原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「党首討論ゼロ」実態で我が国の民主主義は成り立つのか!?

2017年12月14日 | 時事論評
 今年は、国会で党首討論が一度も行われなかったらしい。
 2000年に正式にこの制度が導入されて以来、初めての事だそうである。


 早速、この話題に関してネットより毎日新聞情報を以下に紹介しよう。

 国会の党首討論が2000年の正式導入後、初めて年間に1回も開かれない見通しになった。
 12年末の安倍政権発足後は軒並み低調。 45分という限られた時間で論戦がかみ合わないことが多いため、最近は攻める側の野党が敬遠する傾向があり、国会活性化へ見直しを求める声も出ている。
 党首討論は英国議会を参考に、国会改革の目玉として始まった。 05年までは年に5〜8回開かれていたが、13年以降は年1、2回に減少。「月1回開催」という14年5月の与野党の申し合わせは空証文にとどまっている。
 討論には「衆参いずれかで10人以上」を満たす野党会派が参加でき、現在資格があるのは立憲民主党、希望の党、無所属の会、共産党、日本維新の会、民進党の計6会派。 全党首が討論に立てば持ち時間は減り、安倍晋三首相と突っ込んだ論戦をするのは難しい。
 しかも、首相が他の委員会や本会議に出席する週は党首討論を開かないのが慣例。 このため野党には、党首討論で不完全燃焼に終わるぐらいなら、予算委員会などで有権者にアピールしたいという思いが強い。 共産党の小池晃書記局長は「45分は短すぎる。十分な討論を保証する改革が必要だ」と提起する。
 もともと党首討論には与野党第1党が「党首力」を競う狙いがあった。 しかし、野党が多党化した現状では、野党側の「主役」が見当たらない。 6会派がばらばらなら立憲民主党が野党第1党だが、所属議員が民進党籍を持つ無所属の会と、参院会派の民進党が組めば立憲を上回る。
 与党からは「首相が長時間縛られる予算委より党首討論の方がいい」という本音も漏れる。
 某東京大大学院教授(政治学)は以下のように話す。 党首討論は2大政党を目指す制度改正の一環で導入された。 諸外国と比べて日本は首相の国会出席時間が長く、与党はさらなる負担になりかねない党首討論を敬遠しがちだ。 野党の追及を避けたい思惑も働くだろう。 しかし、党首討論には、各党のリーダーが大所高所から国政について議論し、「党首力」を国民に分かりやすく示す重要な役割がある。政党が増えた野党にとって45分は短いかもしれないが、融通し合うなど工夫はできる。 与野党は党首討論の活性化に努力すべきだ。
 (以上、ネット情報より引用したもの。)


 引き続き、朝日新聞本日(2017.12.14)付社説より、「党首討論ゼロ あり方見直す契機に」の記述の一部を以下に紹介しよう。

 与党は、首相の欠点を防ぐために党首討論を拒むことを理由に持ち出す。 一方、野党は45分間の党首討論より長く首相に質問できる委員会を要求しがちだ。 今年は森友・加計問題で安倍政権を追及したい野党が、党首討論ではなく委員会審議を求める場面が目立った。 
 党首討論が実現しても、内容が物足りないこともある。 特に、安倍首相は質問をはぐらかしたり、持論を延々と述べたりすることが多い。 議論がかみ合わない大きな理由である。


 一旦私見だが。

 いやはや野党の度重なる分裂再編劇により、確かに現在は小規模野党が乱立するとのぶがいない実態だ。 そうすると、討論出席資格がある全野党党首が討論に立てば各党の持ち時間が減り、安倍首相と突っ込んだ論戦をするのは困難との野党側の言い分も分からないではない。
 
 更には、朝日新聞記述に全く同感で笑わされるが。
 あの安倍首相の国会答弁、何とかならないものか! と私も国会中継を垣間見てはいつもイライラさせられている。 野党よりAを問われているのに勝手にBに関する答弁(というよりも安倍氏の独りよがりの持論)に話題をすり替え、時間潰しをし始める。 野党よりヤジが飛び交うのもお構いなし、途中で野党側が論議を中断するべく時計をストップさせねばならない程に、安倍氏の独断演説が続行する。
 この現象を、与党側も“首相の欠点”と捉えている事実も笑えるが、ならば、それを防ぐために党首討論を拒むのではなく、その前に与党の長老どもが安倍氏がまともな答弁を出来るべく指導せよ! と国民としては言いたくもなるものだ。
 

 引き続き、上記朝日新聞「社説」から引用しよう。

 まず、首相が本会議や委員会に出る週には党首討論を開かないとの申し合わせを撤廃しよう。
 自民、民主等4党は3年前、党首討論の月1回開催を含む国会改革案で合意したが、最低でもこれは実行するべきだ。
 時間も延ばす必要がある。 野党が多党化した今、1党あたりの割り当ては長くても10分程しかない計算だ。 これでは中身のある議論など望めない。
 開催回数を増やすという前提で、1回ごとに登壇する野党党首の人数を絞る方策もある。 各党が譲り合い、それなりの時間を確保し合うのだ。
 議論をより深めるためには、事前にテーマを決めておくのも一案だろう。
 党首同士が政治家としての力量をかけて真剣勝負を繰り広げる。 「言論の府」の名にふさわしい党首討論が見たい。


 最後に私論でまとめよう。

 ただなあ。
 野党側としても、与党のあの首相相手じゃなあ。
 何を尋ねても、いつまで経っても、くだらない持論を繰り返されたんじゃ、党首答弁の意味もなく無駄に時間が過ぎ去るとの野党側の虚しい思いにも同感だ。
 
 ただし、野党側にも大いなる問題ありだろう。
 (私は枝野氏率いる「立憲民主党」支持派であることを断った上で)、他の零細野党どもは野党の役割が少しでも担えていると自負できる立場か? (共産党が独自に頑張っている感覚は無きにしも非ずだが。)
 特に10月の選挙後、野党の残骸と落ちぶれたと表現できそうな現「民進党」の今後の行方に関しての意見だが。
 その「民進党」が有り難くも抱えているらしき国民の血税による膨大な金額の“政党助成金”の存在の美味しさにつられ居残る党員が多数との情報もある。 党員がその態度故、今現在尚今後の一野党としての行方の程があやふやとの情報も存在するようだが。 
 
 一国民としては、野党の低レベルのくだらない愚劇など見たくもないのも本音だ。

 朝日新聞社説の結論通り、与野党党首同士が政治家としての力量をかけて真剣勝負を繰り広げる「言論の府」の名にふさわしい党首討論が見たい!  のが我が希望でもある。