原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

再掲載 「見つめるインド人」

2022年01月21日 | 旅行・グルメ
 昨日の「原左都子エッセイ集」編集画面によると。

 2008.10月に訪れた「インド旅行」関連エッセイに多くの閲覧を頂戴していた様子だ。


 2008年と言えば、今から14年前。
 私にとって、美術家知人と二人で訪れたインドは昨日の事のように思えるのだが、もうそんなに年月が経過していたのか!? と驚くばかりだ。

 この旅行は、女性知人美術家氏が美術国際賞を受賞されたのに伴い、インド・ボパールに位置する国際博物館にて開催された美術賞授賞式に同行させていただくのが目的だったが。

 初めて訪れるインドの大地に生を営むインドの人々との出会いに恵まれ、心が動かされたり、深く考えさせられたりの繰り返しの、またとはない貴重な体験を積むことが叶った旅行だった。



 それでは、2008.11.08公開の「見つめるインド人」を、以下に再掲載させていただこう。


 (冒頭写真は、アグラにある世界文化遺産“ファテープル・シークリー”で出会ったプライベートスクールの小学生たち)

 インドは、日本人を含む黄色人種系の観光客が少ない。私が今までに訪れた世界の国々の中で、一番日本人を見かけない国だったように感じる。
 そのため物珍しいせいか、インド人からの注目度が高い。どこへ行っても大勢のインド人の大きな黒い瞳に見つめられる。好奇心が強く純粋で素直な国民性なのかもしれない。皆さん、遠慮のない視線を投げかけてくる。
 私など、こういう現地の人とのふれあいが旅行の大きな楽しみのひとつであるため、注がれた視線にいつもすかさず微笑み返すのだが、あちらもとてもいい顔で微笑み返してくれる。(ただし微笑み返してくれるのは中流階級以上のインド人だ。下流階級の人々は決して微笑まない。最低限の衣食住に精一杯で微笑む余裕などないのが現状なのであろう。)

 子どもはもっと好奇心旺盛で、積極的に声をかけてくる。「ナマステ!(ヒンズー語で“こんにちは”」「ハロー!」などなどと。喜んで応じると、すぐになついてくる。至ってフレンドリーだ。 例えば、上の写真はアグラの観光地“ファテープル・シークリー”で出会った、遠足か校外学習か何かで現地に来ていたプライベートスクールの小学生たちである。目敏く日本人の我々を見つけると、駆け寄って来て「ハロー!」と言って握手を求めてくる。私が微笑みながら快く応じていると、引率の先生と思しき人や周囲にいた観光中のインド人の大人までが駆けつけてきて握手を求めてくる。まるで売れっ子タレント並みの大人気者にでもなった気分の私である♪♪  その後、小学生グループはずっと私の回りを取り囲みつつ付いてきて、皆が話しかけてきたりスキンシップを求めてきたり、とにかく何とも可愛らしい。私が写真を撮ろうとすると皆が喜んで我先にとカメラの前に立ち、この写真のような満面の笑みを振りまいてくれる。お陰でこの観光地を出るまで、この小学生たちとの楽しい一時を共有させてもらえた。
(今の日本の小学生のように「大人を見たら悪者と思え」的な寂しい教育環境の下とは大違いの、自然体で無邪気な子ども達である。)

 大人のインド人が声をかけてくれる第一声で一番多かったのは“Are you Chinese?”である。後は“Korean?”あるいは“Thai?”というのもあったが、残念ながら“Jananese?”が出ない。う~ん、日本の国力、知名度はここまで堕ちぶれているのか??と、こんなところで妙に実感させられる。
 一昔前までは、世界中に日本人観光客が蔓延っていたものだ。どこの国に行っても日本の“団体さん”が醜態を晒していたものだが、すっかりアジア諸国のニューリッチ層にその座を取って替わられている模様だ。
 せっかく海外旅行へ行っても周囲に日本人が多かったり日本語が聞こえてくると大いに白けるものだが、そういう意味でも今回のインド旅行は異国を満喫できたと言える。

 複数のインド人男性に年齢を尋ねられるのにも意表を突かれた。 まずは、ガイドのサキール氏だ。2日目のドライブ中にいきなり「何歳ですか?」との質問を受けた時には一瞬たじろいだ。日本では昔から女性に対して年齢を聞くことは失礼だとされているし、また近年は個人情報保護の観点からも公共の場で年齢を尋ねられることは皆無だ。 おそらくインドでは年齢を尋ねることはありふれた会話のひとつなのであろう。公表する程の年齢でもないためとっさにこちらから聞き返してごまかしたのだが、人間同士が親しくなるワンステップのようで少しも悪い気はしないものである。

 そんな一方で、見つめるが微笑まない下流階級の存在がやはり気にかかる。
 車が信号待ちの度に目敏く観光客を見つけて、車がひしめく道路上を命がけで車の窓硝子を叩きにくる子ども達。中には“サーカス芸”を身につけ、信号待ちの車の狭間でバック転を披露したりしてお金をせがむ子もいれば、自分がまだ3、4歳なのに赤ちゃんを抱いてやってきて「チチ、チチ(乳)」と言いながらミルク代を要求してくる幼女もいる。この子達の視線は真剣ではあるが、決して微笑まない。私は少額紙幣や日本から持参してきたお菓子をあげたりしたのだが、心境は複雑だ。

 片や、インド国内線のエアラインを利用しているのは言わずと知れているが皆上流階級だ。たまたま席で隣り合わせた青年はデリーで国際線に乗り継いでこれから仕事でニューヨークへ向かうと言う、IT産業に従事するエリートエンジニアだ。聞いてみたところ、やはり数学はハードに勉強したという。フレンドリーに話しかけてくれるのだが、流暢な英語についていけず残念ながら話がとぎれとぎれになる。

 以上のように、ごく一部の上流階級と大勢の下流階級が入り乱れつつ日々の暮らしを営むインドという国の実態を私は垣間見てきた訳である。
 いつの日かの未来に、文明の歴史や伝統があり自然環境も豊かなインドというすばらしい大地に生を受けた全国民が、心から微笑むことのできる社会が築かれる日の到来を私は望むばかりである。 

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 ついでに、インド旅行記に掲載した写真の一部も再掲載しておこう。

          

          

          

          


 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーを再掲載したもの。)