原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

注文したうどんに店員の指が入るのは確かに気持ち悪いが…

2014年12月25日 | その他オピニオン
 レストランで注文した「うどん」を店員氏がテーブルに置く時、器の中に指が入ってしまったのを目撃した場合、あなたは咄嗟に如何なる行為に出るであろうか??

 どうやら朝日新聞「声」欄に投稿した50歳女性は、ご自身が行ったレストランに於いて上記の不運に遭遇したらしい。

 これ、潔癖症で綺麗好きな私も話を聞いただけで気持ち悪い。  その場で吐き気をもよおしてしまい、おそらくその「うどん」を食することが出来ないであろう。 
 

 朝日新聞12月19日付「声」欄投稿から、冒頭の内容を以下に要約して紹介しよう。
 レストランで温かいうどんを注文した。 持って来てくれた女性店員がトレーからそれを片手で持ち上げて置いた時、器が傾き内側にかけた親指がつゆの中に入った。 見なければ問題なかったが、私は見てしまった。 我慢して食べるべきか否か大いに迷ったが、別の店員さんに声をかけて小声でうどんの取替えをお願いしたところ、即座に謝り「言ってくれてありがとう」と言った。 その言葉にホッとさせられ、この言葉だけが救いになった。  ところが、同席した人から「取替えさせるのは非常識だ」と言われた。 指がつゆに入ったぐらいで病気になる訳ではないし、高級レストランでもない店でわざわざ取替えさせた事で周囲にも不快な思いをさせたと言う。 外国ではそんな事にこだわらないし、取り立ててクレームをつけないものだ、とも言われた。  その後は気まずくなり、会話が途切れてしまった。 私はそんなに非常識なのだろうか。
 (以上、朝日新聞「声」欄投稿り要約して引用。)


 ここで一旦、原左都子の私事に入らせてもらおう。

 私は近い過去に上記内容と似たような経験をした事を、この投稿を読んで思い出した。
 それは当時の我が勤務先であった独立行政法人“理化学研究所”の研究施設内に新設された大規模食堂昼飯時の出来事だ。
 私はその場ではあくまでも傍観者の立場だったのだが、職員数人で食堂のテーブルを囲もうとしていた時、一人の若き女性職員が既にテーブルに座っている皆に向かって、自分がカウンターから持って来たサラダのレタスが「茶色く変色したところがある!」と訴え始めたのだ。
 私見だが、その時の我が感覚としては買い置きのレタスの一部が茶色く変色する事など家庭内で日常茶飯事として経験済みだった。 そんな時私が採る手段とは、変色した部分を捨て去り緑色の部分を有効利用して我が家のテーブルに出すよう心掛けて来ている。 

 確かにレタスの茶色い部分をサラダ具材として提供してしまった理研内に展開している(競争入札にて理研への出店が叶ったであろう)民間食堂経営者に落ち度はあろう。 要するにその日理研の食堂に出されたレタスは少し古かったものとも推測する。 そう考察したとて、(国民の税金に基づく)理研側からの職員への昼食負担額とは膨大だった事が明らかな程に、理研食堂とは職員個々人の負担額が至って少額だったものでもある。
 ところがこの場に於いて、テーブルに座っていた私以外の女性職員達は 「明らかに古いレタスだから、今すぐ食堂経営者に文句を言うべき!」との、私にとっては到底考えられない意見で一致してしまったのだ。
 当時これに一番困惑したのが、「レタスが変色している」と言い始めた若き女性職員氏だったと私は理解している。 周囲の反応を受けてレタスの一部が茶色だったことを食堂経営者に交渉しに行った事により、女性職員氏は貴重な昼休み時間を大幅に費やしてしまったものと振り返る。

 
 原左都子が理研を去って既に少なからずの月日が流れているが、今だ思い出すのが、上記「レタス茶色事件」だ。
 当該機関の職員氏達とは現在に至って尚、(ほとんど血税で賄われ)少額自己負担の「昼飯」に“茶色”のレタスの片鱗を見た場合、入札手段にてやっとこさ“理研”との大規模食堂に食事を提供出来る幸運を得た零細民間業者経営の食堂相手に、物申しているのであろうか!?! 
 それこそ茶色変色レタスに体が蝕まれる程の虚弱体質でもない限り、国家関連者たる者がそんなたわいない事実には目をつぶるべきではないのか?? 


 さて、話題を表題に掲げた「うどん」に戻そう。

 私も庶民の一人として、自分が行ったレストランにてたまたま店員氏が、注文した「うどん」に指を入れてしまった現場を目撃したならば、朝日新聞投稿者同様に辛い思いをした事であろう。
 もしもその場に私一人しかいなかったならば、私はおそらく「すみませんが急に具合が悪くなりましたので帰らせて頂きます。御代はお支払いします。」と言ってレストランからそそくさと立ち去ったものと想像する。
 ところがどういう訳か、朝日新聞投稿者には同じテーブルに被害者である自分を非難する人物が存在したのだ。

 これが原左都子にはどうしても解せない。
 そもそも何故、自分と決定的に考えが異なる人物と食事を一緒に取ったりしたのだろうか?

 家庭内とて、職場内とて、私は自分が嫌いな相手は元より自分から気を使わねばならない相手となど一切食事を一緒にしたくない思いが若き時代より強靭だ。
 特に昼飯など一人で楽しみたい思いに昨今溢れている。 (「原左都子エッセイ集」2009年7月8日バックナンバー「 昼飯ぐらい一人で食べさせてくれ!」 をご参照下さい。)

 今回の事例の場合、「うどん」に指を入れてしまった店員氏がまさか“故意”にその行為をしたのではない事が明らかであるため、話が複雑である。  もちろん、店側の基本的対応としてそのような咄嗟のミスを回避するべく対策が十分に施されているべきだ。(器は両手に持って慎重にテーブルに置くよう店員達に指導する等の)  ところが零細店舗に於いては、その対策を採る事すら困難である事も想像が付く。

 要するに朝日新聞投稿女性の失敗とは、単に、人間にとって大事な食事時間を“自分とは大いに考えが異なる親しくもない相手”と共にしたのが一番の失策だった、との事ではなかろうか?