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さて、いよいよ明日から選挙である。
4年間の活動がどう評価されているか、が分かるのだ。
街宣車での移動しながらの活動も朝8時から10時までと午後6時からは自粛する、と決められてしまった。
1日のうち4時間の活動が拘束されるのである。
自分は、本当は自粛すべきではない、と思っている。
それは選挙を大切に思うからだ。
しかし、新聞にまで出されて各会派が合意の上と書かれたら、それに従うしかない。
政治の位置(地位ではない)が低くなってしまったのは残念すぎる。
「選挙なんてやっている場合か!? それならボランティアでもしろ!!」
と思う人が多いし、それをおかしいと感じず政治家まで自粛ムードに同調してしまうのがその表れである。
でも、世の中を変えるには政治しかないのだ。
そして政治を変えるには選挙しかないのだ。
選挙は国民がそれに参加し、意思を反映できる唯一の機会なのだ。
だから選挙は決してさげすんだり、侮られたりするものではない。
大切な大切な国民行為なのだ。
そして、その選挙に携わっている人々こそ「ボランティア」なのだ。
被災地で活動するボランティアも大切、選挙に携わるボランティアも大切
なのだ。
国民が変われば議員も変わる。
議員が変われば政治も変わる。
政治が変われば国も変わる。
国が変われば国民(生活も)変わる、のだ。
いあや、「変わる」という言葉は適切でない、かもしれない。
むしろ
「○○の意志を行動に反映させれば○○に伝わる。」
といってもいいと思う。
自分は比較的、批判を恐れず思うことを発言し、行政を動かしてきたつもりだ。
4年間の活動がどう評価されるか、
自分の考え方が市民にどう思われているか、
総決算される時である。
覚悟を持って結果を待ちたい。
よしがんばろう!! 告示前日 夜10時
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昨日は金山町の押しボタン式信号の点灯式に行った。
秋田議員とともに、この信号機は自分が進めたものだと、胸を張って言えるものだ。
集会所へ行く人、お店へ行く人、
そういうニーズがあって設置された。
実は式典などなかったのだが、それでも地元の役員さんなど関係者がその瞬間を見に出ていらしていた。
会長さんのボタン押しでみんな横断した。
晴れがましい瞬間。
みんな拍手しながら道を渡っている。
地元の方々、警察、市の交通安全課、電気工事会社の人、みんな嬉しそうで良い時間を共有した。
安全が推進されたと思って自分もうれしかった。
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皆様からお寄せいただいた救援物資は
日本青年会議所埼玉ブロックを通じて、被災地へと送らせていただきました。
ありがとうございました。
写真は事務所から車に積み込んで中継地点に運ぶところ。
運んでくれるのは長橋孝典(こうすけ)さん。
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、
昨年夏、視察した石巻市、「街づくりまんぼう」と「石ノ森萬画館」
だいじょうぶであったか心配していたが、どうも無事のようである。
一昨日のラジオで「石森萬画館」が避難所になっている。」と放送されていた。
とすれば、建物も大丈夫なのだからそこで働いていた人々も大丈夫なのだろう。
あぁ、よかった。本当に良かった。
サイボーグ009のコスチュームに身を包んだ女の子。
聡明な女性で「きっと抜擢されてここで働いているのだろうね。」と議員たちは評していたものだった。
また、中で働く方々もみんな地域の方々で純粋な感じの人だった。
お客さんには子供連れのお母さんも多くみられたが、あの時刻もきっとそういうお客さんが訪れていたのだろう。
あそこにいた人は助かったのか・・・。
そう信じたいし、きっとそうであるに違いない。
http://www.gutsfujimoto.com/shisatu/220817shisatu.htm
石ノ森萬画館 街づくりまんぼう
さて、昨日も議会報告を送った方から
「選挙みたいに自分のことをやっている場合か! ほかにやることはないのか!」
と苦情の電話が入ったそうだ。
今まではひるんでいただろう。
しかし、今は思う。
それでも選挙は設定されてしまったのだ。
それは国会で決めたことであり、我々が云々できることではない。
やるか、キャンセルして政治界から去る、しか道はないのだ。
ならば、
「やって、国を良くするために頑張る」
しかないのではなかろうか。
消防でも警察でも自衛隊でもない議員は、医者でも看護師でもミュージシャンでもない議員は、
政治をしっかりさせることで国に貢献するのだ。
そのための選挙である。
選挙もしっかりやって、自己の思いを訴えていかねばならない。
投票率が低くなる…?
とんでもない。
国が危ないからこそ、
国民がそれにもの言い、参画する唯一の方法、権利=選挙
に行くのが当然ではなかろうか?
国民を信じる。
投票率はきっと、上がる。
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今日は日曜日。
小手指西友前でチャリティーコンサートを催した。
バンド『ブンブンブン』のメンバーのうち2人の故郷が被災地である。
思いを込めて演奏をしてもらった。
正味30分の短さで、もっと長く聞いていたかった。
歌っていいな、と感じた。
こういう義捐金の募集でも暗くならないし深刻すぎにもならない。
小手指街づくり事業協同組合の主催だったが、
やってよかったと思った。
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やっとテレビのコマーシャルがACだけではなくなった。
自分は思う。いったい何をすればよいのか。
長い自問自答の末思ったことはこうである。
消防でも自衛隊員でも医者でも土木専門家でもない自分は、
今自分ができることをコツコツこなしていくしかないのではないか、と。
被災地のことを心に置きながらも、
家族を守るでも仕事をしっかりするでも、とにかく普段すべきことを地に足つけてやっていくこと、
が回り道でも復興へとつながるのではないか、と。
選挙も近い。
日本みんなで頑張ろう、の一色である。
しかし、地震が起きる前に日本にとって課題であったことを、私たちは忘れてはいけないと思う。
もう一度それを思い起こして日本人一人一人に選挙をしてほしい。
高校無償化については、議会最終日自民党を代表して意見書を提出し、可決された。
賛成は無所属刷新の会、黒田議員、自民党
反対は民主党、公明党、共産党、社民党、北村議員。
以下自分が訴えたこと。
そして提出した意見書を掲載したい。
議事録のまま、話したそのままに載せます。
41番、自由民主党議員団の藤本正人です。多くの方が亡くなられています。国家の危機です。救出、復興のため無駄を削るのは当然であり、言わずもがな、なのかもしれません。しかし、国においては「国家の危機だから話し合いもやめてとにかく関連予算を通してくれ」となるやもしれない。地方議会としてはやはり言わねばならないのです。
自由民主党議員団を代表し「高校授業料の実質無償化の見直しを求める意見書」の提出を求める動議の提案説明をいたします。
高等学校は義務教育ではありません。自らの意思をもって学ぶところであるはずです。保護者が自らその負担をすること。また、子どものために親が努力し、子は親のありがたさを感じて学ぶこと、それは親と子、そして、行政と国民のあるべき関係としても、あって然るべきと考えます。それが県民の合意であることは、我々県議会が過去に高校の授業料無償化を県民の誰からも求められたことがないことからも明らかであります。
民主党政権がマニフェストに掲げた「子ども手当」と「高校無償化」は、「子育てを社会全体で支える」理念に貫かれているそうですが、「社会全体で支える」のは「現金を給付すること」ではなく孤立化する現代社会にあっては「人々の絆を以て」行うことだと私たちは考えます。
県内で116億円余の公費(私立に対しては除く)をかけて実施されるにはそれなりの効果が期待されねばなりません。が、残念ながらその逆の結果、すなわち学ぶ姿勢が安易になりかねないことも指摘されるところです。また、 恒久的な政策には恒久的な財源が求められるところですが、国においてはそれも全く確保されません。
それでも民主党政権は、瓦解するマニフェストにあって最後の砦「高校無償化」に固執しつづけたままです。残念ながら県議会としては、関係法案が生きてしまっている現在、そのかたくなな遂行に楔(くさび)を打つ手だてがない、のが実情であります。
以上の理由から意見書を提出するつもりでしたが、予算特別委員会終了直後、東北地方を最大級の地震が襲いました。地震とそれによる津波の被害はあまりにも甚大で、犠牲者と被災者のことを考えると我々はいたたまれません。いまは一刻も早い救出策と再建策を遂行すべく、あらゆる財源を捻出し、国民を挙げて対応する必要があるのではないでしょうか。すでに入学を予定している在学生等への配慮は当然あるべき事を申し添えた上で、意見書を提出するものです。
以下案文を朗読いたします。
高校授業料の実質無償化の見直しを求める意見書
「社会全体で子どもを育てる」という理念は、理念としては素晴らしいものであるが、現金給付をすることがすなわち「社会全体で子どもを育てる」ことになるわけではない。
そもそも、高等学校教育とは義務ではなく、自らの意志で学びたい者が参加する自己決定の場である。憲法で定められているとおり、無償化されるのは義務教育だけである。
高等学校教育まですべて租税で負担する必要はなく、高校授業料の実質無償化は高等学校教育の本来のあるべき姿ではない。
平成23年度予算案において、国債依存度が約50%にも達する中、
本制度の実施に伴い国の財政支出が年間約4千億円も生じることは、その費用対効果からも大いに疑問視されるところである。
おりしも、現在、激しい地震動と大規模な津波により東北地方を中心に甚大な被害がもたらされている。被災地の早期復旧と生活再建こそ急務の課題であり、本制度を実施するゆとりはない。
よって、国においては、高校授業料の実質無償化について、早急に見直しを行うよう強く要望する。
以上、地方自治法第99条の規定により意見書を提出する。
これに対し共産党が反対討論をした。
要旨は
「この意見書は、高校進学率は98%を超え、企業採用条件も「高卒」であるという現実を無視した暴論である。
国際人権規約では、大学まで無償化して行くことをうたった条項があるが、日本とマダガスカルだけ批准していない。
高校無償化は世界の流れなのだ。
私立学校など家の経済的理由で中退をすることが現在でもあるが、経済的理由で学業を断念することはあってはならない。
公立高校はもちろん、私立高校も無償化に進むべきと考え反対する。」
というものだった。
大学まで無償化、私学も無償化なんて
共産主義でしかできないことだ。
その代り給与はほとんど捕捉されてしまうのだ。
この方が暴論である。
※( )は加筆しました。
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さて、文教常任委員長として委員さんみんなと活動してきましたが、この2月定例会で、「決議」を出しました。
「決議」とは議会全体の意思として行政を拘束する重いものです。
この決議はこの1年間、委員会で多くの学校を訪ねた結果、感じたことから出来ました。
今の世の中、先生もまずは批判と批評の対象として登場するけれど、それでは教育は成り立たない。
先生も信頼を感じないので、また、批判の雰囲気に晒(さら)されているのでどうしても冷めた、割り切った関係になる。
でも、本当はそうではない。
もっと先生に思い切って頑張ってもらって、子どもに愛をそそいでもらおう。
注ぎやすい環境を皆で作ろう。
思いっきりやれば人間だから、行きすぎもある。
それも大きな目で見ていこう。
そのなかで地域や保護者が先生を育て、先生はその信頼にこたえて頑張る。
そんなあったかい教育環境を作るためにあらゆる施策を教育局はうて、という決議です。
以下決議文。
教師を信頼し、教師はそれに応える、あたたかな教育環境を回復するための施策を求める決議
社会の価値観が多様化する中、あるべき教師像もまた揺らいでしまっている。教育は信頼の上に成り立つものである。
そもそも、教師が「先生」と呼ばれるのは、子どもを教え育むという仕事が尊敬に値するものであり、社会的に信頼されているからである。「サービスの提供-享受」という価値観で教育も判断され、評価される社会の中で、教師は教育者としての誇りと自覚を失ってしまったかのようにも見える。子どもや保護者に対する教師の行動も、いつの間にか冷めた、割り切ったものになってしまったと感じざるを得ない。
人は信じられているから、それに応えようとして努力するものである。そして身を削り情熱を注ぐ努力から、信頼も生まれるものである。その善き循環が失われてしまったのだ。教師を信頼し、教師はそれに応える、あたたかな教育環境を回復するための本気の施策が、今待たれている。
体を張って本気で子どもに向き合い、指導する。情熱をもって最後まで子どもを面倒み、導く教師を我々は支持する。教育とは、人と人との営みである。思いをぶつけ、情熱を注ぐ営みである。ときに、「行きすぎ」もあるのかもしれない。が、機械的にそれを処分すればよい、というものでもない。
教師が信頼に値すると感ずれば、子どもは変わるものである。子どもの日常が変化し、好転すれば、保護者の態度も変わるはずである。そうした教師を育成すべく、県教育委員会は本気の施策を講ずべきである。
1 「懲戒処分の基準」については、教師の情熱を削ぐことのないよう、そこに至る指導の過程など諸状況をより勘案し、個別に判断して、見直すこと。
2 その他、教育局においては、教師を信頼し、教師はそれに応える、あたたかな教育環境を回復するため、あらゆる施策を講ずること。
3 教師は、教育者としての誇りを持ち、我々県民の信頼に応え、全力を注いで教育に当たること。
以上、決議する。
平成23年3月15日 埼玉県議会
この決議を受けて県は動いてくれます。見守っていきたいです。
なお、この決議については共産党のみ反対をしました。
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今日は市内小学校の卒業式である。
子どもたちは常に前を向いて、くじけず頑張っている。
小学校と中学校の違いは大きいけれど、
みんな元気に頑張ってほしい。
さて、宮城県の自民党県議会議員のブログが昨日
震災後初めて立ちあがったと
情報が入った。
須田善明議員、同じ青年部の議員だ。
皆さん、ご覧ください。
http://www.zenmei.net/05/
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卒業式の件で、ほかのPTAの方に伺った。
いわく
「とにかく時間を短く。 途中で地震が起きたら大変だから。」
ということを説明されたという。
そこで体育館での卒業式の時間を短くするため、来賓の紹介や祝辞はない、と伝わっているらしい。
確かに体育館は耐震工事はまだなのだ、と思う。
・・・・・
なんか、だれも言い返せない理由というか、水戸黄門のごとく印篭がかざされたというか…。
言われてみれば正しいかもしれないが・・・そういうものなのでしょうか?
それとも、それが「最善を尽くす」ということなのかもしれませんね。
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今日は後援会事務所に3人くらい来客があった。
選挙前にこの状況なのは・・・どこも同じなのであろうか?
どちらにしても自分の不徳の致すところだ。
さて、昨日はあのように書いたが、ACの宣伝ばかりでなくてもよいのになぁ、とも実は思うのである。
スポンサーは自粛しているのだろう。
でもまさか、お金も払わないわけではないだろう。 それでは番組がかわいそう過ぎる。
ではいつ自粛を解くのか?
また横並びか!?
それはただの事なかれ主義ではないだろうか?
勇気ある企業の出現を期待したい。
さて、地元所沢市でも自粛ムードがはやっている。
4月初頭の文化フェアが中止になった。(でも地震直後の生涯学習フェスティバルはやった。)
いろんな行事が中止になっている。
でもそれでよいのだろうか?
文化フェアが無くても、人々はきっと花見はやるのだろう。
遠慮することは、ない。
やれる人はやった方がよいのだ。
混乱した気持ちで自転車を飛ばせば、子どもたちはどこ吹く風で部活の試合をしている。
小学生も少年団で汗流している。
道行く子どもはやはり楽しそうに遊んでいる。
それでいいのではないか?
朝の駅立ちもやめた。
駅立ちをしていた候補は罵倒されたそうだ。
でも、駅へ向かう人々は皆、自分のなすべき仕事に向かう人々なのだ。
被災者の悲しみは胸深くにしまって、自分のすべきことを継続して続けていくこと、が
消防でも警察でもない、仕事を持つ私たちの貢献なのではないか。
少なくも被災者が係累にいない人々は、それでよいのではないか。
小学校の卒業式は、聞けば来賓の祝辞も紹介もないのだという。
教育委員会の決めたこと、なのだと知人は言う。
そうなのだろうか?
誰の卒業式なのか。
祝辞はこんな時こそ深い言葉が投げかけられるはずなのに。
そして、地域の自治会長とか市議会議員とか(県議会議員とか)交通指導員さんとか
そういう人を紹介した方が地域の絆が意識されるのではないか。
横並びは良くない。
流されないで、一人ひとりが考えて
行動していく時だと思う。
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ガソリンが無いえもお。
停電で危うい。
以上の理由から応援してくれる人がそれどころではなくなってしまった。
政治がゆとりの中で支えられていることを思い知る。
ギリシャでもローマでも確かにそうだった。
今は、だれも政治どころではなく、自分の集まりは人も来ず、休眠状態となった。
だから一人でやれることをこれからはしよう!
昨夜、議会報告を配ったらそれもお叱りの言葉が入った。
「そんな場合ではないだろ。もっと、買占めに呼びかけるなど政治家が出ろ!」
しかし、世間はそれほど政治家を重くは扱っていない。
呼びかけをしたらしたでこれも怒りの声が寄せられる。
自分のしたいようにしよう。
ある意味で自由な身だ。
開き直りも大切だ。
テレビを見るとコマーシャルはみんな公共広告機構ACのものだ。
震災前から自分は思っていた。
ラジオで流れていたACの宣伝。金子みすゞの詩。「こだまでしょうか」
いいなあって。
こだまでしょうか
「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。
「ばか」っていうと
「ばか」っていう。
「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。
そうして、あとで
さみしくなって、
「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。
こだまでしょうか、
いいえ、だれでも。
http://www.youtube.com/watch?v=SKpwV8M5R3E&feature=player_embedded
そしてテレビでは「子ども手当」に当てつけた広告も流されている。
あなたの手当て子どもにしてますか?
http://www.youtube.com/watch?v=5HaOZze93qs
子どもとのスキンシップのことだろう。
国難の時、宣伝が無くなり、良い訴えが流布されている。
これを奇貨としたい。
ACの宣伝にはこんなのもあった。
「大人を逃げるな」http://www.youtube.com/watch?v=dDtmr4_K_4M&feature=related
こんなのもある。
http://www.youtube.com/watch?v=kNeicQIEu40&NR=1
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昨日、知り合いの方から電話が入った。
「アリーナで被災者の受け入れを始めたとテレビで見た。乳飲み子を持つお母さんが映った。
アリーナの床ではかわいそう。自分の部屋があるから使ってもらってよい」
そこで県に相談する。
まずは3月いっぱいはアリーナに受け入れをして5000人まで。
3月いっぱいののち県営住宅、市にお願いして市営住宅で空いている部屋を提供したい。
民泊のようなものも考えてよいと思います。いくつか申し出がきています。
そこで伺う。「ではどうやって、県営住宅、市営住宅に入れる人を決めるのですか?」
職員曰く「まだ決めていません。」
これが公務員にはできない分野なのだ。
誰が優先されるべきか・・・これをきっぱり決められるのは民間ボランティアしかいないというのは、阪神大震災で証明済みだ。
おにぎりが二つある。が、被災者は5人いる。どうするか?
公務員には決められない。民間人だから決められる。そういう事例が阪神大震災ではたくさんあったと聞く。
県民の善意をいち早く実現してほしい。
中に入るのが公務員の信用である。
民泊を決めるのはボランティア。その時のルールを決めるのが公務員、である。
県職員のみなさん頑張ってください。
なお、ボランティアはまだ受け入れ準備が立たず、登録しておいてもらう段階とか。
県のホームページをご覧ください。
http://www.fukushi-saitama.or.jp/saitama03/volunteer/
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危機管理防災部に連絡して要請をした。
が、
現実は難しい。
1、計画停電の仕方について
今は市町村ごと、さらに市内の地域ごとで時間割で停電が計画されている。
状況によってやったりやらなかったりしている。
時間ごとではなく、それらを1日ごとに割り当てて実施したらどうか。
23日月曜日は丸1日第2グループは停電という風にだ。
その方が仕事をする人からはその日を日曜扱いして休みにすればよく対応しやすいからだ。
住んでいる人も対応はできると思う。
担当者いわく
『医療機関などはどうなのでしょうか。東電がそれら考慮に入れてやっていると思うのですが…。』
2、献品体制と輸送について
県民から義捐物資を集め、県が中心になって市町村に窓口になってもらい、物資を送ったらどうだ?
他の県はやり始めたが…。やはり信用ある行政が音頭を取った方がよいと思うのだが。
担当者いわく
『問屋などがまとめて送るなら良いが、県民から受けるとサイズもバラバラ、良いものだめなもの混交する。
その仕分けに人員をとられる。実はお金でもらうのが一番良い、との意見もある。
義捐金サイトがあるからそちらでお願いしたい。』
3、停電情報の周知について
停電の関係ほか情報が分からない。インターネットのできる人以外は、何もわからない。防災無線を活用したらどうなのか?
担当者曰く『東電の電線の関係でA町といってもA町の中で系列が違ったりしていて把握できない。
伝えても正確に伝えられない。電話で問い合わせしてもらうしかない。』
4、ボランティアの受け入れ態勢について
ボランティアの受け入れ窓口などは準備するのか?
担当者いわく『まだ錯綜していてその段階ではない。』
5、県議会への報告について
県議会議員にも現段階での県の対応状況の情報を流してほしい。県民に聞かれる。
伝えていかねばならないから。
担当者いわく『こまめにはできないが検討したい。』
まだ、自衛隊と消防しか対処できないのかもしれないが、なんとももどかしい。
ただ混乱期は指揮命令系統のもと上意下達が望ましい。
見守るしかないのだろう。
避難民受け入れなども県を挙げて計画してよいと思う。
所沢市も動くべきだ。
こういう時こそ行政のリーダーシップで市民、県民が協力してくれるものだ。
何かしなければ、でも何ができるのか…。
新しい公共の出番を設定する役割が今、求められている。
所沢市民のための情報はこちらhttp://www.city.tokorozawa.saitama.jp/kurashi/oshirase/teiden/index.html
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県が早速動いてくれています。
12月議会の質問に答えて県が動いてくれています。
農林部の課長さんから報告を受けたところによると
1ha以上の林地開発の許可のとき、ア、納税証明書、財務諸表、事業履歴書 イ水を利用するときは下流の水利用者や首長の同意 ウ開発後の保全確約書の提出
等を求めることにします。
また、保安林の場合は規制が強いのですが、形質変更にあっても ア登記事項証明書、預金残高証明書、イ下流の水利用者や首長の同意、市町村に意見照会すること
そして、保安林の伐採については ア申請者以外の関係者も記載させる
ことにし、チェックと抑止機能を増大させてくれました。
国の対応が基本的には求められていますが、県としてできることを
さらに全庁的に検討してくれています。
早い対応に感謝です。
以上報告です。
がんばろう日本!!
というのがありました。
自分はツイッターのし方がいまいちわかりませんが、
ツイッターが今被災地の人にも役立っているらしい。
https://docs.google.com/document/pub?id=1UmFXi9xxYkZcNLIC-q4RsdrbhCDk8PisESXoxlGmRCY&pli=1
自分に何ができるのか、何かをしたいけど現時点では何をすることもできない・・・。
みんな自問自答して忸怩(じくじ)たる思いでいるのだと思います。
この地震、そして津波でお亡くなりになった方々のご冥福を祈るばかりである。
そして、
被災された方々の一刻も早い回復を願うのであります。
昨年8月、
地方分権行財政改革特別委員会で
石巻のTMOの「街づくりまんぼう」そして「石ノ森萬画館」に伺ったばかりであります。
あそこは港のふち、川の河口に位置していました。
熱く、そして、親切に対応していただいた方々のお顔が脳裏をよぎります。
無事でいますように。
http://www.gutsfujimoto.com/shisatu/220817shisatu.htm#まんぼう
本当に、どうかご無事でありますように。