原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

おじさん達は“スーパークール”に決められるか??

2011年05月16日 | 時事論評
 (写真は、朝日新聞5月11日夕刊に掲載された「スーパークールビズ」関連記事より転載)


 「クールビズ」なる造語がこの国に流行ったのは、今から6年前の2005年の初夏に遡る。 
 当時の自民党政権の下環境大臣に就任した小池百合子氏が、内閣総理大臣の小泉純一郎氏より「夏場の軽装による冷房の節約」をキャッチフレーズにするべくアドバイスされたようだ。 その小泉氏の意向に従い、ネクタイや上着をなるべく着用せず、夏季に28℃以上の室温に対応できる軽装の服装を着用するよう小池氏が呼びかけたのが“元祖”「クールビズ」である。 (大変失礼ではあるが、当時環境大臣としての小池氏のネームバリューとは、この「クールビズ」でしかなかったような記憶が原左都子にはあるのだが…)

 環境省のこの呼びかけに対して、政治家や服飾繊維業界より大いなる反発が出た記憶もある。
 特にお年寄り議員の先生達など“軽装”で国民の前に現れたものなら、失礼ながら “単なるヨレヨレ爺さん” にしか国民の目には映らないであろう事は、それを見ずして想像がついたと言うものだ。 国民の前で表向きの威厳を保つため、「クールビズ」にはあくまでも抵抗して背広ネクタイ姿を通したお年寄り議員が当時存在したのが事実である。
 もっと気の毒なのは、服飾繊維業界だった。 2005年夏季にはネクタイの売上げが大幅に落ち込んだとの報道があったように記憶している。


 そして、話を2011年現在の「スーパークールビズ」に移そう。

 上記写真の朝日新聞記事に話を戻すと、夏の電力不足が心配される中、菅内閣の環境省がジーンズやアロハシャツ、サンダルでの勤務も認める節電対策を打ち出したとのことである。
 それを名付けて「スーパークールビズ」とのことのようだ。

 菅内閣環境省の“節電対策”に関しては異論はない。 
 と言うよりも、大震災発生後復興が進まず、福島第一原発事故も地震発生直後からメルトダウン状態だった事を東電は非公開にしていたことで、先々の計画的事故処理の見通しが付き難い振り出しに戻った状況にある。 さらには浜岡原発の運転も菅総理の指示で停止したとなると、国家機関こそが先陣を切って節電対策に励むべきなのは当然である。

 ところが、一国民の原左都子として呆れて“せせら笑い”たくもなるのが、上記朝日新聞の記事なのである。
 「スーパークールビズ」とはどの程度の服装ならば許容されるのか、との“おじさん達”からの困惑が世に溢れているとの事なのだ。  (ちょっと“おじさん達”、それ位のことは個々人の良識で判断したらどうなのよ!)と原左都子など言いたいところだが、どうも世の“おじさんビジネスマン”は背広ネクタイ姿が「制服」と化している現状にドップリ浸かり、お上から急に“自由服装”で出勤!と指示されたら困惑するのが実態であるようだ。
 そんな“困惑おじさん達”の困惑に応えたのが、上記の朝日新聞記事という事であろう。


 いや、でも、これも時と場合と職場、職種により如何なる服装で仕事場に通うかの判断が大きく異なってくるものと原左都子は判断する。

 私事で恐縮だが、私が20代前半に新卒で民間企業に入社した時など元々医学専門職社員としての採用であったため、入社当初の新人研修時を除いてむしろずっと軽装で会社に通ったものだ。 仕事場に着けば当然ながら仕事が要求する「仕事着」に着替えをする必要があったためである。

 30代後半に教員を経験した時には、確かに“教員らしい”恰好で学校に出向いたものだ。 ただし、この“教員らしい”恰好についても教員個々人の見解は分かれていたことを記憶している。 “ジャージ”がそれに相応しいとの信念でいつもジャージ姿の先生方からは、私が日頃スーツ(ちょっとボディコンミニスカスタイルで派手だったかもしれないけどね~)で教壇に立つ姿を「その恰好じゃ、非常時に生徒を救えないね~」などと嫌味たらしく非難されたりもしたものだ。 原左都子とてそんなことにはめげず、「相手が年端もいかない生徒とは言えども“寝巻きのようなジャージ姿”で教壇に立つ事こそが非常識だ!」、と反論 したこともある。 たとえ服装と言えどもお互いの信念とは相容れないことを実感だねえ……  (まあそれにしても、今現在たとえ公立学校と言えども、この先進国に於いて体育教員以外がジャージで教壇に立つ姿が皆無であろう事を望みたいのだが…。)

 そして数年前の事になるが、某独立行政法人研究所にアルバイトの身分で医学関連の仕事に出向いた時にも、この服装制限を上司から告げられていた。 “お洒落感覚”が鋭い私としては、仕事に出向く時とはいえある程度の融通範囲で自分のお洒落アピールは欠かせないのだ。 ところが身分がアルバイトであるため職場での着替えがなく上に白衣を羽織るだけだったため、さらに上司から注意を受けた私である。 「綺麗な恰好をして来ないよう言ったはずです!」 「いえ、決して綺麗ではなく別に汚れてもいい恰好をしていますが…」  どうも両者に認識の違いが生じる程に、この上司にとっては私の恰好が目障りだったようだ…。


 それにしても、この朝日新聞の記事はやはり極端と言えるのではなかろうか?
 「スーパークールビズ」とお国の環境省から突然言われたところで、何も全国紙である朝日新聞が「これならばOK!」「これはダメ!」なる記事をこんなところで展開せずともいいであろうに…
 基本的に、この先進国に於いて“人の恰好”などどうであってもいいはずなのだ。(女性の服装に関して厳格なイスラム教徒の国でもあるまいし……)

 そういう観点から考察すると、すべては個々人の判断で節電対策をするべきなのである。
 それぞれが特性ある職場に通っているのも国民それぞれであるからこそ、その特性に応じて自分で着ていく服を日々決定すれば済む話なのだ。

 そもそも大震災発生のこの期に及んで、何もお国が「スーパークールビズ」などとの旧政権より“受け売りの陳腐な造語”を持ち出さずとてよかったであろうに…。 お国のトップがこんなことだから、いつまでたってもこの国の国民に“自分自身で判断して意思決定できる”主体的能力が育たないのだ。
 国民一人ひとりの“節電感覚”や“お洒落感覚”を尊重出来る自由と柔軟性を保ちつつ、我が国の個々人が今後の復興のために仕事に全精力を注げる環境の国であって欲しいものである。
                     
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他人の子の“悪さ”をどう叱る?

2011年05月14日 | 教育・学校
 昨日(5月13日)、私は見知らぬ他人の子を叱った。


 「原左都子エッセイ集」バックナンバーに於いて既述しているが、私が住む集合住宅は公立小学校のすぐ近くに位置している。 周辺は閑静な低層住宅地で一戸建て住居がほとんどという環境の中、我が集合住宅敷地内の駐車場やエントランス、通路空間等々共用持分施設が、公立小学校放課後の児童達にとって“恰好の溜まり場、遊び場”と化しているのだ。
 この住居に入居以来、小学校の下校時間である14時頃から夕方5時半頃(夏季は6時頃)まで、日々児童達の歓声が絶えない運命にある。
 共用施設で遊んでいる児童グループとは決まって男の子達である。 おそらく中学年から高学年程の男児が数名集まって、様々な“悪さ”を働いている。 時の経過と共に男の子達の一グループが成長して卒業していった後、また新たな年少グループが発生して“悪さ”が繰り返されているようだ。

 例えば“先々代”の男児グループは、動きが活発で“悪さ”の程が派手だったものだ。 このグループの主たる“悪さ”とはエレベーターを遊び道具とするため、住人がその時間帯にはエレベーターを使用できなくなる。
 この時初めて、私は他人の子相手に怒った!(叱ったというよりも感情的に“怒った”と表現した方が正確な程、内心怒り心頭だったものだ。) 「あなた達がエレベーターを遊び道具にすると、このマンションの住民はエレベーターを使えないということを分かってやってるの!!」 「……」 「人の迷惑を少しは考えて遊びなさい!」 小さい声で「はい」と返してくる子もいれば私を睨みつける子もいたが、その後しばらくして“エレベーター遊び”は終焉を迎えたものである。

 次世代男児グループは、専らエントランスで車座になってゲーム機を楽しんでいた。 どうも人の目を気にしている様子で、住人の通行の死角になる郵便ボックススペースでこれをやっているのだ。 この子供心が住人にとってかえって迷惑であることには思いが及ばないのかどうかは私の知ったところではない。 数日間、これを我慢していた私はついに怒りの声を挙げたのだ! 「あなた達がこのスペースに座り込んでゲームをしていると、住人は郵便物を取り出せないよね。 それが分かってここに座り込んでいるの??!」 この時男児達が無視を決め込んだのに一瞬たじろいだ私であるが、ここでいい大人が負ける訳にはいかない。 「分かったのかな!?」と繰り返す私に対して、一人の男の子から小声で「はい」との返答をもらったものの、結局児童グループは座り込んだままだった。 ただ、その後しばらく経過してこの現象にも遭遇することはなくなった。

 そしていよいよ“現役男児グループ”による昨日の“悪さ”について語ろう。
 以前より自転車で我が集合住宅に遊びに来る男児が多いようだ。 その自転車がいつもマンション敷地内のあちこちに無造作に置かれ邪魔であると共に景観を潰している。 これ自体が当物件購入時よりまさに“想定外”で至って迷惑なのだが、一番困惑するのは「ゴミ集積室」の入口前に自転車を置かれることである。 これに関してはマンション管理組合理事会よりも再三再四注意を促しているにもかかわらず、「ゴミ集積室」入口が位置的に自転車を置きやすい場であるためか児童達はやはりこの場所に駐輪するのだ。
 昨日ちょうど男子児童達が「ゴミ集積室」のすぐ近くに陣取ってゲームに励んでいたため、私は一声挙げる決断をした。 「この自転車はあなた達のだよね?」(男児グループからの返答なし) 「ここに自転車を置かれると住人がゴミを捨てられないのよ。」 (無言で自転車を片付け始める児童達…) 相手が子供であろうとせめて「すみません」位の言葉を発っせさせるべきと考えた私曰く「あなた達の行為が住人にとってほんとに迷惑なことが分かっているのかな!?」 やはり一人の児童からの小さい「はい」の声を聞ける(いい子だね~)のみだった。  さて、どうだろう。こいつらが小学校を卒業するまで我がマンションの共用施設では自転車の散乱放置が繰り返されるのだろうか? 


 原左都子とて、何も好き好んで近隣住民であろう男子児童達を叱っている訳ではない。むしろ出来ればこんな場面は避けたい思いが強い。
 と言うのも、今の時代においては下手をすると子供と言えども“刃物”を持っていたりするとの情報もある。 相手は小学生といえども体格が立派な子もいるし、そんな場面で華奢な私が打ち勝てるはずもないという“我が身息災”の危険性の観点が大きいものがあるのは事実だ。
 
 そして子供を叱った後にはいつも“後味の悪さ”が残り、その自己嫌悪にしばらく苦しめられるのも実に不快なものである。 しかも、子供(特に原左都子のように?感受性の強い子)とは、幼い日に“叱られた”経験が将来に渡ってトラウマとなるやもしれないのだ。 叱った相手が親等の保護者であるならば、家庭内においてそのフォローがいくらでも可能であろう。 ところが見知らぬ相手に突然叱られた場合の子どもが受ける後々の“トラウマ”を慮って余りある原左都子である。
 今の大都会においては人間関係の希薄化現象が蔓延している。 こんな環境下で他人の子供を叱る行為とは、ひと昔前とは大いにその意味が異なっている事に叱る側の大人は留意するべきとも心得ているのだ。


 ただし子供達を本気で叱ってやらないと、最悪の場合子供達が「死」に至る場面もあることを大人は是非共認識するべきである。

 広島市安佐南区の住宅街を流れる新安川で5月12日に発生した事故においては、翌日男児3人の死亡が確認された。 3人に目立った外傷はなく死因はいずれも水死であるとのことだ。 12日夕刻男児達が川に入るのを住民が目撃しており、同署は川に入り溺れたとみている。 当時の広島市では10日未明から12日夜まで雨が降り続き、10日夜~12日早朝にかけて大雨警報が発令されていた。 男児達発見時は普段20センチ程度の水深が最大約1メートルに達していたとのことである。
 この男児達が川に下りる姿を偶然目撃した女性が「滑るから危ない!」と声をかけたらしい。 それにもかかわらず男児達は川から出なかったとの報道である。

 同じく我が集合住宅に於いて“悪さ”を働く男児達に上記のごとく幾度となく声掛けをした経験がある原左都子としては、この現場に直面した女性が「危ない!」と声を掛けたにもかかわらず川を出ようとしない男児を目前にした時の思いが伝わるのだ。 
 「これ以上他人の私が何と注意しても、この子達は聞く耳を持たないのかな…」 と思わせられる程に、今の子供達とは見知らぬ大人のアドバイスを軽視するべく親に育てられているのが現実なのであろう。

 この子供達が置かれている現状を真っ先に誰が救えるのかと考察した場合、それは親を含めた保護者の日々の教育でしかあり得ないとの結論が導かれるのだろうか?? 
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フクシマが “幸運”と“富”の地 「福島 」に蘇る日

2011年05月11日 | 時事論評
 昨日(5月10日)より、福島第一原発から半径20km圏内の「警戒区域」からの避難生活を余儀なくされている住民の皆さんを対象とした“一時帰宅”が開始された。
 一世帯1名(自治体によっては2名まで)限定、たった2時間の滞在時間、持ち帰る荷物の量も限定、そして暑苦しい防護服着用の上、放射線量計やトランシーバーを持参させられての“ものものしい”一時帰宅である。
 たかが自分の家に帰るのに、厳しい条件と管理を課せられる対象世帯の皆さんの無念の程を思うと、いたたまれない気分だ。


 折りしも、昨日の朝日新聞夕刊文化欄のページに 作家・池澤夏樹氏による興味深いコラム記事を発見した。
 福島第一原発事故及びその後の国や東電の対応、そして今後の“反原発”動向のあり方等々について池澤氏が展開されたこのコラムエッセイの内容が、僭越ながらも原左都子の私論とほぼ一致しているのである。 この記事に大いに同感した私としては、本エッセイ集においてその内容を是非紹介申し上げたい思いなのだ。

 多少長くなるが、以下は池澤氏による「イデオロギーを捨てよう a×bについて再考する」と題する上記コラムの要約である。

 英語圏の友人から“フクシマ”の意味を聞かれた事がある。 「福」は「幸運」であり「富」でもある、すなわち good fortune と wealth だと答えた。 まったく逆の意味を負ってこの地名が世界に広まっている。福島の人々はさぞ無念だろう。
 地震と津波は天災だが、原発は事故すなわち人災だった。 天災に対しては我々は備えるが、事故は防ぐものだ。今回の原発事故は事前の準備も充分ではなく、どちらにも失敗した。 
 事故という現象は二つの項からなる。 確率aと規模b。 社会への事故の影響は a×b で表される。 自動車事故の場合aは大きいがbは(あくまで社会的には)小さい。 飛行機事故ではaは小さいがbは数百名になる。それでも社会は何とか耐えられるから民間航空は営利事業として成り立っている。
 原子力発電はどうだろう? 
 aに関しては無視し得るほど小さいと我々は告げられてきた。 しかしbが大き過ぎる。事故が起こった場合、その影響はあまりにも大きい。 原子炉とは重油や石炭を焚くボイラーとは原理が違う。原子炉とはいわば坂道に置かれた重い車である。 何段階ものブレーキが用意されているから大丈夫、何があっても暴走は起こらないと言われてきたが、今回それは起こった。
 原発紹介のパンフレットには、「固い」「密封」「頑丈な」「気密性の高い」「厚い」といくつもの形容句が並んでいる。 これは論証の文体ではなく、セールスの文体、広告のコピーである。 原発の安全性は自明ではなかった。このような文体で売り込まねばならない代物だった。
 事故が起こった後で、想定外とは言って欲しくない。起こり得る事態を想定するのは東電の責務だった。 原発の安全性に異議を唱える学者・研究者は少なくなかったが、それらの声を電力会社と官僚と歴代政権は押しつぶしてきた。厖大な広告費を使って安全をPRする一方でメディアを縛ってきた。 要するに、原発の現実とは裏付けを欠く思想、つまりイデオロギーだったのだ。 起こって欲しくないことは起こらないと信じ込み、力を持って反対派を弾圧し、数々の予兆を無視し、現場からの不安の声を聞き流した。 その結果が放射性物質ダダ漏れである。
 競争原理の働かない独占企業だから陥った陥穽だろう。大日本帝国とソビエト連邦も同じようにイデオロギーを信じて亡びた。
 幸い日本には世界で最上級の技術力がある。国民には理にかなった説明を受け入れる知力がある。 今ならば原子力を風力や太陽光などの自然エネルギーに置き替える先駆者となれる。 その気になれば日本の変化は早い。 

 (以上は、朝日新聞5月10日夕刊より 作家池澤夏樹氏によるコラム記事を要約したもの。)


 私論に入ろう。

 東日本大震災が3月11日に勃発し、それと同時に発生した福島第一原発事故に関して今まで原左都子が本エッセイ集において拙くも幾度となく主張し続けてきた原発事故に関する記述を、一瞬にして高尚なレベルでまとめて下さったとも言えるのが、上記の池澤氏のコラムである。

 まさに、原発の安全神話とは“イデオロギー”の範疇を超えていなかった。
 そこには何らの現実面での科学的裏付けはなかったのだ。 だからこそ、こうやって福島の地においてレベル7の放射能漏れ事故が発生し、日本のみならず世界をも混乱に陥れる惨劇と相成っているのである。

 “イデオロギー”も確かに時には素晴らしいのかもしれない。
 大日本帝国時代に於ける“主体的に生きることを何ら教育されていない底辺に位置した日本国民”は皆、お上から与えられたこの“イデオロギー”を頼りにそれを信じて行動することしか選択肢がなかった。 当時より天皇が大日本帝国憲法を通じて統治するこの国において、日本国民は昭和20年の太平洋戦争終戦時まで“天皇陛下万歳!”の掛け声の下一つになり、国力が貧弱であるにもかかわらず周囲のアジア諸国を植民地化する等の信じ難い過ちを繰り返しつつ、敗戦へと至ったのである。

 その後「もはや戦後ではない」と言われた昭和30年代より、時代は高度経済成長期へと移り行く。 その頃の日本と言えば時代が移り変わったとは言え、未だある種の“イデオロギー”に支配されている世の中だったと原左都子は記憶している。
 「(政治経済大国である)米国に追いつき追い越せ!」との国からのスローガンの下、その種の“イデオロギー”を通じて国民が一丸となって経済力を増強した時代である。 上記の池澤氏によるコラムの最後の部分にも記述があるがごとく、我が国が戦後わずか20年にして世界に名立たる経済大国に“成り上がれた”源とは、その頃国全体に漂っていた一種空虚な“イデオロギー”力によるものと原左都子は分析するのだ。

 その国力増強の一つの要が、原子力発電であると信じられたことも否めない事実であろう。
 1970年代より着手され始めた原発事業とは、池澤氏のコラム通り当初より“安全神話のイデオロギー”が高々と掲げられていた。 “原発反対派”の存在にもかかわらず、その種のグループが変人あるいは国賊のごとく蔑まれた時代の記憶が私にはある。 
 ところが“信じるものは救われない”ことが、今回の福島第一原発事故において重々証明されてしまったのだ。
 この事実を、何が何でもこの国の国民は今こそ受け止めねばならない。


 今後はお上から発せられる根拠なき“イデオロギー”に頼って右往左往しない確固たる国民性を、国民一人ひとりに築かせていく事こそが国家の真の役割なのではなかろうか。
 そういう意味では、先だっての菅首相による「浜岡原発停止」の勇断は改めて大いに評価できるのである。

 今や世界中の人民が承知の“世界標準”と成り下がる不名誉を背負わされた放射能汚染“レベル7” フクシマが、元通りの「幸運」と「富」の地福島として一日も早く蘇る日が訪れる事を祈りたいものである。
                            
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電力使用料と快適生活との相関関係

2011年05月09日 | 時事論評
 福島第一原発事故発生直後より東京電力管轄地域に於いて輪番制で実施されていた「計画停電」は、現在休止中であると私は認識している。
 それは、東電管轄地域内の電力需要供給関係が現在の電力供給量で成り立っていると理解してよいということなのであろう。

 大震災発生直後は、3月中旬と言えども原左都子が住む東京においてもまだ厳しい寒さが押し寄せる日もあり、節電に協力して暖房を入れていない公共施設や電車内が多少肌寒く感じる事もあった。 あるいは、日本の高度経済成長以降長年に渡り公共施設や店舗内の照明の明るさにすっかり慣らされていた身としては、当初薄暗い室内や店内に違和感を覚えたのも事実である。
 
 ところが福島第一原発事故発生より2ヶ月程が経過しようとしている現在、(季節が移り変わり快適な初夏の時候と相成った今では)完全密閉構造で空調のすべてを電力に頼っているビルでもない限り、冷暖房など何ら必要もない事に改めて気付かされるものである。 また照明の薄暗さにもすっかり慣れた、と言うよりも、これ位の照明度合いの方がむしろ人に優しく落ち着ける雰囲気さえ感じられる今となっては、従来のように無駄な電力を消費して、真昼間から室内を煌煌と照らす必要など何もなかったことを再認識させられるというものだ。

 おそらく営利目的で営業している巷の各種店舗に於いても、今回の原発事故のあおりで店内の照明を控えたり空調を切ったり若干弱めに設定したからと言って、それが理由で売上高が減少したということはないのではあるまいか? 


 一方、公共施設に於ける節電対策に関しては、市民から“弱者に配慮して欲しい”との見解も存在するようだ。
 例えば、首都圏の公共鉄道の駅のエスカレーターは(ターミナル駅等の大規模駅は例外として)混雑時を除き現在運転を休止している。 これがお年寄り等の弱者の皆さんには過酷であることには間違いない。 朝日新聞の「声」欄の投書においてもこの種のご意見を発見したのであるが、日頃東京メトロを利用している原左都子としてはそのお気持ちを重々察するのだ。
 上記投書によると、鉄道会社側の論理としてはエスカレーターは止めているが駅構内のエレベーターは動いているのだからそれを利用して欲しい、とのことのようだ。 だが、お年寄りが大都会の広大な駅構内でエレベーターがある場所を見つけるのも難儀であることは、大都会に住み日々鉄道を利用している原左都子は重々把握している。

 まだまだ若い(?)この私とて、東京メトロ地下鉄構内で“出口案内板”(A1、B2のごとくの表示)が節電のために消灯されているのに実は日々困惑している。 地下鉄とはこの“出口案内版”の誘導があってこそ、地下の暗闇の中で自分が出向く目的先を一瞬にして察知できるのである。 これが大震災以降消灯されているがために遠方からは見辛く、この原左都子ですらいちいち案内板の真下まで行って確認する作業を負荷されているのが事実である。
 節電も特に公共施設においては時と場合によるのであろうし、少なくとも弱者保護の観点は心得て欲しい事を実感させられるというものだ。 


 それはそうとして、家庭内における「節電」は大いにその意味が異なることであろう。

 朝日新聞一昨日(5月7日)別刷「be」“between”のテーマは、さすがにこの時期に相応しく「家庭で節電していますか?」であった。
 この朝日新聞の設問は、おそらく“大震災を受けた今現在、節電していますか?” との趣旨だったのであろう。

 この趣旨に対しての原左都子の回答とはきっぱり「No」である。 
 何故ならばこの私は、今回の大震災発生の如何にかかわらず元々徹底した“節電派”であるからに他ならない。  (ここでこっそり余談であるが、私の本名はこれにちなんだ名前を親から授かっているのだが、その名に相応しい moderate な人生を昔から今に至るまで日々歩み続けているのである!!) 
           ほんとかよ!??……       (ほんと、ほんと!!)

 それはともかく、上記朝日新聞記事における少数派である「No」の返答(すなわち大震災が発生したからという理由で突然家庭内で節電を始めた訳ではないとの回答)をした読者の多くは、やはり原左都子同様に“以前から電力使用料が多くない”との事であるようだ。
 すなわち日頃節電に心がけている市民とは、大震災が発生しようが原発事故が起ころうが特段慌てるでもなく、日頃より節度ある生活習慣を身に付けて日々の生活を営んでいるということだ。

 上記朝日新聞のアンケートに於ける“大震災をきっかけに節電をはじめた”との大多数の読者の回答のその理由のように、「電気供給不足により突然停電になったら困る」「被災者の不遇を思えば当たり前」「電気使用で原発の必要性が高まる」等々の思いは当然ながら原左都子にもある。
 だがこれらの事象とは「被災者の不遇を思えば当たり前」以外を除き、大震災が発生せずして元々電力不足の懸念材料だったはずだ。
 それに今回やっと気付き、国民に“節電観念”が育ったことは喜ばしい事象と解釈するべきであろう。


 日本国内の一般家庭各々が大震災発生以前に一体どれ程の電力を消費していたのかについては、原左都子の知るところではない。
 だが今回の大震災、ひいては福島第一原発事故発生に伴い東電供給地域の市民に多少なりとも“節電観念”が育成されたのならば、大震災の発生も無意味ではなかったということであろうか??
 
 ただ上記朝日新聞のアンケート結果によると、「復興」による家庭内電力使用量復旧を期待している国民も多い現状のようだ。
 同時に、先だっての菅首相による浜岡原発停止宣言に即して現地住民の間から聞こえてくる“原発運転続行”の声も完全無視する訳にはいかない、ということであろうか。

 それらを勘案した場合、この国において“未曾有”の大震災が発生したとは言え、一旦経済大国に成り上がってしまった以上、その後生まれた国民相手にそう易々と “恒常観念としての節電意識” を根付かせるのは難しいのかと、改めて考察する旧人類の原左都子でもある…。
                                
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浜岡原発原子炉停止の勇断

2011年05月07日 | 時事論評
 昨日(5月6日)の夕刻、テレビのニュースを見ようとしてスイッチを入れたところ、速報テロップにてビッグニュースが飛び込んで来て驚かされた。

 菅首相は、静岡県に立地する中部電力浜岡原発の安全対策が実施されるまで、当該原発のすべての原子炉を停止するとのことである。

 その後テレビで見聞したニュース報道によると、浜岡原発直下で発生すると想定される東海地震が、今後30年以内に87%の確率で起きる恐れがあるようだ。
 片や、浜岡原発は福島第一原発とほぼ同時期の1970年代に運転が開始され、その一部は現在再稼働を前提として安全点検中であったらしい。 
 
 もしかしたら今回の菅首相の浜岡原発原子炉停止の判断の背景には、民主党政権の大震災復興対策不備や遅れに対する世間や野党よりのバッシング、あるいは春の統一地方選挙において自民党に敗北したことによる党建て直しの魂胆もあろう。
 はたまた、福島第一原発事故による今後の放射能汚染収拾の予想の立ち難さや、巨額の賠償金負担等による経済危機下の政権運営に、首相である菅氏自身がほとほと疲れ果てているのかもしれない。

 それにしても上記のごとくの浜岡原発が現在置かれている諸事情を勘案した場合、原左都子は元々民主党支持派ではない立場にして、今回早期に浜岡原発運転停止の勇断を下した菅首相を評価申し上げたいのだ。
 
 
 タイムリーに「原左都子エッセイ集」の2本前のバックナンバー “「復興」も「自粛」も人それぞれのはずなのに…” との表題の記事のコメント欄において、原左都子よりの返答コメントとして我が「反原発思想」に基づく私論を述べさせていただいている。 
 以下にそれを要約して、今一度紹介することにしよう。

 日本は今後の復興のために長期に渡って巨額の資金が必要となる。 そのための経済負担を“被災していない国民”が担うべく、今から個々が経済力を強化しておくべきだ。 例えば東電利用地域では、電気料金値上げが真っ先に襲ってくるであろう。「原発反対派」とてこれを担わざるを得ない。
 国は「復興増税」も視野に入れているようである。 大震災の発生で経済危機状態に拍車がかかったとは言え、増税を余儀なくされる国民は仕事がないとは言っていられない程の負担を今後担うはめになろう。
 「もはや戦後ではない」と言われた頃に生を受けた私など、幼き頃、家電など何もない時代に裸電球ひとつで暮らした時代の記憶がある。 あの時代に戻ってそうせよ、と言われたらおそらくできる世代だ。
 そんな私にとっては、原発など本当に要らなかった。

 太平洋戦争以降最大とも言われる国民の危機状態をもたらした「東日本大震災」という大震災が今この時代に発生した歴史的事実を、国民皆が“似非自粛”ではなく「本気」で受け入れるべきだ。
 世間は「復興」と言うがそれは国を元に戻すという発想ではなく、新たな価値観の下、大震災発生後の経済力に見合った新たな国家を作ってくという発想をするべきではないかと私は考える。
 「原発」はもう本気で廃止しましょう、と言いたいのが私論である。 “未曾有”“未曾有”と言うけれど、それが起こるのが世の常というものだ。 起こった後で「想定外」という言葉を責任逃れ目的で巧みに持ち出すべきではない。 今回の「原発事故」という失敗は、今後のエネルギー資源確保事業において必ずや視野に入れられるべきである。
 そうすると(浜岡原発のごとく)「もっと高い防波堤を築けば済む」なる対応策が出されるようだが、こんな安直な発想ではまたゆくゆく“未曾有”の事態が生じることになるだけであろう。
 ここは、根本的な発想の転換をするべきだ。 これ程の大規模震災を経験した(一応)先進国である我が国の進むべき道を、国民皆が真剣に考えたいものである。
 そういう意味で、私自身も強くならねばならないと思う。

 (以上の文章は、「原左都子エッセイ集」バックナンバー コメント欄に返答コメントの形で原左都子自身が綴った記述です。)

 原左都子がこれを記した翌日夕刻に、上記のごとく菅首相のメッセージとして伝えられた浜岡原発原子炉停止のニュースに私が感嘆しない訳もないと言うものである。


 ただし、今回の菅氏による突然の「浜岡原発原子炉停止」発言のとばっちりを一番に受けるのは、当然ながら地元自治体の住民の皆さんであることには間違いない。

 浜岡原発原子炉停止に関する菅首相の表明から一夜明けた本日(7日)午前、原発が立地する地元自治体である静岡県御前崎市の石原茂雄市長は記者会見し、今回の原子炉停止の意向に従いつつも困惑を隠しきれない様子である。 「国策であれば、もう少し地元の意見を聞いてもらい反映してほしかった」と苦言も呈し、今後の地元経済についても、「雇用問題などで大変大きな影響が出てくることは間違いない」と苦渋をにじませておられるようだ。 一方で石原市長は、福島第一原発事故による地域住民の不安や混乱を慮った上で、原発停止後の再開可能性について「個人的には非常に厳しいと思う」との見通しを示しておられるとのことでもある。


 ここで原発問題を振り返ると、元々は国が国力発展のため政治力経済力を増強する目的で、1970年初頭からその根源であるエネルギー資源確保対策として打ち立てた国家政策の一環であろう。 そして今となっては、世界中の何処の先進国に於いても原子力発電なくして国が成り立たない現状を余儀なくされている、と言っても過言ではない状況であろう。

 だが悲しい事に原発建設の犠牲となる候補地とはその多くは人口が少ない“過疎地”であり、その地に建設され続けてきたことは否めない事実である。
 その代償とは、他の自治体よりも多い地方交付金が国より支給されるというだけの事であろう。

 それにしても太古の昔から“地震王国”である我が国に、何故1970年代当時の政権は、一番地震が発生し易い環太平洋地域に多くの原発を打ち立てたのであろうか?? 自民党政権は愚かにもその後も原発促進政策を続けてきたのが現実である。
 今は野党である自民党政権の過去におけるこの失策がもたらした今回の大震災による原発事故に対して、現政権である民主党の菅首相が今出来る限りの反発をしたのが、昨日の浜岡原発運転停止の勇断であったことには間違いない。

 ただしたとえそうだとしても、原左都子はさらに現菅政権に言いたいことがある。
 菅首相をはじめ現在の民主党議員達は、野党時代に原発建設を少しも阻止できないまま現実に至って政権を取ったのが事実というものではなかろうか?(それとも民主党とは元々原発建設に賛成だったのであろうか??)
 悲しくも「東日本大震災」という歴史的出来事をこの3月に経験した今現在の国家を担う民主党政権としては、せめても今後の原子力発電に対して今回の菅首相の突然の勇断のごとく、今後も警鐘を鳴らし続けていくのが今政権を担っている政党の役割と言うものではあるまいか。
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