原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

春の風に誘われて…

2010年03月13日 | お知らせ
 南の地方に旅に出ます。       




 数日間、執筆をお休みします。     




 その間、もしお時間がございましたら「原左都子エッセイ集」のバックナンバーをお楽しみいだたけましたならばうれしく存じます。

 現在、ネット上の種々の外部サイトにおいて引用されている「原左都子エッセイ集」バックナンバー記事の中から一部を以下に紹介させていただきます。

   ○「女であることの意味合い」 (2009年10月)

   ○「シュールな癒しの空間」 (2009年9月)

   ○「某実学志向大学の経営破綻」 (2009年6月)

   ○「ママ友付き合いの過酷な試練」 (2009年5月)

   ○「偏っているから面白い」 (2009年3月)

   ○「エゴなエコ」 (2008年9月)

   ○「長生きは一生の得(火傷の編)」 (2008年8月)


 その他、時事論評カテゴリーの“新政権”関連記事や、先だって閉会した“バンクーバー冬季オリンピック”関連の「原左都子エッセイ集」記事も、ネット上で多く引用されているようです。

 ご参照いただけましたら幸いです。  

人脈とは時に“足かせ”になる

2010年03月10日 | 時事論評
 民主党内の度重なる「政治とカネ」問題に党は一体いつ決着をつけるのか、あるいは、どうせ馬鹿な国民が夏の参院選までに忘れ去るだろうと高をくくってこのまま放置を決め込むつもりなのかとイラついていたところ、少し明るい兆しが見えたような気がする報道を目にした。
 昨日(3月9日)NHKテレビの昼のニュースを見聞していたところ、ついに前原国土交通省大臣の口から (私の記憶によると) “企業団体献金禁止の論議の如何にかかわらず、小沢氏は「政治とカネ」問題の責任を自らとって辞任するべき” との趣旨の見解を明言する影像が流れたのだ。
 
 以前にも、内閣府特命担当大臣(行政刷新担当)の枝野氏が大臣就任の直前に街頭演説において同様の見解を公にしているが、枝野氏の大臣就任後はどういう訳か「政治とカネ」問題に対する見解が報道されないようだ。 枝野氏の見解に現在も変化がないのであれば、閣僚の立場となった今こそ、国民の前で今一度当時の街頭演説のごとく力強く小沢氏に辞任を迫って欲しいものである。

 民主党内の「政治とカネ」問題に対しては、野党につつかれる以前に当然ながら党内で自ら決着を付けるべき課題である。
 そういう意味では、今回の前原大臣の閣僚としての公の場面での発言は心強いものがあった。 「政治とカネ」問題の当事者である灰色幹部の“お飾り鳩山首相”や“独裁小沢氏”に操られる新政権など国民にとってはもはや“無用の長物”以外の何ものでもない。(北教組関連のあの地方選出議員もね。) “非小沢派”の民主党幹部が今後も中心となって灰色議員を排除しつつ、是非ともクリーンな新政権を目指して欲しいものである。


 それにしても“小沢人脈”のみに頼って昨夏当選した(させられてしまった)“若輩小沢チルドレン議員達”は、「政治とカネ」問題で国民の支持を大幅に失いすっかり落ちぶれた新政権の下で、一体如何なる心境で議員としての日々を送っておられるのであろうか??
 彼らにとっては小沢氏の存在なくして現在の国会議員の地位などないことは当選当初より自覚できているのであろうが、一国民の立場で考察しても、灰色小沢氏の独裁下では自分の居場所などなく、肩身の狭い惨めな思いを味わっていることであろうと同情申し上げたくもなる。
 これに懲りて尚国会議員として生き残りたいのであれば、今後は“小沢人脈”から距離を置き、自らの国会議員としての生命を自らの力で繋ぎ止める力をつけるべく精進なさることをお勧めしよう。


 少し以前に、私が2年半に渡って無料で利用させていただいているこのgooブログのトップ画面において、 「教えて下さい 人脈の作り方」 云々の見出しを発見した。(タイトルが目に入っただけで、内容は一切読んでいないのだが)

 「人脈」とはその本来の意味は“人とのつながり”である。
 その意味の通り、「人脈」とは人間関係の一種であることは間違いないのだが、自然発生的に出来上がって来る交友関係等通常の人間関係の意味合いとは異質の存在であるように私は感じる。 そこには、どうやらそれを利用してうまく世渡りせんとする損得勘定を伴う利害関係や上下関係が陰を潜める、やや“不健全な”人間関係を想像してしまう私である。 (上記の“小沢人脈”により実力もないのに突然国会議員となってしまった小沢チルドレンに代表されるような、いわゆる“コネ”とか“縁故”とかね。)

 
 ここで少し私事を述べさせていただくと、私自身は“世渡り”“損得勘定”等の“しょぼい”観点で「人脈」にお世話になった経験は今までの人生において皆無と言える。

 私の30代での大学時代の指導教官のご思想が立派でいらっしゃった。
 「私は学生の就職先の紹介等は一切しない。それは個々人が自分自身で見つけるように。なぜならば自分の未来は自分で切り開くものであり、自由に未来を羽ばたいて欲しいと願っているからだ。 そういう個人的なことに他者が関与するべきでないと考えているし、紹介した後々のトラブルも避けたい気持ちが強い。 皆さんが自分で見つけた就職先や進学先に“推薦書”が必要な場合はそれは書きます。 ただし、まず自分で“自己推薦書”を書いて持参すること。それを見せてもらってから推薦書の内容を双方で協議しましょう。」

 私も他大学の大学院受験に際して、この指導教官に“推薦書”作成をお世話になったことがある。 この推薦書が文字数にしておそらく1200字程と結構な長さだったのだが、教官の指示通り“自己推薦書”をその文字数にまとめて教官室まで持参した。 私の“自己推薦書”をじっくりと読んだ指導教官が感心して唸ってくれたのをよく憶えている。「自己分析力がすばらしいし、このまま推薦書として提出するに値する文章力ですね!」 そしてその場で内容の一部を訂正しつつ、私の推薦書を手書きで仕上げて下さったのだ。 (結局私はこの他大学大学院の受験に自らの力が及ばず不合格となり、せっかくの教官手書きの推薦書を無駄にして申し訳なかったのだが…)


 いや、それにしても“世渡り”“損得勘定”が絡む「人脈」とは、それを利用する側、される側双方にとって鬱陶しいだけの存在でしかないという結論が、真っ当に生きている人々の間では導かれて当然なのではなかろうか?
 上記私事の事例の“大学院受験の推薦書”など、提出を強制されているからやむを得なかったと言えども、ご多忙な教官のお手を煩わせただけで結局無駄となってしまったことを今尚大いに申し訳なく思う私である…。
 逆バージョンももちろん考察できる。 この就職難の時代に(縁故等の)「人脈」に頼ってやっとこさ就職できたけれど、その職場や仕事内容が自分に合わないから辞めたいのに「人脈」に頼ったが故に身動きできない…  そんな付随的な要因にがんじがらめになっていたのでは、自分の先々の人生展開も危ぶまれるというものであろう。

 「小沢人脈」のみに頼って何の力もないのに軽々しく立候補して昨夏当選して“しまった”小沢チルドレン衆院議員達が新政権発足後の小沢独裁に耐え忍んできた今現在、どのような心境で「政治とカネ」問題や新政権への国民よりの支持率低迷状況を捉えているのか、 何だかその惨めさが身に滲みる思いもするよねえ、国民の皆さん……。
       
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今後のコメント対応に関するお知らせ

2010年03月06日 | お知らせ
 日頃より「原左都子エッセイ集」をご愛読いただきまして、誠にありがとうございます。

 2007年9月より現在まで2年半の期間に渡り「2000字」オピニオンエッセイを綴り公開し続け、記事本数は既に400本を超過しております。
 これもひとえに読者の皆様の日々のご訪問あってのことと、ここで改めて感謝申し上げます。


 「原左都子エッセイ集」の最大の特徴は、読者の皆様とのコメント欄における議論が充実していることと筆者自ら捉え、うれしく存じております。
 2年半前の開設以来、皆様より頂戴するコメントのひとつひとつに対して、本文を綴るのと同等またはそれ以上の時間と労力を割き、真摯に精力的に返答をさせていただいて参りました。

 2年半が経過した今、正直なところこの作業に対しまして多少(あくまでも多少の範囲ですが)の疲労感と共に、ごく一部ではありますが頂くコメント内容に関する疑義が我が内面に生じていることが否めません。


 そこでこの度、今後のコメント対応に関しまして筆者である原左都子なりの“取り扱い基準”を設定させていただくことに相成りました次第です。

 「原左都子エッセイ集」のコメント欄での公開が相応しくないと筆者が判断させていただくコメントに関しましては、今後は公開を控えさせていただきたく考えております。

 “「原左都子エッセイ集」のコメント欄での公開が相応しくないと判断する事例”と致しましては、
   ○ コメント内容の思想に極端な偏りがあると判断するもの
   ○ コメンテイターのプライバシー色が強い内容のもの
        (例えば、コメンテイターのご家族等の話題が前面に出されたもの、等々)
                              等が列挙できるかと考察致します。
 (これらの内容の記述に関しましては、「原左都子エッセイ集」のコメント欄ではなく、ご自身のブログ等のホームページ上で “ご自身の責任の下” に公開されますように。 ネット上でのさらなる展開をご自身の影響力をもって個々人が楽しまれることをお勧め申し上げます。)


 お陰様で、「原左都子エッセイ集」は開設以来多くのアクセスを頂戴し続けておりますが、ここのところさらにアクセス数が伸びつつあります。
 開設直後より力強く支えて下さっている常連愛読者の方々のみならず、不特定多数の皆様のご閲覧、ご訪問を頂戴しつつ成り立っている現状に相応しい“公開性”を、「原左都子エッセイ集」は今後共保持して参りたく考える所存です。
 今回のコメントに関する措置の趣旨をご理解いただけましたならば幸いと存じます。


 今後共、皆様のご閲覧、ご訪問、そしてコメントを心よりお待ち申し上げております!  
 

家を出て、親を捨てよう

2010年03月04日 | 仕事・就職
 3月に入って受験シーズンが終盤を向かえ、そろそろ学校の卒業式が行われる季節となっている。

 つい先だって我が家においてもこの4月に高2になる我が娘と、来年度の大学受験予備校の申し込みコースの話し合いをしたばかりである。


 そんな折に目にした17歳高校女生徒の新聞の投稿内容が、同世代の娘を持つ母として気掛かりである。
 早速、朝日新聞3月1日「声」欄の女子高校2年生からの「親は子どもの背中を押して」と題する投書を以下に要約して紹介しよう。
 私は現在高2で高校生活も残り1年である。これからどんな学校に進学してどんな仕事に就いて生きていくのか、そんな人生最大の決断をしようとしている今、私には乗り越えなくてはならない問題がある。 それは「自分のやりたい仕事」と「親がやらせたい仕事」の意見の食い違いである。私の夢は素敵な結婚式を提供するブライダルコーディネーターになることである。だが、親は公務員のような安定した仕事に就いて欲しいという。確かに娘に苦労をさせたくない、安定した職を、という親心も理解できるが、私は公務員になるより自分のやりたい仕事をしたい。最近は親を説得しようとしても全く聞く耳を持たない。 親だからと言って、子どもの人生まで選択する権利はないはずだし、子どもの人生の主役は子ども自身のはずだ。 自分の夢を追いかけて苦しくなった時にそっと背中を押してくれるような関係が、私の理想の親子像である。


 上記投書を読んで驚いたのは、我が愚かな親の考え方と、数十年前に高校生だった娘の私に対して取った言動がこの投書者の親と瓜二つであることだ。

 我が親も私の進路選択に際してまったく同様の事を言い続けていた。 「安定した職業選択をしろ」「一生一人で食べていけるような確かな才能を身に付けろ」 さらには、「できれば公務員になれ」「大学は地元の国立限定!」「私立大学など金をドブに捨てるようなものだから、行く必要はまったくない」等々等々…  黙って言わせておけば、未成年で世間知らずの娘をつかまえて好き勝手放題だったものだ。  
 当時まだまだ右も左もわからないまま親の希望に一応従順だった私は、親の指示に従って大学受験勉強と平行して高3の秋に「国家公務員初級試験」も「地方公務員採用試験」も受験し、難なく合格した。 (不思議なことに、県内有数の大学受験校だった我が高校の生徒にも、恐らく親が同様の考えだったのかと推測するのだが、共に公務員初級試験を受験する仲間が結構存在していたのである。)  そしてまもなくあの悪名高き“社会保険庁”から面接通知が届いた時には、“糠喜び”の親が東京まで親子面接に同行すると言う。

 私の場合、高校生時点ではこの投書者のごとくの将来の具体的な職業展望は残念ながら未だ描けずにいた。 ただ、公務員試験に合格してみて初めて私の脳裏で少し具体的になったことがある。 18歳というまだ子どもだと自己診断する自分が半年先に早くも就職して、“事務仕事”に明け暮れる近い未来の我が姿の影像だけはどうしても描けないことは明白だった。 とにかく、今は大学へ進学してさらなる専門性の高い学業に励み、その後に自分の職業選択をしたいという思いが強かった。
 そこでその意思を我が親に伝え、“社会保険庁”の面接には一切行く気はないときっぱりと宣言した。 我が親は 「4年後に同等以上の職業に付ける保証はない」 「国家公務員になると結婚相手だって違ってくるのに…」 と地団太踏んで残念がりつつも、最終的には私の意向を尊重するに至ったのである。 


 さて、当時の我が親の思いが現在の私の生き様に如何なる影響力を及ぼしているのかについて、少し考察してみよう。
 結局、その後大人になった私は親の希望通り専門性の高い職業分野の国家資格を取得した後に上京して自立し、その分野で活躍することとなる。 ある程度の経済力も身に付け(親の希望通り一人で生き抜く覚悟と共に)長~~い独身貴族を堪能してきたとも言える。
 今振り返るに、あの時もしも“社会保険庁”の親子面接に合格して国家公務員になっていたとして、果たして私は日々単調な事務仕事に喜びを見出せていたのであろうか? あるいは、職場結婚で早期退職して官僚の奥さんにでもなって納得できていたのであろうか? どっちに転んでいたとしても、至って「つまならそう」な感覚しか抱けないと言うことは、少なくとも子どもが高校生時点での親の希望の押し付けは、私の場合は“不正解”であったという結論に達する。
 
 
 最後に、「声」欄投稿者の女子高校生の苦悩に話を戻そう。

 今は親となっている私であるが、上記のごとく我が親の勝手な思い込みに高校生時代を翻弄された我が身の反省から、我が子には自分の夢を叶える事を最優先するべく進路指導をしている。

 現在は私が高校生の頃とは時代背景が大きく変容している。 この女子高校生の親の「安定性」志向が、今の時代においてどこまで保証されるのかに関しても危険性を伴っている現状であり、この親の浅はかとも言える希望に空虚感すら漂っている気もする。
 投書の女子高生には次なる進学まで後1年の猶予期間がある。 その間に(今の時代背景すら把握できていなさそうな)親と、十分に話し合う機会を持ってはどうか。 それにより、既に具体的な進路を見定めている女子高生の未来に関する親子での合意が整うことを私は期待したい。 
 それでも尚この期に及んで娘の描く夢よりも、保証のない「安定性」を愚かな親が優先しようとするならば、そんな時代錯誤の親はとっとと切り捨てて思い切って家を出よう。

 17歳にして既に具体的な夢を描けているあなたの未来は、必ずや明るいと原左都子には実感できるのだ。 親とは実に勝手な生き物で、その分野で近い将来頭角を現し始めるあなたを見たならば、遅ればせながらあなたの背中を押し始めるかもしれないよ。

 それが証拠に我が愚かな親など、自分自身が定年まで歩んだ公務員という道のひと昔前の時代の「安定性」にどっぷりと浸ったが故に、娘にまで無責任にその道を強要して結局は娘に愛想を尽かされる結果となった。  そのくせ、そんな親に反発して郷里を出て上京以来大人に成長して自分が信じる道を自らの専門力により培い、経済力というバックグラウンドも伴って歩み続けている娘である私に、何十年来精神面でぞっこんおんぶし続けているのだから、親とは何とも身勝手なものよ… 
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死して尚息づく母の思い

2010年03月01日 | 人間関係
 バンクーバーオリンピックは本日(日本時間3月1日)閉会式が行われ、2週間に渡る4年に一度の世界最大のスポーツの祭典は幕を閉じた。

 今回のオリンピックにおいては、開幕前のリュージュ競技の練習中に死者が出る等の悲しい事故もあった。

 そんな中今回のオリンピックにおいて私が一番心を痛めたのは、競技には直接関係ない話題で恐縮なのだが、女子フィギュアスケートカナダ代表のジョアニー・ロシェット選手のお母上が娘のショートプログラム本番の2日前に急死したという訃報に対してであった。

 この訃報は様々な意味合いで我が身と重複するのだ。
 まず、ロシェット選手のお母上と私は同年代である。 そして、我が娘はまだ16歳ではあるが、このお母上同様に年頃の娘を持つ母親でもある。 

 ロシェット選手のお母上の死因が心臓発作による突然死であったところが悲劇の度合いを強調していて、何とも無念である。 五輪開催国の国民の期待を一身に背負って大舞台に立つ娘の心情を思うと、母としては何個心臓があっても足りないであろうと我が身につまされる思いだ。


 私事になるが、この私も心臓発作による突然死の危険要因を遺伝子的に抱えていると言える。 我が父を含めて父系の血縁の3人の叔父が40代~60代の若さで急性心筋梗塞で突然死しているという、バリバリの“突然死”家系なのである。 それ故に、この身にたまに不整脈等の症状が出現すると、“突然死適齢期”真っ最中の現在において一瞬我が脳裏に“突然死”の風景が交錯するのだ。

 実は(日本時間)24日の五輪女子フィギュアショートプログラムをテレビで観戦していた最中にも、不整脈症状が出現してしまった。 この時の不整脈の最大の原因は、真央・ヨナ対決を見届けんとして心理的に興奮状態にあったことが引き金になっていたものと自己診断するのだが、折りしもこの症状がロシェット選手のお母上の訃報報道と重なった。 心臓とは心理面で不安を煽るほど鼓動が激しくなるものなのだが、我も明日は“突然死”かとの危機感を抱えつつも、持ち前の精神力で五輪ショートプログラムはテレビで完全制覇した。

 夜になって、やはりフィギュアスケートファンである娘と共にショートプログラムのハイライトをテレビで観戦しつつ、ロシェット選手のお母上の訃報を引き合いに出して私は娘に切々と告げた。
 「人間の命とはわからないもので、この母(私のこと)とていつ急死するやもしれない。 ロシェット選手は自国開催の五輪の大舞台の直前に、幼少の頃からずっとフィギュアスケーターとしての自分を支え続けてくれていたお母上が急逝というとてつもない不幸に見舞われたにもかかわらず、ショートプログラムにおいて完璧な演技を全う出来たことに、母は感服の至りである。 あなたにもそうであって欲しい。 例えばの話が、もし大学受験の直前に母が急逝したとしても、あなたはあなたのベストを尽くすことに集中しなさい。」
 我が子幼少の頃より“お抱え家庭教師”として君臨し続けている母である私の絶大な影響力を受けつつ育ち、有難くもその成果を今は我が物として成長している娘にとって、母のこの話はロシェット選手の活躍と相俟って身に滲みた様子である。


 今回の五輪女子フィギュアにおけるカナダ代表ロシェット選手の銅メダル獲得に関して、不信感を提言する世論が横行している模様である。
 これに関して、今回の五輪の男女フィギュア競技を隅々まで堪能してその採点基準をある程度把握した原左都子より、ロシェット選手の銅メダルが“不透明”ではない根拠についてここで少し説明しておこう。

 ロシェット選手とは五輪直前の2009年世界選手権において2位に位置する程、元々実力のある選手である。 遡って4年前のトリノ五輪でも5位の実績を打ち立てていると同時に、数年来に渡り世界の名立たる大会において上位をキープし続ける実績をあげている。 その背景には3回転ジャンプの数種類を難なくこなす等々の確固たる実力が元々ある選手なのだ。
 例えば、今回のフリーにおいても冒頭で3回転の2連続ジャンプを綺麗に決めているし、点数が加算されるプログラムの最後の方でも3回転ジャンプを難なく成功させている。
 今回の五輪の試合を観戦した日本人がロシェット選手との比較対象として出しているのは5位になった安藤美姫選手であるようだが、残念ながら安藤選手はショートもフリーも3回転の2連続を飛ばず終いである。 私論は特に安藤選手の表情面で豊かさに欠ける欠陥(いつ見ても泣きそうで自信なげな表情をしている)を指摘したい思いもあるが、それ以外の芸術表現等の要素においても、安藤選手は5位で妥当か、安藤ファンには大変申し訳ないがそれ以下だったのかと結論付けるのだが…。
 (私論は、むしろ米国代表で4位に入った長洲未来選手とロシェット選手との順位差がどうだったのかという考察をしてみたりもするのだが、これに関しても表現力の印象面の観点からやはりロシェット選手が大幅に上回っていたと結論付ける。)
 故に、バンクーバー五輪におけるロシェット選手の銅メダルは至って妥当なのである。


 それにしても、ロシェット選手はよくぞまあ、突然のお母上の不幸にもかかわらず今回の五輪の最後まで強靭な精神力を世界に披露できたものである。
 その根底には急逝したお母上の幼少の頃よりの偉大な教えが、ロシェット選手の確かな支えとして存在していたとの報道である。
 「何があっても自分のやるべき事を貫きなさい。 自分のためにフィギュアスケートを成し遂げなさい。」

 世界的祭典である五輪の舞台に娘を自らの急死直後に毅然と立たせる力を与え、尋常ではない集中力でメダルを獲得させたロシェット選手のお母上たる役割の偉業が、私には重々身に滲みる思いである。
 原左都子が娘に捧げる願いも、ロシェット選手のお母上とまったく同様である。
 我が娘にもいつ何時何が起きようと強靭な意志を持って自分のやるべき事を貫いて欲しいし、自分自身のために自らの目標を成し遂げて欲しいものである。
                       
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