“我が身が幾つあっても足りない”、とはこの事だろう。
本エッセイ集5本前のエッセイ(先週火曜日公開)の中で、私は以下の記述をした。
ここで、話題を我が郷里の実母に移すと。
次女の私に電話で悪態ばかり突いてくる嫌な奴だが、実母の取り柄は「元気」であることだ。
加えて施設体制が全く異なっている。 実母の自立支援施設はある程度の規模の病院附属であるため、その病院内に受診したい科がある場合は施設内で送り迎えをしてくれるとの大きなメリットがある。
その他の科に関しては、自分でタクシー利用により受診しているらしい。
今までのところ、保証人の私が郷里まで駆けつけねばならない病状は一切無く、これには助けられている。
この両人(義母と実母)の保証人を同時にしている私として、思うことがある。
保証人を始めた頃には、両人の健康状態や精神状態に大差は無かった記憶がある。 その後、特にここ2,3年でどうも義母の老化が加速した感が否めないのだが。
その差は何だったのか? あくまでも我が結論に過ぎないが。
実母には、この次女である私という“一生に於いて甘えられる相手”がいた。
何か問題事や嫌な出来事が発生すると、何の遠慮も無くこの私に電話でそれをぶちまけて来られた。 (こちらがそれを最大の迷惑と捉えているのも露知らす…)
片や、義母にはそんな相手がいなかったようだ。
義母にとっての私の存在とは、いつまでも「良き嫁」であるようだ。 いつ会っても「〇子さんに会えて嬉しい」とニコニコする義母だ…
(どうやら亭主との見合い結婚時の我が肩書きに関しては、義母は今となってはすべて忘れ去っている様子ではある。)
こんな名誉はないのだが、義母の私に対する第一印象があくまでも「“立派な経歴の”嫁」であったがために。 今に至っても心から甘えられる対象の相手ではないようだ…
次女の私に電話で悪態ばかり突いてくる嫌な奴だが、実母の取り柄は「元気」であることだ。
加えて施設体制が全く異なっている。 実母の自立支援施設はある程度の規模の病院附属であるため、その病院内に受診したい科がある場合は施設内で送り迎えをしてくれるとの大きなメリットがある。
その他の科に関しては、自分でタクシー利用により受診しているらしい。
今までのところ、保証人の私が郷里まで駆けつけねばならない病状は一切無く、これには助けられている。
この両人(義母と実母)の保証人を同時にしている私として、思うことがある。
保証人を始めた頃には、両人の健康状態や精神状態に大差は無かった記憶がある。 その後、特にここ2,3年でどうも義母の老化が加速した感が否めないのだが。
その差は何だったのか? あくまでも我が結論に過ぎないが。
実母には、この次女である私という“一生に於いて甘えられる相手”がいた。
何か問題事や嫌な出来事が発生すると、何の遠慮も無くこの私に電話でそれをぶちまけて来られた。 (こちらがそれを最大の迷惑と捉えているのも露知らす…)
片や、義母にはそんな相手がいなかったようだ。
義母にとっての私の存在とは、いつまでも「良き嫁」であるようだ。 いつ会っても「〇子さんに会えて嬉しい」とニコニコする義母だ…
(どうやら亭主との見合い結婚時の我が肩書きに関しては、義母は今となってはすべて忘れ去っている様子ではある。)
こんな名誉はないのだが、義母の私に対する第一印象があくまでも「“立派な経歴の”嫁」であったがために。 今に至っても心から甘えられる対象の相手ではないようだ…
このように分析してくると、両人の保証人を担当している我が身としては。
義母・実母共々、決して憎むべき対象ではないのは当然であり。 今後共に両人のより良き保証人を務めたくなるとの我が心理が不思議でもある…
(以上、本エッセイ集バックナンバーより一部を掲載したもの。)
このエッセイを公開して、1時間後位の夕方の事だ。
既に夕食の準備に入っていた時に、固定電話が郷里の実母の名を告げる。
(こんな忙しい時間に鬱陶しいなあ…)と思いつつ電話口に出てみると。
実母が泣きながら、「今すぐこちらへ来て欲しい! 三叉神経痛の発作が起こって痛くて身動きが取れない。 明後日には手術をして貰う(これはあくまでも実母の希望的発言であり大嘘)、それまでに到着するように!」
参考だが、我が実母は本来“他人に厳しく自分に甘い”ところがあるのに加えて、物事を大袈裟にしたがる性分でもある。
それを重々承知している私がとりあえず応えて、「痛いのは分かったが、少し落ち着こうか。 今すぐ来いと言われても、私がどんな状況下にあるか貴方も知っているよねえ。 発達障害の娘を抱え日々その支援をし、あまり役に立たない亭主も抱え、義母の保証人も担当している。 皆が日々私に“おんぶに抱っこ”状態で成り立っている我が家なのよ。 それを十分知っていて、その発言をしているの? そもそも三叉神経痛とは死ぬ病ではない。 元を辿れば、何故貴方の高齢者自立支援施設への入居を推奨したかと言えば、遠方に住む私が有事の際に直ぐに駆けつけられないが故よ。 しかも貴方が住んでいる施設は病院附属だ。 遠方の私に泣きついて今すぐ来い!などとの無理難題を吹きかける前に、自分できちんと施設のスタッフや病院に相談したらどうなの? おそらく施設側も三叉神経痛とは死ぬ病気では無いからこそ、貴方を一人で部屋で過させていると思うよ。 しかも、現在の大都会東京のコロナ禍状態が如何なるものか、貴方も承知しているはずだ。 この状況下で娘に郷里まで今直ぐ来いと命令することとは、お前もコロナに感染して死ね!と言われているも同然だ! とりあえず、貴方がいつも頼りにしている親戚筋の叔母に私から電話して相談してみるが、叔母とて迷惑な話だよ。
とにかく明日電話するから、それまでは一人で耐えるか、耐えきれない場合は施設のスタッフに自分から相談しなさい!」
厳し過ぎると感じるかもしれないが、我が実母とは昔から嫌になるほど“他人に厳しく自分に甘い”ところがあるのは事実だ。
しかも、普段 “私は誰よりも頭がいいんだぞー!”とでも言いたげにいつも偉そうに振る舞っている割には、肝心なことが言えない気の弱さや、この事例のごとく有事の際に何らの役に立たない人間でもある。
さて、私は実母が現在一番依存している郷里に住む叔母にあたる人物に何年かぶりに電話を掛けてこの件を相談した。 その電話は1時間半に及ぶ長電話となったのだが。
実母の実の妹である叔母は私としても昔から信頼出来る人物なのだが、それだからこそ普段実母が依存し過ぎているとの事情もある。
その長電話の結果のみ述べると、我が思考と叔母の思考がピタリと一致したのだ! (昔からこの叔母と私は思考回路がよく似ていると認識している私だが)何だかDNAの成せる業とも言える程に、今回の実母の“三叉神経痛の痛み騒動”の結論が折り重なった!
これは実にラッキーだった。
その結果を実母に伝えた段階では、未だ痛がっていたが…
翌日になって、少しは私側の事情も受け入れてくれた。
そして本日先程かかって来た実母からの電話では。
「すっかり痛みが取れたよ! 今回は娘の貴方に迷惑をかけて申し訳なかった。 今は元通り元気に施設で暮しているから心配しないように。」
この能天気にして、何故“自分は頭がいい”と周囲に吹聴し敢えて嫌われているのか…(実際、聞かされる方が恥ずかしいぐらい実母は自分を褒める癖がある。) そんな実母の歪んだ性質こそが、今後を通して何とも気がかりだが…
こちらとしてはとりあえず、コロナ禍渦中に空港へ行ったり飛行機に乗ったりせずに済み、本気で命拾いの思いだ…😷
これもすべて郷里の叔母に相談したお陰だ。
叔母さん(既に後期高齢者域の方だが)、今後とも実母の件で相談に乗って頂きたいものであります。