原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

サヘル・ローズ氏の美しくも壮絶な生き様

2015年09月09日 | 時事論評
 皆さんは、サヘル・ローズ氏をご存じであろうか?

 私の場合、過去に一度程テレビ画面でほんの短時間拝見した記憶があるのだが、その後、氏の存在を忘れ去っていた。


 昨日(9月8日)のNHK「スタジオパーク」のゲストがサヘル・ローズ氏だった。
 最初その映像のみを一見して、「ああ、また今や日本の芸能界では陳腐化している“外タレ”女性モデルか何かの人物が出演しているのか…」と多少ウンザリした。
 ここは来るべく台風にでも備えて食料品の買い出しにでも出かけるかと考え直し、テレビを消そうとした時だ。

 サヘル氏の口から、自身が1980年代に勃発した「イラン・イラク戦争」の犠牲者であり、戦争孤児としての生活を余儀なくされた経験を語り始めた。

 これは、聞き捨てならない。 
 その当時私はちょうど2度目に門をくぐった大学及び大学院生時代だったのだが、確かにあの当時は世界が激動の時代だったことを思い起こした。 
 ベルリンの壁崩壊も1989年の出来事だ。 それらの変動と同時進行で勃発したのが、「イラン・イラク戦争」だったとの記憶がある。
 これ程までに世界情勢が激変しようとしている時代背景下に於いて、私は国内経済バブル期を“まんまと利用”して生活資金を稼ぎまくる一方で、学生なる身分で悠長に学問に励んでいてよいのであろうか? なる疑問符が脳裏をかすめた記憶がある。


 ここで、サヘル・ローズ氏の経歴に関して、ウィキペディア情報より引用して以下に紹介しよう。
 サヘル・ローズ(ペルシア語: ساحل روزا‎ 〈ラテン文字表記:Sahel Rosa〉生誕年推定1985年・10月21日 )は、イラン・クルディスタン出身の在日イラン人で、日本のタレント・女優・モデルである。本名も同じ(ただし生来の姓名あるいは個人名は不明)。 日本での愛称はさっちゃん。ラジオ・テレビ番組では「サヘル」でクレジットされることも多い。
 東海大学卒業、東京アニメーションカレッジ専門学校声優学科声優アクターズコース卒業。所属事務所はエクセリング。
 サヘル氏は、イラン西部クルディスタンにある小さな町に生まれる。
 イラン・イラク戦争で生家が空爆に遭い両親と10人いた兄姉を全て亡くし、倒壊した家の瓦礫の中から4日後にひとり救助された。 その後孤児になり暫く孤児院で暮らす。このため本当の出生名は明らかではなく、現在の本名は後につけられたものである。 また1985年生まれというのも後に付けられた誕生年。
 やがて、当時大学生でボランティアの救助活動を行っており瓦礫の中からサヘルを発見したフローラ・ジャスミンが、孤児院に収容されたサヘルを見舞った際に幼いサヘルが自分を「お母さん」と呼び慕ったことから、サヘルを引き取ることを決意する。 しかし非常に高い身分であったフローラの実家が、孤児であるサヘルを養育することを「家柄に傷がつく」として猛反対、経済援助を打ち切られた。 その後2人は、フローラのフィアンセであったイラン人男性を頼って8歳のとき日本に移住した。 しかしその男性とフローラの生活が上手くいかずに別れると、フローラに職が無かったため赤貧の生活を余儀なくされた。 通っていた小学校の給食しか食べるものがなかった時期にフローラは給食の調理師と親しくなり生活のサポートを受け、次いでサヘルは校長による補習授業で日本語を学ぶ。 小学校、中学校時代にはいじめも受けている。
 サヘルの大学時代にはITを専攻しており、セキュリティのプログラミングやJavaなどを学んだ。また専門学校時代、俳優の松田洋治に演技の指導を受けていた。
 サヘルはイランでも放送されていた『おしん』を観たのがきっかけで、幼少時代から女優になりたいという夢を持っていた。 日本にて、10代になるころ芸能界に入り、モデル、ラジオ番組の出演を経てテレビ番組にレギュラー出演するようになる。
 (以上、ウィキペディア情報よりサヘル・ローズ氏に関する情報の一部を要約引用。)


 一旦、原左都子の私論に入ろう。
 
 なるほど、なるほどである。
 我が一番の疑問点だった、サヘル氏が如何なる理由及びルートで当時(“バブル経済”に浮かれていたと言える)日本へ訪れたのかとのその事実に関して納得出来る思いだ。
 戦争孤児であるサヘル氏を気に入った養母氏が、イランに於いて“非常に高い身分”の人物だった事が一番のキーポイントとなろう。 しかも当時大学生だった義母であるフローラ氏にはフィアンセがいた。 このフィアンセ人物が「日本に行こう!」と提案した事実こそが、当時大学院生だった私には分かる気がする。

 何と表現するべきか。  確かに当時の日本とは、その経済実態の実質にかかわらずバブルで浮かれ切っている“阿呆国”だった印象がある。
 しかも、誰が判断しても日本とはアジアの東の果てに存在する「島国」だ。 ここぞ安全!とそのフィアンセ氏が狙った意図が、理解出来る気がするのだ。


 そうだとして、サヘル・ローズ氏のその後の日本にての生き様が素晴らしい。

 通常、日本にて外国人(あるいはハーフ)である身を利用せんと心掛けた場合、先進国出身でもない限り、自身の成育歴を隠す行動に出るのではなかろうか?
 その一方で日本人側の感覚としても、下手なコンプレックスを今尚背負い続けているのではないかと私は懸念し続けている。  例えば、フィリピンを筆頭に東南アジア諸国出身者に関してだが、今現在フィリピン系ハーフの芸能人が数多く日本国内のテレビ業界で活躍している事実は把握している。 (正直なところ、そのマイナー感覚は私にも多少あるのが事実だが………)
 要するに諸外国の内、東南アジアより東に位置するアジア系は卑下するとの大戦後の“日本人の差別意識”が今尚根付いている感覚を私は抱くのだ。

 それに比し、イラン出身のサヘル・ローズ氏の存在は、原左都子の目にも実に輝いて映る。
 サヘル氏の場合、義母であるフローラ氏と日本を訪れて以降、ずっと買い物場所として愛好し続けているのが上野「アメヤ横丁」であるらしい。 サヘル氏は今尚母親を連れては「アメヤ横丁」へリュックサックを持参の上に通い詰め、昔ながらの馴染みの店舗にて母親へ通訳をしながら店主氏等々と語り合いつつ、リュックサック一杯の買い物をすることを、日常の楽しみとしているとの事だ。
 そんな日常を送りつつも、とにかくサヘル氏は明るく美しく品格ある女性であられる。
 生まれた国にて幼くして戦争が勃発し家族を亡くし、戦争孤児として数奇な運命を辿ったにもかかわらず、たまたま義母に連れられてきた日本を心より愛し、この地で一人の人間としてたくましく生き抜こうとしておられる。 


 最後に私論でまとめよう。

 どうやら私の認識によれば、サヘル・ローズ氏は未だに日本国籍を取得していないのではないかと認識する。
 これ程までに日本贔屓かつ日本に土着感がある人物に、何故日本は「国籍」を与えないのか!?!

 安倍政権は安保関連法案を野党と争う以前の問題として、実際問題この国に生を営んでいる希少な存在の外国人の皆さんの日常生活こそを慮るべきではあるまいか!?