ガッツ藤本(藤本正人)のきょうのつぶやき

活動日記ほど堅くなく、日々の思いをつぶやきます

地域サロン ふれあいの家 わかさ を訪ねて

2018-12-06 16:27:33 | 視察関係


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「今日は、昼食会があるから、ぜひおいでくださいな。」

ということで、三ケ島は和ケ原の地域サロン「ふれあいの家 わかさ」に伺いました。

場所は、和ケ原商店街より50mほど東へ行ったところ、セキ畳屋さんの近くの年季の入ったアパートでした。



「北秋津 ふれあい会 の次に、私たちの ふれあいの家 わかさ が始まったのよね。」

と代表の山根さん(昭和8年生)。(北秋津ふれあい会 もそんなに昔からの活動だったのか! とビックリ)

昭和55年から活動をされていて、空き家を貸していただいたり、アパートに引っ越したり。

この場所で3か所目となるそうだ。

(地域サロンの制度は県が補助を作ってまだ日が浅いh21~だ。昼食会は1回につき2000円(上限×4回/月まで)市から。
総活動費補助は社会福祉協議会から2/3支給(上限20万円)されている。
もちろん、昭和57年ころは制度もなかった、が、市から家賃は全額補助で援助されていたと聞いた。
まず市民の活動があり、自治体にもそれを支える力があり、制度もないし、普及もしていなくとも、
そういう世の中のいろんな面での豊かさが、まだ昔はあったのだろう。)

支え手の方々も亡くなった方もおられるし、また、お体を悪くして引退された方々もおられるという。

メンバーも拠点も変遷しながら38年間地域のお年寄りのよりどころとしてみんなで活動されてこられたのだ。

(活動拠点の変遷 和ケ原→若狭→和ケ原)

さて、

玄関に入るとすぐ台所で、その奥の南に面した2つの居間にはおいしそうなお料理がならべられ、

参加者の皆さんが15人くらいだろうか? いただきますを待っておられた。 

早速仲間に入れていただき、

楽しく話しながらおいしいお昼ご飯を頂いた。

「みんなで食べるってのは、やはりいいものですね。」

参加者の皆さんも普段はきっと、おひとりでの食事でしょうから このひとときを楽しんでおられるよう。

参加者のお一人、紅一点ならぬ唯一の男性、伊藤さんにうかがってみると、

昔は男性二人で来ていたが亡くなられてしまった、 伊藤さんは昭和8年生まれの86歳、戦争時は満州の牡丹江に住んでいて、家族ばらばらで九州まで帰ってきた(親は子供2人までしか帯同できないきまりだったので、4人兄弟の上2人は、別に帰らねばならなかった)、兵隊さんのほうが先に逃げてしまった、今日は午後からは東京まで社交ダンスに行く。

周りの女性陣からすかさず 「 伊藤さんはいつもおしゃれなのよね 」と言われる。

確かに皮の上着にマフラーを施し、オシャレである。

「 プロではないが プロに近い腕前には違いないねぇ。」

ふっと笑みがこぼれた。

美容師をされていた女性も来ていて、これからここで参加者のおひとりのヘアカットをして差し上げるのだそうだ。

この方60歳代とのことだが、どうも40歳代にしか見えない。

前に美容室を経営していたが、今は閉めているとのこと。

美容室を改造してボランティアでカットなどするように場所にできないかしら、との相談を受けた。

そりゃいいわね~、とみなさん。

代表の山根さんいわく「昔は週一回昼食会を開いていたけど、今は月1回。みんな年取って無理がきかないの。」

(ここでもボランティアの高齢化が問題になっているのだ。どこも同じだ…)

すかさず参加者の方が、それに補助金も減っているんでしょ、と弓を弾く。

うわっ、矢がこちらに来るぞ! 補助金減ったんだっけかなぁ、と考えていると、山根さんがそっと話題を変えてくれて、助かった。

美容師さんは「後継者って言ったって、60歳台はみんな働いているのでねぇ。」と付け加える。

そうだ、そういう理由で、今、

子育ても、地域育て(自治会など)も、ボランティア活動(福祉団体など)も、みんな後継者不足であえいでいるのだ・・・。



楽しい会話の中にも身につまされる話題ありで30分、あっという間に時間は過ぎて、役所に帰らねばならない時刻になった。

帰り際に東狭山ヶ丘にお住いの参加者から

「できれば近くにもこういう取り組みがあってほしい。

こういう取り組みをみんなに知らせ、行ってみたいな、やってみようかな、

という人を増やしてほしい。」

と要望を受けた。(そうしたい)



ふれあいの家 わかさ  温かい人とおいしい食事と楽しい会話、そして、あたたかなアパートで、

自分は久しぶりに親に遭ったような気持ちになって 幸せに包まれたのでありました。

皆さんお元気で。健康で! 


今日の食事は ごはん けんちん汁 酢豚風肉団子 ポテトサラダ 卵焼き 黄金キウイ入りヨーグルト

食べ終ってからハイ、ポーズ。(お料理が写ってなくて、スミマセン!!)


                 参加者やボランティアさん

                   参加者の皆さん

              こちらはみんなボランティアさん

    私の隣が現代表 山根さん 来年3月には引退されて代表はそのお隣(奥)の方に







 

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株式会社ホロンHOLON 世界の携帯は南永井に通じていた❗

2018-11-30 13:27:11 | 視察関係


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  精密機械をナノの単位でさらに測る(保証する)装置を作るのだから、クリーンルームも厳重である

株式会社ホロン をおたずねしました。

所沢の南永井に、世界を股にかける、こんな会社があったとは❗

株式会社ホロンは、携帯電話等に入る基盤、半導体を生産するための型の正確性を測る装置を作る会社です。 

そして、この基盤製作が、世界でも限られた会社で独占されており、

ゆえにそれをチェックする装置を作る会社も限られておるのです。

ナノメートルの正確さを測る装置で、そんじょそこらの会社には作れません。ゆえに、今大忙し。

 

この装置、一台数億円する貴重さで、台湾はじめ世界中から受注が集まってきていて、緊急に対応が望まれているのでした。

携帯を売る会社は有名ですし、作る会社も有名です。

しかし、作られる部品を作る機械を作る会社も、それをチェックする会社も、私たちには馴染みがありませんでした。

なんか、世の中の様を表しているみたいです。 私たちは心しなければなりませんね。

しかし、私たちの持つすべての携帯電話に株式会社ホロンは関わってきたのでした。

世界の携帯は南永井(所沢)に通ず。

なんかよい響きでありますね。


                   張社長はじめ皆様と

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韓国の安養市と姉妹都市締結20周年 で訪問してまいりました。

2018-10-24 17:01:00 | 視察関係


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★姉妹都市交流は、挨拶と交流の連続で非常に神経を使う。

また、お酒の交流も重要で、乾杯を繰り返すので体力勝負でもある。

そうした中で、チェ・デホ安養市長始め安養市議会、行政の皆さん、キム・ギウォン会長始め韓日親善協会の方々

が、これでもかこれでもかというほど熱烈に
我々を歓迎して下さった。

まさに、歓迎するとはこういうものなのだ、という最高例を示していただいた感じ。


我々日本人は、こんなにも歓迎の意を表すことは、気質として国柄として、難しいのかもしれない・・・。

それほどまでに歓待を受け、姉妹都市交流20周年 の実りを感じた訪問となったのでした。



所沢市は、1966~アメリカイリノイ州のディケーター市、1992~中国江蘇省の常州市、1998~韓国京畿道(キョンギド)安養市と姉妹都市になっています。

市民同士の交流はアメリカとは高校生の相互訪問を、中国、韓国とは不定期に市民・議会訪問団が行き来をし、草の根の親交を温めてきました。

行政としては、中国、韓国とは市長を団長として5周年ごとに訪または来訪しています。(アメリカからは2016年、50周年で来日していただきました。)

今年は、安養市との20周年。

この20年間に訪韓、来日あわせて124団体、計1449人の人々が親交を温めてきました。

それだけの先人の歴史を背中に感じて、安養市を訪ねました。

今回は、行政訪問団、市民訪問団が一緒になって、10月17日~20日の3泊4日間の訪問でした。

安養市はソウルから電車で40分ほど、所沢市と東京のような関係で、ベッドタウン的に発展してきた市です。

人口は約60万人。(所沢市は34万4千人、面積72km2)

面積は所沢より狭い約59km2であり、三方を山に囲まれ、平地部は高層ビルが建ち並んでいます。

韓国と日本とは、新しい文化、芸能の面では互いに好きな関係ですが、政治的には常に問題を抱えている関係です。

最近でも、慰安婦像の設置の問題や艦隊式でも旭日旗を拒否され自衛隊が参加しないなどありました。

国と国は互いに主張すべきこと、譲ってはいけないことがあります。

しかし、市民と市民は、人間同士の関係になって、互いに尊重し親しみを持つ間柄を保っていくのが肝要と、私は考えています。

それが最後の砦になって、国同士の反目を柔らげることができるのかもしれません。

いや、きっとそうであり、そうでなければ姉妹都市を結ぶ意味もありません。

安養市の公園には慰安婦像が市民団体により設置されてしまいましたので、

その像を見てしまったら、市長として国の立場も主張せねばならない、

との覚悟を左胸に、

市民同士の関係はあくまで人と人、姉妹都市を結ぶ意義は国の関係を超越したところにある、

という認識を右胸に、それぞれ抱いて、

緊張して安養市を訪ねました。

(大阪市はサンフランシスコ市との姉妹都市関係を慰安婦像設置を理由に解消しようとし、
同じく安養市と友好都市の愛知県小牧市も、安全を考慮し児童の相互交流事業を昨年より中止しているそうですが、
所沢市はそれは取らず、きちんと友好を深めていくことを選んでの訪問でした。)

さて、訪韓した結果は、熱烈な歓迎を受け、親交を深め、学ぶべきを学んで、知るべきを知って、姉妹都市周年交流の成果を十分に感じて

帰国した次第でありました。

10月17日(水)

朝5時所沢発。 14:30安養市着。昼食は安養市韓日親善協会の皆様の歓待の中いただく。

16:30 安養市長表敬訪問 17時 安養市の産業振興策を説明いただきながら、インキュベーションセンターやIT再開発地区を歩く。

18:30 20周年記念式典 歓迎会 22時 2次会 韓日親善協会の皆様の大歓迎を受ける 3次会 同左

10月18日(木)

9:30 安養市庁舎にて 記念植樹 10:30 安養市浄化センター視察(地下化して地上部は公園に。メタンガスバイオ発電、生ゴミは燃やさない)
12:30 昼食 13:40 安養市市場視察 15:00 海外姉妹都市作品交流展開幕式 18:40 文化芸術財団による歓迎会

10月19日(金)

ソウルから60kmほどにある第3トンネル、都羅展望台、都羅山駅視察。

第3トンネルというのは、北朝鮮から極秘に掘られたトンネル。今までにソウルを狙うトンネルは4つ見つかっており、
3番目に発見されたので、第3トンネルと呼んでいる。ソウルに一番近いところへ出るトンネル。
全長1635m、地下73mに掘られてあり、幅2m、高さ2mのトンネル。北朝鮮部分は1200m、韓国側に435m
掘り進められた時点で発見された。今は、4枚の壁で塞いである。
韓国が発見して、韓国側から斜めにトンネル地点まで掘り、今は観光施設として活用している。
南北が融和ムードになっていた1978年に発見された。1時間に1万人の兵士が移動でき、貫通すればソウルは
一瞬にして戦場になっていたかもしれない。

都羅山駅は南北を結ぶ鉄道の、境界線から韓国側へ2駅目にある駅。
友好ムード(2000~2008)の時は北朝鮮との行き来も試され、北の金剛山観光や家族面会なども進められたが、
2008年、事件が起きて、中止された。
なお、今年9月南北首脳は金剛山観光と鉄道の行き来を再開することを決めた。
鉄道が再開すると日本海からヨーロッパまで旧満州鉄道を通ってつながることになる。

10月20日(土)

江華島を見て回る(平和展望台、支石墓群コインドルなど)

成田着、所沢着。

以下スナップ


      まずは、インチョン空港で市職員、韓日親善協会の皆様から出迎えられる


             チェ・デホ安養市長表敬訪問 挨拶


  既存ビルを使って企業にリノベーションさせた、インキュベーションセンター
若き企業家が創業していて、このビルの中に60以上の企業がある。成長した後、ソウルに引っ越してしまう企業があるのが課題。


 IT関連企業をトップセールスで集め、一体を再開発し、企業を優遇して誘致する代わりに建物も提供させ、
           若手起業家を支援し・・・説明を受ける。


    歓迎式典 所沢市を代表して挨拶


     記念品の交換 所沢市からはお雛様を贈る

           安養市からは太鼓を贈られる


         市川友好委員会委員長 金安養市議会議長 私
安養市議会からは、議長始め、副議長、各委員長が出席。議会から市へということで贈り物を頂いたが、
本当は所沢市議会へ用意したものだったと思う。 市議会欠席により、急遽、市への贈り物 に変更したに違いない。


韓日親善協会歴代会長 朴さん、現会長 金さん、安養市長、 友好委員会前会長 武藤さん、市川現会長


       安養市韓日親善協会会長 キム・ギウォンさんに感謝のしるしを贈呈


所沢市で1年間、働いてくれた 安養市職員キム・ヨンクォンさん 


              130名の大勢から歓待された(写りきれません)


          市庁舎前の庭に姉妹都市締結20周年記念植樹


        安養市長と韓日親善協会の皆さん 所沢市市民代表団
     木の根元に20周年で記念植樹したことが両市長の名前とともに石に彫ってある。


              地下の浄化センター内 で説明を受ける 


安養市場視察 写真は、リヤカー一つで何十年も市場で働いて 貯めて買った家を市に寄付したおばあさんと


            姉妹都市作品交流展 にて挨拶


     安養市関係、所沢市関係の芸術家代表者のみなさまと記念写真
                 所沢市からは5名の芸術家の作品が展示され、招待された。

写真の指のポーズは、ハートをかたどったもので、愛してるよ~という意味。「サランヘヨ~」と言ってポーズ。


               作品展開幕のテープカット


        所沢市から戸谷さんの作品


            椿山荘を彷彿させる庭を持つ美術館にて レセプション
安養市は何代か前の市長の時、文化芸術で市を特色付ける、と発起。企業の撤退した土地を買って美術館を
建て、元あった建物をリノベーションし、財団を起こし、長には有名な建築家を起用。美術館の維持費は2億円くらい。


           歓迎会にて 記念品を送られる  右奥は市専属アナウンサー


             芸術家交流に対しての感謝と乾杯


             展望台から北朝鮮の工業地帯を望む。 
軍事境界線を真ん中に置いて南北それぞれ2km幅が、警戒区域となっていて、出入りするときは軍隊の検問を
受ける。      写真の手前側の山は韓国領。街と田んぼは北朝鮮領。(韓国人は北韓国と呼ぶ)
          38度線と韓国の首都ソウルが近いため、韓国は常に警戒を怠らない。
なお、我々がここを訪れている時、板門店付近では境界線付近の地雷の撤去作業が始まっていた。


        都羅山駅の先、ソウル方面を望む





 

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給食牛乳パックリサイクルの視察に北野小1ねん1くみを訪問

2016-11-29 17:42:16 | 視察関係


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心が洗われるとはこのことである。

北野小学校1年1組のみんなと一緒に給食を食べました。

いろんなお話をしてくれて、純真な心に接していると、自分もいつのまにか良い大人になっていました。

松居和先生がよく言われている

「自分もよい人間だったんだということを子どもたちが気づかせてくれる。」

ということです。

だれだれ君はじゃんけんが弱い、とか、明日は給食を残さない日なの、とか、

いつまでいるの、掃除も見るの、とか…。

何で大きいんですか? とも聞かれました。「大人だからね。でもたくさん食べたからだよ。」

とも答えました。

私と話して、その子ははにかんでいました。

はにかむ、という気持ちと態度 このころはあるんだなぁ、と胸が熱くなりました。

 
給食はしっかり残さず完食していました。

お替わりしたい人はじゃんけんで決めていました。

牛乳パックはバケツの水で洗い、乾かしてから、翌日にちぎって平らにしていました。

小さい一年生でもできていました。

「何してるの?」と聞くと、「リサイクル」と答えます。

「リサイクルしてどうするの?」と聞くと「トイレットペーパーになる。」と教えてくれました。

頼もしい限りです。

この牛乳パックリサイクル活動。

容器包装リサイクル法ができたころの平成8年6月議会、

学校給食の牛乳が瓶から紙パックになってしまうのに対し、私は市議会議員として 

・牛乳瓶を残してほしい

そして、平成9年9月議会 ・それが無理なら、パックをリサイクルしよう! 

と提案しました。

平成13年には既にリサイクルをしていた草加市の谷塚小に視察し、三度、議会で要望をしてきました。

http://www.asahi-net.or.jp/~rb9m-fjmt/guts/gijiroku/g-0209.htm

その時は、試行的に三ケ島小と和田小がやってくれましたが、その後立ち消えになってしまいました。

平成28年度から 機会を得て、市内で45校が牛乳パックリサイクルを始めてくれました。

いま、20年越しで当時主張していたことが、達成されたのです。

「マチごとエコタウン所沢構想」の心が諸施策に浸透し、にじむようにして実践されていく。

市職員にも子どもたちにも感謝の気持ちでいっぱいです。

そして、子どもたちのためにも 善い心で頑張っていきたい、と心から思いました。

たくましく伸びよ! 子どもたち

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芸術と所沢とまちづくりと ところざわ文化創造会議 に 文化芸術シンポジウム

2016-10-13 17:54:45 | 視察関係

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所沢市民は文化的な素養のある人が多い と感じている。

そこで、

文化の風 薫(かお)るマチ 所沢 を標榜(ひょうぼう)し、

文化的な人々の素養を生かして、気品と誇りの厚みのある都市 も目指して5年。

まずは、音楽のあるまち から始めているが、なかなか一足跳びにはいかないものだ。

でも、気持ちも確かに、いろいろと観て、学んで、花開かせよう、と今は活動しているところ。

日大芸術学部、埼玉県立芸術総合高校

こんな宝も活かせないか。互いの存在をWINWINで伸ばせないか。

何とか所沢の街のために活躍してもらえないか?



現代美術に属するのかしないのか、それは私にはわからないが、

このところいくつかの芸術展を見学している。



さいたま市が行っている さいたまトリエンナーレhttps://saitamatriennale.jp/














日大芸術学部による 柳瀬荘アート教育プロジェクト「間の共振」



岡山芸術交流 http://www.okayamaartsummit.jp/

こと所沢に目を転じてみても、実は

引込線 郷土美術館 長屋門能面美術館

小野家 斉藤家 秋田家 の住宅、蔵

重松流祭りばやし保存会 と ところざわ祭り

演劇でも

銀杏の会 おしゃれ大学 にこっと茶 演劇を見る会 こども劇場  もちろん 美術連盟

など多様にして多才である。

まずは、文化とどう関わるか?

ビジョン策定に向けて

11月12日(土) 午後1時より ミューズを会場に

『文化芸術シンポジウム』を開く。

基調講演は あのオリンピックメイン会場を設計し、KADOKAWAのサクラタウンを設計する

建築家 隅研吾氏 分科会も3つ開催。 以下是非ご参加いただきたい。


 
 
さらに、KADOKAWAとのクールジャパンフォレスト構想実現のための

『文化創造会議』10月22日(土)午後1時より

くすのきホールにて(所沢駅東口前)



(株)KADOKAWAの角川会長  (㈱)西武H.D.の後藤社長 ご参加のもと

台湾、中国、韓国から有名なブロガーや声優の白石稔さんもお招きしての

発表やパネルディスカッションになる。

あっ、イイとこTVの仁科美咲ちゃんも出演される。

皆様ぜひおいでください。

以上、
そんなわけで、所沢市は 文化 について 今 模索中なのであります。

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全国都市問題会議に参加して 岡山

2016-10-08 08:49:47 | 視察関係

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この3日間、岡山に都市問題会議に行ってきた。

印象に残ったことをメモとして記録しておきたい。あくまで自分用に。



ドイツと日本は似ているが、違いを言えばそれは戦後20年たって、ドイツはホロコーストの罪を自ら裁き始めたということ。また倫理的か否かで判断する嫌いがある。福島の震災を受け、ドイツは首相が倫理委の指摘を重く見て、廃止を決めた。
との指摘あった。
まず前者について。
だから日本はよくない、とは自分は思わない。
それはナチスの罪、とするのでなく、日本人は指導者層と自分を一体化して背負うから今がある。思考の仕方の違いではないか。
後者について。
とは言いつつも、戦後帰還した兵隊さんを悪者扱いし、アメリカに焦がれて平気な日本もあるのだから、日本人は流れ易く、うつろい易すぎる国民性だ。
確かに、過度に経済を優先してはいないか。もっと倫理というか生き方を問うべきだと思う。


ドイツは記憶のまち。「なになに通り」と通りに名前をつけて記憶にとどめようとする。街の統一感も大切にし、公共を優先する。しかし、それは窮屈でもある。バカンスを一ヶ月は取ること、と義務付けてしまうのは日常に溢れる縛りから解放されたいからかも。 以上の指摘も面白いと感じた。

もっと街をオープンにしたい。 水辺の活用をめざす人・街が「水辺リスト」という仲間作りをしているらしい。http://mizbering.jp/archives/author/mizberingtokyo



芸術祭などは定期的に続けてなんぼ。
トリエンナーレ、ビエンナーレと3年や2年に一回やる。芸術祭は評価は半々。みんな歓迎にはならない。街歩きをさせてしまうような会場設定が良いだろう。会場も音楽などはオープンを目指したい。10月9日から始まる岡山芸術交流32カ国?から作家を招いた。チケットは1800円。
なお、イベントとしてはスポーツイベントのほうが金がかかる。イタリアでは文学イベント、哲学イベント、科学イベントもある。いずれも街の広場などを会場にしている。
地元の金融機関(信用金庫)と企業に頼るところ大きく、市の補助金など使わない。

国立「くにたちはたけんぼ」・アスカデザインウィーク・TOKYO DesignWeekあり。
http://hatakenbo.org/



岡山の「桃チャリ」は面白い。所沢でもできるが、道が狭くてどうなのか。桃チャリは1時間以内100円。車で回収して回るのに金が掛かっている。
ひたちなか市は3世代同居の改修に補助中。親か子どちらかが岡山に転入した時に限っている?年に50数件。所沢の実績は?
鈴鹿市でも障がい者と農業のコラボを進めている。所沢も高齢者と畑、障がい者と畑を目に見えるよう進めたい。

HALという器械。障害を持った手足などに装着。脳からの意思を伝えて動く。器械が動くことで体が動かされる。そうやって訓練しているうち自らの意思と肉体がつながっていく。自分で動けるように変わっていく。再生医療(幹細胞)の技術を伴うことで、さらに自らの力を高めていく。

HALの開発、そして実用化。未知のことは行政は前例なく、法令なく、進められない。時間がかかりすぎる。

公共施設の活用は、切り売りしているだけではジリ貧。 縮小でなく活用。 民間に活用させて、地代を取る。稼ぐ。そうすればその周辺の地代も上がる。補助金なくても利用する民間はあるはず。既存施設で1年後、新規で10年で元を取るようするのが方針。儲かり始めても規模を広げないことも肝要。
thinkしないthink tank(シンクタンク)に任して調査したりする傾向あり。それより成功した自治体に聞け。職員を呼べ。そのほうが本物、そのほうが早い、安い。

民間にも 劣悪な民間 と そうでない民間あり。補助金頼みは劣悪の部類。 今も儲かっている企業はたくさんある。 確かにそうだ!

プロスポーツチームはベンチャー企業の側面あり。雇用を増やしている。 負けても子供のいるチームなら応援する。 だから好きになってもらうこと、目標1回の来客数1万人を決めて、地域を説得している。 来客数の目標を決めて、それを市民と共有するのはいいのかもしれない、と感じた。
学校などを回って教育もする。だから、チームは全員黒髪。茶髪にはしない。

地域愛という点で埼玉県民は所沢市民はどうだろう。地域愛の薄い地域のスポーツチームはたいへんだろう。

最もすごい企業はジャニーズ事務所。嵐だけでも年間80億円?のファンクラブ代が入っている。というのも年会費4000円強なんだとか。
会員数は200万人。好きになるとは凄いことだ。貴重なことだ。 
 
その他、気づいたこと、確信したこと、所沢に生かしたいこと、ありました。

それをまた、所沢市の施策に生かしてまいります。

なお、岡山といえば我が「坪田譲治」の故郷である。 卒論制作時に訪ねた島田本町2丁目にも 初日の夜と最終日の昼、寸暇を惜しんで行ってみた。
生家は跡となり、楠の木と記念碑のみがあった。 周囲も随分と家が建ち、新幹線の線路ができたり、色々と変わっていた。32年前に訪ね、市議か県議時代にも訪ねた坪田譲治のふるさとは、本当に随分と変わっていた。



有名な小説に『風の中の子供』『善太と三平』などがある、豊島区雑司ヶ谷で
「びわの実学校」を開いて、子どもたちに教育しておられた。



 


 

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熊本にボランティアで伺う

2016-05-07 17:32:03 | 視察関係


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5月4日から6日まで 熊本に行ってまいりました。

4月14日、自分が市長になって初めての後援会主催市政報告会。

自分が市長を志した原点は、大震災と原発事故であった、と言って報告会をした、その直後に熊本の地震は起こりました。

だから、そのままではいけない、と思っていたのです。

3日の行事をこなしたあと、4日から休みをいただき熊本に直行しました。

益城町、西原村、熊本市と訪ねましたが、ボランティア活動は熊本市内で行いました。

崩壊している家もあれば、全く大丈夫な家もあり、古いお宅が比較的被害が大きく、

益城町や西原村では、地域によって大変な地域が集中していました。(一方で、家自体は大丈夫なお宅もたくさんありました。)





4日
新宿を前日の夜9時に発った夜行バスで博多へ4日の昼12時到着。レンタカーを借りて熊本県益城町、西原村へ。西原村へ着いたのは午後4時頃か?

村の道は、ボランティア関係の車で渋滞し、街道沿いの家々は古い家ほど完全に倒壊というか、潰されていました。



西原村役場にて知人にお会いしました。

実家は大丈夫だったのだけど、益城町のご親戚の家々は倒壊してしまい、ご実家に寄り合って、今過ごしている、と伺いました。

その方のご親戚の西原村職員にも会わせていただきました。

やはり、被害はひどいのでした。 また、埼玉県から派遣されている職員にも遭遇しました。

ボランティアの受付は、朝9時ころから始まり、援助を求む人と援助する人を結びあわせて(マッチング作業)、それで出発です。

既に5時半すぎなので、その日はようやく取れた福岡県大牟田市にある宿泊施設に3時間かけて戻りました。

そこでも、観光客に混じって、多くの救援隊(和歌山市、北九州市、東京都の水道部から派遣された100名以上の職員)がおりました。

5日
同行の1人が仕事の関係上、熊本を発って5日中には所沢に帰らなければいけないので、活動地を熊本市に決め、

朝7時半には、ボランティアが集まる辛島公園に到着。9時からの受付を列を作って待ちました。
(西原村だと熊本駅まで1時間半くらいかかる。作業終了が3時すぎなので電車に間に合わない。)

9時時点で、もう1000人位の長蛇の列。私たちは200番目くらいでしょうか?

(辛島公園から9時になると移動開始。 受付まで地下の通路を経由して向かう。)


  (受付前に、ボランティアとして身元を書く。また、名前、携帯番号を2枚の付箋紙にそれぞれ記入。
その付箋紙は2枚のA4版のニーズ(派遣要請)票にそれぞれ貼って、1枚は本部保管用、もう1枚は派遣者が避難者宅についたときそれを示す。)


(そのあとは適当な集団にまとめられ、注意事項を聞く。 
「○○地区、家の中清掃して欲しいというニーズ、要請者の住所、氏名。男性1人女性2人を希望」
など書かれた票に従い、それに合った人々やグループがチームを組まされ派遣される。 派遣を待っている人々。)

10時半、やっと行く先が決まり、レンタカーにて市内北区のお宅に伺いました。ご夫婦ふたり住まいのお宅では、地震でずれてしまった茶ダンスや洋服タンスをもとの位置に戻すことをいたしました。 1時間少しの作業で終了。
そこで、辛島公園に戻って本部に報告をしたあと、そのまま、次の求めが来るのを待ちました。待つこと1時間、午後1時半ころ、求めが出ましたので、今度は中央区のお宅に向けて出発しました。
そこでは、倒れてしまった洋服ダンスを元の位置に戻す作業を行いました。 作業は1時間もかからず終了。

感謝していただきながらも、辛島公園に帰る道みち、あまりに軽易な作業ですんでしまったので申し訳ない気分になりました。

というのも、私も、同行のIさん親子も、東日本大震災時に石巻で活動した記憶があるので、それに比べてしまうのです。

「これでいいんだろうか?」 
そう言葉を発したところ、もうひとりの同行者Aさんが、
「もしかしたら、今回の依頼は、普段でも同じことが言えたのかもしれませんね。」 そう返してきました。
つまり、ご高齢のお家族は、人手さえあれば・・・とか若い者が家にいれば・・・ということが普段から実はあるのだが、諦めて生活しているのではないか、という発見でした。 
腑に落ちました。 
だから、今回は震災をきっかけにご縁をいただき、私たちとそのお宅が結ばれた、と感謝すればよいし、私たちからすれば、普段からそういう御家族や市民はいないか、気にしていかなければいけないのだよ、と今回被災されたご家族から教えていただいたのかもしれないのでした。 

辛島公園に戻り、ボランティア受付広場に戻ると、「おつかれさまでしたぁ~」と、これまた、全国から集まるボランティアたちを差配する役目のボランティアさん達(多くは熊本の学生さん立ち、女の子が多い)が声をかけてくれます。市電やバスで移動した他のボランティアのチームもそこそこ帰ってきました。皆、さわやかな顔をして帰ってきます。その日に即席に作られたチームですが、作業を通して仲間になり、同志になったのだと思います。

そんな人々の姿を見ていると、今回はご縁を頂いたご家族の一日も早くお元気にもとの状況になられることをひたすらお祈りすることだ、そして、ご縁に感謝することだ、と思いました。また、ボランティア会場の運営を注意して見させていただきました。

その日は、熊本市内に宿が取れ、泊まりました。

熊本市内の繁華街も、壁が崩れたり、未だ休業中のお店がある一方、大方は以前どおり、元気に再開して、観光客や地元の若者で、昼も夜も溢れておりました。新宿歌舞伎町のよう、といえば語弊がありますが、夜11台のプロペ通りくらいの雰囲気はありました。

BARに寄って、店主のお兄さんに聞くと、

まさか地震が来るとは思わなかった。1回目の揺れでは、棚に並べた全てのボトルが落ちて、床が酒とガラスでめちゃくちゃになった。 なんとか片付け、翌日の営業に備えたが、翌日も地震が来た。また、すべての瓶が崩れ落ちて、停電になり、お客さんとすぐ外に避難した。それから、水道も出ず、1週間は休業するしかなかった。市内は今、やっともとの元気を取り戻しつつある。お客さん、来てくれてありがとうございます。

そうか、自分が見ているのは、1週間耐えて、その間に皆が必死に復活して、そのあとの姿なのだ。店によっては、まだ休業中のお店もある。立ち入り禁止の建物もある。そうした中にたまたま入っていた店舗はもう死活問題だろう。地震で倒産したお茶やさん(茶商)もあった、と所沢の茶業の方が言っていたそうだ。今日伺ったお宅も、どうしても元に戻せない最後の最後のタンスであったのだ。時の経過に敏感でなければならない。


(これは被災直後の熊本市繁華街のビルの写真。5月でも壁が剥がれた古いビルは確かにたくさんあった。)

そう気がつくと、被害が少なく既に活動を開始した人々の元気な姿にエールを送らねばいけないし、大変な被害を受けた方々には、しっかりと支援の継続が行われなければいけないのだ、と感じられました。 被害は個別的なものとして存在するのでしだ。
また、今回は避難所に行っていないので、被害が深刻な方々の声や雰囲気を自分が比較的感じずに滞在したということなのかもしれません。


   (再開できるところから再開して元気になっていく。 がんばろう! 熊本。)

6日
雨のため、予定していた西原村は早めにボランティア受付なしの決定を下していました。 前日から予報で「あすは大雨。雷も。」と言われてしまい、もうだめだと活動を諦めて、5日の夜に(1人で)飲んで、遅く起きたら、なんと小降りであり、熊本市内のボランティアは200名限定で受け付けたそうでしたが、それには間に合いませんでした。西原村は「活動なし」とやはり電話確認しても言われてしまいました。

地震から3週間あまり、これからは家が倒壊したり、避難所生活の方々の支援に絞られてくるでしょう。
そうした時、公務員の出番なのかもしれません。
村や町では水道の復旧も待たれます。 
近くお自治体が駆けつけるのが一番だと思いますが、所沢市も現在30名以上の職員が派遣に応ずる手を挙げています。
職員派遣は全国市長会が差配しておりますが、その求めに従って、対応してまいります。 (5月7日記す)

 





、 

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命をかけたボランティア 消防団の歳末警戒に対して

2013-12-29 11:41:01 | 視察関係

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歳末である。
何かと気が緩む時期である。
火の用心であり、犯罪にも気をつけたい。

さて、そんな中、ボランティアの方々が地域を警戒してくれていることを皆さんご存知であろうか?
もちろん、自治会の防犯の方々も「火の用~心」と拍子木を打って回ってくださっている。
と同時に、こちらは本格的。、
命をかけたボランティア「所沢市消防団」の皆さんが歳末特別警戒を、28日~30日の3日間、
消防ポンプ車に乗って行ってくれているのだ。

消防団は消防職員とは違う。
日頃は生業を持っている人々である。

農家もいる、建築屋さんもいる、薬屋さんも本屋さんもクリーニング屋さんも機械屋さんも桶屋さんも・・・・・
議員さんも学生さんもいる。
いや、女性消防団員さんはこれまた多彩だ。

どちらにしても日頃は仕事を持っていて、いざ、との時には出動して、消火作業に当たる、ボランティア集団なのだ。
ただ、ボランティアと言っても命に関わる活動なので訓練も半端じゃない。

ところざわし72km2を10個の分団で分担し、わたしたちの安全・安心を守ってくれている。

そこで今日は歳末警戒活動に対して、慰問に回った。


 第5分団 富岡地区を中心に新所沢東地区・向陽町・中新井なども含め地域を守る

 第9分団 柳瀬地区を中心に地域を守る
 第4分団松井地区を中心に地域を守る
 第3分団 旧町のうち東部地区を中心に地域を守る

 第2分団 旧町の中心部や並木町ほか地域を守る


 第1分団 旧町の西部と新所沢緑町、けやき台・泉町などを中心に地域を守る

 第8分団 吾妻地区を中心に地域を守る
 第7分団 山口地区を中心に地域を守る
 第6分団 小手指地区を中心に青葉台・榎町なども含め地域を守る

 第10分団 三ケ島地区を中心に地域を守る

10個の分団はそれぞれ30人で構成され、つまり、市全体では300人。それに女性消防団が加わる。
写真で比較的左側に見える黒い制服の人々は、消防団長・副団長・消防署長・副市長・危機管理監ほか
分団員を労(ねぎら)い、そして、巡視する側。
青い制服は消防団員。
右側の私服の方々は、消防団活動を地域で支える協力会の皆さん。


これからの3日間、カ~ン、カ~ンと鐘の音が聞こえてきたら、それは消防団の見回りかもしれない。

しっかり火の用心と、そして、ありがとう、とつぶやいてみたい。 

なお、きたる1月7日(火) 午前10時~12時
消防局・消防団による出初式

が、 航空公園にて行われる。

規律正しい訓練の成果が発揮される。また、お正月らしく梯子乗りもある。

皆様、是非いらしてください。 

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県の危機管理トップセミナーに参加して

2013-09-02 18:18:29 | 視察関係


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本日は、埼玉県トップフォーラムとして県庁で危機管理セミナーに参加した。

警察大学校教授の樋口晴彦先生のお話を 8月31日に行った所沢市の防災訓練、
(写真はその時の様子)

我々としては災害対策本部訓練に照らし合わせながら、
そうか、そうか、と反省しながら伺った。

以下、記録したポイント。

・福島原発事故の要因   直接に津波が原因なのではなく冷却が電源ストップでできなくなったこと。
では、なぜ電源がダメになったか。
外部からの電源、非常用電源と何重にも用意されていた(多重防衛)ことによる甘えが原因の一つ。
それぞれの防衛が突き詰めての対応になっていなかった。

マニュアルを作って対応するには・・・

・「ボールを持っているのはだれか?(だれの責任か)」を明確にする

・傍から見ていて当たり前の対応にする(専門的になって狭くなりがち)

・モノ(機械・設備など)を設置したら使いこなせるようにする

・巧遅より拙速でよい、 失敗はあって仕方なしと思え

・マスコミには早く、締め切り時間も考えて、わかりやすく伝えよ
(情報を出さないと手っ取り早い責任のない情報が出回って、収拾できなくなる)(マスコミは住民受けするスタンスに依っていくもの)

・後方支援・現場の食事など待遇の支援は言い出しにくい。 トップが気を付けて、言い出せ。

・本部では職員は情報は受けたら流すように徹底せよ。聞かれないと伝えない姿勢では動けない。(だれにいつ伝えたかの記録も取れ)

・なんでもトップの判断を仰ぐようではだめ。できるものは全て現場、中間で判断、対処。

ざっとメモした内容は以上である。

おととい、災害対策本部訓練を行った時も、また、日常に気になっていることとしても、
先生が指摘されたようなことを、大切だと思うように、
最近はなってきた。

さて、一緒に行った危機管理監に聞くと

おとといの市内各所で行われた防災訓練は

あの炎天下の中でも、過去最大の参加者で挙行されたとのことだった。

有難いことである。参加してくださった皆様に感謝である。

公助より共助、そして、やっぱり、自助がモノを言う。

震災から2年。

備えなければならない。

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関東市長会 そして、LM(ローカルマニュフェスト)議員連盟勉強会

2013-05-16 23:52:41 | 視察関係

本日は、まず関東市長会。

1都7県の市区長が集まって、会議をした。関東市長会として、国に要望する事項も決定した。
会場は宇都宮市、餃子の町、カクテルの町、ジャズの町である。

その後、東京は日本橋に急行して、

ローカルマニュフェスト議員連盟の勉強会。

参議院選挙から解禁されるインターネット等の使用解禁。

「新薬と同じ」という例えが腑に落ちた。

良い部分もたくさんあるが副作用で悪い部分も少なからずある。

市議会議員選挙はよい部分がたくさん出ると思うが、少人数を選ぶ選挙では、ネガティブな面の噴出はある程度避けられまい、と感じた。

とても勉強になった。



写真は、法律を作った議員のうちの、鈴木寛さんhttp://suzukan.net/と福田峰之さんhttp://fukudamineyuki.com/

お二人のホームページ見るだけでも、ためになります。

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第16回全国茶サミットin島田市に参加して

2012-02-03 17:15:46 | 視察関係

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お久しぶりです。

今日は、全国茶サミットで静岡県島田市にお邪魔しています。

第16回というお茶サミット、100ha以上のお茶畑を持つ自治体80市町村から構成されている。

自分は狭山茶、静岡茶、宇治茶、八女茶しか知らなかったが、
たとえば、島田市では
「島田茶」。隣の金谷市では「金谷茶」そのお隣は「川根茶」とそれぞれ産地で名前が違うらしい。
一応参考までに。
http://www.siz-sba.or.jp/kencha/member/shimada/index.htm

で、静岡も原発事故で相当被害をこうむったのであった。
狭山茶だけだと思っていたが、
静岡茶も、
一番茶を足柄で規制値以上が出て、さらに2番茶でフランスへ輸出しているお茶がユーロの規制を越して、
そのたびに、調べてシールを貼って、など狭山茶と同じような努力をしたのだそうだった。
しかし、風評被害にあっているらしく、今日の話題のひとつはそれであった。

各市町村長さんの話を聞いていて思ったのは、
狭山茶は「少なく作ってしっかり売る」タイプなのかも、ということだった。

そのほかの茶産地は販路拡大に苦心しているという。
多く作って、その後は茶商が買って、そして、売る。

学校で蛇口からお茶を出したり、うがいに使ったり、

それは狭山茶農家は好まないことだと思った。

面白い試みでは、
小学生、または中学生で「利き茶(闘茶)会」をしている市が多いこと。
または、お茶摘みをさせているところもあった。

ところで、島田市役所によってみたのだが、なんとも親切なのであった。

まず、受付が2人体制で、立って対応する。
すぐにカウンターから出てきて、話を聞く。
そして途中まで案内してくれる。

1階には、市民課や国保課などあったが、
カウンター近くの職員がお客さんがうろうろしていると
「どういたしましたか?」
とカウンターから出てきて聞いてくれるのであった。

そして階段ですれ違うとき会釈されるのだ。

案内の方に聞くと各課に挨拶担当がいて、みんなで目標を作っては、実践しているのだそうだ。

市の規模が違うのか(その庁舎には職員が300人ほど)とも思うが、
すこぶる参考になったのだった。
同じ境遇、同じ思いの首長さんとの交流は、なかなかいいものなんだ、
とつくづく思う行事であった。

なお、島田市長さんには、現下に抱えている課題も伺った。
その思いもどうか市民に支持されて
「果たしてほしい!」
そう願わずにはいられない。

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視察報告アップしました!!

2011-08-27 02:36:12 | 視察関係

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真面目なホームページでは、この8月初旬に行った視察報告がアップされました。

皆さま、ぜひご覧くださいね。

いやぁ、それにしても最近とみに目が悪くなった気がします。
細かい字が読めません。
離してもきついです。

そんでもってあきらめています。

49歳8ヶ月。 みんなこんな感じなんでしょうか??

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鐘ヶ淵の労働者協同組合「あゆみケアサービス」から学ぶ

2011-07-28 12:02:41 | 視察関係

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それでも普段から気にかけ見てくださる方に感謝の気持ちです。

暑さが少し和らいで、すごしやすい。

7月23日は勉強会に参加した。

足立区鐘ヶ淵駅から2分の
「あゆみケアサービス」(地域福祉事業所 代表 大谷みちこさん)

そして
ワーカーズコープ【労働者協同組合】(古谷直道さん)

を訪ね、お話を伺った。

農業に関しては農協がある。
生活物資購入については生協がある。
がそれに限定しない、
すべての分野でのくくりが、
労働者協同組合であるらしい。

労働者協同組合のしくみは
「働く人が出資もして経営に参画し、労働と経営の当事者になる」
働き方にある。
そして、お金儲けではなく、社会的価値ある事業をし、働く意義を実感する、
ところに眼目があると
お話を聞いて私は理解した。

あゆみケアサービスは、家政婦さんの集まりが前身。
介護保険ができて、それに則(のっと)ったサービスをするだけでなく買い物や看取りまでしてしまう。

それはケアされる人を大切にし、必要なことはしていこう、という温かい気持ちから発せられた行動だ。

話を聴いていて思った。
あの「たすけあい佐賀」に代表される地域共生ステーションと同じではないか!!
http://www.gutsfujimoto.com/gikai/k221213all.htm(「地域共生ステーションを埼玉に」一般質問から)

「あゆみケアサービス」も働いている方々はほとんど母子家庭のお母さんが多いという。
ワーカーズコープの傘下というか、ワーカーズコープに参加している、といべきかわからないが、
「あゆみケアサービス」もその趣旨に賛同しているわけで、
それ(その事業、そして、働くこと)の社会的価値に第一義をおく。

利益を上げ事業拡大する、とか、生活できるほどの収益を出す、ことではないのであろう。
だから残念ながら、そこで働く方が、その報酬で生活できる、には至っていないのであった。
(たすけあい佐賀は、拠点が安く、または無償提供され、活動にも県から補助金が出ていた。)

ワーカーズコープの古谷さんのお話を伺うと、
事業立ち上げの人々は生活保護や路上生活の人である場合も多い
とか。

そうか、そういう人々が自ら社会の役に立ち(働くといことの原初的意義)自ら経営者として生きていく、
その機会を作っていくことはとても貴重で、重要だ。

生協や農協など、それで生活できる労働者協同組合もたくさんあるのだろうけれど、
もともとの重きは働き方にあるのではないだろうか。

新たな(一方では原初的に帰る)動きが世の中に胎動し始めたのである。



棚がある八百屋。店はこうでありたい…。
だからと言って栄えている商店街ではない。
若者がいないのかも…。



あゆみケアサービス内にてお話を伺う。



あゆみケアサービスの外観

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行田 加須 総合教育センターに伺う そして山崎屋食堂

2011-07-08 00:35:49 | 視察関係

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7月5日は旧行田女子高にこの4月から移った「埼玉県総合教育センター」に伺った。

20数億円をかけて改修し、もともと高校だからゆったりとした配置になっている。
当日は

「特別支援教育コーディネーター研修」
が行われていて、こちらも見たかったものだ。
もちろん、中学校の先生方の部を見させていただいた。

従来の生徒指導的対応ではどうしようもない現実があるが、
発達障害を意識して対応をかえると
見えてくる真実、新しい解決
があるのだという。
しかし先生方はそうは言っても信じきれない。
その先生方を「そうかもしれないな?」と一歩を踏み出させるには「権威」が必要でそのために「専門医」の登場が有効なのだと発表があった。

褒めること、こそ人を動かし変えるのだそうだ。

教育センターにはJICAの展示物や国立天文台やらから無料で貸与されている体験コーナーがあった。

詳しくはのちにホームページで。

昼はあの山崎食堂ふたたび、で既にカレーは売り切れていたので
「生姜焼きばら肉定食」を注文。
ご飯は高く盛られて出てきた。


店内に貼ってある「大盛りカレー30分以内間完食者」の写真を横目でにらんで、
店を出た。
今に見ていろ俺だって!!

さらに暑い日差しの中折角こっちに来たのだからと
まえまえから気になっていた「水産研究所」を訪ねる。
ちょうど「ひれ長錦鯉?」の稚魚の選別作業をしていたので興味深く見学した。
ピカピカ光る感じの鯉をえり分けていくのであった。
人間自身だけは選り分けないけど、あとは動物に対しては人間はいっつも選別し改良してきたんだなぁ、と感じた。

そして、その後、南栗橋の震災被害を見に行ってきた。
ある一角だけは
道路も盛り上がり、ひどい状況だった。
切り土ではなく盛り土のところが被害はひどいというが、
ここは周辺が田んぼで本はどうだったのだろうか?
液状化の被害として浦安と南栗橋を県土都市整備委員会が視察するらしい。
時宜を得た視察だと感じている。

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県立動物指導センターに再び伺う

2011-06-22 21:52:56 | 視察関係

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本日は役所で一仕事した後、熊谷市の「埼玉県立動物指導センター」に伺ってきた。

視察報告は真面目なホームページでやると思う? がひとまずざっとここに書きたい。

「動物指導センター」といっても、そもそもは「保健所に捕獲(棄てられた)された後、引き取り手がなく殺処分される施設。」である。
そこに、研究、飼い方指導、飼い主指導、そして、保護して何とか里親を見つけて生かしてやる機能、が動物愛護の意識から加わった、というところである。(以上藤本の理解)

各保健所に捕獲された後、1週間もするとここに送られてくる。
そこで何日か保護され、健康チェック、検査を経て、養われるが、
やがて引き取り手が無ければ殺される運命の犬、猫がたくさんいるのだ。

動物愛護議連として視察して
「保護する期間を長くしたい、里子に多く出したい」
という願いから新しい施設を作った。
新たにこの4月から稼働している。
また、各保健所のホームページで保護犬を照会できるようにもした。
(右は狭山保健所の例)
http://www.saitamahogodoubutu.jp/shuuyou-jyouhou-HC/sayama/html/stray/dog/list.html
おーい!!下安松でラブラドールレッドリバーが保護されているぞう!!
飼い主さん気づいてくれ!!24日にはここに送られてきてしまうぞ!!

新しい施設ができて、成犬、成猫も健康で人にかわいがられる可能性のあるものについて
より多く保護し、里子に紹介できるようになった。
うれしいことである。

しかし、それでもすべての犬猫を飼えるほど施設があるわけではない。
捨てられた犬は、猫は、多くは殺されるのである。
全ては人間のエゴの結果だ。
シベリアンハスキーが流行ればシベリアンハスキーがたくさんここにやってくる、という。
飽きたら捨てるのだ・・・。

この檻の中の犬たちは今日ここに流れてきたものである。


みんな首輪をつけている。

動けない犬もいるが、
多くの場合、元気な犬なら
僕らが来たら必死に懐(なつ)いてくる。

でも、よほど賢く、よほど健康で、よほど懐こい犬でないと
「生き残り組」に選抜されることはない。
飼い主よ、この眼を見よ!!



里子にも出せない犬、猫たちはここから次の間へ送り出される。
右の檻から正面の箱の中に追いやられ、壁が右から左に動いて、写真左端の箱で一酸化炭素中毒で殺処分する。
そのまま処分された犬猫たちは箱に揺られ焼却炉まで送られ焼却される。
灰は一部散骨、一部慰霊碑に納められる。
子猫の場合は注射で殺処分される。
(猫については保健所も権限が無いので捕獲はしないが)飼い主などにこちらに連れてこられるのだ。

殺処分は週2回。
年間4319匹の犬猫がここで処分されるのだ。
【平成22年度 犬1189匹(成犬81%、子犬17%)、猫3130匹(成ねこ22%、子ねこ78%)】
それでも平成18年度は7629匹だった。
県は計画を立て29年度には3800匹を下回るべく努力している。
県としても手は尽くし続けてきた。
職員もできればみんな生かしてやりたいのだ!!
里子に譲渡された実績は22年度870匹(犬636匹、猫234匹)
内訳・・・犬は成犬68%(団体へ52%、個人へ16%)子犬は32%(団体へ4%、個人へ28%)
     猫は成ねこ28%(団体へ21%、個人へ7%)子ねこ72%(団体へ65%、個人へ7%)
平成12年度にはまだ220匹(犬196匹、猫24匹)だったのだ。

これで2回目の視察となる動物指導センター。
犬たちの悲しい目に、
私は揺れ動く。

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