そもそも親ともあろう立場の者から、如何なる事態に直面したとて自分の子供に“裏切られた”という発想が出るものなのか??
ろくな子育てもしていない馬鹿な親が、後々立派に成長した子供に“捨てられる”事はこの世に多々あれども、親が子に“裏切られた”との観念はどう考察しても私には不可解である。
と言うのも、2月4日朝日新聞別刷「be」“悩みのるつぼ”の相談のタイトルが 「高校生の娘に裏切られました」 だったのだ。
相談者は55歳の主婦、そして娘さんは高3生とのことだ。 原左都子の母娘関係とほぼ同年代である。
一体全体、この相談者である母親はまだ未成年の高校生である娘さんに“どのように裏切られた”のか訳が分からないまま、相談を読み進めた原左都子である。
そしてこの相談を読み終えた私は、「娘を裏切ったのは母親のあんたの方だろ!」との許し難き怒りと共に、高校生という未熟で多感な時期に人生に於ける重大な危機の試練を一人で乗り越えた娘さんの心情を思い、同年齢の娘を持つ親の立場としてその健気さに泣けてしょうがなかったものだ…。
それでは、“悩みのるつぼ” 「高校生の娘に裏切られました」 の内容を以下に要約して紹介しよう。
55歳の主婦であるが、「知らない方が平穏だった」という事実が我が身に起こってしまった。 4ヶ月程前に高3生の娘が妊娠し堕胎していた事を、娘の知人の母親から知らされたのだ。 私は何とうかつで愚かな母親なのだろう、娘にボーイフレンドがいることは知っていたが娘の妊娠・堕胎の事実に今日の今日まで一切気付かずにいた。 何より情けなく悲しいのは、ずっと娘が何一つ取り乱すことなく普通に毎日を送っていたことだ。娘には罪悪感や自責の念はないのだろうか? 私がもっとも嫌っているあちら側の人間、すなわち倫理的、道徳的に許されない行為をする人間に娘がなってしまったことが何よりも悲しい。 私自身の学歴に対する深いコンプレックスから娘に受験させ失敗したこと、夫と不仲であること等の原因が大きく影響したのかもしれない。 現在の私は母親としての自責の念と喪失感、娘への嫌悪感という気持ちがせめぎ合っている。 娘にはまだ問い詰めていないがアドバイスをお願いしたい。
(以上、“悩みのるつぼ”の55歳主婦の相談内容を要約引用。)
原左都子の私論に入ろう。
この相談者は「母親」じゃないね。
厳しい言い方をすると、こんな浅はかな思考しか出来ない奴は絶対に子どもを産むべきじゃなかったよ。
この母親と娘さんとの18歳の年月に及ぶ親子関係とは、一体如何なるものだったのだろう?
私が推測するに、娘さん側は妊娠・堕胎という自分でも予期しなかったであろう人生の重大な危機に瀕して、冷静に対応できているように感じる。 もちろんたとえ未成年者と言えども、このような事態に至ることのないよう前もって方策を講ずるべきだったかもしれない。
だが実際にその危機に瀕した場面において、未成年の自分にとって一番の味方かつ支援者であるべく母親がこれ程キャパ貧で視野が狭い人物である現実下で、娘さんはこの母には相談すら持ちかけられない実情だったという事ではなかろうか?
誰しも相談者とは自分自身で選びたいものである。 特にその課題が重大な懸案である程そうである。
ここで参考のため、法的措置として婚姻関係のない未成年者同士が医療機関で堕胎する場合は保護者の同意が必要と原左都子は心得るのだが、この娘さんは1歳年上のボーイフレンドの保護者に同意を依頼したのであろうか?
せめてそれがうまく機能してその時の周囲の対応が娘さんの心の拠り所となっているが故に、今娘さんが“信頼できない実母親”の前では辛い心情を抑えつつも何もなかったごとく振舞えていると想像できる事に、私は救いを求めたい思いだ。
それにしてもこの相談母親は、娘さんが人生の重大な危機を自分自身で“後始末”した事を人づてに知った後、性懲りも無く「知らない方が平然だった」とほざきつつ娘への嫌悪感を抱いている様子だ。 (やはり、こんな奴は親じゃないよ! あるいは大変失礼ながら相当の低脳人種か??)
少なくとも親とはその事実を知ったならば、子どものためにすぐさま動くべきである。
その時にはもちろん、辛い事実を一人で乗り越えた娘さんの心情を理解して、親としてこれ以上娘さんを傷つけないように行動する事が基本であるが。
この母親にはその行動力や思考力すらなくて、新聞投稿により自分の思いを晴らすしか手立てがなかったのであろうか?
そんな親どもに対する教育力を失っているこの国家に於いて、現世の世にはこの種の“馬鹿親”がごまんと存在するのだろうか??
少なくとも人の親となろうとする大人とは、「コンプレックス」など抱えていてはならないと私は考える。 子育てとは親にとっては厳しい試練の日々である事には間違いない。 親が下手な「コンプレックス」を抱えその解消を自分が産んだ子供に求めたのでは、この厳しい時代に産まれ出た子ども達は困惑、迷惑するばかりだ。
元々独身願望が強かった私の心理的根底には、既にその種の思想(すなわち、将来生まれ出る我が子に自分のコンプレックスを転化するようなことがあってはならないとの思想)が確固として存在していた。
原左都子の場合その思いが「コンプレックス」とまでは表現できない種のものだったかもしれないが、自分が目指すべく方向に於いて未だ自分の真の夢を叶えていない感覚が脳裏に蔓延っていたのは事実である。 その夢を自分自身の力で叶えた後に、未来像の一つとして結婚や出産があるような気がしていた。
通常、世の中の人々とはそこまで考慮した上で結婚・出産を決断している訳ではないのであろうことも理解してはいるのだが…。
本エッセイの最後に、今回の“悩みのるつぼ”回答者であられる 社会学者・上野千鶴子氏 の 「『ごめんね』から始めてください」 との回答を紹介して締めくくろう。
この質問、何度読んでも不可思議だ。 あなたの娘さんに対する愛情を感じることができない。 高3生の少女が望まぬ妊娠をし、それを親にも相談できず“普通に生活する”ためにどれ程の努力をしたことだろう。 娘さんの態度には、どんなことがあっても母親には知られまいとの固い意志が見て取れる。 娘さんは望まぬ妊娠と中絶により既に十分傷ついている。その娘を“あちら側”に追いやっているのは他ならぬ母親のあなただ。 どうか、今はそんな娘さんに対して「ごめんね」と謝るべきだ。
原左都子の私論としては、相談母親が今さらこの娘さんに謝罪したとてこの母親の持つ根本的愚かさを解消できるすべもないと思う。 だがもしかしたら遠い未来に娘さんが成長した暁に、こんな馬鹿な母親を受け入れてくれる時も訪れるのかもしれない。
そんな遠い未来を描きつつ、やはり相談者であるあなたは今、娘さんの母親として至らなかった点を詫びて「ごめんね」を言うべきだよ。
ろくな子育てもしていない馬鹿な親が、後々立派に成長した子供に“捨てられる”事はこの世に多々あれども、親が子に“裏切られた”との観念はどう考察しても私には不可解である。
と言うのも、2月4日朝日新聞別刷「be」“悩みのるつぼ”の相談のタイトルが 「高校生の娘に裏切られました」 だったのだ。
相談者は55歳の主婦、そして娘さんは高3生とのことだ。 原左都子の母娘関係とほぼ同年代である。
一体全体、この相談者である母親はまだ未成年の高校生である娘さんに“どのように裏切られた”のか訳が分からないまま、相談を読み進めた原左都子である。
そしてこの相談を読み終えた私は、「娘を裏切ったのは母親のあんたの方だろ!」との許し難き怒りと共に、高校生という未熟で多感な時期に人生に於ける重大な危機の試練を一人で乗り越えた娘さんの心情を思い、同年齢の娘を持つ親の立場としてその健気さに泣けてしょうがなかったものだ…。
それでは、“悩みのるつぼ” 「高校生の娘に裏切られました」 の内容を以下に要約して紹介しよう。
55歳の主婦であるが、「知らない方が平穏だった」という事実が我が身に起こってしまった。 4ヶ月程前に高3生の娘が妊娠し堕胎していた事を、娘の知人の母親から知らされたのだ。 私は何とうかつで愚かな母親なのだろう、娘にボーイフレンドがいることは知っていたが娘の妊娠・堕胎の事実に今日の今日まで一切気付かずにいた。 何より情けなく悲しいのは、ずっと娘が何一つ取り乱すことなく普通に毎日を送っていたことだ。娘には罪悪感や自責の念はないのだろうか? 私がもっとも嫌っているあちら側の人間、すなわち倫理的、道徳的に許されない行為をする人間に娘がなってしまったことが何よりも悲しい。 私自身の学歴に対する深いコンプレックスから娘に受験させ失敗したこと、夫と不仲であること等の原因が大きく影響したのかもしれない。 現在の私は母親としての自責の念と喪失感、娘への嫌悪感という気持ちがせめぎ合っている。 娘にはまだ問い詰めていないがアドバイスをお願いしたい。
(以上、“悩みのるつぼ”の55歳主婦の相談内容を要約引用。)
原左都子の私論に入ろう。
この相談者は「母親」じゃないね。
厳しい言い方をすると、こんな浅はかな思考しか出来ない奴は絶対に子どもを産むべきじゃなかったよ。
この母親と娘さんとの18歳の年月に及ぶ親子関係とは、一体如何なるものだったのだろう?
私が推測するに、娘さん側は妊娠・堕胎という自分でも予期しなかったであろう人生の重大な危機に瀕して、冷静に対応できているように感じる。 もちろんたとえ未成年者と言えども、このような事態に至ることのないよう前もって方策を講ずるべきだったかもしれない。
だが実際にその危機に瀕した場面において、未成年の自分にとって一番の味方かつ支援者であるべく母親がこれ程キャパ貧で視野が狭い人物である現実下で、娘さんはこの母には相談すら持ちかけられない実情だったという事ではなかろうか?
誰しも相談者とは自分自身で選びたいものである。 特にその課題が重大な懸案である程そうである。
ここで参考のため、法的措置として婚姻関係のない未成年者同士が医療機関で堕胎する場合は保護者の同意が必要と原左都子は心得るのだが、この娘さんは1歳年上のボーイフレンドの保護者に同意を依頼したのであろうか?
せめてそれがうまく機能してその時の周囲の対応が娘さんの心の拠り所となっているが故に、今娘さんが“信頼できない実母親”の前では辛い心情を抑えつつも何もなかったごとく振舞えていると想像できる事に、私は救いを求めたい思いだ。
それにしてもこの相談母親は、娘さんが人生の重大な危機を自分自身で“後始末”した事を人づてに知った後、性懲りも無く「知らない方が平然だった」とほざきつつ娘への嫌悪感を抱いている様子だ。 (やはり、こんな奴は親じゃないよ! あるいは大変失礼ながら相当の低脳人種か??)
少なくとも親とはその事実を知ったならば、子どものためにすぐさま動くべきである。
その時にはもちろん、辛い事実を一人で乗り越えた娘さんの心情を理解して、親としてこれ以上娘さんを傷つけないように行動する事が基本であるが。
この母親にはその行動力や思考力すらなくて、新聞投稿により自分の思いを晴らすしか手立てがなかったのであろうか?
そんな親どもに対する教育力を失っているこの国家に於いて、現世の世にはこの種の“馬鹿親”がごまんと存在するのだろうか??
少なくとも人の親となろうとする大人とは、「コンプレックス」など抱えていてはならないと私は考える。 子育てとは親にとっては厳しい試練の日々である事には間違いない。 親が下手な「コンプレックス」を抱えその解消を自分が産んだ子供に求めたのでは、この厳しい時代に産まれ出た子ども達は困惑、迷惑するばかりだ。
元々独身願望が強かった私の心理的根底には、既にその種の思想(すなわち、将来生まれ出る我が子に自分のコンプレックスを転化するようなことがあってはならないとの思想)が確固として存在していた。
原左都子の場合その思いが「コンプレックス」とまでは表現できない種のものだったかもしれないが、自分が目指すべく方向に於いて未だ自分の真の夢を叶えていない感覚が脳裏に蔓延っていたのは事実である。 その夢を自分自身の力で叶えた後に、未来像の一つとして結婚や出産があるような気がしていた。
通常、世の中の人々とはそこまで考慮した上で結婚・出産を決断している訳ではないのであろうことも理解してはいるのだが…。
本エッセイの最後に、今回の“悩みのるつぼ”回答者であられる 社会学者・上野千鶴子氏 の 「『ごめんね』から始めてください」 との回答を紹介して締めくくろう。
この質問、何度読んでも不可思議だ。 あなたの娘さんに対する愛情を感じることができない。 高3生の少女が望まぬ妊娠をし、それを親にも相談できず“普通に生活する”ためにどれ程の努力をしたことだろう。 娘さんの態度には、どんなことがあっても母親には知られまいとの固い意志が見て取れる。 娘さんは望まぬ妊娠と中絶により既に十分傷ついている。その娘を“あちら側”に追いやっているのは他ならぬ母親のあなただ。 どうか、今はそんな娘さんに対して「ごめんね」と謝るべきだ。
原左都子の私論としては、相談母親が今さらこの娘さんに謝罪したとてこの母親の持つ根本的愚かさを解消できるすべもないと思う。 だがもしかしたら遠い未来に娘さんが成長した暁に、こんな馬鹿な母親を受け入れてくれる時も訪れるのかもしれない。
そんな遠い未来を描きつつ、やはり相談者であるあなたは今、娘さんの母親として至らなかった点を詫びて「ごめんね」を言うべきだよ。