人で選ぶ時代が来た!! 自分は常々思っていた。「政党で選ぶのではない。人で選ぶべきなのだ、と。」また、思っていた。わかりやすい政治? そんなの国民を馬鹿にしている、と。自民か民主か? とんでもない。いつ誰が決めたんだ。人の意見がたったの2種類しかない、わけないじゃないか! 2大政党制をめざすから。そのために小選挙区制を取り入れてしまったのだから・・・? そんなの関係ない。何でもイギリスやアメリカが先進的、なわけもない。自分で取り入れた制度である。合っていなけりゃ改めればよいのである。 小選挙区制にすると自民か民主以外は受かりもしない。ほかの意見は反映されない。キャスティングボードに位置する政党も、本当の気持ちを発揮できない。自民と民主だって1つの課題に対して実は同じ意見であっても、相手と差別化するために無理をする。敢えて反対する、大同を捨てて小異を突つく。こんな状態が良いはずがない。 2大政党が切磋琢磨するからきっと良いのだ、と今まではいわれてきた。でもどうだろう。マニフェストだって財源そっちのけで目前の目的のために「こっちの水はあ~まいぞ。票、票、票~よ来い!!」って代物になってしまっている。これでは遠い未来を見据えた論戦はいつまでもできない。奇しくも日本経済も2大化よろしい同じ流れにあるみたいだ。でも、日本の小売店が例えば、セブンイレブングループとイオングループの2大グループで切磋琢磨されたら世の中便利でよくなる、とは誰も思わないとおもうのだ。 何で政治だとそうなるのか? だから、やっぱり2大政党制は良くない、と思うのだ。そして、なんといっても議員個人個人の努力、実績が顧みられず、全ては時の党首のイメージ等で決まってしまうという欠点である。何を努力しても結局は時の政党のイメージで決まってしまう。議員の努力は報われない。時の政党の人気のある方で出馬したら「誰」であろうと当選だ。AさんだってBさんだって、関係ない。逆もまた真なり。そんなのだったら努力の、し甲斐も何もない。社会でも何でも努力したものが報われると信じられなくちゃ、人は生きていけないのだと思うのだ。 「政党(組織)あって議員(ひと)なし」ではいけない。それは「企業(組織)あって社員(ひと)なし」ではいけないのとおなじこと。そうだ。市場競争の中で生き残るため人員削減の嵐にさらされた私たちは、「やっぱり企業(組織)あって社員(ひと)なしでは良くないのではないか?」と省みたばかりではなかったか? やはり「ひと」が原点なのだ。今まで私たちは、「官から民へ」そして「改革を止めるな」と、一言のわかりやすさに翻弄(ほんろう)され、そこでそれ以上深く考えることをやめてきてしまったような気がしてならない。今回は「交代」であろう。でも、そこで思考停止しては、いけないと思う。そうではなくて、その候補者(ひと)が何を考え、何をしてきたか、を愚直に探ろうではないか。 政界が再編されそうだからこそ、良いひとを残し、育てていこう。 人と人の絆が育まれず、ワンクリックでリセット、チェンジ(change)できる関係性が、人々を不安にさせる現代だからこそ、「ひと」を大切にしたい、そう思うのである