 80歳近くにして、少なくとも“背広ネクタイ”“ドレス・ハイヒール”姿で背筋をきちんと伸ばされて国民の前に出られる両陛下のご負担が、どれ程過酷なものとお考えだろうか??  皆さんのご家族の中にももちろん高齢者がおられることであろう。 だが、そのお年寄り達に両陛下のごとく正装を強要される機会が日々幾多に渡ってあるはずは無く、ほとんどのお年寄りは普段着でゆったり過ごされている日常であろう…

 加えて80歳近い年齢ともなれば周囲に対して思いやりを表現すると言うよりも、むしろそれを周囲から与えてもらう事を心理面で欲する世代かと認識する。

 平成天皇とは、昭和の戦争中に子ども時代を過ごされ戦後成人されて皇后と成婚されたお方である。
 昭和34年に天皇家始まって以来の出来事として、民間から美智子妃殿下を迎えられご結婚に至ったことに関しては、現在我が国の国民の半数以上は認識していることであろう。
 原左都子自身の昭和34年と言えば私が生まれた田舎には未だテレビがなかった故に、その影像を生では拝見していない世代である。  だが現在の平成天皇皇后両陛下が昭和の時代に皇太子及び妃殿下として果されたご公務の数々と、当時平民にもたらした平和の象徴でもあるべく新時代感覚文化の貢献度は、皇太子及び妃殿下に何物にも勝る絶大な影響力がおありだった故ではなかろうかと評価申し上げるのだ。


 そんな両陛下が80歳近くなられた今に至って、未だ市民が「お元気な姿を国民の前で見せて下さい」と欲する気持ちも分からなくはないが、その短絡的な思考とはどう考察しても両陛下の更なる心身的ご負担を負荷するだけではあるまいか?

 「天皇定年制」が議論されて久しい我が国家である。
 昨年この議論が再発した記憶もあるが、国家の政権が揺らいでいる今現在その議論は何処に彷徨っているのだろう??

 余談になるが「女性宮家制度」創設に関しても先だって提案されたと記憶しているが、この議論も何処に消えたのだろうか?
 ここで原左都子の「女性宮家制度」創設に対する個人的な私論を手短に述べると、天皇継承直位1位の地位(現在の皇太子)の直系親族内に限ってそれを認めてもよいような感想はある。(現時点においては、要するに秋篠宮家のお子様であられる方々まで) それ以上の皇族にまでも議論を拡大することには、時代の趨勢を鑑みた場合私論として大いなる抵抗感がある。(その種の皇族家系の方々には、厳しい現世において今後は自助努力でこの世を生き抜いて欲しい気がする。)

 「天皇定年制」に関しては、今後国政において早い時期に議論を重ねるべきであろう。
 その議論の決着が現在の天皇であられる平成天皇がご生存のうちに間に合えば喜ばしいのだが、どうもそれが叶わぬ政権混乱事態に際して原左都子からの提案がある。

 今回の「狭心症」手術におそらく耐え抜かれて天皇陛下はお元気に退院されることと私は推測する。
 この手術をきっかけとして、80歳を間近に控えられている両陛下を本気でご引退させて申し上げては如何なものか!?
 今直ぐには「皇室典範」法律改定が間に合わない事くらいは法律を心得ている原左都子も認識しているが、法律解釈の範囲内、あるいは特別措置法等でいくらでも両陛下に早期にお休みを取って頂く頃が可能かと私は心得る。

 国民のためにもう十分過ぎる程働かれたと思しき平成天皇皇后両陛下に、どうか今後はごゆるりとお幸せに長生きして頂くためにも、国政の今すぐの勇断を望みたいものだ。

職員採用は「第一印象」を優先するのが効率的かも?

2012年02月15日 | 仕事・就職
 昨日、高校卒業前休暇に入っている高3生の娘と共に東京・吉祥寺に出かけた。


 原左都子は30歳に差し迫った独身時代に、JR中央線沿線に位置する吉祥寺に2年半程居住して青春の一時を過ごした経験がある。 自宅の最寄駅は西荻窪だったのだが、当時より若者に人気の吉祥寺にも歩いて行ける距離に居住地があったため、ショッピングに飲食に習い事にと頻繁に出かけたものだ。

 その後年数が経過して子どもを産んだ後に、井の頭公園池のボートに娘を乗せてやりたい気分になって、井の頭方面には行ったことがある。
 
 今回吉祥寺の繁華街方面を訪れたのは、私にとってはまさに20数年ぶりのことであった。

 原左都子にとっての30代直前頃の吉祥寺繁華街の印象と言えば、若者に人気があるとは言えどもやはり“東京都下”に位置するが故のその種の特異性があったことを記憶している。
 何せ吉祥寺繁華街に繰り出している人の数が“鬱陶しい程の多数”ではないのだ。 これは当時既に30代を迎えようとしている私にとっては“命拾い”の感覚すらあったものだ。
 例えば「新宿」などに出かけると、(今でもそうだが)その人混み喧騒に嫌気がさす。 かと言って自分の欲するファッションや飲食は楽しみたい。 そういう場合に当時の「吉祥寺」とは程々に人が多過ぎず、少し落ち着きたい年頃の私の希望を満たしてくれる街だった記憶がある。

 その後年月を経て、昨日私が訪ねた「吉祥寺」は一見して“様変わり”していた。
 駅周辺(駅内)に商業ビルが建ち、駅からの出口が何処だか分からない程に大勢の人々で混雑している。  昨日は(運悪く?!)バレンタインデーではないか?  それだからという訳でもないのだろうが、とにかく駅ビルはチョコレートの販売合戦が繰り広げられ混雑していて出口を探すのにも一苦労の有様だった。

 やっと出口を発見して外に出た我々は、本日の目的地の美術館への道程である「サンロード」を見つける作業に入る。 幸いこれは直ぐに見つかったのだが、30代直前頃私が訪れた「サンロード」とはやはり様子が異なり、若者を中心とした大勢の人々で溢れている。

 今回我々の吉祥寺訪問第一目的の 吉祥寺美術館 を訪れる前に昼食を取ろうとの段取りとなり、時代が変遷し店舗が大幅に入れ替わっている商店街で食事場所を探した。
 その結果、娘の希望によりイタリアン系の(前金制セルフサービス)ファーストフード店で食事をしていた時の事だ。


 (いつもながら前置きが長くなった点をお許しいただくとして……)

 そのファーストフード店の我々の隣の席にやってきたのが、なんと今回の「原左都子エッセイ集」のテーマに掲げた “「職員採用の面接」のために訪れた採用者とその求職者のカップル”だったのだ!

 何故“カップル”と表現したかと言うと、原左都子の目には上記2人はこの種の店舗の顧客にしてさしずめ“カップル”と映ったからである。
 ところが2人が着席して会話を始めた段階で、こんな場で「就職面談」を開始した事をすぐさま見抜いた私だ。

 “カップル”の(私と同年代と思しき)ちょっとお洒落な男性側が、もう一人の(娘くらいの年代の)若い女性に対して 「まず履歴書から見せていただけますか」 と切り出すではないか!
 相手の若き女性は“黒のリクルートスーツ”に身を固めている。 (そうなると、どう考察してもこの2人は「就職面談」のために初対面同士でこの店舗を訪れていることが証明できたと言うものだ!)

 娘と会話しているふりをしつつも、隣の「就職面談」が大いに気に掛かる私である。
 
 どうやらこの「就職面談」は、男性側が近隣で経営する(アパレル系かファッション雑貨系?)店舗の店員アルバイト募集のようだ。 (ならば、こんなファーストフード店でなく店舗内の事務所で面接すればいいものを…。 男性が経営する店舗が手狭で事務室すらないのか??) との要らぬ心配も我が脳裏に巡る……

 それにしても大学生らしき女性は返答が静か過ぎる。 もしかして「面談」の場がファーストフード店である故言いたい事が言えないでいるのかもしれないが、それにしても私の目からはこの女性はどうも販売員向きではないように映る。

 店舗店長と思しき男性は、もの静かな面接者に対し次々と質問を繰り出している。 例えは「我が店舗では制服はなく私服で勤務していだたくことになりますが大丈夫ですか?」等々…。  何分この女子学生の返答の声が聞き取れない程に小声であるため残念ながらどう回答したのか不明だが、店舗販売員アルバイトの求人に際して“黒のリクルートスーツ”で面談に及んでいることから推測しても、この女性はもしかしたらその種の自己表現が苦手なのではあるまいか?

 結局、近隣の店舗店長と思しき男性側が若き女子大生相手に比較的紳士的に10分間程質問を繰り返した後、「それでは明日中には採用の可否について電話をしますが、都合のいい時間を教えて下さい」等々と最後の言葉を交わした後、この2人は店を出た様子だ。

 昼時の食事のために偶然訪れたファーストフード店の隣の席で、偶然展開された上記「就職面談」の様子は我が娘も把握していたようだ。
 4月から大学生になる娘に、あえて私は尋ねた。 「さっきのお隣さんは、どうやら大学生のアルバイト先の面談だったようだね。 あなたもあの面談を聞いてたと思うけど、どう感じた??」  娘曰く「う~~ん。あの女子大生が面接先のお店の販売員をするのは何だか無理があるように思う…」

 さてさて、上記店舗の店長氏は本日アルバイト志望女子大生に対して如何なる返答をしたのであろう?


 それにしても、世の中(特に就職の世界)とは“ミスマッチ”であることを実感させられる吉祥寺に於ける昨日の“事件”であった。

 現在の吉祥寺にはアパレルやファッション系店舗の店員アルバイトに相応しいようなギャル達が、原左都子の目から見ると“より取り見取り”状態に闊歩している。
 誤解を恐れず言うならば、店舗経営者たる者はその種のギャルこそを巷でスカウトして「面談」して採用すれば手早く済んだ話であるようにも思えてしまったのだ。 その方が販売アルバイトとしてより適任人材を雇えたのではあるまいか??

 ところが、過ぎ去りし過去の時代のようにはその種の軽薄行動をとれない経営者の実情も理解できそうだ。
 今時“スカウト”で人材を集められるのは、巷のギャルを“美味しく使ってポイ捨てすればよい”芸能界だけという事であろう。

 巷の商業経済社会は厳しい不況を煽られている現実である。 
 大勢の若者で賑わっている東京都下の 吉祥寺 とは言えども、店主とは少しでも確実な人材を確保したい意向であろう事も理解可能だ。 そのためには、たかが一店舗のアルバイト募集とて広く世間に求人を出した上で応募対象若者に“個人情報満載の履歴書”を提出させることにより、適性よりも“信頼性”を重視した採用策を取るのが今の時代の経営者側にとって得策ということなのであろう。 (それ故、人の採用とは多額の費用が発生する事も理解している。)


 娘とファーストフード店を出た後、「あの女子大生よりも年季を積んだこの私こそがその店舗に勤めた方が、よほど店の売上に貢献できそうな気がするよ」といい加減な気持ちでホザいた原左都子に対し、我が娘が冷静に発した一言に“一本”取られた思いだ。

 「自分の適性を考えると、私はそんなアルバイトは一切したくないよ」  (我が娘としてご立派な回答です…) 

「パブリシティ権」 最高裁初認定を検証する

2012年02月13日 | 時事論評
 原左都子は 「パブリシティ権」 に関して“多少”の知識がある。 (あくまでも“多少”の範囲内だが)

 それは決して私が過去に於いて「経営法学修士」を取得しているから故ではない。
 法律と言えどもその分野はとてつもなく幅広い。 経営法学と人格権の一種であろう「パブリシティ権」とは大幅にその分野が異なる。

 それでは何故私が「パブリシティ権」に関して多少の知識があるのかと言えば、我が子が高校1年生の夏に課題として課せられた宿題を手伝った故である。
 この課題は「情報」教科の担当教員より出されたものであるが、高1の娘がお手上げ状態であることは、その課題を一読しただけで過去に於いて法律関連の修士を取得しているこの私には直ぐに理解できた。
 高校に於ける「情報」教科の存在意義とは、要するに子どもが将来この世に生きていくに当たりとりあえず“パソコン使用に慣れる”事がその趣旨かと私は安易に考えていたのだが、どうやら娘の担当教諭は別の教育理念をお持ちだったようだ。
 そうなると親の私が一肌脱ぐ事と相成るのだが、この課題には法律をある程度わきまえているこの原左都子も難儀させられたものだ。

 
 娘の高校の「情報」教諭が“高1生”対象に課した宿題の内容は大きく2分野に分かれていのだが、それを少し端折りつつ以下に紹介しよう。 (カッコ内は教諭の設問を読んだ原左都子自身の感想である。)
 
 <まず 「パブリシティ権」 関連事項の課題から引用要約>
 ○ 「表現の自由」と「閲覧の禁止」を規定した日本国憲法第21条を記し、なぜこのような権利が保障されたのかを大日本帝国憲法と対比せよ。 (この程度の問題に高1生は答えられるべきとは私も思うよ。)
 ○ 「プライバシー権」及び「パブリシティ権」とは如何なる権利か? またそれらの権利に関する過去の裁判例を列挙せよ。 (調べりゃ直ぐにできる問題だけど、裁判例列挙ともなるともはや大学生相手の出題じゃないのか?)
 ○ 過去の出版差し止めや自主回収の事例を調べて書け。(こんな作業が高校生に必要なのか…?)
 ○ 「田中真紀子長女文春記事差し止め請求・審理」に関する裁判の流れを図にまとめた上で、これに対して東京高裁が下した仮処分命令取消し決定を受けての新聞各社の社説を読み比べ、「プライバシー保護」の観点から取消しに対する各社の肯定度を比較せよ。 (この高校教諭は「プライバシー保護」に関してストイックな思想の持ち主なのか???)
 ○ 上記東京高裁「出版差し止め取消し」判決にあなたは賛成か、反対か?その理由と共に詳細を述べよ。 (教諭さんよ、あんたの偏った思想は原左都子が合点したぞ! 私なりの私論を堂々と述べて提出してやろうじゃないか!!) 

 <「著作権」関連事項の課題から引用要約>
 ○ 「著作権」とは何か。 「著作権」には広義、狭義があるがそれぞれ如何なる権利か? 著作権法でいう「著作物」とは何か。 またその目的、及び存続期間はいつまでか。 (まあそうね。 高1生がこういう事を認識しておいて損はないね。)
 ○ 著作権法でいう「引用」とは何か。 如何なる「引用」ならば問題がないか。 (ちょっと細部に入ってきたけど、まあ高校生たる者、これも把握しておいてもよいかな?)
 ○ 「知的財産権」「肖像権」とは何か? (それも調べておいた方がいいね。)
 ○ テレビ番組を個人的に録画したり、学校の文化祭の時に「映画」の放映などをする事があるが、その行為は合法なのか? (特に後半部分は学校側が把握理解した上で生徒に指導するべき事象でしょ!?)
 ○ 著作権を守る事が重要である事を理解した上で、商業モデルとしてのソフトウエアの存在意義を踏まえて、「オープンソース」という考え方に関して調べて自分自身の賛否に関してまとめよ。 (よし、教諭である貴方の気持ちはまたもや理解できたよ。 そうなれば、この原左都子の私論を好き放題述べて娘の課題として学校へ提出しようじゃないか!!)


 話を先に進める前に、娘が上記「情報」科目担当の教諭より課せられた課題の“事の顛末”を語ろう。
 実は夏休み明けにこの課題を提出した生徒は、高校1年生全生徒何百名かのうち(我が子に変わって原左都子が回答して持たせた回答も含め)“たったの3名”だったとのことだ。
 言葉少ない我が娘の説明では分かりにくかったのだが、私が推測するに、この「情報」課題は高校1年生にして難易度が高過ぎると遅ればせながら2学期になって高校側が判断し、「提出不要」の措置としたようだ。(出題する前に難易度を検証して欲しかったものだが…)

 (娘の親である原左都子のこの課題に対する“模範回答”はすべてパソコンに保存してあるためそれを公開してもよいのだが、今回のエッセイに於いては大幅に字数オーバーとなる事を鑑み後日に延期しよう。)


 いつもながら前置きが長過ぎたが、今回「パブリシティ権」最高裁初認定に関する報道を取り上げたきっかけとは、原左都子が“ピンクレディー”のファンであるからに他ならない。
 
 巷の報道によると、先だってピンクレディが提訴した訴訟において、どうやら「パブリシティ権」に関しては今回初めて法的権利として最高裁判決により認定された模様である。
 と言うのも今まで「パブリシティ権」とは、我が国に於いてはそもそも人の「肖像権」としての地位がなかった様子だ。
 私が娘の宿題で調べた頃の「パブリシティ権」の定義とは、「氏名・肖像から生じる経済的利益ないし価値を排他的に支配する権利」(判決例より引用)だったものだ。
 判例主義を取っていない我が国に於いて、元々判例主義国家である米国の芸能人やスポーツ選手の間で発展した考え方である「パブリシティ権」が、日本の最高裁により認定されるのが今に至ったということであろう。

 今回“ピンクレディー”側から提訴された訴訟において、最高裁が「パブリシティ権」を初認定したことに関して評価したい思いの原左都子である。

 残念ながら“ピンクレディー”が法的請求した事案自体に関しては、最高裁より「棄却」の判断が下された模様だ。
 だが、今回我が国に於いて「パブリシティ権」を「肖像権」の一権利として最高裁が認定するに至ったのは、50歳を超えた今尚コンサートツアーを企画公演すれば“満席御礼”状態をゲットするパワーがある“ピンクレディー”たるアイドルが、過去から今にかけて燦然と存在する事実背景がある故ではなかろうか。

 大した実力も無いのにこの世にのさばり将来性も見えない若き芸能人連中は、今回我が国に於いて初めて最高裁に「パブリシティ権」を法的権利として認定させるべく訴訟を決行した大御所“ピンクレディ”に感謝するべきであるぞ!

年配者の心の隙間に忍び込む“電話詐欺”

2012年02月11日 | 時事論評
 つい先だってこの原左都子が、あわや「振り込め詐欺」か? と勘ぐる電話を自宅で受けた。

 電話の受話器を取る前に“ナンバーディスプレイ”画面に表示された電話番号を確認(我が家では安全確認のため普段よりそれが習慣となっている)すると、土地勘がまったくない地方の市外局番が表示されていた。 
 「見知らぬ地から我が家に何の用件だろう??」との若干の不信感を抱きつつも電話に出ると、「○○さんのお宅ですか?」との第一声だ。 その名は我が家の苗字と似ているのだが少し異なるため「違います」と返答すると、「すみません」との事で一旦電話が切れた。
 
 この段階で私は、間違い電話とは言えども相手が呈示した名前が“我が家の苗字と似ている”点が大いに気になっていた。
 間違い電話の相手の声が若い世代の男性かと想像できた事も気に掛かる。 何せ、我が家には年頃の娘がいる。 あの電話がもしも娘に何らかの危険が忍び寄っている前兆だったとするならば、親の責任でそれに対峙し排除せねばならない。
 想像力豊かな私の脳内には様々な思惑が巡る。 もしも今回の電話に娘が出ていたとしたら、相手はそのまま自分の用件(セールスや詐欺、あるいはストーカー??等のろくでもない用件)を伝えたのかもしれない。 ところが電話に出た相手は“おばさん声”だ、これは母親に間違いない。ここはテキトーな名前を言って切った方が得策だ。
 等々と、妙齢の娘を持つ母である私がバリアを張っても不思議ではないでしょ……

 などと原左都子が持ち前の想像力を働かせていた時、また電話が鳴るではないか! そして受信音が一回鳴た後、電話の画面まで行く前に直ぐに電話は切れてしまった。

 これは更に怪しいと私が恐怖感すら抱き初めたところ、執拗に三度目の電話が鳴るではないか!
 こうなれば、娘を持つ母としてはもう覚悟を決めるしかない。 相手が如何なる悪党であれ精神異常者であれこの原左都子こそが対峙しよう!との強い覚悟で電話に向かうと、やはり上記の未知の地からの電話番号が表記されている。
 受話器を上げると、今度は「○○さんですね」と我が家の苗字を尋ねる。
 「そうですが、先程から幾度となく我が家にお電話を下さっていますね?」と半ば喧嘩腰に電話の返答を切り出す私だ!

 話を中略してこの電話の真相結果を語ると、実は、原左都子本人への大学(大学院)の同窓ゼミ会への誘いの電話だったのだ。

 そうとは言えども、この電話の不審点は他にも多数あった。
 例えば、私のゼミ担当教授(既に退官されている)がこの度文化勲章(後に知った詳細は“秋の叙勲”であられのたが)を受章されたと電話の声は伝える。 そのような情報に関してはニュース報道等により詳しい事を自負している私だが、今回恩師が受賞された賞の詳細を知らずにいた事は確かだ。
 その元教授である恩師の受章祝賀会も兼ねて、今回名立たるホテルの名立たる宴会場でゼミ総会を開催するのだと電話の主は言う。

 このような電話に於いても、庶民の立場としてはまず “振り込め詐欺” を疑うべきと原左都子は心得るのだ!
 そんな私は、電話相手の話を聞きつつも「振込み先」を唱え始めたなら即座に電話を切ろうと考えていた。 
 幸い電話の相手はゼミ会総会に出席するに当たっての「振り込み先」は伝えなかった。 ただ、それでも私の方は念を押した。 「今時、間違い電話や迷惑電話が数多い日常に於いて、このような連絡をいきなり電話で頂く事が如何なものか?」
 これに対しては電話の相手から一応の謝罪もあった。 
 その後正式な「ゼミ総会」の案内書も到着して一件落着ではある。 ホッ

 それにしても、未だ一般に流通している個人情報満載の「同窓会名簿」を濫用・悪用した“振り込め詐欺”がこの世に横行している現状のようだ。

 この現象の背景を原左都子が一言で分析するに、どうも過去の一時の“栄光”に依存したい意図で個人情報を自主的に公開している輩が、特に年配者程多い現状ということではなかろうか?
 この対策として、個人情報保護法が施行されている現在に於いては「同窓会名簿」など作成しない事が第一義と心得る。 ところが、どうもこの種の名簿を作成したがる人種が今尚数多い現状のようだ。
 どうしても「同窓会」等を開催したい人種が取るべく代替案とは、実際に参加した同窓生同士で個人情報を交換し合って小規模同窓会を開催すれば済む話であろう。 決して、人づてに第三者の個人情報を収集して勝手に名簿に記載、公開するような事は法的にもあってはならないはずだ。 にもかかわらず、名簿作成時に「ご知人同窓生の住所等をご存知の場合併記をお願いします」の文面を未だよく見かける。 私自身もこれによりあえて非公開にしている個人情報を本人の承諾なく名簿に記載、公開された経験がある。
 同窓会を開催するため人を集めたい人種が取るべき対策とは、安易に名簿に頼るのではなく、自分自身で日頃から個人的にまめに連絡して一人ひとりの相手とある程度の人間関係を築いておく、これしかないのではなかろうか?? それが迷惑な相手からは一切の返答がないはずだよ。 (相手が迷惑なのをわきまえず幾度もアクセスする行為が“ストーカー”と判断される場合もあることを覚悟した上で、それを実行すればよいのだ。) 


 原左都子の私事が長引いてしまい恐縮である。

 今回このエッセイを綴り公開しようとしたきっかけとは、朝日新聞2月5日付「男のひととき」コーナーへの
64歳男性よりの “長電話の息子、正体は” と題する投稿だった。

 この男性の新聞投稿を一読し、実は私は 「なごみ」 のようなプラスの心のひだをもらった感覚を受けたのだ。

 投稿内容を以下に要約して紹介しよう。 
 31歳会社員の息子は川崎市に一人で暮らしているが、3ヶ月に一度「米(コメ)送って」と電話をしてくる程度だ。 便りが無いのは元気な証拠とあまり気にしていなかった。 ある日、そんな息子から「携帯電話をトイレに落としてしまった」との電話があった。 いつもは一言で切れる電話が今回はおしゃべりなため、こちらもその気になって息子の仕事や健康そして彼女の事など数分話をした。 しかし途中で何となく声がおかしいと思い尋ねると「ゴホン、ゴホン」と咳をして風邪を引いたと言う。 まだ少し話を続けた後、やはり声の質が違うためもう一度尋ねると「ガチャン」と電話を切られてしまった。 そこで初めて“オレオレ詐欺”の息子であったことに合点した。 その後、本当の息子に電話すると「アハハ」と笑っていた。  我が家は“オレオレ詐欺”の息子に送る程の経済的余裕がないため簡単には騙される心配はないが、3ヶ月に一度の本当の息子からの「米送れ」には茨城産のコシヒカリを送っている。

 誤解を恐れず原左都子の感想をここで述べるならば、この64歳男性の投稿には、3ヶ月に一度コシヒカリ米を送っている実の息子さんと同等に“オレオレ詐欺”の息子に対しても“ほのぼのとした”愛情がある事を感じるのだ。
 こういう人間味のある相手って“電話詐欺”の犯人には実は一番苦手な対象なのかもしれないと、今回初めて私は実感させられた思いである。

 原左都子のごとく元々人を疑ってかかる人種程“電話詐欺”犯人の反感を買い、もっと被害に遭わせてやろうとの反発心を煽るのかもしれない、とも考えさせられる投稿である。


 まあそれにしても、現在の“オレオレ詐欺”“振り込め詐欺”等々 電話による詐欺行為は人の心理のひだを突きつつもより巧妙に“進化”を遂げている様子だ。
 やはり、年配者、若者を問わず不審電話は頭から疑ってかかるのが一番の得策であろう。

 元々“人が悪い”天邪鬼の私は、今まで通り不審電話には厳しく対応しシャットアウトするつもりであるぞ!

受験に落ちた子どもへの対応のし方

2012年02月08日 | 教育・学校
 入試シーズンもそろそろ終盤を迎えようとしている今日この頃である。

 2月上旬に行われた私立中学及び国公立中高一貫校の合格者も出揃った様子だ。
 新聞折込チラシには、塾や受験予備校による合格者速報が大々的に公開され始めている。

 ただし個人情報保護法が施行されて以降は合格者の実名や所属学校名を公開することを回避して、合格者名をイニシャル表記にしたり仮名にしている塾や予備校が目立つ。 未だ年端もいかない児童生徒の実名を“塾側の売名目的”と“親の一時の見栄”で表ざたにする弊害を考慮した場合、これは当然の措置であろうと原左都子は考察し安堵している。 
 以前は広告チラシに合格者名や所属学校名が実名のままつらつらと列挙されていたものである。
 我が娘が中学受験を経験した6年前の頃にも、まだ実名チラシは多かった。
 当時娘と共に広告チラシの小さい字を辿りつつ、 「同じクラスのあの子は○○中学に合格したようだよ」 「あっ、転校前の小学校のあの子はこんな学校に合格してる!」などと面白おかしく言い合いつつ広告チラシを無責任に楽しんだものだ。 (まあ、他人にとっては今時受験者の合格発表など所詮その程度のものだよねえ。) 
 何せ、我が子も結果として第二志望だったと言えども一応私立中学に合格し進路が決定していて、ちょっと余裕だった事もあるし~


 ついでに我が子の現在の状況に関する私事を何度も語って恐縮ではあるが、我が娘は大学受験に関しても昨秋早々に「公募制推薦入試」合格を決定してくれている。
 これは今となっては、親としては実に有難い事実である。

 と言うのも、やはり大学の「一般入試」は厳しい現実のようだ。
 娘が推薦入試合格を決めている大学に於いても「一般入試」第一期試験が既に実施され、その合格者発表が先日ネット上で公開された。
 その合格発表をネットで見て抱いた一保護者としての正直な感想とは、(我が娘が「一般入試」までもつれ込んでいたとしたら合格ゲットは厳しかったのか…)との事である。 一般入試はやはり競争率が高い現状だし、一発勝負という点でも若き受験者にとってはさぞや厳しい世界であることだろう。

 ここで余談ではあるし自己弁護になることは承知の上で、何故我が娘が大学一般入試に先立つ「公募制推薦入試」合格をゲットできたのかについて、娘の受験指導を直接担当した“お抱え家庭教師”である原左都子から語らせていただく事としよう。
 「公募制推薦入試」とてその合格が容易い世界ではないことは明らかだ。 大学の推薦入試のもう一つの方式である「指定校推薦」とは異なり、「公募制推薦」の場合は受験者本人が大学へ出向き「面接」や「小論文」課題等の一発勝負入試に挑む事となる。 それを合格に導くべく、元教育者である原左都子が特に「小論文」に関しては我が子に対して厳しい指導を繰り返し、その個人指導に我が娘が最後まで耐え抜いたからこそ合格に繋がったと私は自負している。
 参考のため「指定校推薦」とは、所属高校の学校長が推薦しさえすれば“無試験”で本人が一度も大学へ出向かずとて合格させる大学も数多い実情であるようだ。 (この「指定校推薦」をもらうためには、子どもの所属高校と保護者との関係等々“陰の特殊事情”が要求されるようだよ~~ ??)


 本エッセイ集の今回の表題から、我が娘の合格ゲット遍歴に話題がズレてしまい恐縮である。

 原左都子の“お抱え家庭教師力”が強靭であるためか、あるいは受験者本人である娘の目標達成意欲及び精進力が私の意向以上に徹底しているのか、我が子は私立中学受験も大学受験も私の意のままに突き進んでくれている快進撃の有様だ!(自慢話ばかりで恐縮だが…

 そんな我が娘も、実は「小学校入試」において全滅状態の失敗を経験している。
 若干の事情を抱えた娘を、当時から現在にかけて“混乱状態”とも表現できる公立小学校に入学させることが親として忍びない思いで、我が家は娘が抱えている事情に理解がある(と教育専門機関より見聞した)私立小学校への入学を希望し受験したのだ。
 ところが、当時の小学校現場の事情とは公立私立を問わずまだまだ私の理想には程遠い現実であったようである。 どうやら娘が持って産まれた事情を公開したが故に、すべての受験私立小学校から「不合格」の通知が届いてしまったのである…
 何が辛いとて、この時には事情を抱えている子供に関する“世間の認識の無さ”及び“排除思考”が親の私には一番辛かったものだ。

 だた私は我が子の小学校受験失敗経験で、子育て段階の早期に親として一回りも二回りも強くなれたような気がする。
 たとえ社会が未だ認識不足故にこの子を見捨たとて、母親である私こそがそんな事情にも係わらず立派に育ててみせよう!との決意を改めて促されたのである。
 もちろん親の私の力のみならず、その後周囲からのバックアップにも支えられ、我が娘は私立中学受験合格ゲットも自力で果したし、この度は(100年以上に渡る建学の歴史があり、その建学精神により今の時代に及んで高い就職率を誇る)某私立大学推薦入試にも合格してくれたのだ!


 最後に原左都子の私論でこの記事をまとめよう。

 小中高大学(大学院)そして就職と子を持つ親にとって我が子を受験させる機会は数多いし、その結果も悲喜こもごもであろう。
 子どもの受験とは親にとっても実に厳しいものであることは、上記のごとく原左都子も我が娘の受験経験をもって大いに心得ている。(独り立ちするまで今後まだまだ続くなあ…)

 そんな中、表題に掲げた 「受験に落ちた子どもへの対応のし方」 の原左都子なりの結論を提示するならば、受験とは我が子がもたらすその結果にはかかわりなく、子どもの成長に応じて親こそがその対応を如何に成すべきかを熟考するまたとはない機会であるとの事ではなかろうか。

 「受験に落ちた子」を直後に頭から叱責するような親御さんが、「原左都子エッセイ集」を読んで下さっているとはまさか思ってはいない。 
 だが、我が子が受験に落ちた直後には親とは誰しも辛いものであることも理解できている。
 

 子どもが受験に合格しようが失敗しようが、親とはそんな事よりも我が子が次のステップに移行する方向に子ども本人に率先して精力を注ぎ込む役割があることを、親の皆さんは実感されているはずだ。

 原左都子の娘とてそうだ。
 現在我が子は推薦入学予定者に大学から課せられた「化学」「生物」の入学前課題に追われる日々であるが、それを支援する事こそが現在の私の最優先ノルマであるぞ。

 この歳になってもういい加減、「化学」のモル計算をさせられるのは勘弁して欲しいのも事実だが…