昨日は敢えて、「原左都子エッセイ集」の執筆をお休みにした。
理由は表題の通りだが…
まさに、“コロナ禍”と9月半ばにして未だ襲ってくる“猛暑”に身体のみならず脳内も不活化し、「閉塞感」にずっしりと苛まれてしまっている私だ…
ランニングも早く再開したいが、高齢域に達した今、この35℃前後の猛暑の中でそれを実行するのは自殺行為に近いことは認識出来ている。
昨日午後は、パソコンも開かずスマホも閉じたままにして…
そうだ、せめて散歩に行こう! との意欲が沸いたのはラッキーだった。
昨日午後は特別晴天でアスファルトへの太陽の照りつけが強烈な中、私は日傘を頼りに近くへ散歩に出かけた。
そうだ、見知らぬ街を歩いてみよう! との発想が出て、自宅から近いのだが今まで行ったことの無い方角へ向かった。
100メートル程歩くと、既に汗だくだ。
娘が通った小学校を通り過ぎて行くと、まさに未知の世界だ。
その町名は知っていたものの、こんなに迷路の街並みだったんだ! と驚いた頃には既に道に迷っていた。
まあいいさ、どうせ自宅から近いから家へは帰れるだろう、との楽観視が直ぐに裏切られる。 しかも店舗の一つも無い住宅街だ。
家を出て30分程経過した頃に、(やはり、早めに家への帰り道の見当を付けておきべきだ)と我に返った私は、通りがかりの自転車の女性を捕まえて道を尋ねた。
「あの、〇〇小学校(娘が卒業した小学校)への道程を教えて頂きたいのですが?」
女性応えて「えっ? 聞いた事が無い小学校名なのですが… 」😨
この返答にかなり驚いた私が更に尋ねて「〇〇町(我が住所地)の方角は分かりますか?」
女性「おそらく左の方向だと思うのですが、よく分からなくてすみません。」
いやはや人が溢れている都会とはこんなもんだと、妙に実感させられる。
都会に於ける個人の生活範囲とはこれが通常であろう。 自分の子の学校区が異なるのみで別世界であることが、重々理解可能だ。 この私とて逆の立場で道を尋ねられたとしても、応えに難儀するだろうとガッテンだ。
とりあえず女性の指示方向へ脚を進めた。
10分程歩いたが、またもや風景が異なって来てしまうではないか!
少し焦り気味の私は、今度は私程の年齢層の女性に道を尋ねた。
(これは聞いた相手が悪かったと後に反省したが)、失礼は承知だが、外見からして生活に困窮していそうな女性に「〇〇小学校の方向をご存じですか?」と声を掛けた私の大失敗だった。 まるで、(そんなの私に関係無いよ…)と言いたげな表情で私をにらみつけたまま、無言で去って行った…
いやいや、都会の人間模様の縮図を垣間見たかの迷い道出来事だった。
こうなったら仕方が無い。 自助努力で自宅に戻るしか無い!
とにかく少し大きな通りに出よう。 と考え直し、またしばらく歩いていると、ゴーゴーと鳴り響く車の轟き音が耳に入ってきた!
(あっ、環七通りだ! これで命拾いだぞ!!)
環七に出れば、もう自宅までの帰り道が判明したようなものだ。
脚の疲れが何だか取れた気分で、心も軽快になってきた!
何だかランニング練習をしたよりも汗だくなのだが、足取リも軽く自宅近くに到着だ。
近くのスーパーで買い物を済ませて自宅に無事生還。
ランニング練習前後には必ず体重測定をする習慣のある私だが。
昨日の猛暑散歩の前にも体重を量ってから出かけた。
帰宅後の体重を測定すると、何と! 0,5㎏も体重が減っているではないか!😁
昨日の“迷い道散歩”でも、ランニング練習同様のトレーニング効果があったと自己満足することとして。
ここのところ重苦しく我が身を襲っていた「閉塞感」からは少しは脱出できた、との結論に無理矢理至ろう。