原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

お金持ちになりたいですか?

2010年01月09日 | お金
 私が20代のサラリーマンだった頃、春闘時の賃上げ要求に際して、会社の労働組合組織から「給料をいくら上げて欲しいか?」とのアンケート用紙が全社員に配布されたことがある。
 そのアンケート用紙を見ると5択の回答方式になっているのだが、選択肢が何千円レベルから何万円までと何とも“せせこましい”数値なのだ。 当時若気の至りの私は(給料は多ければ多い程いいに決まってるじゃん!)と思いつつ、その他欄にその旨コメントを書き入れた記憶がある。 労働組合組織側のこのアンケートの趣旨としては、当然ながら会社の業績に見合った回答を欲していたのであろう。
 私が勤めていた会社は当時としては珍しかったのではないかと推測するが、「全員参加の経営」をモットーとして毎月「社内報」において会社の毎月の売上高や純利益等々の経営収支を事細かく全社員に公開していた。 そういった背景もあって、「社内報」を一覧して経営実績を総合的に評価した場合、どれ程の金額を人件費に回せるかの判断が一社員としてある程度可能であったため、上記のようなアンケートが実施されたといういきさつだったのであろう。 (ただ、社内報で公開されている経営実績とはあくまでも表向きの数値であって、必ずや裏側に“隠蔽資金”はあったはずだと私は今尚推測するのだが…)

 それにしても国内某J航空会社のごとく、所属していた会社が既に破綻しているにもかかわらず、しかも、過去の放漫経営に安穏として会社を潰した責任を取るべき立場のOBが、国民の血税をつぎ込んでもらってでも自らの多額の年金を死守しようとしている何ともぶざまな有り様は一体どうしたことか?? 


 前置きが長くなったが、朝日新聞本日(1月9日)の別刷「be」“between”のテーマは「一攫千金を夢見ますか?」だった。
 このテーマの読者の回答は、「はい」が75%、「いいえ」が25%と、やはり一攫千金を夢見ている人々が多数を占めているようだ。
 そして、一攫千金を目指すために何を実行しているかの回答としては「宝くじ」「クイズに応募」「株」「トト」「ギャンブル」「FX]等々と、大変失礼ながらその手段が私に言わせていただくと“せせこましい”ばかりである… 

 さらに、この朝日新聞記事には「100万円以上の大金が入るならばいくら欲しいか?」との設問もあるのだが、その解答として3000万円以内と答える読者が半数以上を占めている実態も、これまた何とも“せせこましい”…… 
 上記のごとく“せせこましい”読者の回答を受けて、記事の最後に専門家のコメントがある。その一部を紹介しよう。 「景気の悪さが長引き、全体的な“シュリンク(縮み)現象”に覆われて若い世代を中心に“大金のスケール感”自体が失われていると指摘する。」


 では私論に入ろう。 と言うよりも、今回は私事とそれに伴う私の経済観念、金銭感覚についてその一端を述べさせていただくことにしよう。

 最初から決してこれぞ「一攫千金」と狙ってそうした訳ではないのだが、私には「一攫千金」だったとも言える経験がある。 それは結婚に際してなのだが(ここでは金額は申し上げられないが)私の結婚には“新居”が付録で付いてきた。(税法上、何の問題もなくクリアしておりますのでどうかご心配なきように。)
 ところが「一攫千金」とは上記朝日新聞記事内にもその事例が記載されているがごとく、必ずや破綻の道程の運命が待っているようである。 我が家の場合もその例外ではなく、「一攫千金」の新居に飽き足らず、その後住居買い替えを繰り返し多額の損失を計上する道程を私は歩む事になるのである。 (当ブログの「お金」カテゴリーバックナンバー「住宅ローンの早返し」でその損失の詳細を綴っておりますので、よろしければご覧下さい。)

 ただ、お金を生かすも殺すも自分自身の力量と心得つつ、独身時代から我が人生を歩んで来れていると私は自負するのだ。 
 もしも上記の「一攫千金住居」を経済観念が鋭い私がその損得勘定のみで死守するがあまり家族の意向に添えなかったとすれば、我が家は当の昔に崩壊していたのかもしれない。 経済的に大損失を計上してでも優先するべきなのは、(経済破綻を生じない範囲内で収支バランスを保ちつつの)円滑な人間関係なのではなかろうか。?


 今回の記事の表題に掲げた「お金持ちになりたいか?」などという問いかけ自体が、虚しくも既に形骸化している今の不況の時代なのであろう。
 その一方で、上記朝日新聞記事内に「お金は人生の幸せの何%を占める?」との設問もあるのだが、その解答の過半数が「50%」前後を占めているのも事実である。

 世界的な経済不況の真っ只中とは言えども、これ程までに世界経済が発展し尽くしている浮世の実態においては、たとえ庶民であれある程度の「お金」なくして世を渡っていけるはずもない。

 私は独身時代から「経済力も自己責任」とのスローガンの下に生き延びてきている。
 なぜ私が不況の現在に至って尚自身の経済観念を当ブログにおいて何度も公開しているのかと言えば、「経済力も自己責任」の思想を貫く事により、少なくとも世の好不況にかかわらず自分自身が食い逸れずに生き延びていられるからに他ならない。
       
Comments (10)