先月の事になるが、以下のネット情報を発見していた。
早速、要約して引用しよう。
「大好きな担任が産休に入る。おかしいですよね。」と怒る中学3年生に「先生も学校は仕事。プライベートとは別」と諭す声
妊娠は当人からしたら喜ばしいが、他人も同じ思いかといえばその限りではないようだ。 某匿名掲示板に7月下旬、「担任の先生が妊娠」というトピックが立った。相談者は中学3年生で、担任が10月から産休を取るという。これに対して、「みんなのことを最後まで見てくれるって言っていたのに、今日になって10月に辞めるなんて。おかしいですよね」と訴える。
担任は誰からも愛されており、「先生が楽しみにしていた、修学旅行・合唱コンクール。それも一緒に出来ないと思うと涙が止まりません」と学校行事を一緒にできないことの辛さを吐露した。
(中略)
「(生徒が)受験を前に不安になる気持ちもよくわかりますよ。でも、進路指導されるのは担任の先生だけではないですよね。産休代替に入る先生や、学年の先生方が必ずサポートしてくださいます」
「(生徒が)受験を前に不安になる気持ちもよくわかりますよ。でも、進路指導されるのは担任の先生だけではないですよね。産休代替に入る先生や、学年の先生方が必ずサポートしてくださいます」
よほど担任のことが大好きで、中学最後の思い出を担任と一緒に飾りたかったのだろう。ネガティブな感情でいっぱいであるため、その矛先を先生に向けてしまうのも分かる気もする。ただ、先生には先生の人生があるのだ。
中には「先生も学校は仕事なんです。妊娠出産とかプライベートとは別」とコメントする人も。
「4月には妊娠わかってるので修学旅行とかコンクールうんぬん楽しみも全部嘘。そんなもんなんですよ。あなたのクラスだけとかいちいち感情移入してられないと思いますよ」
「誰にも好かれるような良い先生でも妊娠して辞めたら恨まれるんだ」
一方、"中学3年生の担任"の妊娠に対して困惑する声も見られた。
「業務の特殊性上、一年単位で年度内の業務を遂行する責任はあると思います。一般的な企業勤め等に比べ、その責任は大きい。教職は女性も多い職場なだけに、一昔前は、妊娠希望(予定)のある先生は、少なくとも1年生や最終学年の担任は持たないという不文律がありました」
「誰にも好かれるような良い先生でも妊娠して辞めたら恨まれるんだ。こんな時にノホホンと子作りしやがって私らの受験が大事だろう裏切り者ってこと?」 と先生が求められることの多さに戦慄する声も見られた。
学校現場に限らず、保育園や病院など女性が多く勤務する職場でも、妊娠するタイミングを口出しされるケースは残念ながらある。本来ならとやかく言われる筋合いはないはずで、そのあたりの意識を変えないと少子化も解消しないし、誰も幸せにならないだろう。
(以上、ネット情報より一部を引用したもの。)
いやはやこの話題は原左都子にして耳が痛く、穴があったら入りたくなる。😖
私事に入るが。
この私も表題のごとく、学年途中で高校教諭を出産退職した身故だ。
今思い起こすに妊娠公表から出産退職までの期間は、授業をはじめ業務の引継ぎ等で例年よりも怒濤のごとく仕事が多忙になった。
ただ幸いな事に高齢出産の身にして、至って普通に元気な妊婦期間を過ごせたことはラッキーだった。 そのため勤務中は周囲の誰にも迷惑を掛けずに済んだ記憶がある。
詳細を思い起こすと、一番大変だったのはまだお腹が目立たない“つわり時期”だったかもしれない。
電車とバスを3回乗り換えて片道2時間半の通勤をこなしていたのだが。 特に帰り道で異様な食欲が出るのだ。 “つわり”も人それぞれだろうが、私の場合は何故か“油っぽいスナック”を身体が欲して、日々駅の売店でポテトチップス類を買い、電車の中(東京方面上り列車だったため席が空いていたのに助けられた。)でバリバリ食い漁ったものだ。 それを皆に言うと、必ずや“変な妊婦”と笑われた😝 のか懐かしい…
この妊婦教員時代に一番嬉しかったのは、多くの生徒から妊娠全期間を通して祝福し労って貰えた事だ。
特に女子生徒達の何とも優しかったこと!
底辺高校(失礼な表現をお詫びしますが)だった故だろうが、上記ネット情報のように受験に差し障るだの、こんな時に妊娠退職とはとんでもない!! などとの非難を受ける事は一切なかった。 生徒の心に余裕があったのだろう。 本当に優しい子達ばかりで、「先生、無理しちゃだめよ。」「またお腹が大きくなったね。触っていい??」などと言いながらいつもよりも近づいて来て今までよりも仲良くなっての退職と相成ったものだ。
片や、教員間ではやはり妊婦の立場での勤務に対し“迷惑認識”が当然あったようだ。
そりゃその通りだろう。 必ず教員の皆さんに迷惑を掛けることを私側が認識していたため、出来る限りの通常勤務を頑張った。
生徒下校後校内で“喫煙”等の悪戯を働く生徒が出没するのを防止するため、当番制でその見回り業務があった。 時には暴力で訴えてくる生徒がいたりして危険性もある。 その業務から“妊婦の私”を外してくれようとした教員もいた。 ただ私から申し出て、その業務も退職直前まで続行した。 (と言うのも、私はこれらの“ワル”達にも人気教員だったのだ。 今思うに、当時のワル達とは“世間ずれ”していた記憶がある。 今現在の“ワル”連中とはまったく違った世界観があったのではなかろか、と振り返る。)
この“ワル”達が私のお腹を見ては、「センセー、いい子産めよ~~」と声を掛けてくれたものだ。 (今思い返しても嬉しくて泣ける話だが…)😭
退職日には教員はじめ生徒からも抱えきれない程の沢山の手紙やプレゼントを頂いた。 手紙や年賀状に関しては、その後数年間生徒達から届けられた。(今でも大事に保存してある。)
更には、出産後に遠方の我が家に“出産祝い品”を持参して尋ねてくれた生徒もいた。(既にバックナンバーにて公開済みだが。)
確かに受験期にある中高生を抱える学校現場と私が勤務した“底辺高校現場”とでは、明らかに抱える事情が異なることであろう。
あるいは時代背景的な要因もあるのかもしれないが…。
身勝手ではありながら、今思い返しても私は実に恵まれた教員時代を全う出来た類い希な存在なのであろう。
当時の生徒達があれ程までに我が妊娠時代を支え祝福してくれたことに、今更ながら感謝の意を表したい程だ。😍