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原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

ビジュアル系でなければ舞台音楽家として成功できない!?

2018年03月19日 | 音楽
 (写真は、昨日2018.03.18 に都心某所にて行われたフルートコンサートにての演奏曲目。 写真左上は出演者のフルート演奏家の皆さん。 左下はライブハウスレストランにて最初に出されたオードブルとスパークリングワイン。 写真右はレストラン玄関口にて撮影した私。)


 昨日、私は現在指導を受けているプロフルート奏者先生のお誘いにより、都心某ライブハウスレストランへフルートコンサートを拝聴しに出かけた。

 何分音楽好きの身であり、クラシック分野に於いては数々のクラシックバレエ公演やオーケストラ公演、あるいは少し小規模の管弦楽コンサートへ足を運んだ経験は少なくない。
 (今回のエッセイではクラシック分野以外の音楽に関しては話題から外させていただくが、それはそれはプロ・アマを問わず、様々な大小コンサートを堪能して来ている。 あくまでもアマチュアの立場だが、自分自身が舞台に立った経験も少なくない。)


 そんな私だが、クラシックにしてこれ程小規模かつレストランにて飲食しながらのコンサートは今回が初体験だ。
 クラシックコンサートと言えば、一昔前までは客席で“咳一つ”しても周囲から睨みつけられたものだが…。
 せめて演奏が始まるまでに飲食を終えねば。 と考えていた私だが、何と演奏者の皆様が「どうぞ、召し上がりながら演奏をお聞き下されば嬉しいです。」とまで言って下さるではないか!
 とは言えども、やはり私を含め客席の皆さんはきちんとわきまえていらっしゃる。 演奏が始まるなり、会場は静まり返った。
  

 さて、今回のフルートコンサートについて説明しよう。

 現在の私のフルート個人レッスンの講師でいらっしゃる若き美人先生が、そのプロお仲間と共に小規模演奏会を催されたものだ。 
 3名のフルート奏者に加えてピアノ演奏もあったのだが、その4名の奏者の皆様がプロ活動を通じて知り合い、時々このような演奏会を開催しているとのことだ。
 
 今回の観客は、私同様に出演者奏者の先生方のフルート教室の生徒の皆さんが大多数の様子だ。
 私の場合、個人レッスンのため会場内に知り合いは一人としていないのだが、団体レッスンの方々が様々な会話を楽しんでいらっしゃる。
 少し気になったのは、フルートの団体レッスンとは如何に実施されるのだろうか?? それで成長が望めるのか??? なる点だ。
 さらに意外だったのは、その観客の平均年齢だ。 私の観察によれば、今回の観客皆さんの平均年齢が実に高い!  何だか、私など平均年齢よりもかなり下ではないか?と勘違いさせられる程だった。
 私の(歪んだ?)推測結果をまとめるならば。
 既に高齢域に達している音楽ファン(特に男性フルートファン)は、美女である先生とお近づきになりたいのに加えて、団体レッスンにて仲間づくりを目指しているのであろう、との事実である。 その観点から団体グループを見回すと和気あいあいと楽しんでいる様子であり、特に高齢男性フルートファンに於いては、これ以上“恵まれた環境”はないのか?? とも推し量った。
 (かと言って、究極“集団嫌い” かつ本気でフルート練習を実行したい私は、いくら趣味が一致するからといって、あれら高齢男性のお相手をヘラヘラとさせられるのは限界があるかもね……


 余談が過ぎたようだが、肝心要のフルートコンサートに話題を戻そう。

 いまはやまったく、演奏自体は嘘偽りなく“素晴らしい!!”の一言に尽きた!
 申し訳ない事に、私は上記の演奏曲目の中では3曲程度しか認知していない状態だった。

 この種の小規模フルートコンサートにして、演奏者の皆さんの高度の技術力の程はフルート素人の私でも十二分に把握出来た。 
 我が個人指導先生は、フルートに加えピッコロとアルトフルートも担当されたのだが、そのすべてに於いて完璧な演奏力だった事実に思い入ったものだ。
 当然ながら、他の演奏者の皆様も完璧な演奏力をご披露された。

 なんと申せばよいのだろうか、ライブハウスレストランにてのこんなにも安価のフルートコンサートにして演奏者の実力が素晴らしい事実を垣間見た演奏会だったとも表現可能だろうか?

 
 最後に、表題に戻ろう。
 
 出演者の皆さんが美女であられたことに関してだが。
 終演後に一旦客席の観客と相まみえると、正直なところ、お一人の出演者ご本人が舞台上にて仰った通り、身長が146㎝と低い等々の表向きビジュアルに関してネックを抱えておられるのか? とも推測した。

 そのような状況下に於いて、更なる舞台演奏家としての「メジャー」を目指すためには。
 特に女性音楽家に関しては、“見栄え”なる関門がどうしても追い迫ってくるのか?、なる厳しい現実を見せられる思いもある。

 いやはや、如何なる分野でも「舞台に立つ」事を主眼とした場合、実力のみではない“訳が分かりにくい”関門を通過せずして成立しない側面がこの世に実存する事実を再確認させられる次第だ。
 
 それでも、昨日のフルートコンサートが素晴らしかった事を最後に再び振り返ろう。

 原左都子の場合、既にプロのフルート奏者にならんとの希望が一切無い立場にして、昨日のプロ講師先生皆様の演奏力の程に大いに感銘させていただけたことは事実だ。

左都子のフルート修行記  ー “お遊び期”からの脱皮編 ー

2018年02月15日 | 音楽
 (写真左上はメトロノーム兼チューナー、左下はリズムボックス付き小型キーボード、写真右の譜面は個人指導フルート講師先生が私のために直筆にて作成してくれた 中島みゆき作詞作曲、1976年に研ナオコが歌った楽曲 “LA-LA-LA” の譜面。)


 9月にフルートを衝動買いして、早いもので半年近い月日が流れた。

 その間、フルート練習が少しでも嫌になったことなどただの一時もない。
 それどころかもっと練習時間を確保したくてイライラする割には、それが思うように実行できない日々だ。
 と言うのも、何分楽器とはそもそも大音量のため、防音室でもない限り自宅にての本格的な練習はまず無理だ。 自宅ではせいぜい、小音量での“指使い”の練習程度が関の山だろう。 あるいは、演奏したい楽曲のメロディライン音階の確認程度は自宅でも可能だ。
 本格的なフルート練習は、自宅近くの防音スタジオを予約して週に何度か足を運んで実施している。

 自宅にての指使いやメロディライン音階確認等を実行する目的で購入したのが、上記写真のメトロノームとキーボードだ。
 ところがキーボードを後で購入して気付いたのだが、キーボードにメトロノーム機能もチューナー機能も(ついでにリズムボックス機能も)付随していた。 写真左上のYAMAHAのチューナー付きメトロノームの方が下のCASIOのキーボードよりかなり高額だったのだが、後の祭りだ。 (ただ機能としてはYAMAHA製品の方がずっと高質なのだろう。)

 何故、幼子のお遊び道具にも使用出来そうな小型キーボードを敢えて購入したかに関しては、訳がある。
 我が家にはピアノもエレクトーンも存在しているが、わざわざそこまで足を運んであの重い蓋を開ける作業が面倒に感じられる。 それと共に、今、メロディラインを確認したい!、今、リズムを刻みたい、と思った瞬間にそれを実行するには、この小型のキーボードに限る!と判断した。
 これが大正解!  食卓の上でもソファに座り膝の上に乗せても演奏できる小型キーボードが、現在のフルート練習に大いに役立っている。(決して、CASIOの回し者ではございません。)


 そうこうして、私のフルート練習はここのところ何を主眼として実施して来たのかと言えば。
 
 昨年末頃に公開したフルート関連エッセイ内でも記載したと記憶しているが、私が欲する楽曲をフルートにて演奏する事を主眼としてきた。 
 要するに久々(30年程ぶり)に再開したフルート練習が嬉しいがあまり基礎練習をおろそかにして、我が“お遊び感覚”満載の下、“吹きたい楽曲をとことん吹く” 事を実行して来たのだ。

 特に昨年12月終盤に入ってからは、“我がカラオケ得意ナンバー”をフルートで吹く”ことに邁進して来た。 
 我が脳内に蓄積されているそのメロディラインをフルートで再現することを楽しんだ。 そのために購入したのが上記小型キーボードだ。 とりあえず記憶のみに頼り、「イ短調(参考だが歌謡曲は短調の曲がダントツに多い)」「ハ長調」「ヘ長調」等々、要するに♯♭が少なくフルートでも演奏し易いであろう音階をキーボードで再現し、それを暗譜した上でフルート練習を重ねた。
 その楽曲の具体例を挙げるならば。 「逃避行」「あの日に帰りたい」「中央フリーウェイ」「ルージュの伝言」「春なのに」「ハロー・グッバイ」「黄砂に吹かれて」「思い出まくら」「星の砂」「追いかけてヨコハマ」「飛んでイスタンブール」「鳥の詩」「わかれうた」「虹色の湖」「かもめが飛んだ日」「迷い道」「夏をあきらめて」「LA-LA-LA」 等々……


 その中で、私がフルートで吹いた感覚として一番自分自身にフィットした「LA-LA-LA」を、昨月1月のプロ講師先生指導時に披露した。
 我がフルートプロ先生は未だ29歳とお若いにもかかわらず私も納得可能なご指導力をお持ちで、生徒個々人の個性に応じた練習過程を認めて下さる方だ。
 そしてもっと凄いのは、私がその日に演奏した「LA-LA-LA」をすぐさまご自身のスマホで聞き始めた事だ。 この楽曲は1976年に発表されているため、講師先生が未だこの世に誕生していない頃にヒットしている。 それをわざわざスマホで2度程確認後、ある程度曲想を把握されたようだ。
 そして、先月の個人レッスン時に先生がおっしゃったのは、「この曲を譜面化しましょう」だった。
 (むしろ私としては、自分勝手に脳内記憶を辿りフルートで吹く方が開放感があり楽しいのだが…)とも感じつつ、その日はレッスンを終えた。


 そして昨日の事だが、我が個人指導フルート先生が、約束通り「LA-LA-LA」の譜面を直筆にて仕上げ持参して下さったではないか! 
 とにかく、日々公演や生徒指導やご自身のフルート練習に邁進し多忙に過ごされている人物だ。 よくぞまあ、こんな一劣等生のためにここまでして下さったものと感慨無量の境地だ。
 しかも、講師先生はおっしゃる。 「やはり、ここは一旦オリジナル曲を“譜面通り”に演奏する事を主眼としましょう。」
 これまで半年間に渡り、フルート素人の私の“遊び心”を認めて下さっていた実績故に、私はこの講師先生発言を心より受入れる事が出来た。 
 まさにその通りだ。 多忙なスケジュールの合間を縫って私のために直筆にて作成して下さった「LA-LA-LA」の楽曲を、今後1ヶ月間基本に戻って譜面に忠実に演奏出来る技術を身に付けたいと私も決意した。


 エッセイのついでに、研ナオコ氏が1976年に歌った 昭和の名曲 「LA-LA-LA」の冒頭の歌詞を以下に紹介しておこう。 
 (これを情感こめてフルートで吹きこなしたいものだなあ…)

 ♪
 明日の朝  めざめたら   私はもう消えている
 呼んでみても  無駄な事
 その頃 夜汽車は となり町 
 ♪

若きパワーが炸裂した Hip Hop ステージ!♪

2018年01月29日 | 音楽
 (写真は、昨日東京秋葉原の某ライブハウスにて開催された、某団体ヒップホップダンスステージの一場面。)

 
 昨週半ばにひいた風邪の微熱を抱える中、昨日、私は予定通り秋葉原のライブハウスへと向かった。

 前回のエッセイ既述の通り、2年程前に社会人となり就業している娘が、余暇時間に励んでいるヒップホップダンスの公演が当該ライブハウスにて実施されるのを観賞するのが目的だ。


 さて、昼食後出かけようとする私に、亭主が尋ねる。
 「今日は何時に家を出るの?」 
 う~~ん。 お互いとにかく単独行動がほとんどの夫婦だ。   私が一人で出かけようとしてもこんな事をわざわざ確認する亭主ではないのだが。 どうしたのかと思いきや。
 「僕も行く」
 ああ、そうかそうか。 娘のイベントは見たいのね。 (私のマラソン大会などただの一度とて応援しに来たこともないのに。)
 (ならば早く言えよ)と思いつつ、「〇時〇分に家を出るよ」と返すと、「早く行かなきゃ!」と亭主がせかす。


 そうこうして秋葉原に到着してみると、昔当地を訪ねた時代から大きく様変わりして大都会と成り果てている。

 私の場合、過去にこの地を訪れたのは「電気街」と称する当時の秋葉原を象徴するがごとく場所だった。
 その後「萌え」ナンタラカフェの流行やAKBグループの進出により、(歪みつつも)若者が息づく街となり…
 近い過去(2008年の事だったようだが)には、「秋葉原無差別殺傷事件」も勃発している。 歩行者天国道を歩きつつ、あの無残な事件がこの辺で起こったのかなあ、なる無念さも煽られる……

 亭主が、「早く行かないと娘の出番に間に合わない!」と私をせかすのだが、亭主にとっても昔訪れた秋葉原とは大幅に様相が異なっているようだ。
 お互いに地図を準備しているにもかかわらず、現在に於いては(AKBの影響が絶大なのか??)駅近が「ライブハウス」で溢れている秋葉原に於いて、何処で娘出演「ライブハウス」の位置を訪ねても辿り着けない。

 どうしても娘のライブを観たい思いの亭主が走り出すのに同行して、私も微熱を抱えた身体でどれだけ秋葉原の街の歩道を走ったことか。

 そうこうしてやっと、娘が出演するライブハウスに到着した。


 神様とはいるものだ。
 こんなバカ親どもの要望を聞き入れてくれたようだ。
 現地には予定時間よりも随分遅れて到着した時、娘のステージまでに後数分の時間があった。
 ただし、ライブハウス内はゲロ混み状態。 通路にまで観客が押し寄せている。 そこを今回ライブ主催者の指導者先生がアナウンスを入れてくれた。 「通路には立ち止まらず会場の奥へ進んで下さい!」
 その配慮により遅ればせながらライブハウスに到着出来た我々夫婦も、結果として最後列の立席にて娘のステージ鑑賞が叶ったのに加え、これぞ写真撮影ポジションとして良き条件だったのもラッキーだった。
 (今回冒頭写真で取り上げたのは、娘達のヒップホップ講師達による舞台の大トリステージ風景だ。)


 いやはや、素人にしてダンス愛好者である原左都子が、このステージに唸らない訳も無い。

 実は娘が当該ヒップホップダンスグループに所属した当初に、私は娘に尋ねた。
 「私もそのタンスグループで練習出来るかなあ??」
 それに対して返って来た娘の回答が、実に無情だったのだ……
 「一応、20歳から40歳までの女性を対象としてプロ先生が指導をしているグループだよ。」

 これに関して、昨日のライブにてもプロ先生より説明があった。
 「我々は、有職者女性を対象として年齢を区切って指導している。 生徒の皆さんは、日頃ご自身の職業責務を果たしつつ余暇を利用されこのようにダンスに励まれている。 その日頃の努力の程を弁えつつも、ダンスに賭ける素晴らしい情熱を今後共くみ取り、今後もこのようなダンスパフォーマンス機会を増強していきたい。」


 最後に、原左都子の希望を語るが。
 
 あの~~~。 
 指導者先生、私の場合還暦過ぎて既に2年半の年月が経過しているんですけど……
 最後列、下手(しもて)の端っこでいいんですが、来年その舞台に一緒に立たせて頂く訳にはいかないですかね~~~。

 いえいえ、ほんの冗談です。

 今回の娘のライブハウス出演とは、我が娘が社会人となって以降娘本人が主体的に実行した結果の「快挙」である事実は当然ながら実感している。
 そんな娘の「快挙」に観客の立場で同席させてもらえた我々高齢域親夫婦共々、娘に感謝しきりだ。
 来年も、絶対観に行くぞ!!   

バブリー高校生達の快挙

2018年01月06日 | 音楽
 (写真は、朝日新聞2018.01.05 付テレビ欄に掲載されていた 2017紅白歌合戦の一場面、郷ひろみと共演する大阪府立登美丘高校ダンス部の生徒たち。)


 私が一番最初にテレビで登美丘高校ダンス部のダンスステージを観た時から、度肝を抜かれていた。

 何分、歌好き、ダンス好きで今でも暇があれば下手な歌を歌い中途半端なダンスを踊って自己満足に浸っている私だ。
 そんな素人ダンス愛好者である私の目から見た彼女たちのダンスは、文句なしに“パーフェクト”だった。

 しかも、荻野目洋子氏が歌った「ダンシングヒーロー」は今でも私のカラオケ持ち歌だ。 いつも(決して登美丘高校レベルの素晴らしいダンスではなく)、荻野目洋子氏が当時踊っていた軽めのダンスステップを踏みながら今でもカラオケで歌っている。


 以下にネット情報より、登美丘高校ダンス部のダンスコンテストの実績の一部を引用紹介しよう。

 圧巻のパフォ−マンスに観ていた全ての観客を感動の渦に巻き込んだ彼女達のダンス。 実はHSDCだけにとどまらなかった。
 2015年だけでも、
  ライオンズダンスコンテスト 優勝
  ダンススタジアム新人戦  優勝
  DANCE DELIGHT 高校ストリートダンス選手権  SPECIAL PRIZE
  日本ダンス大会  審査員特別賞
  日本高校ダンス部選手権 ダンススタジアム 全国優勝
と計り知れない経歴を残している。
 YouTubeには今までのパフォーマンス動画が公開されている。 高校生らしいエネルギッシュかつインパクトに残る彼女達の作品を一部紹介していきたい。
 まずは1970年代大ヒットしたABBAのGimme! Gimme! Gimme!を使用したこちらの作品。 ”登美丘叔母ダンス部”では大阪を象徴するようなおばちゃんファッションで街中を練り歩き踊りまくる。その気迫溢れる表情は彼女達の何十年後かを彷彿させるかのようだ。
 (以下略すが、以上ネット情報より引用したもの。)

 
 昨年末にNHKにて紅白歌合戦を視聴した時の情報によれば。
 登美丘高校ダンス部の振付に関しては、プロの振付氏が担当しているらしい。  まあ、そうだろう。 あの振付を彼女達が成したとなればもっと快挙だろうが、どう見ても“プロ技”だ。
 私の感想では、昨年末の紅白にて郷ひろみ氏と共演した「二億四千万の瞳」よりも、やはり彼女達の得意ダンスである「ダンシングヒーロー」の方が、ダンスパフォーマンスに於いてずっと完成度が高いように感じた。

 冒頭写真に添えられていた朝日新聞記事から引用すると。
 紅白舞台裏通路でひときわ目立っていたのは「バブリーダンス」が話題になり、郷ひろみ氏と共演を果たした彼女達だった。 肩パット入りのボディコン姿に派手な化粧を施している姿。 本番ではキレのあるダンスで会場を盛り上げ、郷氏は「彼女達の最高のパフォーマンスに触発されて、素晴らしい締めくくりを一緒にする事が出来た」と話した。
 (以上、朝日新聞記事より引用したもの。)


 彼女達の衣装に話題を移そう。
 登美丘高校ダンス部の「ダンシングヒーロー」ダンスを視聴して度肝を抜かれるもう一点とは、まさにそのボディコン衣装だ。

 私が高校教師を勤めていた時代背景が経済バブル期(及び、バブル崩壊期に差し掛かった頃)だったのだが。
 彼女達のダンスパフォーマンスを見てプラスの意味で唖然とさせられたのは、まさに我が高校教師時代に、彼女達が着用している衣装及びヘアスタイルと“瓜二つ”のファッションスタイルで、教員の立場として勤務先の学校へ出向いた事だ。 
 (一度だけ「その格好で有事の際に生徒を救えますか?」と一男性教員より非難されたことがある。 私側も「そのジャージ姿で日々教壇に立つ事こそが生徒に対して失礼ではないですか!?」と反論した記憶もある。 この話題はバックナンバーにて公開済みだが。)
 それを懐かしく思い出しながらの感想だが。
 よくぞまあ登美丘高校ダンス部は、これ程までにバブル期女性ファッションスタイルを再現したものと感嘆させられる。  いやいや私の高校教員時代は、彼女達よりもっとスカート丈が短かったし、もっとボディコン度(身体へのフィット度合い)が大きかったものだ。 おそらく彼女達の衣装はダンスのし易さを勘案して仕立てられているものと推測する。 

 それにしても、登美丘高校ダンス部のバブル期のヘアスタイルの再現度は物凄いものがあり、これまた衝撃的だ。
 ロン毛で前髪を立ち上げねばならない“作業”に、私も日々出勤前に多大な時間を費やした記憶がある。 このヘアスタイルを実現するには特に前髪部分をヘアスプレーでバリバリに固めねばならず、日々苦労したものだ。
 その後このヘアスタイルのリバイバルが一切無いのは、その手間の大変さ故と推し量るのだが…。
 
 その意味では、「肩パット」にせよ「ボディコン」の窮屈さにせよ 「ヘアスタイル」を作る作業の煩雑さにせよ…  ある意味では、バブル期のファッションとはその完璧を目指す人種にとっては忍耐と努力の下に叶う対象であったような気もする。 


 ダンスを心得ない世間の皆さんにとって、彼女達は如何に映っているのだろうか??
 まさか、何を馬鹿な事を学校はやらせているんだ?!? との勘違いの怒りを抱いていない事に期待したい。

 一度でも本格的なダンスにチャレンジしてみるとお分かりいただけるだろうが、究極に厳しい世界だ。
 まず、持って生まれた身体の柔軟性が無いと立ち行かない。  リズム感も重要だ。  更には、舞台映えする体格・体型も重要視される。 
 私の場合、過去に於いてジャズダンスをプロ指南した経歴があるが、どうしても「身体の柔軟性」がクリア不能なため、ダンスレッスンを断念した歴史を抱えている。 
 その後は、単にダンスを素人域で楽しむしか選択肢がない状況だ。

 そんな私にとって、大阪府立登美丘高校ダンス部の今までの実績の程は“素晴らしい!”以外の何ものでもない。
 ブラボー!! 
 

竹原ピストルさん、「原左都子エッセイ集」へようこそ!

2017年12月28日 | 音楽
 私の日々の日課の一つとして、当該gooの編集画面「閲覧元URL」確認作業がある。

 gooブログの当方からの「読者登録」をごく少数に絞り込んでいる立場にして、一体日々何処のどなたが「原左都子エッセイ集」を閲覧下さっているのかを知りたいが故だ。

 これが結構楽しめるのだ。
 時に著名人よりの閲覧があったりする。 (と言ったところで、現在は“著明人”と“一般人”の線引きが困難な時代であろうが。)
 例えば、政治家(とは言えどもその多くが地方自治体議会議員氏だが。)の閲覧は日常茶飯事だ。 全国津々浦々の自治体及び議会よりご訪問頂いている。 時事社会問題論評を主柱としている我がエッセイ集故に、必然的現象だろう。 最近の事例を挙げると、11月に世田谷区長の保坂展人氏より閲覧頂いたようだ。
 あるいは、大学教授・教官氏達からのアクセスも少なくない。 過去に於いて、コメント欄でそれらの諸先生たちと議論を展開したりもしている。 東大ご出身の大学教授(仮称)mitoさんとはFacebook上に場を移し、現在も時々議論し合う間柄だ。
 評論家の岡田斗司夫氏よりもコメントを頂戴し、コメント欄で議論(と言える程の内容ではなかったが)した事は何度も述べている。 (岡田先生、いつまでも引き合いに出して申し訳ございません。)


 そんな中。
 1ヶ月程前の事だっただろうか。
 
 「原左都子エッセイ集」goo編集画面の「閲覧元URL」をクリックしたところ、冒頭の竹原ピストル氏のオフィシャルブログへ辿り着いた。 
 「竹原ピストル」氏。 どこかでその名を聞いた事があるような???  当初、その程度の認識だった。
 早速そのサイトを覗かせていただくと、現役ミュージシャン・俳優として活躍されている人物の様子だ。
 この人物が何の用があって「原左都子エッセイ集」をお訪ね下さり、如何なるジャンルのエッセイをお読み下さったのかは想像が付かない。  あるいは、単なるクリックミスか何かで我がブログを誤訪問せざるを得なかったのかもしれないし。
 それでも、せっかく訪ねて下さった「竹原ピストル」氏のブログ及びホームページを覗かせて頂いた。
 ほほーー。 意外と現在活躍されている人物であられるではないか! なる感想を抱きつつ、失礼ながらその後忘れ去っていたのだが……。

 びっくり仰天させられたのは、12月に入って以降だ。

 なんと、この竹原ピストル氏が、今年のNHK紅白歌合戦に初出場するとのNHKニュース報道ではないか!
 同じく紅白初出場とのキャピキャピ若造達に交じり、竹原ピストル氏のみ場違いに中年のゴツい男像を醸し出されていた。 (竹原さま、失礼な表現をお詫び申し上げます。
 紅白初出場との事は今年活躍をされたであろう事には間違いなく、“時の人”であられるのだろう。

 そこで以下に竹原ピストル氏に関して、ご本人のオフィシャルサイトよりそのプロフィールを紹介させていただこう。

竹原ピストル:歌手/ミュージシャン/俳優
生年月日:1976年12月27日
出身地:千葉県
趣味:スイミング
大学時代の1995年、ボクシング部主将を務め全日本選手権に二度出場。
1999年、野狐禅(ヤコゼン)を結成し音楽活動を本格化。
際立った音楽性が高く評価され、2003年にメジャーデビュー。その後、6枚のシングルと4枚のアルバムを発表。
2009年4月に野狐禅を解散し、一人きりでの表現活動を開始。シングル1枚、ミニアルバム1枚、アルバム4枚の作品を発表する傍ら、年間約250本のペースでライブも並行するなど精力的に活動を行う。
2014年、デビュー時のマネージメントオフィスであるオフィスオーガスタに再び所属、
10月22日に、ビクター/スピードスターレコーズよりニューアルバム『BEST BOUT』を発表、リリース直後から敢行した「全都道府県弾き語りツアー”BEST BOUT”」(全56公演)と「竹原ピストル(ズ)ワンマンショー “BEST BOUT”」(バンドツアー全9公演)が大盛況のうちに終了した。
2016年1月よりアルバムを引っさげた114本に及ぶ全国弾き語りツアー"youth" supported by住友生命「1UP」を開催され、10月にはツアーの模様や日常を追いかけたドキュメンタリー番組NHKBSプレミアム「ネクストブレーカー」のオンエアや、西川美和監督最新作『永い言い訳』の公開、亀田興毅出演の江崎グリコ株式会社「GABA」のWEB ムービー「FIGHT×STRESS」篇に「それじゃただの大人だろ」の起用、同楽曲が収録された配信限定「よー、そこの若いのep」のリリースなど大きな反響となっている。
12月には東阪でバンドツアー「”BEST BOUT+youth”」を行うことが決定。
同時に、役者としての評価も高く、これまでにいくつもの作品に出演している。
●映画出演作品
青春☆金属バット(2006年)
フリージア(2007年)
海炭市叙景(2010年)
さや侍(2011年)
私の男(2014年)
永い言い訳(2016年)
 (以上、竹原ピストル氏のホームページより氏のプロフィールを転載させて頂いた。)


 先程、YouTubeにて竹原ピストル氏の楽曲を聴かせていただいた。
 はい。 「よー、そこの若いの」は確かに存じている。 何度か何処かで耳にしている。 “必死じゃない大人なんかいない”の歌詞フレーズ通り、この私もいつも必死でいたいものだと再確認させられた。
 ギター伴奏の力強い弾き語りが竹原氏の持ち味のようだ。 そして、語りかけるようなメッセージ性ある歌唱法はさすがに俳優であるが故であろうし、また、竹原氏のご人格が自然に滲み出た結果でもあるのだろう。

 確かな存在感あるミュージシャンかつ俳優「竹原ピストル」氏が、今年“時の人”として紅白に選出された訳だが。  そんな竹原氏にとっては、紅白よりもライブにての歌唱こそ本望であるようにも想像する。
 それでも、この原左都子も今年の紅白歌合戦を楽しみにさせて頂こう。
 大晦日には竹原ピストル氏の熱唱を必ずや拝聴します!