原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

義母の耳鼻科定期受診、もう終了してよいように思うが…

2020年09月01日 | 医学・医療・介護
 高齢者介護施設に暮す義母の耳鼻科定期受診日が、2日後に迫っている。


 “コロナ禍”以降は、私では無く亭主が義母の耳鼻科受診に付き添っているのだが。
 (私の“院内コロナ感染を是が非でも避けたい”との思いを、亭主が受け入れてくれたが故だ。 亭主はコロナ禍下に於いても、自らの体調不良の際には普段通り医院を受診している。 その経験から、おそらく“院内感染”対策が出来ていて大丈夫だと信じている人種だ。 片や私は“病院へ行かない主義”を貫いているため、実際病院内のコロナ対策の実態を全く心得ておらず、不安感が拭い去れないのだ。)

 その亭主が脚を痛めたと言い始め、昨日整形外科受診した。 
 どうやら大したことは無かった様子だが、電車に乗る際の階段昇降等に不安感がある、と言う。


 そんな亭主に向かって、私は義母の耳鼻科定期受診に関する私見を述べた。
 「義母の耳鼻科受診だが、もう辞めてもいいように思う。 何年間もずっと私が付き添ったから周知しているが、定期受診で一体何をやっているかと言うと、そのほとんどが“補聴器の点検”だ。 耳鼻科医による聴力検査や耳の垢取りは半年に1度のみだ。 補聴器の点検をしたからといって、既に認知症状が極限まで悪化せんとしている義母の耳は、それに比例して聞こえが悪くなるばかりだ。 その改善は既に見込めないと解釈してよいのではなかろうか? 今後は“聞こえない”ことを前提とした人生を義母が歩み、周囲の我々もそれに付き合うべきではないだろうか?」

 亭主応えて、「母本人が耳鼻科へ行きたい意思があるうちは、たとえその受診が無駄であれども付き添ってやりたい。」 
 私が内心で(実の息子のその思いは分かるが、若くも無い付添人が脚を痛めた状態でまで無理して付添う必要も無いだろうに…. )と思いつつ、「日程を変更してもいいんじゃない? それよりも、義母の体調不良等で本人からドタキャンして来る時もよくあるから、先に義母の体調を問うたらどう?」
 
 参考だが、現在義母との電話での会話が一切成り立たないレベルにまで義母の耳が聞こえの悪さが深刻なため、施設を通して伝言をお願いする形式を採用している。 
 亭主がそれを問うため施設へ電話を入れたのだが… その返答がなしのつぶて状態…

 もうここは、私が覚悟を決めるしか仕方ない。
 「じゃあ、分かった。 義母の体調が良くて本人に耳鼻科へ行く意思があるのならば、今回は私が付きそうよ。」 



 ここで、話題を我が郷里の実母に移すと。

 次女の私に電話で悪態ばかり突いてくる嫌な奴だが、実母の取り柄は「元気」であることだ。
 加えて施設体制が全く異なっている。 実母の自立支援施設はある程度の規模の病院附属であるため、その病院内に受診したい科がある場合は施設内で送り迎えをしてくれるとの大きなメリットがある。 
 その他の科に関しては、自分でタクシー利用により受診しているらしい。
 今までのところ、保証人の私が郷里まで駆けつけねばならない病状は一切無く、これには助けられている。



 この両人(義母と実母)の保証人を同時にしている私として、思うことがある。 
 保証人を始めた頃には、両人の健康状態や精神状態に大差は無かった記憶がある。
 その後、特にここ2,3年でどうも義母の老化が加速した感が否めないのだが。

 その差は何だったのか?  あくまでも我が結論に過ぎないが。

 実母には、この次女である私という“一生に於いて甘えられる相手”がいた。 
 何か問題事や嫌な出来事が発生すると、何の遠慮も無くこの私に電話でそれをぶちまけて来られた。 (こちらがそれを最大の迷惑と捉えているのも露知らす…)

 片や、義母にはそんな相手がいなかったようだ。
 義母にとっての私の存在とは、いつまでも「良き嫁」であるようだ。 いつ会っても「〇子さんに会えて嬉しい」とニコニコする義母だ…
 (どうやら亭主との見合い結婚時の我が肩書きに関しては、義母は今となってはすべて忘れ去っている様子ではある。)
 こんな名誉はないのだが、義母の私に対する第一印象があくまでも「“立派な経歴の”嫁」であったがために、今に至っても心から甘えられる対象の相手ではないようだ…
 
 このように分析してくると、両人の保証人を担当している我が身としては。
 
 義母・実母共々、決して憎むべき対象ではないのは当然であり。
 今後共に両人のより良き保証人を務めたくなるとの我が心理が不思議でもある…

 明後日は、この私こそが義母の耳鼻科定期受診に付き添いましょう!