こうも世の中が複雑になると、ヒーローは出づらくなる。というのも、マスコミによる情報が流れる速さにより、すぐ目立つからだ。2日後の週刊誌に写真入りでヒーロー登場となれば、これはもういただけない。恵まれない人々に愛の手を・・と、タイガーマスクから義援金数百万円が警察署の前に・・といった活躍が関の山の時代である。ヒーローが悪人どもだけでなく、マスコミの取材にもビクビクする・・などといった昨今の構図は、冗談にもいただけない。まあ、それだけ、ヒーローが活躍できる場が減ったということだが、それだけ悪人どもが暗躍しやすくなっている・・ということだから、これまた、いただけない。古くは赤胴鈴之助から、マジンガーZとか機動戦士ガンダムとかの戦隊ものヒーローに至るまで、さまざまに進化してきたが、機械化は、どうも現実離れして目立ちにくいという点にあるようだ。元々、ヒーローは、現実に、いるんじゃないか? いたらいいな! …とか思わせ、子供心を擽(くすぐ)る存在のはずだった。大人だって、見たあとスカッ! としてワクワクしたものだ。その期待感がすっかり萎(しぼ)む寂しい時代である。
「ああ! 誰か暮らしやすくしてほしいよな…」
「そうですとも! いったい、この国はどうなったんですかね?」
「お年寄りが増え過ぎたのか?」
「いえ、それだけじゃないでしょう。働きづらい国になったからじゃないですか?」
「若い者も先まで安定して働けないからな」
「高齢者も年金減らされてまでは働かないでしょ」
「ああ、そうそう。非課税限度額なんて、すぐ超えるからな」
「年金は減らさず、働ける人、働く気がある人を対象に高齢者減額所得税で徴収するというのは、どうでしょう?」
「おおっ! 財源にもなるし、国も元気になるからなっ! ははは…君こそヒーローだっ!」
「いいえ、ヒーローみたいに、そうは出来ませんから…」
「ヒーローは、やっぱり、いないのか…」
二人は押し黙った。ヒーローが架空の存在と思えたからだ。その頃、出づらくなったヒーローは、密(ひそ)かに、くしゃみをしていた。
完