原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

明日閉幕する東京五輪、一貫して開催反対派だった原左都子からの苦言

2021年08月07日 | 時事論評
 冒頭から、朝日新聞2021.08.07付社説「五輪閉幕へ 問題放置せず検証急げ」の記事内容を、以下に要約引用する。


 東京五輪は、明日最終日を迎える。
 巨額の税金を投じ、新型コロナ禍による開催の1年延長という異例の経緯をだどった末に、世論を二分して強行された大会である。
 政府、東京都、大海組織委員会には、持ち上がった問題を整理し、これまでの対応を検証して、結果を国民そして世界に報告する義務がある。
 2016年大会の招致に失敗し、再挑戦を掲げた11年以降、様々な疑問や懸念が指摘されたが、多くは納得できる説明のないまま放置されてきた。 招致をめぐる贈賄疑惑、膨れ上がる経費の詳細。 当初掲げられた「復興五輪」の理念もうやむやになった。
 浮き彫りになったのは、責任の所在を明確にしないまま不都合な話ややり過ごし、既成事実を重ねていく、まさに最近の政治そのままの姿だ。(中略)
 約束した「検査と隔離」を柱とするコロナ対策も同様だ。
 例えば疑念が持たれている大会ボランティアの検査実態について、組織委は日々稼働した人数や検査件数を明らかにせず、ただ「ルールを守るようにお願いしている」で済ませてきた。 遅きに失したとはいえ、具体的なデータを示して課題と教訓を共有するとが、日本からのウィルス持ち帰りを警戒する世界への務めだ。 口にしてきた将来へのレガシー(遺産)とは、そういうことではないのか。 (中略」)
 そのために欠かせないのが記録の保全と公開である。98年長野冬季五輪でも、帳簿類が焼却されていて、真相の解明に至らなかったとの苦い経験がある。
 政府、都、組織委それぞれに活動内容や意思決定に至る文書類があるはずだ。 文書管理を徹底して国民への説明責任を果たすよう、改めて念を押しておきたい。
 
 (以上、朝日新聞本日の「社説」より一部を要約引用したもの。)



 原左都子の感想及び私見に入ろう。

 上京後、既に40何年かの年月が流れているが。

 これ程までに大都市東京で重苦しく危険な空気を吸わせられたのは、この五輪期間が初めてのことである。

 最初は何と無謀にも、この五輪を観客を入れて実施するとの政府、都、組織委の指針だった。 コロナ感染爆発的拡大にもかかわらず三者はそれを譲らず、一都民としてやきもきさせられていると、やっとこさ開催直前に無観客が決定した。

 ただ五輪中継テレビ映像をニュース報道等で垣間見るに、何処の五輪会場も会場内外が人出でごった返している。 その人出を制止するふうでもなく、ボランティアらしき係員がただプラカードを持って突っ立っている。
 あれじゃあコロナ感染が拡大するのもやむなし、と思いきや。 五輪期間中に、東京都のコロナ感染者は5000人/日規模にまで達する始末。
 今後ますます急激にコロナ感染者が増加し、8月中旬ごろには感染者数が10,000/日までに達するとの、医師会等よりの空恐ろしいまでのコロナ感染者数等の試算発表にもかかわらず。
 菅首相は、「高齢者の重症者数は減少しています」等々、究極“いいとこどり寝とぼけ”発言しか発しない。

 そんなこんなの混乱が五輪期間中日々繰り返され、それでも明日やっと!!


 東京五輪は終焉を迎える。

 少しは都民として安心して暮らせる日々が蘇るのか?
 そんなはずはあり得ないが、とにかく五輪が閉幕することに心底安堵感すら抱かされる。

 それにしても、上記朝日新聞社説が指摘しているがごとく。
 政府も都も組織委も、五輪閉幕後の五輪関連各種事項の検証こそが大仕事であろう。 その検証作業の手抜きが許されるはずもない。
 どうかその検証作業に今後は尽力して、国民が納得のいく説明責任を果たし。
 まさに東京五輪開催前に豪語していた、五輪に於ける将来へのレガシー(遺産)を残して欲しいものだ。  (所詮、戯言だったのか???)