原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

グランマ・モーゼス ー 素敵な100年人生 シリーズ ー vol.2

2021年08月21日 | 芸術
 (冒頭写真は、朝日新聞 愛読者プレゼント「グランマ・モーゼス 素敵な100年」シリーズより、第2回の2枚の作品の中から 油彩作品「農場の引っ越し」。)


 先月から朝日新聞愛読者プレゼントは、グランマ・モーゼスにバトンタッチしている。


 早速、1枚目「農場の引っ越し」の解説を以下に引用しよう。

           
 結婚後はアメリカ南部のバージニア州で暮らしていたグランマ・モーゼスだったが、18年後、45歳の時に北部へ帰ることになった。 故郷ニューヨーク州のイーグル・ブリッジに農場を購入し、5人の子どもとペットや家畜も連れて引っ越した。 ありったけの家財道具と大量の食糧を貨車に積み込み、三日三晩かかった大移動のいきさつを、モーゼスは懐かしい思い出として自伝に綴っている。
 本作は、そうした思い出の一端がのぞく。 人々が荷物を運ぶ様子はまるでお祭り騒ぎ。 鮮やかな色の家財道具や農作物が画面を活気づけている。


 ここで、一旦原左都子の私事だが。

 この私も、今までの人生に於いて両指で数えても足りない程の回数の引っ越しをしてきた人間だ。
 思い出すままにその数を数えてみると。  何と! 16回に及ぶ。 

 その中でも一番に我が脳裏に浮かぶ引っ越しは、やはり何と言っても、新卒にて東京の企業に入社する際に過疎県から上京した際の引っ越しだ。
 父の軽トラ(父には造園の趣味がありそれが我が家にあった)に荷物を積み込み、海路東京へと二人で向かった。
 フェリー乗り場には、親戚の人々が数人見送りに来てくれていて、出発の汽笛と共に皆が手を振ってくれる。
 その光景が我が心に沁みて、泣けるわ、泣けるわ… 涙がとめどなく溢れ出る…
 そんな我が心情に配慮してくれた父が、一言も声を発することなく横で見守ってくれた。

 あの日から、40何年かの年月が流れた現在。
 大都会東京で今尚しぶとく力強く生き抜いている私が、今ここにいる。




           
 モーゼス2枚目の作品は、「雷雨」。

 こちらも、解説を紹介しよう。

 グランマ・モーゼスの作品では、風景の表情の変化が巧みに捉えられている。 嵐の場面はその好例だ。 本作では、夏の終わりの草原の乾いた茶色や黄色、木々の多様な緑色、そして迫り来る嵐のため変化しつつある空の色などが印象的に描かれている一方、人や動物の動きは抽象的だ。 これはモーゼスの特徴的な様式のひとつである。 また、一枚の画面の中には、同時に、または連続的に起こることが想像できるような、複数のレベルでの動きが組み合わされている。


 またもや、原左都子の幼少時に体験した「雷」を振り返ってみよう。

 我が親どもは私が幼き頃より共働きだったため、普段は父系の祖母が面倒をみてくれていた。
 祖母は元女学校の和裁教員をしていた人材で、それはそれはテキパキ動き、はっきりとものを言うしっかり者の頼りになる人物だった。  
 その祖母がいつも姉も含めて二人の孫を見守ってくれていたのだが。 その日はおそらく突然の雷雨で出先から帰れなかったのだろう。
 私一人で幼稚園帰りの留守番中に、強烈な雷に襲われた。 我が5歳頃の事だ。
 まさに、上記モーゼスの絵画のごとくの暗雲昼間の空に立ち込め、雷の轟とと共に、家の中でいると怖さに耐え切れない。
 思い切って外に出た方が誰かが助けてくれるかもしれない!、なる幼心の未熟な思考で外(と言っても昔の家屋のため縁側の屋根が大きいのに助けられたが)に出て、雷の行方を見守ったものだ。

 このモーゼスの絵画を見て、それを思い起こした。


 このように記載してくるに。

 モーゼスの絵画とは、鑑賞する人にその人なりの過去の光景をよみがえらせてくれるがごとくの描写力を、内在しているのかもしれない。