郷里過疎地から上京後、40年以上の年月に渡り大都会東京で暮らしている我が身にして、まさか今後まかり間違っても過疎地へ舞い戻ろうなどとの発想が一切湧き出て来ない人種だ。
「村八分」。 この言葉の印象に関しても。
今現在、もしも近隣コミュニティから我が身がその仕打ちを受けたとしても、それでも構わない気もする。 それどころか、基本的に“一匹狼”派の私としては、集団コミュニティ内の無意味で不要な付き合いを避けて通れ、返って清々しそうな気がしたりもするのだが……
話題を変えよう。
ネットにて、その「村八分」に関する情報を得た。 早速、以下に要約引用しよう。
大分県北部の小さな集落が「村八分」騒動に揺れている。 自治会がUターンした移住者の加入を拒んでいるなどとして、県弁護士会が「人権侵害」と勧告。 これに住民が反発している。 地方への移住が盛んになる中、双方に歩み寄る姿勢が必要とUターン経験者は指摘する。
県弁護士会の勧告などによると、兵庫県に住んでいた元公務員の男性(68)は2009年、母親の世話などのため、家族を残して計14戸が暮らす大分県北部の集落にUターン就農した。 自治会には母親が入っていたが11年に他界した。
男性は13年3月、国から農家に出る補助金の配布方法などを巡り、自治会の役員らと対立。 自治会は翌4月、「男性は集落に住民票がない」として自治会から外すことを決め、市報の配布と行事の連絡をやめた。 男性は14年に住民票を移し加入を申請したが、自治会は「必要な集落全員の賛同が得られなかった」として拒否した。
男性の申し立てを受けて調査した県弁護士会は、地域に住所をもつ個人の自治会加入を正当な理由なしに拒むことを地方自治法が禁じていることから、「排除は明らかな人権侵害」と判断。 自治会長に対し、加入を認め、行事の連絡などをするよう今年11月1日付で是正勧告し、同月6日に開いた記者会見で「明らかな村八分」と批判した。
一方、自治会側は「行事参加やごみ集積所の使用は拒否していない」と反論。 元会長(65)は、男性が加入拒否に絡んで自治会役員らを脅迫の疑いで刑事告訴したことを挙げ、「告訴は、地方自治法が定める加入を拒む条件の『正当な理由』にあたる」と訴える。「そもそも『感情の問題』なのに」と話し、法律論を持ち出す県弁護士会にも不満を示す。 自治会は11月12日に会合を開いたが、加入についての結論は出なかった。「男性が入るなら、自分は抜ける」という声もあったという。
男性は取材に対し、告訴理由を「地区は間違ったことをやったんだ、ということを知ってほしかった」と説明。 そのうえで、「この5年間、毎日孤独だった。勧告を真摯(しんし)に受け止めてほしい」と話す。
(以上、ネット情報より要約引用したもの。)
一旦私見に入ろう。
このUターン男性の当初の帰省の目的は、郷里に一人暮らしの母親の世話であったようだ。
少し分かりにくいのは、この男性が兵庫県に暮らす家族を残したまま単身でそのUターンを実行した事実だ。 元公務員とやらの男性家族が抱えていた実情の詳細は一切不明だが、家族を残して男性一人がUターンするとの事態とは、もしかしたら兵庫県での男性の家庭が崩壊状態だったと捉えられようか??
それが証拠に、母親が11年に他界後もUターン男性は単身で過疎地に残った様子だ。 その後も家族が暮らす兵庫県へ戻らずして、周辺住民との間にトラブルを起こしつつ住民票を過疎地に移している。
要するにこのUターン男性は、母亡き後も自らが生まれ育った過疎地にて暮らしていこうと志したのだろう。
全世帯14戸との超零細コミュニティ過疎地にて自分の家族も捨て去り残りの人生を歩むことを志したのならば、それなりの覚悟も周囲への歩み寄りも必要だったはずなのに、何故かこの男性は自己主張最優先行動に邁進してしまったようだ。
その顛末としての、自治体コミュニティからの「村八分」とのお仕置き。
それに対するUターン男性のコメントが、「この5年間、毎日孤独だった。勧告を真摯(しんし)に受け止めてほしい」
私見だが。
貴方の家族が円満だったならば、何も今更郷里過疎地まで舞い戻って、それほどまでに寂しい人生を送らずに済んだはずだ。 それを実行せねばならない責任の大本が自分自身にある事実を、何故68歳にもなって分からないのか!?!
厳しい表現だが、貴方の人生とは“墓穴を掘り続けている”としか表現しようがない。
もっと呆れるのは、自分の孤独の解消場所を過疎地自治体に期待して済むと思っているその浅はかさだ。 もしも貴方が訴え出た訴訟にたとえ勝利しても、悲しいかな、貴方という人間とは一生「孤独」なのだろう。
最後に、私論でまとめよう。
冒頭で記した通り、私自身は今後郷里過疎地に舞い戻る意思の欠片もない。 この東京に我が骨を埋めようと志し、既にその永代供養場所を都内某所に夫婦共々確保している。
その前段階の方策として、郷里の実母は昨年秋に地元の高齢者有料介護施設へ入居の段取りを取った。 我が勧めに自身の意思にて従った実母は、その施設で日々比較的楽しく暮らしている様子だ。
もしかしたら現在に於いて「村八分」などとの状態を生み出しているのは、現地の人々ではなく、むしろ一旦郷里過疎地を離れた後に郷里へ舞い戻ったUターン者の孤独感に苛まれつつの身勝手な行動・思想なのではなかろうか?!?
そんな印象を抱かされる、上記の「村八分」事件だ。
「村八分」。 この言葉の印象に関しても。
今現在、もしも近隣コミュニティから我が身がその仕打ちを受けたとしても、それでも構わない気もする。 それどころか、基本的に“一匹狼”派の私としては、集団コミュニティ内の無意味で不要な付き合いを避けて通れ、返って清々しそうな気がしたりもするのだが……
話題を変えよう。
ネットにて、その「村八分」に関する情報を得た。 早速、以下に要約引用しよう。
大分県北部の小さな集落が「村八分」騒動に揺れている。 自治会がUターンした移住者の加入を拒んでいるなどとして、県弁護士会が「人権侵害」と勧告。 これに住民が反発している。 地方への移住が盛んになる中、双方に歩み寄る姿勢が必要とUターン経験者は指摘する。
県弁護士会の勧告などによると、兵庫県に住んでいた元公務員の男性(68)は2009年、母親の世話などのため、家族を残して計14戸が暮らす大分県北部の集落にUターン就農した。 自治会には母親が入っていたが11年に他界した。
男性は13年3月、国から農家に出る補助金の配布方法などを巡り、自治会の役員らと対立。 自治会は翌4月、「男性は集落に住民票がない」として自治会から外すことを決め、市報の配布と行事の連絡をやめた。 男性は14年に住民票を移し加入を申請したが、自治会は「必要な集落全員の賛同が得られなかった」として拒否した。
男性の申し立てを受けて調査した県弁護士会は、地域に住所をもつ個人の自治会加入を正当な理由なしに拒むことを地方自治法が禁じていることから、「排除は明らかな人権侵害」と判断。 自治会長に対し、加入を認め、行事の連絡などをするよう今年11月1日付で是正勧告し、同月6日に開いた記者会見で「明らかな村八分」と批判した。
一方、自治会側は「行事参加やごみ集積所の使用は拒否していない」と反論。 元会長(65)は、男性が加入拒否に絡んで自治会役員らを脅迫の疑いで刑事告訴したことを挙げ、「告訴は、地方自治法が定める加入を拒む条件の『正当な理由』にあたる」と訴える。「そもそも『感情の問題』なのに」と話し、法律論を持ち出す県弁護士会にも不満を示す。 自治会は11月12日に会合を開いたが、加入についての結論は出なかった。「男性が入るなら、自分は抜ける」という声もあったという。
男性は取材に対し、告訴理由を「地区は間違ったことをやったんだ、ということを知ってほしかった」と説明。 そのうえで、「この5年間、毎日孤独だった。勧告を真摯(しんし)に受け止めてほしい」と話す。
(以上、ネット情報より要約引用したもの。)
一旦私見に入ろう。
このUターン男性の当初の帰省の目的は、郷里に一人暮らしの母親の世話であったようだ。
少し分かりにくいのは、この男性が兵庫県に暮らす家族を残したまま単身でそのUターンを実行した事実だ。 元公務員とやらの男性家族が抱えていた実情の詳細は一切不明だが、家族を残して男性一人がUターンするとの事態とは、もしかしたら兵庫県での男性の家庭が崩壊状態だったと捉えられようか??
それが証拠に、母親が11年に他界後もUターン男性は単身で過疎地に残った様子だ。 その後も家族が暮らす兵庫県へ戻らずして、周辺住民との間にトラブルを起こしつつ住民票を過疎地に移している。
要するにこのUターン男性は、母亡き後も自らが生まれ育った過疎地にて暮らしていこうと志したのだろう。
全世帯14戸との超零細コミュニティ過疎地にて自分の家族も捨て去り残りの人生を歩むことを志したのならば、それなりの覚悟も周囲への歩み寄りも必要だったはずなのに、何故かこの男性は自己主張最優先行動に邁進してしまったようだ。
その顛末としての、自治体コミュニティからの「村八分」とのお仕置き。
それに対するUターン男性のコメントが、「この5年間、毎日孤独だった。勧告を真摯(しんし)に受け止めてほしい」
私見だが。
貴方の家族が円満だったならば、何も今更郷里過疎地まで舞い戻って、それほどまでに寂しい人生を送らずに済んだはずだ。 それを実行せねばならない責任の大本が自分自身にある事実を、何故68歳にもなって分からないのか!?!
厳しい表現だが、貴方の人生とは“墓穴を掘り続けている”としか表現しようがない。
もっと呆れるのは、自分の孤独の解消場所を過疎地自治体に期待して済むと思っているその浅はかさだ。 もしも貴方が訴え出た訴訟にたとえ勝利しても、悲しいかな、貴方という人間とは一生「孤独」なのだろう。
最後に、私論でまとめよう。
冒頭で記した通り、私自身は今後郷里過疎地に舞い戻る意思の欠片もない。 この東京に我が骨を埋めようと志し、既にその永代供養場所を都内某所に夫婦共々確保している。
その前段階の方策として、郷里の実母は昨年秋に地元の高齢者有料介護施設へ入居の段取りを取った。 我が勧めに自身の意思にて従った実母は、その施設で日々比較的楽しく暮らしている様子だ。
もしかしたら現在に於いて「村八分」などとの状態を生み出しているのは、現地の人々ではなく、むしろ一旦郷里過疎地を離れた後に郷里へ舞い戻ったUターン者の孤独感に苛まれつつの身勝手な行動・思想なのではなかろうか?!?
そんな印象を抱かされる、上記の「村八分」事件だ。