原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

入学後にこそ、能力を発揮しよう!

2010年02月02日 | 教育・学校
 東京地方に今年初めての本格的な積雪があった今日(2月2日)は、あいにく東京都内の私立中学受験日2日目と重なってしまったようだ。
 昨日私用で大雨の中外出したところ、私立中学受験初日に挑んだと思しきまだ幼き子どもを連れた母子達が、ずぶ濡れになりつつ帰宅する風景に出くわした。

 2月当初の東京都内の私立受験は我が家も数年前に経験済である。 この厳寒の季節の例外ではなく、我が子の受験日もやはり今年同様の悪天候に見舞われてしまったものである。


 あの数年前の我が子の私立中学受験における“闘い”は、私にとっては忘れもしない光景である。 
 我が家の娘は多少の事情を持って生まれて来ている。(その事情とはあくまでも“多少”の域を越えない範疇であり、人並み以上の優れた能力も並在しているという一種特殊な事情に過ぎないのではあるが。) それでも、そういった事情を抱えて生まれてきているまだ十歳そこそこの我が娘には、現在の「公立」の実態の(生き残る者のみしか生き残れないがごとくの)まさに厳しい完全競争の世界の中で到底勝負できる力はないものと判断した親心で、私立受験を目指させたのである。

 既に高1になった娘が通学している私立女子中高校は、中学受験当時において我が子にとっては“第二志望校”の位置付けでしかなかった。
 そうではあったが、2月2日の受験二日目における受験の本番で我が子は全力を尽くし、第二志望校ながらも“一発合格”を果たしてくれたのだ。 あの時の感動は一生忘れることはない母親の私である。 我が子幼少の頃よりの「お抱え家庭教師」である母の厳しい受験指導によくぞ耐えて、たとえ第二志望校ではあったとはいうものの“コネ”とも“金”ともまったく無縁の中、私立中高校の合格ゲットを自らの実力で果たしてくれたのである。 (本人の実力のみで勝負させないことには、娘のその先はないものと腹をくくっていた“鬼母”の私だったのだが…)

 本日(2月2日)、娘が通っている私立中高が中学受験のために「自宅学習」とのことで娘は在宅していたのだが、今日の東京の雪景色を自宅から眺めながら、自分の受験当日に思いを巡らしつつ興味深い話を母の私に語ってくれるのだ。
 以下に娘のその話を紹介しよう。
 「あの後、私は一発合格した(今通っている)私立中学へ入学したけど、中学入学直後は勉強も他の事も全然さえなくて、きっと周りの生徒も先生も私の事を“変な奴”だと絶対思っていたと思うよ。 何でこんな出来の悪い奴がうちの学校へ入れたのかなと思われてたと思う。 それでも私は私なりにずっと頑張ったよ。 そしたら少しずつ成績も上がってきて少しずつ周囲から認められるようになって応援さえしてくれるようになって、今では勉強も自分で頑張ろうと思うし将来の夢も自分自身で見つけられそうで、今の学校に入学できて本当によかったと思ってる。」    
 (あなたの尋常ではない努力は、それをずっと身近で見ているこの母が一番よく知ってるよ。

 これ程にまで成長している我が子に接する今現在、母親としての立場で考察した場合、「私立中学受験」など通り過ぎてきた一経過段階に過ぎず、取るに足りない過去でしかないというのが事実である。


 それでも、昨日大雨に打たれつつ帰宅の途についている私立中学受験を終えた受験生母子を背後から観察すると、冷たい大雨の中にあって尚「これでこの子の将来は開けた!」と確信しているがごとくの背中がその親子に見て取れるのは、この私も数年前に味わった一時の錯覚と同様なのであろう。
 
 その上で子どもの将来を開き得るのは、まだまだ幼き子どもを育てる親の総合力と、その親の影響力の下で育ち行く子どもの潜在能力、努力との相互作用力であることは間違いない事実である。
 それらの相互作用力を親が重々認識することを最低条件とした上で、子どもが中学生頃の時期とは、その進路が公立、国立、私立の如何にかかわりなく、今後共子どもが最大限能力を発揮する環境を整えられる親力の見せ所、見せ時期なのであろう。 
 とにかく子どもの中学受験とは、親としてはまだまだ子育てのスタートラインに着いたばかりの時期でしかない。 今後こそが親としての勝負時であることを今からわきまえておこう。

 (子どもが私立に合格してくれたのはいいが、まさか授業料さえ払ってやれなくて新政権の“金のバラ撒き”に親が頼ろうとしているとは思いたくはないが、怖い事にここにきて、どうやら政権内においてその“看板公約”の実行が危うい様相を内輪もめの醜態で暴露しているようでもあるしね……  )
Comments (13)