原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

高齢域に達し尚ナルシストを貫く同輩に贈るエッセイ

2014年12月01日 | 自己実現
 (写真は、少し古くなるが朝日新聞11月8日別刷「be」 漫画家 山科けいすけ氏による連載漫画 「らいふいずびうちふる」 より引用転載したもの。)


 ここのところケアマンション(有料高齢者介護施設)に暮らす義母より、自身の死後に飾り公開する“写真”の要望が立て続けに私の所へ届いている。

 その一つが、本人死去直後にケアマンションの自室前に小さな祭壇のようなものを設け飾る写真に関する内容だった。
 義母曰く、同じケアマンションに住む高齢者が死去した直後に、(正式に実施する葬儀とは別枠で)自室前に生前の写真を飾り小規模儀式を行っているらしい。 その時に死去した高齢者の写真が2、3枚飾られているのを模倣して、自分も同じような儀式を執り行って欲しいとの依頼だ。  
 義母曰く自分が飾りたい写真は既に用意してあるから、それを受け取った後に祭壇に飾れるよう大きく引く伸ばし額に入れて用意して欲しい、との私への要望である。

 ここで私論(と言うよりも義母に対する苦情)になるが、今まではこんな(本来の介護とはかけ離れた二の次でよい)理不尽な要求を平然としてくる義母ではなかった。 常に礼節をわきまえ、控え目な人格と私は捉えていたのだが…
 もしかしたらいよいよボケ始めたのではないか!?なる懸念の下、義母の要求に応えるべく早速私はケアマンションへ向かった。 そうしたところ、義母が用意していた3枚の写真全部がこれまたピンボケ状態だ。
 この写真では、引き伸ばした場合相当不明瞭写真になると思うがそれでよいか?  と私が確認したところ義母からOKが出たためそれを実行し、後日義母に手渡すと、予想に反して満足してくれた。

 おそらく、私の判断で写真に付けた“額”が功を奏したのであろう。 写真も絵画も同様であるが、“額縁次第”で貧弱な中身も一見立派に見えるものだ。
 加えて義母曰く、「○子さん(私の事)は、いつも私の要望に直ぐに応えてくれるから嬉しい。」 
 (特に女性)高齢者が老う程に表面化するのであろう“ナルシスト心理状態”?? に対応できるキャパを私が備えていた?からこそ何とか叶った、今回の義母写真事件だった。   あ~~、疲れた
 (婆さんの写真引き伸ばしてる暇があったら、自分の写真を引き伸ばして飾りたいのが本音だよなあ。


 
 話題を、冒頭の写真に戻そう。

 写真が不鮮明なため細かい部分が見えにくいと判断し、以下に漫画内の言葉のみを紹介しよう。
  「十代の時は美少年」
  「二十代の時は美青年」
  「四十代からは美中年」
  「(当該ご亭主が鏡を見ながら曰く)60近くなると呼び名がないなあ。“美初老”じゃなあ…」 「(奥方曰く)お父さんのナルシストはいつまで続くのかしら…」  娘曰く「なんだ、美中年て…」


 ここで、冒頭で紹介した山科けいすけ氏の漫画に対する私論に入ろう。

 上記の漫画に描かれている現在60近くに成らんとしてる男性が、同じ年齢層である原左都子にとっても実に鬱陶しい。

 あのねえ。 あんたが若き頃「美少年」「美青年」だった時代もあったのかもしれないが、漫画範疇で判断するに、あなたは現在“立派な初老”に成り果てていると判断出来るのではあるまいか??

 確かに今時還暦近い同志が集う同窓会に出席すると、あなたのような初老男女が漫然と出席している場面に私も出食わす。 これぞ「驚き」、かつ「失望」感を抱くと共に、原左都子自身が心身共に“若さ”を維持して来れた事実?!?に「勝利感」すら抱かされるというものだ!
 

 今回私がテーマとした「ナルシスト」とは、元々古代に発生した「ナルシシズム」とは大幅に意味を変えていることをお断りしておこう。

 古代の「ナルシシズム」の意味合いとは、自己を愛し自己を性的対象とするとの理解であったようだ。 例えばギリシャ神話に登場するナルキッソスは、ニンフであるエコーを失恋させた美青年だったとの事だが、水に映る我が姿に恋して死に水仙の花に化した、との伝説がある。

 現在では、「ナルシスト」の意味合いが大きく変化を遂げている。
 それは単に、「自己陶酔」や「うぬぼれ」の意味合いに化している。


 最後に、冒頭に掲げた「高齢者に達して尚ナルシストを貫く同輩へ贈る」エッセイをまとめよう。

 高齢域に達した初老者としてナルシストであらんとするその心理が、現世に於ける意味合いの単なる「自己陶酔」「うぬぼれ」感覚に派生すると理解するならば、それも一つの自己表現として認められるべきであろう。
 
 この原左都子とてプラスの意味合いで、「ナルシスト」要素を還暦近くして大いに内在していると自覚している。
 ナルシストを「自己陶酔」「うぬぼれ」と解釈するならば、まさに我が人生も「ナルシスト」であらんことを主体的に貫きながら、常に年齢に相応した“自己実現”を企てつつ夢を叶えて来ていると表現出来よう。

 そんな私から、冒頭に紹介した漫画主人公氏に一つアドバイスしておきたい事がある。
 貴方が「ナルシスト」であっても部外者である私は一向に構わないが、家族を含めた近親者の“蚊帳の外”でこっそりと自己満足して欲しいのだ。
 貴方が「ナルシスト」である事を家族に気付かれているとしたら、もはや貴方の「ナルシスト」志向は破綻していて、みっともなくも単なる“しがない初老男”にしか見えていないと自覚するべきであろう。

 更には、もっと高齢に至って人の世話無くして身が成り立たなくなった暁には尚の事、少しは身を慎んで「ナルシスト」を表沙汰にする事を控えねば、介護者の反感を食らうのみだから今から心しておこう。