原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

えっ?! 「トラックバック」が無くなるの??

2017年12月09日 | 自己実現
 それはブログ開設以来良質なトラックバック受信に恵まれ続けて来た「原左都子エッセイ集」にとって、大変残念な事態だ。
 (参考だが、当方よりトラックバックを送信した事は一度も無い。)

 確かに近年トラックバックが届く回数が激減している事実には気付いていたが。


 つい先だって、当該goo編集画面の片隅に「トラックバックを廃止する」旨が記されているのに気付いた私が、早速テンプレートを確認したところ。
 既に、テンプレート内の「トラックバック欄」が全面消去されているではないか!?!
 これ、gooの早とちり、大失態ではなかろうか??

 「トラックバック」を廃止するとの方針に関しては、スパム受信等々に迷惑しているブロガーが存在する等の事情があるのだろう。
 それにしても、ブログ管理人の意思によりテンプレート上に公開しているバックナンバーへの「トラックバック」群を、管理人の承諾無くしてすべて抹消行動に出たのは、法的にも問題を孕んでいるように解釈するのだが。

 とにかく私にとっては、「トラックバック」とは我がエッセイ集を盛り立ててくれるまたとない“応援団”のような存在だった。
 しかも、そのほとんどが学際的で価値が高い内容だったのに、実に残念だ。 

 
 やむを得ないため、今回のエッセイではそれらgooにより消去されてしまった我がエッセイ集・テンプレートに公開していたトラックバックの一部を、以下に改めて紹介させて頂くこととしよう。
 (以下、 トラックバックが届いた日付、トラックバック題名、送信者名、最後の「 」内は大本の我がエッセイ集の題名、 の順に記載します。)

 2010.12.02   林真理子おぼろタオル (ほっとにゅーす) 
       「嫌な人に会うと勉強になる」

 2010.11.03   マイケル・ジャクソン「ブラック・オア・ホワイト」 (ダンス動画)
       「トシちゃん、あなたはビッグです」

 2010.08.02   新型ワクチン余剰分メーカー買い取りへ厚労相が表明 (あじさい文庫だより)
       「インフルワクチン過剰発注が招いた巨額損失」

 2010.06.12   菅直人の所信表明演説を読むのが面倒な貴方に 
       (んがべのちょっとした政治・経済の話)
       「国民が期待するのは菅内閣の『実行力』であるべき」

 2010.05.25    自動的な生殖  (哲学はなぜ間違うのか?)
       「都会のど真ん中で美声を披露するウグイス」

 2009.07.10  新たな都市伝説か? 便所飯  (名古屋人伝説。税理士バッキーの日記帳)
       「昼飯くらい一人で食べさせてくれ!」

 2009.07.10  最高裁の事例を教訓に 熊本県天草市の事例に学ぶ  (“しょう”のブログ)
       「『体罰』と『指導』の狭間」

 2008.10.16  #064自然対数の底「e」も生活になくてはならない数値
        (コラム「自分学」 監査法人に就活中、でも物理学!)
       「1か0かの世界」

 2008.10.11  ノーベル物理学賞・化学賞に日本人が選出  (やぎの宇宙ブログ)
       「対称性の破れ」

 2008.05.16    全キーでのスケール ~ ロクリアンスケール(Locrian Scale)編
         (バイエルを辞めよう! ピアノコードのすすめ)
        「むなしい若者」

 2008.01.19    結果の平等ではなく「成長」の平等を (教育失敗学から教育創造学へ)
        「中高一貫校急増の社会的背景とその是非」

 2008.01.19    ウィーンフィル・ニューイヤーコンサート2008 (気軽にクラシックルーム)
        「今年はラデツキーが聴けるか?!」

 2007.11.06    the golden age music from plentyさん♪  (クラランド・アイランド)
        「70年代ディスコサウンドで踊ろう!」

 2007.10.23   自己ってなに?  (ベリーロールな日々)
        「self or not self」

 (以上、ごく一部だが、「原左都子エッセイ集」宛にご送信下さったトラックバックより公開させていただいていたものを紹介。 この他、保留措置を採らせていただいたものも多数存在する。)


 特に印象的だったのは、上記一番下のベリーロールな日々氏より頂戴したトラックバックだ。
 「原左都子エッセイ集」公開直後期の2007年10月の事だった。
 この「self or not self」と題するエッセイは、20代に医学関連民間企業にて免疫学分野業務に携わった時期の我が業務経験や、当時インパクトを受けた免疫学トピックスを綴った内容だ。
 エッセイ集立ち上げ公開前より、このテーマを是非綴り公開したいと虎視眈々と狙っていた題材である。
 当時ブログド新人の我がエッセイ集に、トラックバックが届けられるなど夢にも思っていなかった。
 しかもベリーロールな日々氏より届けられたトラックバックには、我がエッセイを読んで多田富雄著「免疫の意味論」を是非読みたい!なる有り難きメッセージが書かれていて実に感激したものだ。

 そんな思い出があるバックナンバー「self or not self」の結びの部分のみを、今回再度以下に紹介させていただこう。
 ところが、その後の研究により「免疫」とは“self"を認識するシステムであることがわかってきた。 すなわち、「免疫」とは“not self"を排除するために存在するのではなく(もちろん結果的には排除するが)、“self"の全一性を保証するためのシステム、すなわち「自己」の「内部世界」を監視する調整系として捉えられる時代に入るのである。 ところが、この“self"と“not self"の境界も曖昧だ。 それでも、そんなファジーな「自己」は一応連続した行動様式を維持し、「非自己」との間で入り組んだ相互関係を保っている。
(詳細は、上記の多田富雄著「免疫の意味論」をお読みいただくか、あるいは免疫学に関する各種論文等文献を参照いただきたい。)
 “self or not self" 、 当時の若き私はこの言葉に惹きつけられ、自然界のひとつである人間の体内にもこんなすばらしい哲学があることにいたく感動したものだ。
 あれから20年以上経過した今(2007年時)でも、私の思想の根底にこの“self or not self" の哲学はまだ息づいている。 そんな一端を今回は少し語らせていただいた。
 (以上、我がエッセイ集開設初期のバックナンバー「self or not self」より一部を引用したもの。)


 最後に、話題をトラックバックに戻そう。

 コメント欄閉鎖措置を採って既に数年の年月が流れている私にとり、メッセージ欄やトラックバック欄はそれを補完する媒体として活用可能だったとも言える。
 ただし、近年はトラックバックの着信が劇的に減少している事実は確かだ。

 繰り返すが、そんな時代背景に伴いgooのトラックバック廃止措置はやむを得ないとして。 
 テンプレート欄にて公開していた過去のトラックバック群を自身のブログに掲載し続けてもgooには何らの損失も発生しないと考える私としては、今後も過去に頂いた価値あるトラックバックの公開をブログ管理者の自由意思に任せて欲しいものだが。  
 単に私がその再掲載手段を心得ないだけのことかもしれないが、とにかく、gooの今回の措置によりトラックバックがテンプレートから消去された事態に大いにショックを受けているgoo会員が存在する事実に、gooは慮って欲しい気がする。