原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

左都子の「自然科学概論」 小講座 Ⅰ

2021年06月08日 | 学問・研究
 本日は2本前のウィトゲンシュタイン関連エッセイにて紹介した、哲学者・古田徹也氏著「はじめてのウィトゲンシュタイン」が届くはずで、それを心待ちにしていたのだが…

 おそらく一階の正面玄関ポストに既に投函されていると予想するが、取りに行くのが面倒臭いため、急遽エッセイテーマを変更することとしよう。


 
 未だ「科学哲学」から離れたくない我が心理を尊重し、本日は同じく2度目の大学 「科学哲学」担当のA先生による「自然科学概論」講義ノートより引用させていただこう。

 参考だが、我が2度目の大学には“医学部”と“理学部”も併設されていたため、当該「自然科学概論」受講者数は「科学哲学」に比しはるかに多かった。
 (ついでに言うと、元々医学部出身の私は医学部生対象授業の中で、他学部学生も選択可能な授業を受講したりもした。 少人数の授業の場合、講師より突然、「はい、そこの人、ヒトの染色体の数を言って。」などと振られる場面もあり、私の場合は医学経験がものを言ったものだ。)😓 


 
 それでは、我が2度目の大学「自然科学概論」講義ノートより、2回目の授業を掲載しよう。

          


          

          

          

 さすが概論ものの授業のため、A先生も「科学哲学」に比して英語等外国語の使用が少ないなあ。
 
 それでも哲学がご専門のA先生故にやはり内容が“哲学色”濃厚、一貫して聴き応えのある授業だった。


 以下に、上記2度目の授業内容を要約しよう。
 (すべてが“聞き取り書き”のため、記述が不十分であったり誤りがある点をあらかじめお詫びしておきます。)

 科学の歴史に出発点が存在するか? 科学はもっぱら地球上で生じた出来事を扱う。 まるで孤立したシステムであるかのように…
 そして“ホモサピエンス”に視野を限定する。
 ホモサピエンスはかなり急激にその種が生まれた。 その後著しい変化があったとは考えられない。 要するに生物学的進化は無い。 特に知的能力に於いて。
 その「知的能力」の測り方だが。 “脳の大きさ”は当てにならない。 “文化的遺物の比較”、これもナンセンスだ。

 科学とは、技術の背景があって初めて可能になる。 大学の理系は、科学?技術? (ここで突然原左都子の私論だが、両者ではなかろうか?)
 では、科学と技術の違いとは何か? 科学は一体何を追求するのか?
 普遍なものをこの世界で見つけることなのか?
 〇 もの(対象)として  例えば、原子 これは不可分であり生まれたり滅びたりしない。
 〇 規則性として  自然法則 の存在
 〇 表現する  これにより初めて「科学」が生まれる。

 動物は、かなり複雑な規則性を認識しているのではないかと思われるふしがある。  例えば、カワセミ。 光の屈折理論を知っているのではなかろうか?? カワセミは「屈折の法則(スネルの法則)」を身につけてはいるが、表現はしていない。
 その「規則性の法則」だがこれぞ科学と技術の違いであり、表現するのが科学。
 無文字文化における科学の解明に於いては、蓄積と伝達が課題となる。 ところが個人のみならず、集団記憶も当てにはならない。(構造的記憶喪失)
 伝達のための工夫としては、「口承」(説話、神話)が挙げられる。その内容をimpressive(印象的。 私見だが、おーさすがA先生、やっと英語がでたぞ! )なものにするため節や踊りをつけたりした。
 ホメロス等、昔物語の中に科学的知識が含まれている。 例:暦 歳差等
 ヒッパルコスがB.C.2年に春分点の移動を発見した、とされているが、この認識は無文字時代から観察され、規則として表現されていた。
 これらは、考古学調査により解明されている。

 (以上、我が2度目の大学講義ノートより引用したもの。)


 最後に、原左都子の感想を記させていただこう。

 さすが、A先生。
 「自然科学概論」の授業内容も十分に哲学的だ。

 この授業は当時「経営法学」専攻だった私として受講するかするまいか、かなり迷った記憶がある。 
 大学2年生にして、ことごとくA先生ファンであるが故に受講決断して大正解だったものだ。
 
 困惑させられたのは、受講者数が多かった事と。
 それら受講者が真面目に授業を聴いている我が元に、定期試験前ごとに「ノートをコピーさせて下さい!」とうるさかった事態である。
 その時に採用した我が行動とは。
 日頃付き合いがある学生には貸す。 それ以外は排除する! との手段だった。
 これ、当然でしょう。
 何らかの恩恵を得るためには、その努力を日頃から成すべきではないでしょうか?