昔の恋人と再会したいと思われたことがありますか?
私には、別れた恋人と再会した経験が過去において2度程ある。 いずれも、まだ若かりし30代の頃の話であるが。
その一つは、よくあるパターンの同窓会においてである。 ただしこの事例は「昔の恋人」ではなく私が一方的に“片思い”をしていた相手に過ぎないのだが、ここで少しその話を紹介しよう。
卒業後20年程が経過した我が郷里の高校の同窓会における出来事である。
高校生当時の淡い“片思い”物語すらすっかり忘れ去って出席した同窓会において、私はお相手の男性が出席していることに当初まったく気付かずにいた。 会合が盛り上がりつつあった頃、過去の記憶も薄れている私の隣にその“片思い”の男性がやってきたのだ。その時初めて私の脳裏に若かりし“片思い”物語がフラッシュバックしたのである。
その時のシチュエーションを説明すると、当時私は30代後半にして学位取得を目指し大学院に在籍していた時期である。 20年ぶりの同窓会において、30代後半にして未だに独身の身で現役大学院生として学業に励んでいる現況を自己紹介したところ、同窓生の反響たるや予想以上であり、皆が羨ましがり私の学位取得を激励してくれたのだ。
その後やってきたのが、上記の私の片思いのお相手である。 何分、私の一方的な片思いだったため、当時“お付き合い”はおろか、話さえろくろくしていない相手である。それでも自分の思いだけは伝えたくて「ラブレター」などをしたためて渡し、相手もそれに真摯に返答をくれた記憶がある。 同窓会の席でその彼曰く「○○(私の旧姓)はすごいよな! 自分はその後公務員になってもう子どもが2人いる父親だけど、○○の自己実現欲に感動させてもらったよ。 これからも○○が自分の夢を実現するのを応援してるから頑張れよ!」
我が高校時代の“片思い”のお相手が、好感度バツグン!のパパに変身していたのが何とも印象的だったものだ。
もう一つの物語は、既に「原左都子エッセイ集」“恋愛・男女関係”カテゴリーバックナンバー「偶然の再会」でも披露済なのだが、これは正真正銘「過去の恋人」とのまったく偶然の再会である。
20代後半にお付き合いしていたその恋人とは“神がかり”的としか表現できない程、現役恋愛中から大都会東京で偶然に何度も何度も出くわしていた。決してどちらかがストーカーをしていた訳でもないのに、あちこちで偶然会うのだ。 行動半径の一部が共通という事情があったとは言え、冗談抜きでデートの約束をする手間が省けるほど偶然会ったのである。
そしてその彼と別れた後疎遠となり30代半ばになっていた頃、また大都会東京において偶然の再会が我々に待ち受けていたのである。 この偶然にはお互いに一番驚き合ったものだ。 ターミナル駅での地下鉄乗換の際電車後方のドア辺りで奇跡的にも再会した二人は、せっかくだから飲んで帰ろうということになり電車を降りて一時の会合を持ったのである。 それ以降もその相手から何度か連絡があって会ったのだが、私の結婚後はお互いの連絡先が不明となり偶然会うチャンスも一度もないまま現在に至っている。
朝日新聞1月30日別刷「be」“悩みのるつぼ”に寄せられた相談は、50代主婦による「33年前に別れた恋人と再開し」 という題名の下に、現在お互いに幸せな結婚生活を送っているにもかかわらず、33年ぶりに再開した男性に対して抱いたキュートで切ない思いを綴った相談であった。
その回答者であられる社会学者の上野千鶴子氏の回答に同感する原左都子である。
それでは、上野氏の回答内容の一部を要約して以下に紹介しよう。
人生の黄昏に出会いや再開があるのは恵みというもの。 今さら家庭を作り直そうとか、夫を取り換えようとかいうのでなければ、親しい友がひとり増えたと思えばいい。 結婚した女は異性を友にしてはならないと誰が決めたの? 人口の半分は異性。その半分を友人関係から排除するのはもったいない。 老後に、もう一度男女共学の交友関係が生まれておかしくない。 あなたが機嫌よく暮らしていることが現在の伴侶である相手にとっても何よりであろう。 そして、まさかこの主婦が自分さえいれば夫はそれで十分に幸福と思うほど傲慢ではないと信じたい。
まあ、それにしても一度や二度の再開で舞い上がらないことである。33年の歴史はお互いを確実に変えているものだ。 その上でなお培われる熟成した友情であるならば、歳月がもたらした贈り物と考えてその滋味を味わい、夫にもその経験を味わわせてあげる気になろう。
我が若かりし30代の独身の頃に昔の恋人(あるいは片思いだった相手)に再会できて一時有意義な時間を共有できた私であるが、その後長い年月、同様の場面を経験することなく経過している。
この朝日新聞の相談者と同年代の50代半ばに達している今現在、もしも今昔の恋人との再会が叶ったならば、どのような心の動きが経験できるのであろうか? それはこの私とて興味深いものがあろうと想像を巡らしてみる。
そんな心理を楽しみつつもその上で、過ぎ去りし過去の感慨深い歴史に遭遇することとは、その裏側で現状の責任も伴うものであるとする社会学者の上野氏の見解に賛同の原左都子である。
30余年の歴史とは、私が上記で述べたようなまだ若い時代の10、20年足らずの年月の経過とはその趣が異なるはずである。 上野氏がおっしゃる通り、自分の現在の居場所を見失わない範囲内で偶然の再会の相手との友好を楽しめる力量がお互いにあるならば、別れた恋人との再会も有意義な結果をもたらすのかもしれない。
私には、別れた恋人と再会した経験が過去において2度程ある。 いずれも、まだ若かりし30代の頃の話であるが。
その一つは、よくあるパターンの同窓会においてである。 ただしこの事例は「昔の恋人」ではなく私が一方的に“片思い”をしていた相手に過ぎないのだが、ここで少しその話を紹介しよう。
卒業後20年程が経過した我が郷里の高校の同窓会における出来事である。
高校生当時の淡い“片思い”物語すらすっかり忘れ去って出席した同窓会において、私はお相手の男性が出席していることに当初まったく気付かずにいた。 会合が盛り上がりつつあった頃、過去の記憶も薄れている私の隣にその“片思い”の男性がやってきたのだ。その時初めて私の脳裏に若かりし“片思い”物語がフラッシュバックしたのである。
その時のシチュエーションを説明すると、当時私は30代後半にして学位取得を目指し大学院に在籍していた時期である。 20年ぶりの同窓会において、30代後半にして未だに独身の身で現役大学院生として学業に励んでいる現況を自己紹介したところ、同窓生の反響たるや予想以上であり、皆が羨ましがり私の学位取得を激励してくれたのだ。
その後やってきたのが、上記の私の片思いのお相手である。 何分、私の一方的な片思いだったため、当時“お付き合い”はおろか、話さえろくろくしていない相手である。それでも自分の思いだけは伝えたくて「ラブレター」などをしたためて渡し、相手もそれに真摯に返答をくれた記憶がある。 同窓会の席でその彼曰く「○○(私の旧姓)はすごいよな! 自分はその後公務員になってもう子どもが2人いる父親だけど、○○の自己実現欲に感動させてもらったよ。 これからも○○が自分の夢を実現するのを応援してるから頑張れよ!」
我が高校時代の“片思い”のお相手が、好感度バツグン!のパパに変身していたのが何とも印象的だったものだ。
もう一つの物語は、既に「原左都子エッセイ集」“恋愛・男女関係”カテゴリーバックナンバー「偶然の再会」でも披露済なのだが、これは正真正銘「過去の恋人」とのまったく偶然の再会である。
20代後半にお付き合いしていたその恋人とは“神がかり”的としか表現できない程、現役恋愛中から大都会東京で偶然に何度も何度も出くわしていた。決してどちらかがストーカーをしていた訳でもないのに、あちこちで偶然会うのだ。 行動半径の一部が共通という事情があったとは言え、冗談抜きでデートの約束をする手間が省けるほど偶然会ったのである。
そしてその彼と別れた後疎遠となり30代半ばになっていた頃、また大都会東京において偶然の再会が我々に待ち受けていたのである。 この偶然にはお互いに一番驚き合ったものだ。 ターミナル駅での地下鉄乗換の際電車後方のドア辺りで奇跡的にも再会した二人は、せっかくだから飲んで帰ろうということになり電車を降りて一時の会合を持ったのである。 それ以降もその相手から何度か連絡があって会ったのだが、私の結婚後はお互いの連絡先が不明となり偶然会うチャンスも一度もないまま現在に至っている。
朝日新聞1月30日別刷「be」“悩みのるつぼ”に寄せられた相談は、50代主婦による「33年前に別れた恋人と再開し」 という題名の下に、現在お互いに幸せな結婚生活を送っているにもかかわらず、33年ぶりに再開した男性に対して抱いたキュートで切ない思いを綴った相談であった。
その回答者であられる社会学者の上野千鶴子氏の回答に同感する原左都子である。
それでは、上野氏の回答内容の一部を要約して以下に紹介しよう。
人生の黄昏に出会いや再開があるのは恵みというもの。 今さら家庭を作り直そうとか、夫を取り換えようとかいうのでなければ、親しい友がひとり増えたと思えばいい。 結婚した女は異性を友にしてはならないと誰が決めたの? 人口の半分は異性。その半分を友人関係から排除するのはもったいない。 老後に、もう一度男女共学の交友関係が生まれておかしくない。 あなたが機嫌よく暮らしていることが現在の伴侶である相手にとっても何よりであろう。 そして、まさかこの主婦が自分さえいれば夫はそれで十分に幸福と思うほど傲慢ではないと信じたい。
まあ、それにしても一度や二度の再開で舞い上がらないことである。33年の歴史はお互いを確実に変えているものだ。 その上でなお培われる熟成した友情であるならば、歳月がもたらした贈り物と考えてその滋味を味わい、夫にもその経験を味わわせてあげる気になろう。
我が若かりし30代の独身の頃に昔の恋人(あるいは片思いだった相手)に再会できて一時有意義な時間を共有できた私であるが、その後長い年月、同様の場面を経験することなく経過している。
この朝日新聞の相談者と同年代の50代半ばに達している今現在、もしも今昔の恋人との再会が叶ったならば、どのような心の動きが経験できるのであろうか? それはこの私とて興味深いものがあろうと想像を巡らしてみる。
そんな心理を楽しみつつもその上で、過ぎ去りし過去の感慨深い歴史に遭遇することとは、その裏側で現状の責任も伴うものであるとする社会学者の上野氏の見解に賛同の原左都子である。
30余年の歴史とは、私が上記で述べたようなまだ若い時代の10、20年足らずの年月の経過とはその趣が異なるはずである。 上野氏がおっしゃる通り、自分の現在の居場所を見失わない範囲内で偶然の再会の相手との友好を楽しめる力量がお互いにあるならば、別れた恋人との再会も有意義な結果をもたらすのかもしれない。