表題の件で、実母から電話連絡が入ったのは今週の月曜日の事だった。
実母は一昨年秋から、郷里の大規模整形外科病院(以下、I病院としよう)が併設している高齢者自立支援施設へ入居している。
そのため、施設入居後は当該病院の整形外科及び内科に継続的にお世話になっているらしい。
母がその施設への入居を決定したのは、母の抱える主症状が“足腰の衰え”であるのが第一の理由だ。 入居直後より、整形外科にて足腰のリハビリに定期的に励んでいるようだ。
最近の事だが、その整形外科にて複数の医師と看護師より、膝の手術の提案があったと言う。
何でも現在膝の手術手法が劇的に進化して、高齢者でも術後の予後が期待できるとの話のようだ。
母曰く、「今後もI病院併設施設でお世話になるし、せっかく医師先生達が手術を勧めてくれるから、手術を受けてみようかと思うのだが…。 その場合1週間程の入院になる。」
私応えて、「そうだねえ。 万一術後の予後が悪くても、併設施設で責任を持って面倒をみてくれるだろうから、思い切って医師先生達の勧めに乗ってみてもよいかもねえ…。」
母応えて、「もしも今回手術をする事になれば、これが私にとって生まれて初めての手術だ。 看護師さん達は、麻酔するし全然痛くないよ、と言ってくれるのだけど、手術を3度経験している貴女はどう思う?」
私応えて、「全然痛くないと言うのは嘘かな。 麻酔が切れた途端に痛みが襲って来るし、ドレーンやカテーテルで体中繋がれる苦痛は相当のものがあるよ。」
ここで参考だが、私は今までの人生に於いて確かに3度手術を経験している。
一度目は、中学生の時に受けた虫垂炎手術。(手術入院のために実母に世話になったのはこの時のみだ。) 二度目は、高齢出産時の救急車で運ばれての緊急帝王切開手術。 三度目は、40歳の時に患った頭部皮膚癌摘出、及び自分の足からの皮膚植皮手術だ。
一番厳しかったのは、やはり二度目の緊急帝王切開手術だ。 あの手術の後はしばらく憔悴し切っていて、産んだ子供を見たいとの希望すら抱けない程だった。 我が子と初対面したのは、出産後3日目の事だった。 しかも緊急手術だったため尿カテーテル導入に問題があり、術後重症の膀胱炎に悩まされ、出産後1ヶ月程微熱が続いた。
その反省から三度目の皮膚癌摘出時は、手術の次の日の朝、自ら尿カテーテル除去を申し出て、植皮のため一部皮膚を除去した足の痛みにも耐え、自力でトイレへ通ったものだ。
ただ高齢の母には、次のように告げた。 「貴方の場合、I病院併設施設で今後もお世話になることだし、I病院の医師先生達の指示に従った方がいいかもね。」
そして返された母の回答とは。 「確かにそれが大きいのよ。 I病院とその併設施設でお世話になっている立場で、無下に手術を断れる身でもないし。 それにしても、やっぱり手術って痛いんだね……。 とにかく今週、内科と神経科(母は三叉神経痛も患っているのだが)を受診するから、それらの医師先生にも相談してみる。」
ここで話題を変え、もしも郷里の実母が1週間入院すると仮定した時の我が苦悩を語らせて頂こう。
この実母の入院話をすぐさま亭主に伝えた。 それを聞いた亭主の苦悩も我が苦悩と一致するのだが。
要するに、私が自宅に亭主と娘の二人を残して長期間家を離れた経験がただの一度も無いのだ。
いえ、亭主一人を家に残し、娘と二人である程度長期間海外旅行をした事はある。 その際には亭主が一人で無い能力を絞って一人での自活を頑張れば済む話だ。
ところが。 サリバンとして娘の教育・指導に精を出してきた母の私には十分に懐いている娘だが…。 片や、亭主にとっても重々可愛い娘であるのだが…。 娘と1対1になった時に、どうも未だに娘の扱い方が分からなく戸惑う亭主の様子でもある。 実際亭主が娘に対する接し方を誤ったがために、娘が幾度かパニック症状を起こした事があるのだ。 そうなるとサリバンである私の後のフォローが大変だ。
私の方が、この現状こそが気がかりだ。 もしも実母の病院付き添いのために1週間、それよりも長期間自宅から離れる事態は娘のためにも避けたい思いが強靭だ。
あるいは、私は東京に認知症状が進むと同時に耳の聞こえの悪さが極限に達しつつある義母も抱えている。 要介護の義母は当然ながら施設入居状態だが。
この義母の特異的症状として、私が郷里の実母の世話をしに行くと聞くと「私は寂しい…」と電話口で泣きつく。 そんな義母は電話の都度「徳島のお母さんは大丈夫か?」と私相手に繰り返す。 要するに自分一人のみに構って欲しい要求だ。 そんな義母を安心させる手段として、実際郷里の実母の施設を訪れる際にも亭主には決してそれを義母には言わず、単に私が近くに買い物に出かけたと返答するよう指導している。 ただ一週間以上も私が留守をする場合、それが義母に通じるかどうかなのだが…。
そのため実母入院付き添いに関し、この数日間私なりに様々な作戦を練った。
その結果として、東京と郷里を幾度か往復するスケジュールを考案した。 とにもかくもにも実母の入院日と手術日には是が非でも付き添うべきだろう。 その後一旦東京へ戻り、その後の母の回復具合を確認しつつ退院する頃に今一度郷里を訪れる案を考慮したりもしていた。
そうしたところ、ラッキーにも(と言ってしまうと語弊があろうが…)。
昨夜、郷里の実母より電話が入った。
その連絡によれば。
「I病院の院長先生が、貴女は年齢よりもまだまだ気持ちが若い女性のようだがら、膝の手術など受けなくていいよ。 それだけ歩けていれば十分。 これからもリハビリしながら施設で頑張ればいいよ!」と発言してくれたらしい。 それに即刻従い、手術入院中止の決断を下した実母だ。
原左都子としても我が身息災ながら、よくぞまあ、I病院院長先生がその発言(手術必要無し!)を実母相手にして下さったものだ! と感謝感激としか言いようがない。
実際問題、娘が抱える事情、及び高齢者を複数抱える我が身として、遠方に住む身内実母の手術入院付添い実態の厳しさを確認出来た今回の事件だった。
郷里の実母の場合、我がDNAと同様の丈夫な体質、それ以上なのだろうと想像する。
いえいえ、若き頃に戦争との厳しい時代を通過した経験に基づき、私よりも自分が持って生まれたDNAの表現力がたくましいのではないのかと、想像したりもする。
実母は一昨年秋から、郷里の大規模整形外科病院(以下、I病院としよう)が併設している高齢者自立支援施設へ入居している。
そのため、施設入居後は当該病院の整形外科及び内科に継続的にお世話になっているらしい。
母がその施設への入居を決定したのは、母の抱える主症状が“足腰の衰え”であるのが第一の理由だ。 入居直後より、整形外科にて足腰のリハビリに定期的に励んでいるようだ。
最近の事だが、その整形外科にて複数の医師と看護師より、膝の手術の提案があったと言う。
何でも現在膝の手術手法が劇的に進化して、高齢者でも術後の予後が期待できるとの話のようだ。
母曰く、「今後もI病院併設施設でお世話になるし、せっかく医師先生達が手術を勧めてくれるから、手術を受けてみようかと思うのだが…。 その場合1週間程の入院になる。」
私応えて、「そうだねえ。 万一術後の予後が悪くても、併設施設で責任を持って面倒をみてくれるだろうから、思い切って医師先生達の勧めに乗ってみてもよいかもねえ…。」
母応えて、「もしも今回手術をする事になれば、これが私にとって生まれて初めての手術だ。 看護師さん達は、麻酔するし全然痛くないよ、と言ってくれるのだけど、手術を3度経験している貴女はどう思う?」
私応えて、「全然痛くないと言うのは嘘かな。 麻酔が切れた途端に痛みが襲って来るし、ドレーンやカテーテルで体中繋がれる苦痛は相当のものがあるよ。」
ここで参考だが、私は今までの人生に於いて確かに3度手術を経験している。
一度目は、中学生の時に受けた虫垂炎手術。(手術入院のために実母に世話になったのはこの時のみだ。) 二度目は、高齢出産時の救急車で運ばれての緊急帝王切開手術。 三度目は、40歳の時に患った頭部皮膚癌摘出、及び自分の足からの皮膚植皮手術だ。
一番厳しかったのは、やはり二度目の緊急帝王切開手術だ。 あの手術の後はしばらく憔悴し切っていて、産んだ子供を見たいとの希望すら抱けない程だった。 我が子と初対面したのは、出産後3日目の事だった。 しかも緊急手術だったため尿カテーテル導入に問題があり、術後重症の膀胱炎に悩まされ、出産後1ヶ月程微熱が続いた。
その反省から三度目の皮膚癌摘出時は、手術の次の日の朝、自ら尿カテーテル除去を申し出て、植皮のため一部皮膚を除去した足の痛みにも耐え、自力でトイレへ通ったものだ。
ただ高齢の母には、次のように告げた。 「貴方の場合、I病院併設施設で今後もお世話になることだし、I病院の医師先生達の指示に従った方がいいかもね。」
そして返された母の回答とは。 「確かにそれが大きいのよ。 I病院とその併設施設でお世話になっている立場で、無下に手術を断れる身でもないし。 それにしても、やっぱり手術って痛いんだね……。 とにかく今週、内科と神経科(母は三叉神経痛も患っているのだが)を受診するから、それらの医師先生にも相談してみる。」
ここで話題を変え、もしも郷里の実母が1週間入院すると仮定した時の我が苦悩を語らせて頂こう。
この実母の入院話をすぐさま亭主に伝えた。 それを聞いた亭主の苦悩も我が苦悩と一致するのだが。
要するに、私が自宅に亭主と娘の二人を残して長期間家を離れた経験がただの一度も無いのだ。
いえ、亭主一人を家に残し、娘と二人である程度長期間海外旅行をした事はある。 その際には亭主が一人で無い能力を絞って一人での自活を頑張れば済む話だ。
ところが。 サリバンとして娘の教育・指導に精を出してきた母の私には十分に懐いている娘だが…。 片や、亭主にとっても重々可愛い娘であるのだが…。 娘と1対1になった時に、どうも未だに娘の扱い方が分からなく戸惑う亭主の様子でもある。 実際亭主が娘に対する接し方を誤ったがために、娘が幾度かパニック症状を起こした事があるのだ。 そうなるとサリバンである私の後のフォローが大変だ。
私の方が、この現状こそが気がかりだ。 もしも実母の病院付き添いのために1週間、それよりも長期間自宅から離れる事態は娘のためにも避けたい思いが強靭だ。
あるいは、私は東京に認知症状が進むと同時に耳の聞こえの悪さが極限に達しつつある義母も抱えている。 要介護の義母は当然ながら施設入居状態だが。
この義母の特異的症状として、私が郷里の実母の世話をしに行くと聞くと「私は寂しい…」と電話口で泣きつく。 そんな義母は電話の都度「徳島のお母さんは大丈夫か?」と私相手に繰り返す。 要するに自分一人のみに構って欲しい要求だ。 そんな義母を安心させる手段として、実際郷里の実母の施設を訪れる際にも亭主には決してそれを義母には言わず、単に私が近くに買い物に出かけたと返答するよう指導している。 ただ一週間以上も私が留守をする場合、それが義母に通じるかどうかなのだが…。
そのため実母入院付き添いに関し、この数日間私なりに様々な作戦を練った。
その結果として、東京と郷里を幾度か往復するスケジュールを考案した。 とにもかくもにも実母の入院日と手術日には是が非でも付き添うべきだろう。 その後一旦東京へ戻り、その後の母の回復具合を確認しつつ退院する頃に今一度郷里を訪れる案を考慮したりもしていた。
そうしたところ、ラッキーにも(と言ってしまうと語弊があろうが…)。
昨夜、郷里の実母より電話が入った。
その連絡によれば。
「I病院の院長先生が、貴女は年齢よりもまだまだ気持ちが若い女性のようだがら、膝の手術など受けなくていいよ。 それだけ歩けていれば十分。 これからもリハビリしながら施設で頑張ればいいよ!」と発言してくれたらしい。 それに即刻従い、手術入院中止の決断を下した実母だ。
原左都子としても我が身息災ながら、よくぞまあ、I病院院長先生がその発言(手術必要無し!)を実母相手にして下さったものだ! と感謝感激としか言いようがない。
実際問題、娘が抱える事情、及び高齢者を複数抱える我が身として、遠方に住む身内実母の手術入院付添い実態の厳しさを確認出来た今回の事件だった。
郷里の実母の場合、我がDNAと同様の丈夫な体質、それ以上なのだろうと想像する。
いえいえ、若き頃に戦争との厳しい時代を通過した経験に基づき、私よりも自分が持って生まれたDNAの表現力がたくましいのではないのかと、想像したりもする。