原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

私から縁を切られた実姉だが、姉は私を羨んでもいた…

2018年06月10日 | 人間関係
 昨日、前回の我が“衝撃的実話告白エッセイ”「私も20年程前に実姉との縁を切った」を記した後、実姉と交流があった頃のエピソート群が堂々巡りに我が脳裏を彷徨い続けている…


 20年程前に妹の私側から実姉との縁をきっぱりと切った事実に関しては、何らの心残りも無い。

 それどころか、あれをせずしてその後の我が“正常な”人生が成り立たなかったであろうと、娘のサリバンの立場を貫いている私はプラスの意味合いで振り返ったりもする。

 要するに極論を語るならば、過去に於いて実姉をあの精神状態のまま私が抱え、たとえ電話や手紙の手段であろうが姉の我がままや愚痴を言いたい放題にさせる事とは、イコール、実姉に対しても私は歪んだ意味合いで“サリバン先生”であらねばならなかったとの事だろう。
 それ程までに、実姉とは到底“対等に係れる”相手ではなかったのだ。 


 そんな実姉と交流していた、特に我が独身時代の記憶が今蘇る。

 とにかく特にどうしても女友達が出来ない姉にとって、妹の私とは、それを補完・代替するかけがえのない存在だったようだ。 
 姉が大阪へ行った後、さすがに実母も“親の責任”範疇で仕事の休暇をとっては定期的に姉の元へ通っていた。 ところが、姉からは妹の私にこそ大阪に来て欲しい、とよく要望して来た。
 大阪へ行ったところで、これまた私が姉の愚痴吐き捨て話の聞き役に徹するしか他に無く、どう考えても私にとっては面白い旅ではないはずだ。
 ところが、実は私にとっても“面白い部分”もあったのだ。 だからこそ私は、独身時代に姉が住む大阪へも米国にも行ったという訳だが。

 姉に会うに関して何が面白かったのかを告白すると。
 何分、外見的要因や表向きのプロフィール等が充実している姉は、男友達と知り合うチャンスには事欠かない。 ところが、(前エッセイに記した通り)いざ付き合ってみると、何とも異様な歪んだ姉の性質に男友達も早期に気が付く。 こうなると、誰しも“逃げ”の姿勢に転ずるのは自明の理だろう。

 そんな“逃げの姿勢”に転じそうになった男友達や彼氏を引き留める方策として、姉は妹の私を昔から利用する手法に出ていたのだ。
 「ほら、私にはこんな可愛い(??)妹がいるのよ! この妹が明日大阪(米国)に来るから是非会って!」との要望を出したら、それに飛びつく男どもが多発したのが事実だ。

 実際問題、私は大阪や米国にて、姉の友達や彼氏等々現地の男性陣に数多く会った。 姉同席の時もあれば、男性と1対1の時もあった。
 さすがに姉のセレクト男性達は種々の条件に於いて優れていて、会って会話するのが楽しかったものだ。 そして彼らのほぼ全員が口々に言うには、「お姉さんは心理面で多少問題を抱えているが、妹の貴方はよく出来た人物だね。 モテるでしょ?」だったものだ。 中には「自分と付き合って欲しい」なる要望も届いた。 姉も私の自由にすればよい、とも言った。 ただし、そう事は簡単ではない。 私にだって彼氏はいたし遠距離だし、そう易々と付き合えるものでもない。 
 そんな中、友達として長く付き合える人物にも恵まれた。 その相手はその後の我が進路相談に乗ったりと影響を与えてくれたりもした。
 究極、我が独身最終期に姉の米国の男友達と国際恋愛も経験した。 たったの8カ月程でその国際恋愛は終焉を迎えたが、私にとっては実に思い出深い出来事だ。


 そんなこんなで、今現在私が思い出す実姉に関する“プラスの記憶”と言えば、「男関係」関連事象に尽きそうだが…。
 どういう訳か、実姉は私の男関係に関してのみはいつも寛大で、私が実姉の男友達と恋愛関係に至った暁にも何ら嫉妬しなかった様子でもあるのが不思議だ。
 というより、実姉が私に紹介した男どもと仲良くする事実を歓迎していたふしすらある。

 それと並行して実姉は、自分が紹介した男どもと私がすぐに懇親になれるそのキャパを羨んでもいたのだ。
 「どうして、貴方は今現在知り合ったばかりの相手とそんな風にフレンドリーに対応出来るの? その能力が羨ましい。」と、我が30代半ばを過ぎた頃に姉が私に直接伝えた記憶が鮮明だ。
 これに関しては、我が長き独身時代を通じての「職業遍歴」に負うところが大きいものと考察しつつ…

 実姉からその話題が出た時点で、我が姉も米国で人格的成長(姉にも他者を羨み褒める能力がやっと備わって来た実態)を遂げているものと実感していたにもかかわらず。

 今振り返れば、その数年後に私から姉に対し「絶縁宣言」を下さねばならなかった事実が、無念でもある…