ガッツ藤本(藤本正人)のきょうのつぶやき

活動日記ほど堅くなく、日々の思いをつぶやきます

3月26日は

2024-03-28 13:34:22 | かんじたこと、つぶやき



2日前、東京の筑波大学で 貴重な機会をいただきました。


市政運営を振り返る、講演の機会をいただいたのです。

理念の推移とでも言いましょうか?



「人と人の絆」 と 「自然との調和・共生」


それに加わって、「健幸長寿」

さらにそれが「脱炭素」 や 「人を中心にしたマチづくり」 に焦点化・再定義され

最後は 「市民参画(コモンズの形成)」へと

自分の中で市政運営の中心的理念が変遷してきたことをお伝えしたのでした。

久々の人前での講演は、 緊張は心地よく、細胞は生き返り、生命は躍動しました。

機会をくださった皆様、ありがとうございました。


そして、夜10時過ぎ、所沢に戻ってのちは、所沢市議会3月議会の最終日のライブ配信を視聴して、

副市長同意の人事案件が同意されたことを確認し、

議会終了後の 今期で引退する部長さんのあいさつを見て、


心静かにお疲れ様を念じました。

そんな26日でありました。




 


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ブログが怪しい? なにか組織に調べられている?

2024-03-28 12:44:48 | かんじたこと、つぶやき

選挙前にもあったのですが、不思議なことが続いています。

誰かわかる方いたら教えてください。


私のブログを見ている人の数は、一分ごとに把握できるようなっているのですが、

時折、いっぺんに30人以上が見ている、それも真夜中だったり・・・

ということが起きています。

その時には今の記事ではなく、過去に書いた記事の視聴数が大幅に増えているのです。

誰かに調べられている? のでしょうか? またはロボットを使って?


選挙前にもありましたが、この数日またそれが始まっています。

私のブログを見てくれている人は、そんなに多くありません。

FBに連動してますが、「イイネ」は100人くらいです。

何か調べられているのではないか? 怖い気持ちです。

どなたか原因わかる方いらっしゃいましたら、教えていただきたいのです。


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大川小裁判『生きる』を観る そして、歩いて立石へ

2024-03-19 17:31:39 | かんじたこと、つぶやき

大川小学校で大勢の子供たちと先生がなくなった

なぜ、すぐに避難しなかったのか?

子供たちは最期までどう生きたのか?

それを明らかにするために戦った親たちの記録

『生きる』


観てよかったし、映画化されてよかったと心底感じた。

なぜ裁判をせねばならなかったのか?! その気持ちがわかったからである。

「学校は・・・・場所でなくてはならぬ」

その判決文が、親たちの気持ちを救ってくれた。

自分も、2011年4月、救援物資を届けて回る途中で、大川小に寄った。

が、念が残っているようで近づくことはできなかった。

玄関にお花がたくさん供えられていたのを思い出す。

子を失った親は、そこで時間が止まっているのだ。

亡くなった子どもたち、先生方のご冥福を祈る。


   NO SEAT を防ぐため 今回は 予約した

田端を後にしたのは、13時。

そこから立石まで歩いていこう。

大通りはなるべく避けて、路地を歩くのこそ面白い。
田端新町 ⇒東尾久1丁目⇒荒川5丁目⇒4丁目⇒2丁目

歩いていると、以前に食べに来た「光栄軒」に出てしまった。

デカ盛りのお店である。 あいにく
月曜は休みだった。

町中華に誘われて 荒川区「光栄軒」の巻 - ガッツ藤本(藤本正人)のきょうのつぶやき (goo.ne.jp)

好きな路地は、 どうしても同じになるのかもしれない。

この道はいつか来た道~♪ ああ、そうだよ。

ついでに、以前にも見た、空き地を畑で利用していた「みんなの畑」もどうなっているか、

気になったので足を延ばすと

  隣家は解体中だったが、しっかりと生きていた

そのまま足を東へ向ける。

ふと空を見上げると たくさんの風船が北西から東へと流れている。


どこかで何かを記念して飛ばしたのか?

小学校の卒業式だろうか? 時刻は13時50分

子どもたちの歓声が聞こえたようだった。

荒川2丁目⇒1丁目⇒

荒川区役所の背後を抜けて都電の線路に沿って歩く。


アーケード商店街が見えたので、そちらを抜けることにした。

「ジョイフル三の輪商店街」 しかし、思いのほか空き店舗が多く、

いくつかの空き店舗でパブリックスペース活用がされていた。


    「なにかし堂」

⇒南千住1丁目⇒南千住5丁目⇒

南千住駅には松尾芭蕉の像があった。 ここから芭蕉は奥の細道の旅に出る。(実際は南千住駅前ではない)

行く春や 鳥啼 魚の目は泪


千住といふところにて舟をあがれば前途三千里の思ひ胸にふさがりて幻の巷に離別の涙をそそく


汐入というところ 駅からの道は団地や高層マンションでビル風がすごかった

南千住4丁目⇒8丁目⇒隅田川を渡る⇒堤通2丁目 ⇒墨田2⇒3⇒4丁目


           隅田川   水神大橋

東武線の 鐘ヶ淵駅の踏切を過ぎて、まっすぐの道を進み、荒川を渡る。

風が強くて 自転車の人も押して歩く。


       荒川   四つ木橋 波が逆立っていた

四つ木に入ると、「四つ木メダカの小道」が。

地下の下水管の上に自然再生の意図をもって設置された水路。

市で言えば 砂川堀の「せせらぎ水路」と同じ

四つ木1丁目⇒2丁目 ⇒東立石3丁目⇒立石1丁目ときて、4時ジャスト立石の「うちだ」へ。

40分ほど並んで入店。



その日は、立石でもう一軒。さらに、小手指の日高屋でタンメンをたべ、帰宅。

本日の歩数は22721歩 17km歩いたらしい。

しかし、記憶は途中から、ありません。
 
記録より記憶が残る男になりたい。

   
     
   






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『後世への最大遺物』内村鑑三 から

2024-03-15 16:31:50 | 本・映画など

内村鑑三が箱根の基督教青年会夏期学校にて講演した講演録、それが『後世への最大遺物』であった。

時は1894年、日清戦争が開戦の1か月前のことだ。


内村鑑三は若者に向かって言う。

歴史に名をとどめたい、世の中に何かを遺したい、と願うことはキリスト者として恥ずかしいことではない。

むしろ大切なことだ。

では、後世に何を遺せばよいのか。

内村鑑三は、まず「金」をあげる。金をもって世の中をよくしていくことができるからだ。

次に、「事業」だと指摘する。灌漑のため山の中から隧道(トンネル)を掘って田畑に水を入れた兄弟の話などが披歴される。

でも、「金」を遺す才も「事業」を遺す才もないものはどうするか?

それならば「思想」を遺すことだ。「新約聖書」や頼山陽の思想、そして、ロックの哲学が巡り巡って世界に影響を与えたのだ。

そして、その手法として、「文学」「教育」の重要性を説くのであった。

しかし、それも誰にでもできるものでもない。

誰にでもできる、益あって害のない最大遺物、それは、「勇ましい高尚なる生涯」だというのだった。

この人にできたのなら自分にもできないことはない、やってみよう、と後世の人が思うような生きざま、

それを遺すことが最大の価値あること「後世への最大遺物」だと内村鑑三は言うのであった。

そして、来年、またここに集まるときに、それを語れるように我々は生きようではないか、

邪魔があればあるだけ、価値ある遺物となれる、と聴衆に語るのでありました。

そして最後に、

われわれの生涯はそれで終わりというものでなく次代に引き継がれるもの
(水の辺りに植えたる樹のようなもので、だんだんと芽を萌き枝を生じていくもの)である、

と指摘して、講演をこのように結ぶのでありました。

これを称して真面目なる信徒と申すのです。われわれに後世に遺すものは何もなくとも、われわれに後世の人にこれぞというて覚えられるべきものはなにもなくとも、アノ人はこの世に活きているあいだは真面目なる生涯を送った人であるといわれるだけのことを、後世の人に遺したいと思います。(拍手喝采)

3月、区切りを迎える仕事も多いことと思う。 

すべての区切りを迎える人々に贈る言葉になるのかもしれない、そして、自分にも。




※例え話の中に、いいなあ、というものがあったのでそのまま記しておきたい。


『後世の最大遺物』『デンマルク国の話』(岩波新書)p71、72

子供の二群が戦をしておった、石撃(いしぶち)をしておった。
家康はこれを見て彼の家来に命じて人数の少い方を手伝ってやれといった。多い方はよろしいから少い方へ行って助けてやれといった。これが徳川家康のエライところであります。それでいつでも正義のために立つ者は少数である。それで我々のなすべきことはいつでも少数の正義の方に立って、そうしてその正義のために多数の不義の徒に向って石撃をやらなければなりません。もちろんかならずしも負ける方を助けるというのではない。私の望むのは少数とともに戦うの意地です。その精神です。それはわれわれのなかにみな欲しい。今日われわれが正義の味方に立つときに、われわれ少数の人が正義のために立つときに、少くともこの夏期学校にきている者くらいはともにその方に起ってもらいたい。それでドウゾ後世の人がわれわれについてこの人たちは力もなかった、富もなかった、学問もなかった人であったけれども、己の一生涯をめいめい持っておった主義のために送ってたといわれたいではありませんか。


この辺が、いいなあ、と感じました。少数派は最先端を行くことが多く、ゆえに先端は少数派になる。
しかし、のちの世から振り返れば、それこそが正しき奔流へ導くわずかな決壊のごとき水の溢れなのかもしれません。


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歩道の灌木(かんぼく)の意義

2024-03-11 12:50:56 | かんじたこと、つぶやき

工事現場の皆さんには頭が下がる。

2週間ほど前の深夜のことだ。

ところで、その頃は、ビッグモーターのこともニュースでよく取り上げられていた。

枯らしてしまった樹木を元に戻すために植樹させている、というようなニュースだった。

埼玉県も ビッグモーターを訴えた。 463バイパスの脇にあるそれである。


  行政道路の灌木は切られ、アスファルトと化した

さて、そんな埼玉県であるが、なんと同じ時期に、

旧463(行政道路)では、歩道の灌木(かんぼく)を取り払って、


アスファルトでうずめる工事をしているようだった。 

なんでビックモーターに植えさせて、県のほうは自分で引っこ抜くの・・・?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

確かに歩く部分は増えるであろう。

しかし、しょせん、電柱があってそこでは元の幅に戻るしかない。

商店街があるわけでもなく、家族みんなで手をつないで歩く道でもないと思う。

県は自転車レーンを設置しようとしているが、歩道を削って、ということでもないようだ。

とすると何のためか? 維持管理費の経費削減のためなのか?!


    2018年7月 ブラチスラバを訪ねたとき 環境担当職員と

数年前、本市は環境分野でヨーロッパはスロブァキア共和国の首都ブラチスラバ市と共同研究をしていた。
https://www.city.tokorozawa.saitama.jp/kurashi/seikatukankyo/kankyo/ecotown/iurciuc/iurc.html
そして、ブラチスラバ市の職員が、研究のため所沢にやってきたときのことだった。

彼女らが日本に来て最も驚いて参考にしたこと、それは、道路わきの植樹が豊かだということだった。


確かに日本は中央分離帯や歩道わきに灌木を植えてある。 ヨーロッパにはそれがないらしいのだ。


気候変動は激しさを増す。 緑こそ最大の地球温暖化抑止策になる。

路面電車の軌道上にも草をはやさせ、市街にも深い森を維持してきたブラチスラバ市であったが、

道路わきの植樹を日本での一番の収穫として国に持って帰られたという。

持続可能なまちづくり。

私たちは、未来へバトンを手渡すために、今、行動することが求められていると思うのだが。


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