本日も、朝日新聞2022.01.29付「書評」ページより。
乗代雄介 著「皆のあらばしり」に対する、京都芸術大学専任講師氏 江南亜美子氏による「知識欲で幻の本追い騙し騙され」と題する書評を、以下に要約引用しよう。
知識欲に突き動かされ、熱狂の時を過ごす一人の高校生の姿を通し、学ぶことの面白さを大いに喧伝してみせるのが本書である。
栃木県にある皆川城址で、地元の高校の歴史研究所に所属するぼくは、大阪弁を喋る30代とおぼしき男と出あう。 歴史に造詣が深く、明治期の地誌の下書きや当地の旧名家の蔵書目録に並みならぬ関心を示すその男は、どこかうさん臭くて一筋縄ではいかなそう。 しかし博学ぶりは本物で、それに魅了されたぼくは、ある書物についての調査に協力することになる。
小津久足著「皆のあらばしり」。小津安二郎の遠縁、久足によるものと目録に記載はあるが、その他のどこにも記録の無い本は実在するのか。 男とぼくは、探偵とその見習いのように、幻の真相に迫っていく。
素数の日の木曜ごとに2人が待ち合わせる城跡公園は、らせん状の曲輪を持ち、道行く人の姿をふいに見失わせる構造となっている。 憧れと疑心の間で揺れつつ、素性も狙いもなかなか明かさぬ男にぼくは食らいつき、対話を重ねる。 そして、自分の有用性を認めさせるべく秘策を繰り出す
「騙すということは、騙されていることに気付いていない人間の相手をすることだ。」 これは物語最終版の男の言だが、騙し騙される関係におのずと読者も巻き込まれるだろう。
ぼくが圧倒されるのは、男の知識量である。 神社の手水鉢の石の種類まで言い当てられ驚きを隠せないぼくに、男は「学ぶうちに知らなあかんことが無限に出てくんねん」とうそぶく。 知識は世界に対する認識の解像度を上げる。 歴史の深堀りは、人々の連綿たる営みの上にある現実を知ることだ。 人文学の意義が問われるいま、本書のメッセージは心理の光となる。 マウントでなく、知性で結びつく対等な関係。 ぼくの憧れは私たちの憧れでもある。
(以上、朝日新聞「書評」ページより要約引用したもの。)
原左都子の私事、及び私見に入ろう。
いや~~~。 何だか、原左都子の長年に及ぶ学問・研究遍歴の“悪あがき道程”をまとめてくれたような書評だ。
そんな我が“悪あがき道程”においても、キーパーソンとの出会いというものがいくつもあった。
上記の“大阪弁を喋る学問への造詣が深い博学男との出会い”に類似した出会いもあった。
その人物こそが私に2度目の大学進学先を指南してくれたのだが、その指南無くして私は新たな学問に触れることが叶わなかっただろう。
そしてその博学男性は我が2度目大学合格を一番喜んでくれて、その後わざわざ大阪から東京まで私の新たな専門分野の書物(自身が過去に学んだ書物群)を沢山運んでくれたりもした。
そんなバックアップもあり、私は大学・大学院と順調に進み指導教授陣に恵まれつつ「経営法学修士」を取得することが叶っている。
最後に書かれている、「マウントでなく、知性で結びつく対等な関係」。
これも我が人生を貫く、人との出会いの理想形である。
それが今に至って尚かなり叶えられている我が人生かな?、と思えるのは嬉しいことだ。
「人文学」に関してはさほどの造詣を積み重ねてきていない私故に、その分野の論評は避けるべきだろうが。
表題に掲げた「知識は世界に対する認識の解像度を上げる」。
これはまさにその通りであり。
その行為を今までの人生に於いてある程度実践に持ち込めている我が身である事実に、とりあえず安堵させてもらえそうだ。