これもミューズのシネマセレクション「世界の注目する日本映画たち」のひとつ
諏訪敦彦監督の『風の電話』である。
主人公のハルは、9歳の時、東日本大震災で津波にあって両親と弟が流された。
今も見つからない。
どうして自分だけを残して家族は逝ってしまったのか、自分はどうすればよいのか、
ハルの心は常にそこに押し返される。
前を向いて生活することなんてあり得ないのだ。
震災から10年、広島の叔母に育てられてきた18歳のハルは叔母が倒れたのをきっかけに、広島の家を彷徨い出て、
今までの思いを胸に大槌に向かう。
決して、一直線に大槌に向かうというのではなく、苦しみながら、様々な人と出会いながら、大槌に向かうのである。
そして、一人の少年から風の電話の存在を知り、そこで、今までの思いを伝えるのである。
人には言えない、自分でも整理できない、そういうわだかまり、思いが渦巻いている、そういう人が今も多くいるのであろう。
それが整理できなければ、未来に向かって生きていけないのである。
(震災から1か月後、私が矢本コミュニティセンターに寝泊まりして、石巻でボランティアをした時、
朝から夜までだらっと床に寝てまったく動かない同年代の男性がいた。
もしかしたらあの人は、そういう状況にあった人なのかもしれない、と突然思い出す。)
映画公式サイトはこちらhttp://www.kazenodenwa.com/sp/
さて、映画が終わって、監督とのトークセッションの時、諏訪監督はこう語られた。
ストーリーに沿って、撮影は移動しながら少しずつ行われた。
その中で、セリフなど、すべて俳優に任せたのだと。
撮影に身を投じていくうちに、その思いその気持ちが乗り移り(当人に)成っていくのだ。
映画や演劇であるような気のきいたセリフはない、理を整えた長いセリフもない。
しかし、私たちの日常では、それが本当の姿であろう。
『風の電話』と聞いて、行かねばなるまい、と私は思った。
そして、大槌に派遣された職員もやはり来ていた。
(所沢市は平成25年から令和元年まで2名ずつ大槌町に職員を派遣してきた。)
これが通奏低音というものである。
向かって右が 諏訪敦彦 監督