原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

藤井聡太七段、棋聖戦挑戦者決定戦・挑戦権獲得おめでとうございます!

2020年06月05日 | 自己実現
 冒頭から、表題に関するネット情報を引用しよう。

 将棋の高校生棋士・藤井聡太七段(17)が4日、東京都渋谷区の将棋会館で行われた第91期棋聖戦挑戦者決定戦・永瀬拓矢2冠(27)=叡王、王座=に後手番の100手で勝ち、渡辺明棋聖(36)=棋王、王将=への挑戦権を獲得した。 タイトル挑戦の最年少記録を31年ぶりに塗り替えた。 持ち時間が切迫してから「残り16分の藤井」が胆力を発揮し、大激闘を制した。 
  追い求めた切符を手にした直後でも、藤井はいつもと変わらなかった。 「挑戦することができてうれしく思います。すぐ開幕するので、しっかり準備したいです」。淡々と思いを語ったが、感想戦で将棋の局面を考えている時だけは楽しそうに笑っていた。     
 将棋史に残る激闘を制した。 記録を塗り替えた1勝は通算205戦目。 最高の名局でモノにした。 振り駒で後手番を引くと、永瀬が用意した事前研究の深さに手を焼いた。 難解すぎる展開に、4時間の持ち時間は中盤で残り16分間に切迫した。永瀬は1時間以上を残していた。 「時間が少なくなって局面は中盤。厳しいと感じました」     
 並の棋士なら悲観する窮地から真の力を発揮し始める。 未知の局面に超絶技巧で対応し続け、永瀬が悪手を指した。 形勢逆転。 リードすれば、あとはいつも通りに正確無比に指すだけだった。     
 タイトル挑戦年少記録は屋敷伸之現九段(48)が1989年度の第55期棋聖戦で中原誠棋聖(当時)に挑戦した時の17歳10か月24日。 藤井は5番勝負第1局が行われる8日時点で17歳10か月20日のため、4日更新した。     
 デビューから3年半。「四段になった当初からタイトル戦は目標でしたけど、難しい状況が続いていた。挑戦できるのはうれしい。前に進めたのかな、と思います」。 中3日で開幕する5番勝負では、羽生善治九段らと共に平成後期から棋界の頂点に君臨し続ける渡辺棋聖に挑む。 最強棋士に立ち向かうが、昨年2月に行われた唯一の直接対決は藤井が制している。 「最高の舞台にふさわしい将棋を指したいです。充実されている相手ですけど、1勝でも多く勝てるように頑張りたい。得た機会はしっかり生かしたいです。」     
 会見終了後の写真撮影。カメラマンはガッツポーズを要求したが、藤井は応じなかった。 敗れた永瀬への配慮もあるだろうが、決意とも見て取れた。 真の達成とは挑戦ではなく、タイトルを奪うことなのだと。
     
 ◆藤井 聡太(ふじい・そうた)2002年7月19日、愛知県瀬戸市生まれ。17歳。杉本昌隆八段門下。5歳で将棋を始める。12年、奨励会入会。16年、史上最年少の14歳2か月で四段(棋士)昇段。17年、デビューから無敗のまま史上最多29連勝を記録。詰将棋を得意とし、圧倒的な終盤力を誇る。19年、朝日杯連覇。名古屋大教育学部付属高3年在学中。鉄道や地理、世界情勢に詳しい。


 原左都子の“戯言”に入ろう。

 そうか。 少し前まであんなに可愛い小中学生だった聡太くん(もうそう呼べない程立派になられたが。)も現在高校3年生。
 鉄道や地理、世界情勢に詳しいとのこと。  
 今後の大学進学は如何に考慮されているのだろう。

 伏し目がちで一見シャイそうな風貌だが、決してそうではないのだろう。
 “残り16分からの大勝負”だったとのことだが、それをやり退ける藤井七段の底力や咄嗟の闘志の程はもの凄いものがあるのだろう。
 
 ご両親の育て方も、並ではなかろう。
 棋士としての聡太くんの将来を冷静に見つめつつ、その邪魔をせず裏方としての応援の仕方が研ぎ澄まされているのだろう。

 我が私事を語っても埒があかないが、私など愚かな親どもに(豊かな才能??を)潰されまくって10代を過ごした感がある。  
 この私も幼少の頃に、親に例えば「この子に将棋でもさせようか」なるセンスが少しでもあったならば人生が違っていたかもしれないと、藤井七段を拝見する都度思ったりもする。 (我がせっかくの“IQ168”を活かせなかった親どもだ……)
 ただ若き日にそんな親どもも郷里も捨てて上京する決断を自ら下せたことで、その後の我が人生が私なりに豊かになった確信はある。 
 それでよしとしよう。


 とにもかくにも、藤井聡太七段の本戦での勝利を応援申し上げます!