なんと恥ずかしくも、昨日ディスカウントストアのレジで表題の大失敗をやってしまった!
我が60年に及ぶ長き人生の中で、こんな子供もしない“恥晒し”を人前でしでかしたのは初めての事だ。
ただ自己弁護をすると、こういう事態に至ったのには特別な事情がある。
昨日は自宅近くの大規模公園へランニングに出かけた。
家からランニングスタイルに着替えて出かけるため、持ち物はウェストポーチのみだ。 それを腰に巻き付けたままランニング練習を実施する関係で、出来るだけポーチの中身を軽くしておく必要がある。 それ故にいつも財布は持たずに札と若干の小銭をポーチのポケットにねじ込んおくのだが、昨日は千円札を3枚と少額の小銭(昨日の場合48円だったが)を入れておいた。
ランニング練習が終わり、自宅近くのディスカウントストアに買い物に寄った。
我が所持金は、千円札3枚と小銭48円 = 合計3048円也。
この金額は、確実に我が脳裏にあった。 その金額内の買い物をしようと志すのは当然であり、私は得意の数値計算をしつつ買い物をすることとなる。
数値計算とは言えども電卓を使用する訳ではなく、あくまでも暗算にての買い物であるため限界があるのは確かだ。 消費税8%を含む概算値を十円単位まで暗算にて計算しつつ、我が脳内には本日の買い物合計額は3000円を少し切っているとの目論みでレジに並んだ。
ところがいざレジを打ってもらうと、なんとその結果、買い物総額が ¥3,056-也!
内心(えっ?何で??)と思いつつ、まさかレジ担当女性に「打ち間違えていませんか??」などと聞ける訳もない。 うろたえつつつも、「申し訳けありませんが、所持金が足りませんので商品を減らします…」
こんな時ほどレジが混雑しているのが、世の常だ。
“なにやってるの、この貧乏人!” と言いたそうなレジ後方に並ぶ人々の冷めた視線に晒されつつ、私は買い物かごの上部にあった一品を返却した。
それにしても解せない思いと、とてつもなく押し寄せる羞恥心が入り混じった複雑な心境で足早に自宅に帰った後、レジ担当者が打ってくれたレシートを確認した。
なるほど、買った商品とレジにて支払った代金は合致している。 ならば、私の暗算にミスがあったのか??
と思いつつレシートを詳細にチェックし直したところ、原因究明が叶った!
陳列棚から引っ張り出した「チータラ」を私は2枚取り出したものと認識していたのだが、その2枚目が3枚目とくっついていて、結局私は「チータラ」を3枚購入していた事実が判明した!
その金額が消費税を含めて、¥106-也。 これを今回のレシート合計額である ¥3,056-也 から差し引くと、私の概算計算値に近い ¥2,950-也 となるはずだった……。
ただまあ今回の教訓とは、年齢を重ねると老化現象で手が滑り易くなったりして2枚買ったつもりが3枚買っている事も十分あり得るのを実感させられたという事だろう。
故に今までのような杓子定規計算ではなく、自分の“老いぼれ度合い”も勘案した対策を取らねばならないという事でもあろう。
話題を変えるが、私は日々財布に入れる現金額を一定に保っている人種である。
もちろん、その日の出費金額があらかじめ明らかな場合はそれに準じた金額プラス多少の余裕額を財布に入れて出かけるのが日常化している。
何故ならばそれこそが我が金銭感覚の源である故だ。 なるべく現金決済を主眼とし、カード決済はやむを得ない状況下にての手段と心得ている私としては、突如としてカード決済に頼る事などまずあり得ない。
ところが必ずや予期せぬ出費が待ち構えているのが現世ではなかろうか?
時折これに困惑させられる事態と相成った経験も無きしも非ずだ。
例えば、娘の振袖を買い求めた時に「内金を入れて下さい」と要求された事がある。 ところがその日はこちらとしては単に娘の振袖見学目的だったため、 内金を財布内に持参していなかったのだ。 「如何程の内金が必要ですか?」と問う私に、「出来ましたら商品の1割以上でお願いしたいのですが…」 まったくもって、とてつもなく酷い親なのだろうが、私は当日その金額を財布内に持ち合わせていなかったのだ。
「すみませんが現在その現金を持ち合わせておりませんので、今回は振袖購入を諦めます」と訴えたところ、「ならば少額でもいいですから、頭金を入れて下さい」との返答だ。
上記の類の商法が現在の社会でまかり通っていると私は判断するのだが、要するに財布内に現金を少額しか持ち合わせていない人物とは「皆貧乏人」、との常識で世の商業団体は動いているのだろうか?
いや、その論理も分かる気がする。
要するに商売人側にとっては、相手の顧客が貧乏人であろうが多額の債務を抱えていようがどうでもよい話だのだ。
今や各種「借入ローン」市場金融機関が活気づいている有様だ。
理由など何でもいいから、とにかく「ローンを借り入れてよ!」 と訴えてくる金融機関が小規模組織も含め膨大に市場をうごめいている。
原左都子自身もたかが貧乏人の一人を自覚している故に、商業団体や金融機関に言っておきたい事がある。
貧乏人とて千差万別であり、一生自己資金のみで生き通したい貧乏人も存在するのよ! 少なくとも私の場合、金融機関よりの「借入ローン」など利用するつもりは今後一生を通じて断じて無い!
昨日ディスカウントストアのレジにて支払額が不足していた事実に関しては、大いに反省している。
が、今後も日々持ち歩く財布内の現金管理を自己の経済力に応じて行っていくつもりだ。
我が60年に及ぶ長き人生の中で、こんな子供もしない“恥晒し”を人前でしでかしたのは初めての事だ。
ただ自己弁護をすると、こういう事態に至ったのには特別な事情がある。
昨日は自宅近くの大規模公園へランニングに出かけた。
家からランニングスタイルに着替えて出かけるため、持ち物はウェストポーチのみだ。 それを腰に巻き付けたままランニング練習を実施する関係で、出来るだけポーチの中身を軽くしておく必要がある。 それ故にいつも財布は持たずに札と若干の小銭をポーチのポケットにねじ込んおくのだが、昨日は千円札を3枚と少額の小銭(昨日の場合48円だったが)を入れておいた。
ランニング練習が終わり、自宅近くのディスカウントストアに買い物に寄った。
我が所持金は、千円札3枚と小銭48円 = 合計3048円也。
この金額は、確実に我が脳裏にあった。 その金額内の買い物をしようと志すのは当然であり、私は得意の数値計算をしつつ買い物をすることとなる。
数値計算とは言えども電卓を使用する訳ではなく、あくまでも暗算にての買い物であるため限界があるのは確かだ。 消費税8%を含む概算値を十円単位まで暗算にて計算しつつ、我が脳内には本日の買い物合計額は3000円を少し切っているとの目論みでレジに並んだ。
ところがいざレジを打ってもらうと、なんとその結果、買い物総額が ¥3,056-也!
内心(えっ?何で??)と思いつつ、まさかレジ担当女性に「打ち間違えていませんか??」などと聞ける訳もない。 うろたえつつつも、「申し訳けありませんが、所持金が足りませんので商品を減らします…」
こんな時ほどレジが混雑しているのが、世の常だ。
“なにやってるの、この貧乏人!” と言いたそうなレジ後方に並ぶ人々の冷めた視線に晒されつつ、私は買い物かごの上部にあった一品を返却した。
それにしても解せない思いと、とてつもなく押し寄せる羞恥心が入り混じった複雑な心境で足早に自宅に帰った後、レジ担当者が打ってくれたレシートを確認した。
なるほど、買った商品とレジにて支払った代金は合致している。 ならば、私の暗算にミスがあったのか??
と思いつつレシートを詳細にチェックし直したところ、原因究明が叶った!
陳列棚から引っ張り出した「チータラ」を私は2枚取り出したものと認識していたのだが、その2枚目が3枚目とくっついていて、結局私は「チータラ」を3枚購入していた事実が判明した!
その金額が消費税を含めて、¥106-也。 これを今回のレシート合計額である ¥3,056-也 から差し引くと、私の概算計算値に近い ¥2,950-也 となるはずだった……。
ただまあ今回の教訓とは、年齢を重ねると老化現象で手が滑り易くなったりして2枚買ったつもりが3枚買っている事も十分あり得るのを実感させられたという事だろう。
故に今までのような杓子定規計算ではなく、自分の“老いぼれ度合い”も勘案した対策を取らねばならないという事でもあろう。
話題を変えるが、私は日々財布に入れる現金額を一定に保っている人種である。
もちろん、その日の出費金額があらかじめ明らかな場合はそれに準じた金額プラス多少の余裕額を財布に入れて出かけるのが日常化している。
何故ならばそれこそが我が金銭感覚の源である故だ。 なるべく現金決済を主眼とし、カード決済はやむを得ない状況下にての手段と心得ている私としては、突如としてカード決済に頼る事などまずあり得ない。
ところが必ずや予期せぬ出費が待ち構えているのが現世ではなかろうか?
時折これに困惑させられる事態と相成った経験も無きしも非ずだ。
例えば、娘の振袖を買い求めた時に「内金を入れて下さい」と要求された事がある。 ところがその日はこちらとしては単に娘の振袖見学目的だったため、 内金を財布内に持参していなかったのだ。 「如何程の内金が必要ですか?」と問う私に、「出来ましたら商品の1割以上でお願いしたいのですが…」 まったくもって、とてつもなく酷い親なのだろうが、私は当日その金額を財布内に持ち合わせていなかったのだ。
「すみませんが現在その現金を持ち合わせておりませんので、今回は振袖購入を諦めます」と訴えたところ、「ならば少額でもいいですから、頭金を入れて下さい」との返答だ。
上記の類の商法が現在の社会でまかり通っていると私は判断するのだが、要するに財布内に現金を少額しか持ち合わせていない人物とは「皆貧乏人」、との常識で世の商業団体は動いているのだろうか?
いや、その論理も分かる気がする。
要するに商売人側にとっては、相手の顧客が貧乏人であろうが多額の債務を抱えていようがどうでもよい話だのだ。
今や各種「借入ローン」市場金融機関が活気づいている有様だ。
理由など何でもいいから、とにかく「ローンを借り入れてよ!」 と訴えてくる金融機関が小規模組織も含め膨大に市場をうごめいている。
原左都子自身もたかが貧乏人の一人を自覚している故に、商業団体や金融機関に言っておきたい事がある。
貧乏人とて千差万別であり、一生自己資金のみで生き通したい貧乏人も存在するのよ! 少なくとも私の場合、金融機関よりの「借入ローン」など利用するつもりは今後一生を通じて断じて無い!
昨日ディスカウントストアのレジにて支払額が不足していた事実に関しては、大いに反省している。
が、今後も日々持ち歩く財布内の現金管理を自己の経済力に応じて行っていくつもりだ。