原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

ビジュアル系でなければ舞台音楽家として成功できない!?

2018年03月19日 | 音楽
 (写真は、昨日2018.03.18 に都心某所にて行われたフルートコンサートにての演奏曲目。 写真左上は出演者のフルート演奏家の皆さん。 左下はライブハウスレストランにて最初に出されたオードブルとスパークリングワイン。 写真右はレストラン玄関口にて撮影した私。)


 昨日、私は現在指導を受けているプロフルート奏者先生のお誘いにより、都心某ライブハウスレストランへフルートコンサートを拝聴しに出かけた。

 何分音楽好きの身であり、クラシック分野に於いては数々のクラシックバレエ公演やオーケストラ公演、あるいは少し小規模の管弦楽コンサートへ足を運んだ経験は少なくない。
 (今回のエッセイではクラシック分野以外の音楽に関しては話題から外させていただくが、それはそれはプロ・アマを問わず、様々な大小コンサートを堪能して来ている。 あくまでもアマチュアの立場だが、自分自身が舞台に立った経験も少なくない。)


 そんな私だが、クラシックにしてこれ程小規模かつレストランにて飲食しながらのコンサートは今回が初体験だ。
 クラシックコンサートと言えば、一昔前までは客席で“咳一つ”しても周囲から睨みつけられたものだが…。
 せめて演奏が始まるまでに飲食を終えねば。 と考えていた私だが、何と演奏者の皆様が「どうぞ、召し上がりながら演奏をお聞き下されば嬉しいです。」とまで言って下さるではないか!
 とは言えども、やはり私を含め客席の皆さんはきちんとわきまえていらっしゃる。 演奏が始まるなり、会場は静まり返った。
  

 さて、今回のフルートコンサートについて説明しよう。

 現在の私のフルート個人レッスンの講師でいらっしゃる若き美人先生が、そのプロお仲間と共に小規模演奏会を催されたものだ。 
 3名のフルート奏者に加えてピアノ演奏もあったのだが、その4名の奏者の皆様がプロ活動を通じて知り合い、時々このような演奏会を開催しているとのことだ。
 
 今回の観客は、私同様に出演者奏者の先生方のフルート教室の生徒の皆さんが大多数の様子だ。
 私の場合、個人レッスンのため会場内に知り合いは一人としていないのだが、団体レッスンの方々が様々な会話を楽しんでいらっしゃる。
 少し気になったのは、フルートの団体レッスンとは如何に実施されるのだろうか?? それで成長が望めるのか??? なる点だ。
 さらに意外だったのは、その観客の平均年齢だ。 私の観察によれば、今回の観客皆さんの平均年齢が実に高い!  何だか、私など平均年齢よりもかなり下ではないか?と勘違いさせられる程だった。
 私の(歪んだ?)推測結果をまとめるならば。
 既に高齢域に達している音楽ファン(特に男性フルートファン)は、美女である先生とお近づきになりたいのに加えて、団体レッスンにて仲間づくりを目指しているのであろう、との事実である。 その観点から団体グループを見回すと和気あいあいと楽しんでいる様子であり、特に高齢男性フルートファンに於いては、これ以上“恵まれた環境”はないのか?? とも推し量った。
 (かと言って、究極“集団嫌い” かつ本気でフルート練習を実行したい私は、いくら趣味が一致するからといって、あれら高齢男性のお相手をヘラヘラとさせられるのは限界があるかもね……


 余談が過ぎたようだが、肝心要のフルートコンサートに話題を戻そう。

 いまはやまったく、演奏自体は嘘偽りなく“素晴らしい!!”の一言に尽きた!
 申し訳ない事に、私は上記の演奏曲目の中では3曲程度しか認知していない状態だった。

 この種の小規模フルートコンサートにして、演奏者の皆さんの高度の技術力の程はフルート素人の私でも十二分に把握出来た。 
 我が個人指導先生は、フルートに加えピッコロとアルトフルートも担当されたのだが、そのすべてに於いて完璧な演奏力だった事実に思い入ったものだ。
 当然ながら、他の演奏者の皆様も完璧な演奏力をご披露された。

 なんと申せばよいのだろうか、ライブハウスレストランにてのこんなにも安価のフルートコンサートにして演奏者の実力が素晴らしい事実を垣間見た演奏会だったとも表現可能だろうか?

 
 最後に、表題に戻ろう。
 
 出演者の皆さんが美女であられたことに関してだが。
 終演後に一旦客席の観客と相まみえると、正直なところ、お一人の出演者ご本人が舞台上にて仰った通り、身長が146㎝と低い等々の表向きビジュアルに関してネックを抱えておられるのか? とも推測した。

 そのような状況下に於いて、更なる舞台演奏家としての「メジャー」を目指すためには。
 特に女性音楽家に関しては、“見栄え”なる関門がどうしても追い迫ってくるのか?、なる厳しい現実を見せられる思いもある。

 いやはや、如何なる分野でも「舞台に立つ」事を主眼とした場合、実力のみではない“訳が分かりにくい”関門を通過せずして成立しない側面がこの世に実存する事実を再確認させられる次第だ。
 
 それでも、昨日のフルートコンサートが素晴らしかった事を最後に再び振り返ろう。

 原左都子の場合、既にプロのフルート奏者にならんとの希望が一切無い立場にして、昨日のプロ講師先生皆様の演奏力の程に大いに感銘させていただけたことは事実だ。

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