ガッツ藤本(藤本正人)のきょうのつぶやき

活動日記ほど堅くなく、日々の思いをつぶやきます

身になる話を聞いてきました。

2007-11-30 00:46:07 | 勉強会など

このところいい講座を聴講しています。

先日は並木公民館主催の工藤隆先生による『古事記のお話』。
そして今日は市主催の枝広淳子先生の『地球温暖化 システム思考で考える』だ。

工藤先生は、神話を研究していくうち、文化人類学に足を踏み入れ
中国少数民族を実地調査したお話。

古事記では万世一系歴代の神々を語るが、
それは中国少数民族では普通の家で行われていること。
皇帝は天命で成るので、万世一系を語ることは行われない。
宴などの席では部族の長や歌の上手が
創世記からの歴代の長の名前を節をつけて歌うのだそうだ。
 
イ族の男女の歌垣の話はビデオで映像、音声が聞け、興味深かった。
歌垣は未婚男女が基本だが、既婚者、老人も参加できること。
6時間謳いあった例がビデオで上映された。
歌の掛け合いでは節が決まっていて言葉が即興なこと。
周囲に人が大勢いても掛け合いは始まり、その掛け合いを周囲は邪魔するともなく聴いていること、などその他いろいろ学んだ。

枝広先生の話で残ったのは、たとえば行動をしなきゃ始まらないこと、
目標を定め手法を考えていくべきこと、
システムを変えることで功を奏すこと、
評価の時間軸を遠くに設定してみると実は、評価が違うことがあること、
環境においては『足るを知る』しかないこと、などを学んだ。


(枝広先生)

市にしてはよく、枝広先生をお呼びしたなあ、と感心した。
また、このところ市の職員を前面に出して催し物をしたり、
テレビに出させたりしているがとてもよいことだと改めて思った。
(市の実践を紹介し、行動をよびかける市環境総務課職員)


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フラメンコが炸裂!

2007-11-26 13:15:03 | かんじたこと、つぶやき



針灸師会の忘年会に出た。
お注ぎしようと動き出したらフラメンコ集団が来たので自席に戻った。
演奏者に失礼なのでそのまま聴衆になっていたら宴席は終わってしまった。
また、お注ぎしそこなってしまった・・・。

イヤー、しかし、自分はフラメンコも好きなんだなあ・・・。
あのギタリストの気だるい、のどの底からうなるような発声。
背筋伸ばして振り向きざまこちらを見る踊り手の視線。
開いた胸につたい落ちる汗の幾筋。

なんだか自分には今までの人生でそんな生き方して来なかったんだけど、
熱い汗、むせ返る大人のけだるさ、情熱の黒い瞳、
に感じるところがあるんである。

昨日は詩吟、ジャッズ&ポップス、そして今日はフラメンコかぁ。
なんかキリギリスみたいな生活しているなぁ。
太った豚よりやせたソクラテスたれ!!
千鳥足の脳裏に天から声が聞こえた、
気がした。
あれ、空耳かなぁ?

※なお、あとから聴いてみるとフラメンコの歌と日本の音階はどちらも陰音階で
日本人の耳になじみやすいんだとか。スペイン語の歌だと日本の替え歌もすぐ即興で作れそうだしねぇ。

さらになお、朝は別の会に出席したが、帰る途中で東中野球部の教え子O谷君に遭った。昔よりずいぶんすっきり鋭角な体型になっていた。おうちの職を継いで洋品店でがんばっているとか。 成長しすっかり頼もしくなった彼の後姿に、ぼくは がんばってくれ!! と念じた。

今日の一日はそうやって爽やかにスタートしたことを付け加えておきます。

コメント (2)
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所沢の文化祭 11月24日は

2007-11-24 17:23:44 | 行事を見たり聴いたり活動

文化祭満載

今日は午前中会議をしたあとは、市民吟詠大会、そして市民音楽祭ポップス&ジャッズフェスティバルに参加した。

第42回を誇る市民吟詠大会は
ピリッと辛い
背筋の伸びる大会である。工夫を凝らした構成吟では少年少女による吟詠などもあった。なかなかじんとくるひと時だった。


続いてお隣り中ホールに移動すると、そこは全く違う世界。
ビートルズの「HELP!」やら「TWIST & SHOUT」やら
昔アメリカで歌った覚えのある『TILL TYERE WAS LOVE』
そして「キッスは目にして」なんぞのメロディーに体も心もすいこまれた。



我ながらこの落差を平気で享受できることに感動したりもした。

なおポップス&ジャズのほうの聴衆と詩吟の聴衆がどうも同じくらいの年齢だったことには実はいささか驚いた。どちらも65歳くらい。白髪の方々も多い。

団塊の世代とは日本の文化をも支えてきた世代なんだな、
と感じた次第であった。

ミューズを出ると銀杏並木が夕日に照らされていた。
散歩する女性が自分の教え子だったので、不思議な縁を感じた。


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農業大学校祭

2007-11-24 13:25:27 | 行事を見たり聴いたり活動

農業大学校祭に行った。

ここの学生さんはなんか気持ちがいい人ばかりな気がする。

バンドもやっていた。秋空のもと日に焼けた顔は爽やかだ。

酪農科の若者はぬいぐるみを着て、子牛をひいている。
あとで先生に聞くと、
「酪農科にはいる学生は動物が好きだから入ってくる場合が多い。
しかし相手が生き物だから休みも取れない毎日、一番早く壁にぶつかるのも酪農専攻の学生たち。しかし、それを乗り越えると最も早く大人になるのも酪農専攻の学生である。」
というのであった。

水田複合科の男子が大きな声で、
自分が作った
「彩のかがやき、6kg2000円!!!」
と売り歩いている。
坂戸の水田で作ったものとか。

野菜もたくさん売っていた。
みんなこの学生さんたちが作ったもの。
収穫物を前にした学生さんの顔には、自信というか誇りというか、
そんなものが漂っている。
それがまぶしい。

焼きそばやポップコーンを売る学生さんもみんな爽やかな顔をしている。

そういう顔に出会ってぼくの気持ちもすがすがしさで一杯になる。

11月の決算委員会のとき、農業高校の卒業生で直接就農する生徒はいない、
と答弁があって驚いたのを思い出した。

ここ鶴ヶ島の農業大学校の学生の前途に幸多かれ!!

晴れ渡る秋空を見上げ、ぼくは鶴ヶ島をあとにした。


(OBによる豚の丸焼きの販売)

埼玉県立農業大学校
http://www.pref.saitama.lg.jp/A06/BB50/


(小牛とお散歩)


(うまいよ!!焼きそば)

 


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須坂市中心市街活性化計画について

2007-11-20 14:45:35 | 視察関係
須坂市がそんな特徴を持つとは知らなかった。
長野電鉄の車内では「蔵の町須坂」とアナウンスがあった。
ロマンスカー(またはビスタカー)や東急東横線を髣髴させる長野電鉄で須坂駅を降りると、張り詰めた山風に冬の日差しが温かく迎えてくれた。

さて、蔵の町須坂市は人口5万強。
明治5年、富岡製糸工場によって西洋の製糸技術が伝えられると北信地域でも器械製糸が始められ、須坂にも明治7年には製糸工場ができた。
以後諏訪と並ぶ産地として昭和初期まで栄え、土蔵造りの豪華な町屋が建てられた。
現在歴史的建造物は347軒、うち土蔵造りは200軒を超える。

以下要点。
○ 歴史的景観保存対策事業
昭和61年、住民有志によって「須坂町並みの会」結成。 町並み調査を市も始める。
平成4年、「須坂地区歴史的景観保存対策基本計画」策定
平成5年、「(同)補助金交付要綱」を市単独事業として開始。対象地区33ha。国も「街なみ環境整備事業」創設。
平成6年、「まちづくり要綱」策定。「街なみ環境整備方針」策定。そして区域を      48haとして国に申請、承認。
平成7年~「街なみ環境整備事業」実施。つまり小さな公園を作ったり、トイレを作ったり、道路美装化、「まゆぐら」など生活環境施設整備などをしたり、歴史的景観保存対策事業として家の修理、改築の助成事業を開始した。
平成9年、まちづくり協定を締結。
景観を大切に残す住民協定を市内4地区で結んだ。とくに中心市街地48haでは15地区に分け、促進区域として国の事業を適用している。
平成7年から平成17年までで193戸、5億5000万円の助成が行われた。
市では平成22年まで期間延長を申請した。
歴史的景観保存対策事業は区域内のまちづくり協定を結んだ建物の修理(伝統的建造物と認められた建物の外観等の修理)、修景(それ以外の建物の改築などで外観に要する経費、工作物、広告、石垣、側溝、石垣などの改良に関する経費)を助成するもの。 たとえば修理事業なら限度額500万円まで、修景事業なら建築物300万円、工作物50万円限度である。(すべて経費の2/3以内の額について)


○蔵の町並みキャンパス構想
市から働きかけた。
須坂には大学がない、若者の集う町にしよう、そして大学の手も借りたい。
企業にも反映してもらおう。
そんな発想から近くの大学、高専に声をかけ、須坂市の建物を使って授業、研究をしてもらうことにした。
平成17年8月~10月に研究会を設置し、11月には蔵の町並みキャンパス推進協議会を結成。
運営資金確保、大学に声かけ拡大、関係機関の連携、調整活動などを行った。
たとえば長野電鉄に学生の運賃を安くしてくれと交渉したり、企業に寄付を募ったりである。運営資金は市から100万円、企業からも100万を目指し、14社1団体から100万円を集めた。 そして1年間で「民家の再生」「街区の再生」をテーマに授業したり、「まゆぐら」再修景計画を授業化したり、小学生を巻き込んだ授業をしたりしてもらったようだ。

課題は、寄付した企業の求める産学連携。授業を通した成果の実現化。運営資金確保。参加大学の拡大などとか。

須坂市は小さい市であるが、することはどでかいとびっくりした。
市独自で歴史的景観保存対策事業を始めてしまい、国の事業を利用し拡大、住民もそれに応え多くの人がまちづくり協定に同意したり・・・。
助成は5億5000万に上る。
この2年間は申請がないというが、当時の市長は思い切った決断をしたものだとつくづく感じた。
大学生の力を借りるという試みは隣の高山村、小布施町でも行っているようだ
。蔵の数もどう見ても川越より多い。隣の小布施よりも古い町の感じもする。町全体が山麓の傾斜地といった感じで景色もよい。そんなところを生かして、善光寺ツアーとセットで旅行者に掛け合い、観光地として売り出せればなあ、と思った。
 ところで蔵の町の川越もいまや昔からの店は少なく、多くが観光客相手の小売店である。店主もよそから来た人が多いに違いない。長野善光寺、須坂市、川越と観光地を目指すところが中心市街地活性化計画を作る傾向なのか? 生活都市ではそれはかなわないのか? よそから来た人に店をやらせるのでよいのか? そんなことをいってたら経済は語れないのかもしれない。まちづくり長野の越原氏も「ぱてぃお大門に来たお客さんにアンケートをとったら、6割は長野市民だった。しかし、目的を聞くと『観光』に丸がつけてある。観光気分で買い物をさせるように店作りをしなければならない。」といわれていた。 今日に新聞には遊休農地とシャッター商店を比較した面白い考え方が載っていた。

そんなことを考えさせられた自民党2期生としての視察だった。

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長野市中心市街地活性化計画について

2007-11-20 13:26:38 | 視察関係


(2期生 左から藤本、小林、中村、本木、鈴木、梅沢、宮崎県議)

街づくり3法が平成18年改正された。
シャッター通り化する商店街、高齢化して近くに店が必要になった状況をみて、国は中心市街地活性化とコンパクトシティー作りを目指しはじめた。
そして、中心市街地活性化計画を策定してほしい、そうしたら国の補助も出るから、と市町村に呼びかけている。
しかし、市町村であえて中心市街活性化計画を策定しようとする自治体はまだ少ない。
県内では今年度中に国に申請しようとしているのがさいたま市と川越市。
来年度を目指すのが小鹿野町、熊谷市、秩父市である。
しかし、他の自治会はこれに追随しようという気配がない。

いち早く国に申請し計画を作った長野市と須坂市を訪ねた。

長野市(人口38万人)
長野市は18年度の改正以前からTMOによる中心市街地活性化のための施策を進めていた。
ダイエーやそごうが撤退し、さらに人口の流出もまた顕著だったからだ。
そこで視察では中心市街地活性化計画つくりというより、具体的な施策についての説明を(株)まちづくり長野の越原氏に受けた。

以下要点。

平成11年中心市街地活性活性化計画策定。
平成12年、ダイエー撤退、そごう倒産。
平成14年、TMO認定。
平成15年1月、(株)まちづくり長野(商工会議所、企業、商店街等出資5000万円)設立。  当初の目的はダイエー跡の復興であった。
同4月、ダイエー1階にTOMATO館(食品館)設立。まちづくり長野の直営。
同6月、旧ダイエービルを「もんぜんぷら座」とし市のNPOその他の活動拠点に。
平成16年、長野市も500万円出資。
平成17年、「ぱてぃお大門」オープン。
平成18年9月、そごう跡に「トイーゴ」オープン。長野市中心市街地活性化協議会設立。

まちづくり長野にはイオンから人を抜擢して、その方(服部氏、越原氏)が中心でダイナミックに動いてきたようだ。
計画では200haを位置づけた。
人口流出が多く、小学校も1校廃校になる。
まちづくり長野はTOMATO食品館の運営、ぱてぃお大門の運営、駐車場の運営を主にしている。
そこへこぎつけるまでの苦労と手腕が貴重であった。

長野市は平成10年のオリンピックに備え、善光寺参道を横切る3m道路を10m以上にした。
また郊外都市計画道路も整備した。
また、善光寺をはさんで商店街の反対側にある蓮池地帯を売ってしまった。
売られた後は大型バスの駐車場になった。
それらによって、参拝者の足は商店街に向かなくなり、向いても大通りでさえぎられてしまった。
また、郊外には大規模店舗が道路沿いに進出し、中心市街地は壊滅的になった。ダイエーの撤退、そごうの倒産も厳しい。
住民は郊外に居を求め流出し、1小学校は廃校になる。
そのような中、ダイエービルを復興し、そごう跡を再生し、空き蔵、民家を再生したテナントミックス商店施設「ぱてぃお大門 蔵楽座」をつくりあげてきた。
商店ががんばっても人がいなければ話にならない。
今は表参道の両側にマンションが建つようになった。入居者は高齢者が多いが、それでもいい。
また県の役割は周辺市町村との調整と聞いた。周辺市町村が長野市近隣に大型店を立ててしまっては、努力の甲斐もないからだ。

(ぱてぃお大門 蔵楽座)
がんばっている姿を目にし、中心市街地活性化とは旭川のときと同じような、テナントによる人寄せ施設しかないのかなあ、と思った。
所沢市も「井筒屋まちづくり商店」と「とことこ市」がそれである。
人を住まわせるために商店を高層ビル化し、セットバックして広い歩道を作り人が散策できる空間を作ろうと、なんと20年位前から住民自ら組合を作って計画し、それが市街地再開発事業になっている。
ビルが批判され、経済的にペイされず、途中で頓挫しそうに見える再開発事業は、今全国の注目の的の長野市に比べても絶対にひけはとらない、と自分は感じた。

まちを活性化する万能薬はないのだろうか?
長野市中心市街地計画区域内ではそのほかにも事業を今立てているということだった。
いずれ人口減少は来る。車で移動する世の中、きっと中心市街地の商店適正規模というのもあるのだろう。
そんなことを長野駅まで続く商店の多さを思いながら、歩きながら考えた。

コメント (2)
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議員研修会で道州制を考える

2007-11-17 00:35:04 | 勉強会など

道州制を考える全国都道府県議会議員の研修会に出席した。

基礎自治体(市)の力をつける、
市町村合併で体力をつける、
都道府県の存在を見直し道州制で国から独立する・・・。

以上のことを自分はどうも疑問に感じてきた。

いったい誰が道州制を実現したいのか?
そのメリットはなにか?そ
ういう国の形がよいのであろうか?
そもそも合併して大きな自治体になったことがよいことだったのか?

そう感じていたからだ。

しかし、今日参加して

合併が必ずしもよいものでなかったこと、
ただ、財政的にそれをやらないと生きる道がなかったであろうから合併しただけのところも多いこと、
市町村合併の道の先に道州制があるのでは必ずしもないこと、
道州制を望んでいない、必要性を実感できない議員が実はたくさんいた、

ということを研修会に参加して実感した。


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11月10,11日(土)(日)は・・・

2007-11-15 18:14:22 | かんじたこと、つぶやき
やはり行事にあふれていました。

山野草展にいって秋の雰囲気を味わった後、
所沢高校同窓会館「希望の鐘」落成記念式典。

講演会では卒業生の竹山洋氏(脚本家、作家)の、
良き師を見つけていきよう、
というお話があった。
ほかのどこかでも「師」がいること、が大切、という話を聞いたことがある。

自分は今、生きていて
そういう心持ち、つまり、指針を持ってそれに向かって生きる姿勢と
謙虚に学ぶ心で生きること、を果たしているだろうか?
と考えてしまった。

※竹山洋さん http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handle-url/index=stripbooks%26field-keywords=%E7%AB%B9%E5%B1%B1%E3%80%80%E6%B4%8B%26results-process=default%26dispatch=search/ref=pd_sl_ya_tops-5_stripbooks_405027523_1&results-process=default

そのあと交通安全大会をミューズにて。

その後、あかさたな音楽祭。

そして最後に仏教の学びをした。

11日は朝から「滝の城址保存会」の皆さんと城跡復元に向けた、伐採などを行った。
城といえば江戸期の城を想起してしまいがちだが、滝の城は空堀(水をたたえない堀)をきちんと残している貴重な中世の城である、と伺った。
保存会の方々の意気込みはすごいものだ。
自分も少しでもその意気込みに答えられるようにがんばりたいとつくづく思った。

なお、市職員、県職員のボランティア参加もいただいた。
きっと一日仕事になってしまったであろう。
感謝したい。


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11月8日、戦没者追悼式典

2007-11-08 13:52:16 | 行事を見たり聴いたり活動
さいたま会館で埼玉県戦没者追悼式が行われた。

戦争が終わって62年が経過した。
体力が充実している世代の日本人の多くが、戦争を知らない。
そんな中、この式の意味はあるのだと思う。
しかし、いつしか式の存在を疑問視する声が
大勢を占める時が来るのかもしれない。

参加しながらそう思った。

アメリカ人は太平洋戦争を銘記しようなんてしないだろう。
韓国人は朝鮮動乱があったけど、やはり大東亜戦争を忘れない、思い起こす為の機会が今後も維持されていくのだろうな、と思った。
中国もそうなんだろう。

日本も忘れてはいけないのだが、大丈夫なんだろうか。
コメント (1)
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さくら会ゴルフコンペに参加

2007-11-08 13:36:50 | 行事を見たり聴いたり活動
さくら会の皆さんがゴルフコンペを企画!!

普段ゴルフをしない自分ですが、楽しい
一日を過ごさせていただきました。
スコアはいわずとしれたグロス149。
ゴルフをする度ブービーメーカーという自己記録を更新いたしました。
これで5回以上はメーカーです。

昨日は、秋日和で紅葉も美しく、さわやかな陽気でした。
人一倍打ちましたから途中はなるべく走りました。
芝生の上だから膝に圧力がこないので、走りも楽しかったです。
終わって風呂に入ったら3kg減っていました。
もちろん19番ホールで戻りました。

参加してくださったみなさまには感謝感謝の気持ちです。
また、実行委員の方々にもお世話になりました。
みなさま、本当にありがとうございました
コメント (1)
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11月4日も文化祭!!

2007-11-04 23:36:14 | 行事を見たり聴いたり活動

今日は文化祭に集中した。

まずは富岡公民館。
こちらは富岡地区民謡民舞愛好会発表会と菊花展。
式典にも参加。

次に地元新所沢公民館の文化祭。

外ではソフトボールの方々が恒例の餅つきをしていた。
自分も参加させていただいた。


そして、三々島地区文化祭。
写真、絵手紙、書、ひょうたん、山野草・・・。
説明もしていただき感謝の時間。


(ホールインワン記念のひょうたん)

(堂々たるひょうたん)


そして、また富岡地区民謡民舞愛好会発表会に急行。
そんな一日でありましたあ。


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文化の日は行事満載

2007-11-04 23:26:50 | 行事を見たり聴いたり活動

今日は文化の日。今気づいたが日の丸を掲げるのを忘れてしまった。
祭日を祝うゆとりがなかったのか・・・。

さて、まずは、清進小、明峰小、所小、北小の育成会主催の子ども大会から参加した。
お母さん方が工夫されたゲームを用意、子どもらも楽しんでいた。

(ごみ分別ゲーム)

パン食い、もとい、おかし食い競争)

(釣り)

(あずき運び)
続いて、YMCA主催のチャリティーラン。
5人一組で参加し、駅伝形式。参加料を払うのだが、
それが全て慈善事業に寄付される仕組みの大会である。
自分も市議会時代、参加した。
市議も2チーム10人が参加してくれたものだった。
行事の多い日によく参加してくれたんだなあ、と今になって感謝の気持ち。


次に、入間基地航空祭。ブルーインパルスの飛行はお見事だった。
それにしても、飛行機の好きな大人は多いんだなあ、とつくづく感じた。

そして所沢市美術展表彰式。

懇親会はキャンセルして、深谷市に急行.
これが11月3日の行動でありました。


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ヘアスプレー

2007-11-01 15:34:21 | 本・映画など

「ヘアスプレー」
ミュージカル仕立ての映画は見ていておもしろい。
やはり映画は娯楽作品が基本なのだろうか。

その昔、「世の中には男と女とデブがいる。」と友人が言っていた。
言い得て妙だと思ったものだ。

が、自分が太ってきて、自分もそちらの人になっている今、
既成の概念(デブは主人公にはなれない、黒人は白人と対等ではない、など)
を打ち破って、おデブちゃんが活躍する姿は、自分に変な自信を与えてくれた。

なお、この作品は社会の古き悪しき価値観、いわれなき偏見を改革することを
テーマにしているように感じる。

古い価値観にも理はある、と思いがちな自分だが、
その当時(60年代)に生きていたらどのような行動をしたのだろうか、
と考えてしまった。


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