原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

他者からどう評価されたら一番うれしいか?

2012年02月02日 | 人間関係
 昨日(2月1日)、娘が以前通っていた美大予備校の講師氏より招待状を頂戴した事をきっかけに、娘と共に現在東京上野で開催中の 東京芸術大学卒業・修了作品展 を訪れた。

 平日昼間であるにもかかわらず大勢の鑑賞者で混雑している中、まず最初に招待状の主である講師氏の作品を拝見しようとのことで、その展示場に足を運び観賞していた。 タイミングよく娘の講師先生が作品の近辺におられたようで、我々の方へ近づいて来られた。
 講師先生と娘が2、3会話をした後は、保護者である私がご挨拶申し上げる段となる。 通り一遍ではあるが過去の指導御礼や娘の現在の状況を語り、講師先生(この度修士過程を修了される人物であられるが)の修了後の進路等々もお聞きした後は、やはり“いい大人”としては展示作品の論評を申し上げるのが礼儀というものであろう。
 ところが美術方面に関して素人の立場から、このような場面に於いて作品に対する論評など語れるすべもない。

 以前個人的な知り合いの芸術家氏に、「芸術作品に関する論評とは、たとえ素人であれ感じた事をそのまま表現して許されるものなのか?」 と尋ねたことがある。 おそらくその芸術家氏は相当器量の大きい人物であられるから故と判断するが、「それで十分であるし、その方がよい」と応じて下さった。
 そのような経験もあり、「原左都子エッセイ集」“芸術カテゴリー”のバックナンバーに於いてはずっと我が素人もどきの論評を勝手気ままに述べ公開してきている。

 それはそうとして、今回訪れた東京芸大卒業展はこれからこの世に羽ばたこうとしている芸術家の卵達の展覧会である。 そんな場において、いい年をした大人が素人の立場で自分勝手な多言を吐けるはずもない。
 などと頭の中で咄嗟の計算をしつつ、私の口から出てきた言葉とは 「綺麗ですね」 との陳腐で貧弱な感想の一言であった… (こういうのって、論評好きな原左都子としては自分でも言った後で心外なんだけどね……)
 さすが、相手の講師先生もお若い。 「作品の細部までよくご覧になって下さい」とのご返答であった。
 よ~~く細部まで観賞する“ふり”をした後、「今後のご活躍を期待申し上げます。」などと挨拶申し上げてその場を去った私である。
 (ここで付け加えさせていただくと、講師先生の「白」で統一された作品は私の目には嘘偽りなく本当に「綺麗」でしたよ!!  )


 さて、大幅に話題を変えることにしよう。

 本エッセイ集バックナンバーに於いても幾度か“人が若く見えてどうなのか”の話題を取り上げ綴り公開しているが、どうも女性にとっては「若く」見えるかどうかが今尚重要な論点になっている様子である。

 と言うのも、最近朝日新聞「声」欄において“女性が若く見える”べきか否かに関して議論が交錯している現状のようだ。

 例えば1月19日「声」欄では50歳女性による「“若く見える”価値どれ程」とのご意見があった。 以下に一部を要約して紹介しよう。
 若く見えることを自慢する人を多く見かける。 それがそれ程価値があることなのか? 体質面で衰えが早い人等様々な人が存在する中で、若く見える事とて努力もあるが遺伝にもよる。 日本人が見た目の「若さ」にこだわる根底には、そもそもアジア人特有の目上の人に敬意を示す思想がある。 だが、テレビで見た限り諸外国ではそのような事で人に対する敬意を示す思想はないようだ。「若く」見えることそれだけが褒め言葉になる価値はないと私は思う。

 これに対して、1月23日「声」欄に「若く見えるは活力ある証拠」と題する49歳女性による異論投稿があった。 同じく以下にその内容を要約しよう。
 本当に「若く」見えるならばやはり賞賛に値する。 高齢出産の私にとっても若いママ達と情報交換する機会を得、頭も心も活性化する日々だ。 若く見えるのは活力のある証拠と思う。若さを自覚すれば細胞も活性化するだろうし、歩幅も自然と広がるであろう。 晩婚も高齢出産も珍しくない今、そういった人生の節目に高齢化が目立つがこれからも活力のある素敵な人に出会いたい。


 原左都子の私論に移らせてもらうが、この私も普段から年齢より相当「若く」見られていることを本エッセイ集において幾度となく公開させていただいている。

 年齢より「若く」見てもらえる事とは確かに一瞬うれしいものであるのかもしれない。
 ところが私の場合は、自分が置かれてきた職業等の立場上、実年齢より若く見られることがマイナスに繋がる機会が多い人生だった事に関しても再三バックナンバーで触れてきている。

 今現在も一応有難い事に「若い」と言ってもらえる場面は数多いが、この世間の反応を如何に解釈していいのやら戸惑う事があるのも現状である。
 私の場合は決して「声」欄上段の50歳女性が書かれているがごとく、日頃「若く」見える事にこだわった人生を歩んでいる訳ではない。 
 ましてや「声」欄下の49歳高齢出産女性の主張のごとく、周囲の若きママ達と情報交換したいなどの迎合目的は私には元々一切なく、あくまでも自分自身の教育方針を貫いて来たが故にむしろ子どもを設けた後は若き世代のママ達の反感を買ってきた人生なのかもしれない…

 そんな原左都子の人生経験やそれに基づく思いとは、何歳になっても単に「若く」見てもらいたいだけの人達には一生理解してもらえないのだろうなあ。


 と思い返した場合、冒頭の東京芸大修士課程を今卒業して社会に飛び立とうとしている講師先生の気持ちが少しは理解できるようにも感じるのである。
 せっかく私が丹精込めて制作した卒業作品展を観賞しに来てくれたなら、もっとずっと細部まで見ていってよ…
 
 原左都子とて、思いは同じだなあ。
 せっかく私の人生に少しでも触れてくれる機会があるなら、一見「若く見える」事なんてどうでもいいから、もっとずっと細部まで観察して評価してよ……