原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

私も20年程前に実姉との縁を切った

2018年06月09日 | 人間関係
 何本か前に公開したエッセイ「米国の甥がNASAに就職内定、喜ぶべきだが…」 内で少しだけ記載したが。

 私が、国際結婚にて米国に永住した実姉と縁を切って、既に20年程の年月が流れている。
 その後、実母を通して姉(やその息子)に関する間接的な連絡はあるものの、私側からはもちろんのこと、姉本人からの連絡も遮断状態だ。
 これは、現在の通信手段の“着信拒否”革命の凄さの恩恵によるだろう。 私側から縁を切った直後期に姉が電話にて連絡を寄越そうとしたふしはあるものの、“着信拒否”技術発展の成果により、私はその後20年来姉と一切直接かかわらずに済んでいる。


 今日、何故この話題をテーマに掲げたかと言うと、本日2018.06.09付朝日新聞「悩みのつるぼ”の相談が、「妹からの突然の『絶交』宣言」だった故だ。

 早速以下に、70代女性による相談内容を要約して引用しよう。
 私と妹とは共に70代で3歳違い。 元々4人兄弟だったが他の二人が既に亡くなり、私と妹が残った。 それぞれの夫を見送った後、ずっと家族ぐるみで割りと仲良く付き合ってきた。 夫に先立たれてからも、お互いに誕生日プレゼントやお歳暮を贈り合うなど、気持ちのいい付き合いを続けてきたつもりだった。 
 ところが、最近になって突然妹からメールが届き、一方的な「絶交宣言」をされてしまったのだ。 妹曰く、「今まで我慢してきたが、しばらくメール、はがき、手紙は休みます。お元気で。」 本当に晴天の霹靂だった。  妹が頑なである限り、もう以前のような関係には戻る事は望めないと思っている。 ただ、あまりにも突然で想像もしていなかった事態に、自分の気持ちをどう落ち着ければよいのかが全く分からない。 このような状況との向き合い方をお教えいただきたい。
 (以上、朝日新聞「悩みのるつぼ」より相談内容を要約引用したもの。)


 今回の「悩みのるつぼ」回答者は歌手・俳優の美輪明宏氏であり、その回答題目とは「まずは妹さんに謝ることから」なのだが……

 経験者である妹側の私から結論のみ言わせてもらうならば。

 それは絶対に違う!! 

 特に近しい血縁身内間での「絶縁」とは、“命がけ”に近いものがあると我が経験から宣言しよう。 今後一生絶対に関係をぶり返さないとの覚悟の下に成される壮絶な行脚なのだ! 

 今更、我が実姉との「縁切り騒動」を振り返りたくもないため、その理由等々の詳細記述は避けたいのだが…。
 実姉に対する“嫌悪感”は、既に幼少の頃から我が内面に存在していた。 何分、両親が共働き家庭で普段は祖母に育てられていたとの事情もあり、幼少の頃より“お利口さん”の評価が高かった私は、姉に関する苦情を誰にも言えず一人で耐え抜いていた。
 (姉側の名誉も言い分もあろうし、既に絶縁して20年の年月が過ぎ去った今となっては滅多やたらな発言を控えるべきだろうが…)
 片や姉は、幼少期より心理面で大きな問題を抱えていたようだ。 私のように“一人で耐える”との能力に欠け、常に両親は姉に手を焼いていたようだ。 
 そんな両親は、姉が私を“いじめる”との手段で憂さ晴らしをし、自分の歪んだ心の整合性を取っているのを祖母から聞いて知っていながら、妹である私の忍耐力に甘え見て見ぬふりをし続けた。
 そんな姉がちょうど高校生に成る時に、父の実家を一家4人で出る事になった。 その時の姉の希望が、「私は祖父母の家に残る!」だったのだ。 これを陰で一番喜んだのは私だが、実は父母共に手のかかる姉が祖父母の家に残ってくれる決断をした事を両親も内心喜んでいたはずだ。
 その後姉は大阪の大学に進学し、その後しばらく大阪で暮らした後、米国人との国際結婚にて米国へ渡ったとのいきさつだ。

 実際、実姉は我々一家にとって実に“迷惑かつ厄介な存在”だった。
 その姉が米国に渡り「私は大嫌いな日本へは二度と帰らない!」宣言をした時、特に私と実母は手を取り合って「良き結果となった」と喜んだものだ。
 ところが外見容姿が(私以上に!??)整い、頭脳明晰(これは私が姉より数段上かな!?!)かつ自己主張と自己顕示欲が激しい姉は、米国男性にはモテモテなものの、その異様な性質の正体がバレたならばすぐに捨て去られる運命に遭う、また遭うのだ…
 そうなると、すぐさま日本の妹の私と実母に泣きつく習性は米国に渡った後も続いてしまった…
 しかも嫉妬心激しい姉が、私が先に娘を出産した際に、私相手に何と電話を寄越したのかと言うと、「先に産みやがって! 姉の私がどれだけ辛いか分かるか!!」だった事実を一生忘れる事はない。
 ただ、その後姉本人も遅ればせながら43歳で男児を出産し安堵したのだろう。 後は比較的安定していた様子だが、それでもただの一人として女友達が出来ない姉は、日本の私へ愚痴電話を頻繁に寄越し続けた。

 その頃、私は娘のサリバンとして日夜切磋琢磨していた。 遠方に住む何の恩恵も無い姉などに関わっていられる訳も無い。 しかもおそらく私は娘のサリバン母として人格的にも強さを築き上げようとしている段階だった事と、後に考察するのだが。
 娘が4歳頃だっただろうか。 米国の姉からいつものように電話が掛かって来て私には無関係の無理難題(その内容は忘却しているが)を告げた際。 

 我が口から冷静にすんなりと出たのは。 
 「もう、金輪際縁を切りましょうか!? あなた(姉)も米国へ渡りその地で今後生きていくのでしょう?? 私の方は、あなたが大阪へ行った時から正直言ってあなたには何の用もなかったのよ。 それでもあなたがずっと私に電話や手紙を寄越すからそれに義務感で付き合ってきたけど、今後は私は娘の母親として可愛い娘を大事に育てることを最優先したいと思っている。 私の方は友達等人間関係にも恵まれているし、遠く米国に住むあなたに今後共一切依存するべき事も無い。」
 姉が何と応えたかの記憶が薄い。 ただ、我が“絶縁”に対する物凄いまでの覚悟の程は姉に通じたものと実感した。


 そして、あれから20年が経過した今尚、姉からも何らの連絡もない。
 きれいさっぱり絶縁できたと私は信じている。

 本気の絶縁とは、「謝れば許される」などとの生易しいもので絶対ないのだ!
 それを朝日新聞相談者も、今後共肝に銘じるべきではなかろうか。