原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

国母クンの“腰パン”の真価

2010年02月15日 | 時事論評
 “腰パン”姿と「反省してま~す」発言でバンクーバー冬季オリンピック開幕前から物議を醸し、日本時間2月13日の開会式出席自粛に追い込まれたハーフパイプ日本代表選手の国母クン。


 この事件を簡単に振り返ってみよう。
 バンクーバー冬季オリンピック、スノーボード・ハーフパイプ代表の国母和宏選手が航空便にてバンクーバー入りする際に、出発の成田空港及び到着地のバンクーバー空港に於いて、日本選手団公式服のズボンを下にずり下げてだぶつかせて履く“腰パン”スタイルにして、シャツをズボンの外に出しネクタイも緩め、サングラスに鼻ピアスといういでたちで報道陣の前に登場したのだ。 (要するに、中高生のちょっと“イカれている系”の男子生徒達が巷で制服を着崩しているのと同様のスタイルである。)
 この影像をメディアで見た日本国民の間から、「オリンピック日本代表選手としての自覚がなくだらしない」「国民の税金から支給されている公式服装を着崩すとは何事だ」等々の非難が殺到した。 この非難を受けた国母選手は、メディア報道においてまたまた性懲りもなく「反省してま~す」と反省の色が感じられない悪びれた態度を晒してしまったのだ。
 この悪態によりさらに国民からの非難がエスカレートしたため、一時は全日本スキー連盟が競技への出場辞退を申し出たのだが、橋本聖子選手団団長と共に記者会見を行い正式な謝罪をした上で、国母選手は開会式参加を自粛したというものである。

 この国母選手関連の一連のニュース報道をメディアで見て私が一番最初に知りたかったのは、国母選手の年齢と職業であった。
 例えばスピードスケート代表の、笑顔が何とも可愛らしい高木美帆ちゃん(“ちゃん”付けで失礼!)など、まだ15歳の中学生。 この若齢で頭角を現して突如としてオリンピック代表選手に選ばれた場合、まだまだ「代表」としての自覚が持ち辛いかもしれない。 それにもかかわらず美帆ちゃんは何とも立派である。 可愛い美帆ちゃん故に殺到するメディア取材をものともせず、いつも笑顔で平常心を失わず自然体を貫いている。 この娘(こ)、なかなかの大物だぞ、と原左都子は見ている。
 国母選手が高校生位の年齢であるのならば上記の“醜態”も許容範囲かと考えていたところ、何と21歳の大学生とのことなのだ。 そうなると、今回の公式服を着崩した“イカれ系”でのメディアへの登場は、やはり残念ながら何とも世間知らずで幼稚な行動と首を傾げざるを得ない。


 報道によると、国母選手の理想のボーダー像は「ライフスタイルを含めてかっこいい奴。五輪のメダルで人生を変えようと考える奴は、スノーボードの業界では生きていけない」とのことである。 国母選手の人生観によると、五輪に執着するのはかっこ悪い、メダルが目標と言わせたがるメディアに従順でいたくない、とのことらしいのだ。 (朝日新聞記事より引用)
 
 何とも若いな~、というのがこれを読んだ原左都子の感想である。
 参考のため、国母選手は海外メディアの予想によると、今回ハーフパイプで銀メダルを取れそうなほどの実力のある選手であるらしい。


 以下は、五輪代表として今闘いに挑んでいる国母選手への原左都子からのメッセージである。 
 「あなた、今は強気でそう言ってるけど、もしも今回のオリンピックでメダルを取ってしまったら一時メディアが放っておいてくれないものなのよ。 そして、今の時代は世間の熱が冷めるのも早くて、一旦バブル人気に有頂天にさせられた人間が捨て去られた後は悲惨なものよ。 だからこそ荒川静香氏(原左都子はファンだが)は前回の冬季オリンピックで金メダル取得後さっさと現役から引退し、プロスケーターとしてまた解説者としての道を我が物として成功している。 私はスノーボード業界のことは何も知らないけど、あなたが今後スノーボード業界で生残りたいのであれば、国民がメディアを通じて見ていると心得ている影像上で自分の“イカれている”外見をアピールしている暇があるならば、とりあえずは五輪で勝つことに集中しなさいよ。 実力があって将来有望なあなたの五輪本番での活躍こそを、私は一国民として見せてもらいたいし感激させて欲しいよ。 そしてメダルを取ったならば(取らなくても)、いくらでも“自費”で好き放題のファッションをメディアを通じて披露すればいいよ。 あなたの人生の始まりは、それからだとも言えるよ。 だからこそ今は“腰パン”とやらの陳腐な手段で自分を安売りしていないで、五輪に勝つことに精一杯集中しようよ。」


 原左都子とて下手なりにもお洒落好きである。この年齢になって尚お洒落を楽しみたい思いが強いが故に、それに見合うべく自らの体型を維持し続ける努力を何十年にも渡って日々怠っていない。 今尚ミニスカートの愛用者でもある。

 それ故に、国母選手の今回の“不祥事”の一部理解者でもあるのだ。 ただし、自分のファッションを優先する事によって今現在自分が成し遂げるべく方向性を見失ってはならない。 人間とは複数の事象を卒なく何気なく同時進行できる力量があってこそ、ファッションセンスなどという付随の部分も“ついでに”評価されるというものである。
 国母選手の場合、スノーボードで世界の頂点に立てそうなほどの力を極めてきていることを今一度自ら再認識して、今はどうかオリンピックで成果を上げる事を最優先して欲しいものである。
 原左都子は、国母和宏選手の“腰パン”姿ではなく、スノーボード・ハーフパイプでの“カッコイイ”活躍をテレビで応援するよ。 
       がんばれ!!    
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枝野氏を小沢独裁に丸め込むな

2010年02月13日 | 時事論評
 去る2月9日(火)、鳩山首相は突如として民主党元政調会長の枝野幸男氏を行政刷新相に起用する人事を発表し、翌10日に認証式が行われた。
 政治資金問題で不起訴となり尚しぶとく幹事長続行の意思を貫いている小沢一郎氏に対し、公の場においては初めての事と思われるが、枝野氏が2月8日の街頭演説において「小沢氏はけじめをつけるべきだ」と力強く辞任を迫る影像がメディアを通じて全国に放映された。 その直後、間髪を要れずの鳩山首相による枝野氏の閣僚への起用である。

 ここで枝野氏の略歴、及び民主党内における位置付けを簡単に紹介しておこう。
 枝野氏は1987年に東北大学を卒業後弁護士登録をし、1993年に日本新党から衆議院に初当選している。 その後民主党結党に加わり、1997年及び2002年に党政調会長、2004年に党憲法調査会長、そして新政権発足後の2009年秋には「事業仕分け」で仕分け人の統括役として責務を担った人物である。
 民主党きっての政策通、論客として知られているにもかかわらず、「非小沢派」であるが故に昨年9月の政権交代後は無役、今年1月にも首相が首相補佐官に起用する考えを表明したが閣議決定が見送られている存在だった。

 今回突如として枝野氏を大臣として任命した鳩山首相の思惑に話を移そう。
 枝野氏がかねてより小沢幹事長と距離を置く立場を鮮明にしていたため、枝野氏を民主党の要の地位に起用する事に関しては、党内で独裁を貫きたい小沢氏が難色を示すのは自明であろう。 その一方で枝野氏の手腕は民主党内高官の間では評判が高く、閣僚や副大臣に起用するべきだとの考えが存在する事実を把握していた鳩山氏でもある。 
 小沢氏の政治資金問題で国民の新政権に対する支持を大幅に失った鳩山政権が、自らの資金管理団体をめぐる事件で忙殺されゆとりのない小沢氏に対して、国民よりの支持奪回のために「非小沢派」の枝野氏の閣僚起用の話を持ち出し、それを小沢氏も即時了承したといういきさつのようである。
 (以上、朝日新聞記事を参照しつつ私論を交えての記載)


 それでは、私論に入ろう。

 そうであるとしても、枝野氏大臣就任後のメディアに対応する氏の発言がシャープさを欠いているのが気に掛かる原左都子である。 近日マスメディアを通じて耳にする枝野氏の発言に“よどみ”が感じられるような気がするのだ。 私の気のせいと思いたいところだが…。
 枝野氏は2月8日の地元さいたま市における街頭演説の際には、「政治を変えるために、小沢氏は身を引く事も含めてしっかりとけじめをつけることが必要!」とマイクを持って力強く語り、小沢氏の幹事長辞任を迫る自らの意思を公に明言していた。 私はその影像をこの目で確かに見て、同じく小沢氏の辞任を願う一国民としてその姿を心強く捉えている。 
 ところが、小沢氏元秘書現衆議院議員の石川氏離党に際してのマスメディアからの「小沢氏の辞任に関してはどう考えるか」との質問に対し、大臣就任後の枝野氏は「国民の皆さんが決めることです」との何とも軟弱な回答なのである。 大臣となった立場で今一度、さいたま市での力強い演説の再現を期待していた私には愕然とさせられる枝野氏の回答だった。 「国民の皆さんが決める前」に、“反小沢”を貫き通す民主党内での勢力の程を是非共確認したいものである。


 さらに原左都子なりの推論を進めるならば、今回の枝野氏の新政権閣僚としての起用とは、何と怖い事に、実は独裁小沢氏の策略なのではないかとも想像してしまうのだ。

 世のメディアの論理によれば、今回の枝野氏の閣僚起用は、小沢氏政治資金問題で大幅に失ってしまった鳩山内閣の国民からの支持率を取り戻し政権の再浮上を狙う手段として、鳩山氏自らが藁にもすがるがごとく小沢氏に直談判したと受け取られているようである。
 そんな大それた野心が、新政権発足以降“お飾り首相”から抜け出せずにいる“セレブ世襲軟弱”鳩山氏にあるとは、原左都子にはさらさら思えない。
 ましてや、既に年老いて力をなくしかけて尚、自らの政治家としての夢の実現を“ポリシーもバックグラウンドもない若造ども”を周囲に蔓延らせるという醜態を国民に晒すことでしか独裁を貫けずにあえいでいる小沢氏が、今後の有望人材である枝野氏のごとくの「非小沢派」の閣僚起用を本気で認めて、自らの独裁を危険に晒すとも思えないのだ。

 どうも今回枝野氏を閣僚として起用する事により、「非小沢派」で今現在一番勢力がある枝野氏を丸め込んで黙らせて、小沢独裁に迎合させようとの“威圧”であったように思えなくもないところが私は不気味なのだが…。  
 (考えすぎか…)  いや、民意に背いてまでも今尚幹事長続行に強気の小沢氏なら、これしきの“征伐”はやりかねない。


 それにしても、民主党の「非小沢派」の皆さん。 貴方達の今後の力量と勢いに期待するしかないのが今現在の国民の差し迫った思いであり、昨年8月に“曲りなりにも”民主党に投票した層に対するせめてもの恩返しなのではなかろうか。
 枝野氏も「非小沢派」であるべく本来の枝野氏らしさの勢いを失わずに、政権幹部の閣僚としての立場で国政に臨んで欲しいものである。
 原左都子は元々民主党支持派ではないにしても、今現在の新政権におけるこの茶番劇を収集出来得るのは、民主党「非小沢派」のリーダーシップ力でしかないと期待するのだが… 
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支持率ダウンでも辞任しない魂胆

2010年02月08日 | 時事論評
 今頃になって鳩山総理は、声のトーンは弱々しく歯切れが悪いものの「小沢氏にも何らかの責任がある」などとボソボソと言い始めた様子である。 これ程までに鳩山内閣支持率が低下し不支持率が支持率を上回ってしまった現状で、小沢氏擁護を貫くことの理不尽さに気付かぬ訳もないといったところか…

 それにしても一国民として少し救われるのは、民主党内部において反小沢勢力の議員達が「小沢氏は辞任するべき」と声高に叫び始めたことである。 小沢氏独裁の新政権の下にあって、その勇気を評価しよう。 民主党党内のより多くの良識ある議員が結集して、是非とも「小沢氏辞任」に追い込んで欲しいものである。


 振り返ると、去る2月4日東京地検特捜部は小沢一郎幹事長の資金管理団体の土地取引事件において、小沢氏元秘書現衆議院議員の石川氏らについては起訴処分とする一方で、小沢氏に関しては嫌疑不十分で不起訴とした。 これを受けて小沢氏は、石川議員らの起訴については「責任を感じている」と述べつつも、自らの幹事長辞任は否定し続投の意向を表明している。

 世論がこれを容認するはずもない。 この小沢氏の幹事長続投宣言と鳩山総理及び新政権内の小沢氏擁護に幻滅した国民の多くは直後に鳩山内閣不支持に転じたのだ。
 朝日新聞が2月5,6日に実施した世論調査によれば、内閣支持が41%、不支持が45%と、内閣発足以来初めて不支持が支持を上回った。並行して「小沢幹事長は辞任すべき」Yesが68%、「小沢氏の政治資金問題に対する説明に納得できるか」Noが86%、「鳩山首相の小沢氏の政治資金問題に対する対応に納得できるか」Noが76%、 はたまた「小沢氏が鳩山内閣に対して影響力を発揮することは好ましいか」Noが74% …
 今回の小沢氏の幹事長辞任否定宣言により、鳩山内閣が大打撃を受けていることは明白な事実である。

 それでも一方で内閣支持派が尚4割を上回り、上記朝日新聞世論調査の質問のひとつである「今年夏の参議院戦で投票先を決めるとき、小沢氏の政治資金問題を重視したいと思うか」の回答として「重視したい」が44%であるのに対し、「そうは思わない」が48%とのことで、一部の層においてまだまだ小沢人気は根強いものがあるとも言えそうだ。


 小沢氏の今回の幹事長続投の強気の姿勢は、上記のごとくの一部の小沢フリークファンよりの支持が政治資金問題ごときで失われるはずがないと、傍若無人に確信する魂胆によるものであろうと私論は推測する。
 さらには、小沢氏の幹事長続投は当然ながら夏の参議院戦対策が第一義なのであろうが、その参議院戦はまだまだ半年も先のことである。 この国の“貧乏”かつ軽薄で移ろいやすい国民性をまんまと利用し、4月には“金のバラまき公約”の一部実施も始めるし、この“目くらませ”政策の実施により今回の小沢政治資金事件など半年先には忘れ去られ風化していると虎視眈々と読んで、強気に振舞っているのかもしれない。  あるいは逆に、小沢氏独裁“のみ”でもっている新政権をこのまま小沢氏支配でやり過ごし、参議院戦直前のタイミングで“灰色”小沢氏が“形だけ”辞任することで国民に対しクリーンな政権の演出をしてインパクトを与え、何でもいいから票を取ろうとの魂胆、との見方もあるようだ。
 いずれにしても今回の小沢氏幹事長続投は、参議院戦における新政権の“票取り”作戦でしかない何とも“お寒い”鳩山内閣の実態であることには間違いない。


 だが、小沢氏のこのままの続投は決して通らない。 国民はこれを断じて通してはならないのだ。
 新政権は今一丸となって小沢氏辞任を迫るべきである。 それしか今後新政権が生き延びる道はないと私論は捉える。

 今回の小沢氏不起訴に関して朝日新聞2月5日に掲載された、作家・高村薫氏のオピニオンに私論は賛同するため、以下に要約して紹介しよう。 
 小沢氏の不起訴処分は、公判で有罪を立証するに足る証拠を検察が得られなかった結果に過ぎない。不起訴すなわち潔白ということにはならない。 今回の事件はまたしても「秘書が勝手にしたこと」という構図が繰り返されたに他ならない。小沢氏の関与の有無にかかわらず、関与が疑われたこと自体を深刻に受け止めるべきだ。(不起訴処分とはいえ)大きな道義的責任が小沢氏にはある。秘書の雇い主の政治家が自身の潔白を言うのは常識的に許されることではない。 我々有権者は長年、公正で透明な政治を求めてきた。政党助成金が税金から支給されるようになった今日、「政治資金規正法」の意味は極めて重い。それを形式的に捉える政治感覚は有権者を軽んじるものだ。 有権者は「小沢対検察」といった興味本位で事態を注視してきたのではない。 小沢氏は「政治は数の力だ」と言ってはばからなず、その数を作るのが資金であると考えて実力者となっている。 これは有権者が自民党型政治と決別したい思いで誕生させた民主党政権から最も遠い政治家の姿ではないのか。 石川議員のような若い政治家が自ら政治資金の闇に身を投じていた事実にも、あらためてため息が出る。


 新政権が本気で今後生き残って、政権及びそれを構成する一政治家として国政のために自らの信条を貫きたいという意気込みが真にあるのならば、即刻新政権内部の力で小沢氏を排除しよう!  そしてあのお飾りセレブ首相や、何のポリシーもなくただ小沢独裁に甘んじている小沢ガールズを含めた小沢氏周辺の“力なき小沢迎合派連中”も一気に抹消してしまおう。
 この期に及んで勇気を持って小沢氏辞任を要請し始めた民主党内“反小沢派”議員達の動向を、しばらく注視したい原左都子である。      がんばれ!!       
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料理嫌いな母が作る弁当の味は…

2010年02月06日 | 人間関係
 少し前の新聞の投書欄に、子を持つ母としては“ホロリ”とさせられる心温まる投書があった。

 早速、18歳男子高校生による「いつも絶品 母ちゃんの弁当」と題する朝日新聞1月24日「声」欄の投書を、以下に要約して紹介しよう。

 部活でラグビーをしている私の一番の支えは母である。 私の母は公務員で毎日朝から夕方まで、遅い日は夜9時過ぎまで働く日もある。いつも疑問に思うのは、そんなに働きながら帰宅した私に疲れた表情を見せないことだ。 そんな母を見て、私は一人の人間としてすごく自分に強いんだと感じている。 母は毎朝5時頃起きて弁当を作ってくれる。母の手料理は世界一と言っていいほど美味しい。それなのに、私は学校で弁当を食べる時に「今日のおかずは最悪やわ」「食べる気がなくなる」などと周囲の友達に対して強がって言いふらしていた。だが本当はそんなことは一度も思っていない。 この場を借りて母に謝りたい。「ごめんなさい。母ちゃんの弁当はいつも絶品で美味しいよ」と…。

 (これを読んだ投書男子高校生のお母上は、我が息子がこれ程までに素直に立派に成長していることを感慨深く思いつつ涙していることと、原左都子は思うよ。)

 それに引き換え、こと料理の分野に関しては子どもを産んだ後も“料理嫌い”を貫き通している出来の悪い母である私など、こんな感動的な投書を目にさせられてしまっては、穴があったら入って身を隠さなければならないような罪悪感に苛まれるというものだ。


 私事に入るが、我が娘が進学した私立中学は「給食」があるというのがその特徴の一つであった。それが理由で志望校として選んだという訳では決してない(?)のだが、第二志望校だったその学校に我が娘の入学が決まった時には、「これは命拾いだ! 3年間“弁当作り”が免除されるとは私って何てラッキー!!♪」 とうれしくて一人で飛び跳ねて喜んだものである。

 ところが3年間の年月などあっと言う間に過ぎ去るもの…   娘が高校に内部進学した暁には、この料理嫌いを押し通している母である私にも、“弁当作り”の過酷な日々が待ち構えていたのだ。
 ここでその詳細を説明すると、娘の高校にも校内カフェテリアもあり昼食の販売もあって生徒に昼飯を提供する体制は十分に整っている。 もちろん弁当持参(学校としては教育的意味あいもあってこれを奨励しているようだが)も自由な中、我が娘が“よりにもよって”私の手作りの弁当持参を選択したのである! (何を好き好んで… もう一回よ~く考え直そうよ…) と言いたいところであるが、可愛い娘に「お母さんのお弁当がいい」と言ってもらえたものならば、“ない腕”を振るうしかないのが親心というものだ。 

 そういう訳で、私は昨年4月から毎朝娘の弁当作りがノルマとして課せられている日々である。
 料理嫌いな手抜き母ではあるが、娘の食べ物の好みは当然ながら把握している。 栄養バランスを第一義に娘の好みも勘案しつつ、昨夜と朝飯のおかずの残りを入れたり冷凍食品等も大いに利用する中、一番力を注いでいるのが、色彩感覚の鋭い娘が弁当を開いた時に目にする色合いの美しさである。
 
 それでも私には決して娘に聞けない一言がある。 「今日のお弁当、美味しかった??」などとは、どうしても確認できない程の“料理劣等生”の私である。
 ただ、娘が食べた後の弁当箱を確認することで、その答をもらえていると解釈する日々である。 高校生と言う年代になっている今、身体の成長が著しく食欲が増大しているという要因も大きいとは考察するが、母手作りの弁当を我が娘はほぼ毎日“完食”! なのだ。 (ちなみに学校の給食はいつも食べきれずに残していた娘である。)
 これは親としては実にうれしいことである。このうれしさが次への原動力となり、この料理嫌いの私ですら、毎朝娘の弁当を作り続けられるという相乗効果をもたらしてくれるのだ。

 
 ここで私自身の過去を辿ると、上記朝日新聞投書欄の高校生と偶然まったく同様で、我が母も公務員の仕事を定年まで全うし続けた女性であった。 その我が母も多忙な仕事の中私のために弁当を作り続けてはくれたものの、いつも「弁当作りは大変だ!」と子どもの前で日々ボヤき続ける“愚かさ”を露呈していたものである。  母が既に年老いた今となってはもういい加減それを許そうとは思うものの、そういう我が母の“愚かさ”こそが私の現在の“料理嫌い”を紡いで来たものと私は考察するのである。 
 それ故に我が娘に対しては表面的な部分において我が“料理嫌い”を演技力でカバーしつつ、決して我が母の過ちのあの“醜態”を子どもの前で晒すことだけは繰り返したくないと、心に決めている私でもある。


 それにしても母子の関係というのは人間関係の中で最高に崇高な関係なのであろう。
 それが証拠にその反面においては、たかが子どもの「弁当作り」一つで全人格が判断されてしまうごとく、過酷な人間関係であるのかもしれない…。 
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別れた恋人との再会

2010年02月04日 | 恋愛・男女関係
 昔の恋人と再会したいと思われたことがありますか?


 私には、別れた恋人と再会した経験が過去において2度程ある。 いずれも、まだ若かりし30代の頃の話であるが。

 その一つは、よくあるパターンの同窓会においてである。 ただしこの事例は「昔の恋人」ではなく私が一方的に“片思い”をしていた相手に過ぎないのだが、ここで少しその話を紹介しよう。
 卒業後20年程が経過した我が郷里の高校の同窓会における出来事である。
 高校生当時の淡い“片思い”物語すらすっかり忘れ去って出席した同窓会において、私はお相手の男性が出席していることに当初まったく気付かずにいた。 会合が盛り上がりつつあった頃、過去の記憶も薄れている私の隣にその“片思い”の男性がやってきたのだ。その時初めて私の脳裏に若かりし“片思い”物語がフラッシュバックしたのである。
 その時のシチュエーションを説明すると、当時私は30代後半にして学位取得を目指し大学院に在籍していた時期である。 20年ぶりの同窓会において、30代後半にして未だに独身の身で現役大学院生として学業に励んでいる現況を自己紹介したところ、同窓生の反響たるや予想以上であり、皆が羨ましがり私の学位取得を激励してくれたのだ。
 その後やってきたのが、上記の私の片思いのお相手である。 何分、私の一方的な片思いだったため、当時“お付き合い”はおろか、話さえろくろくしていない相手である。それでも自分の思いだけは伝えたくて「ラブレター」などをしたためて渡し、相手もそれに真摯に返答をくれた記憶がある。  同窓会の席でその彼曰く「○○(私の旧姓)はすごいよな! 自分はその後公務員になってもう子どもが2人いる父親だけど、○○の自己実現欲に感動させてもらったよ。 これからも○○が自分の夢を実現するのを応援してるから頑張れよ!」
 我が高校時代の“片思い”のお相手が、好感度バツグン!のパパに変身していたのが何とも印象的だったものだ。

 もう一つの物語は、既に「原左都子エッセイ集」“恋愛・男女関係”カテゴリーバックナンバー「偶然の再会」でも披露済なのだが、これは正真正銘「過去の恋人」とのまったく偶然の再会である。
 20代後半にお付き合いしていたその恋人とは“神がかり”的としか表現できない程、現役恋愛中から大都会東京で偶然に何度も何度も出くわしていた。決してどちらかがストーカーをしていた訳でもないのに、あちこちで偶然会うのだ。 行動半径の一部が共通という事情があったとは言え、冗談抜きでデートの約束をする手間が省けるほど偶然会ったのである。
 そしてその彼と別れた後疎遠となり30代半ばになっていた頃、また大都会東京において偶然の再会が我々に待ち受けていたのである。 この偶然にはお互いに一番驚き合ったものだ。 ターミナル駅での地下鉄乗換の際電車後方のドア辺りで奇跡的にも再会した二人は、せっかくだから飲んで帰ろうということになり電車を降りて一時の会合を持ったのである。 それ以降もその相手から何度か連絡があって会ったのだが、私の結婚後はお互いの連絡先が不明となり偶然会うチャンスも一度もないまま現在に至っている。 


 朝日新聞1月30日別刷「be」“悩みのるつぼ”に寄せられた相談は、50代主婦による「33年前に別れた恋人と再開し」 という題名の下に、現在お互いに幸せな結婚生活を送っているにもかかわらず、33年ぶりに再開した男性に対して抱いたキュートで切ない思いを綴った相談であった。

 その回答者であられる社会学者の上野千鶴子氏の回答に同感する原左都子である。
 それでは、上野氏の回答内容の一部を要約して以下に紹介しよう。
 人生の黄昏に出会いや再開があるのは恵みというもの。 今さら家庭を作り直そうとか、夫を取り換えようとかいうのでなければ、親しい友がひとり増えたと思えばいい。 結婚した女は異性を友にしてはならないと誰が決めたの? 人口の半分は異性。その半分を友人関係から排除するのはもったいない。 老後に、もう一度男女共学の交友関係が生まれておかしくない。 あなたが機嫌よく暮らしていることが現在の伴侶である相手にとっても何よりであろう。 そして、まさかこの主婦が自分さえいれば夫はそれで十分に幸福と思うほど傲慢ではないと信じたい。
 まあ、それにしても一度や二度の再開で舞い上がらないことである。33年の歴史はお互いを確実に変えているものだ。 その上でなお培われる熟成した友情であるならば、歳月がもたらした贈り物と考えてその滋味を味わい、夫にもその経験を味わわせてあげる気になろう。


 我が若かりし30代の独身の頃に昔の恋人(あるいは片思いだった相手)に再会できて一時有意義な時間を共有できた私であるが、その後長い年月、同様の場面を経験することなく経過している。
 この朝日新聞の相談者と同年代の50代半ばに達している今現在、もしも今昔の恋人との再会が叶ったならば、どのような心の動きが経験できるのであろうか? それはこの私とて興味深いものがあろうと想像を巡らしてみる。
 そんな心理を楽しみつつもその上で、過ぎ去りし過去の感慨深い歴史に遭遇することとは、その裏側で現状の責任も伴うものであるとする社会学者の上野氏の見解に賛同の原左都子である。
 30余年の歴史とは、私が上記で述べたようなまだ若い時代の10、20年足らずの年月の経過とはその趣が異なるはずである。 上野氏がおっしゃる通り、自分の現在の居場所を見失わない範囲内で偶然の再会の相手との友好を楽しめる力量がお互いにあるならば、別れた恋人との再会も有意義な結果をもたらすのかもしれない。  
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