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ガッツ藤本(藤本正人)のきょうのつぶやき

活動日記ほど堅くなく、日々の思いをつぶやきます

映画三昧 『夫の部屋』 『雪風』 『それでもわたしは Though I’m His Daughter 』 『太陽(ティダ)の運命』

2025-08-17 19:28:03 | 本・映画など

お盆休みを得た。

仕事に追われぬ、なんと緩やかな気持ち。

墓参りと、映画と読書に時間を費やした。

映画としては、
『夫の部屋』

一人の男性をめぐる妻と愛人。

それぞれが持つスキマ(時、空間=夫の部屋、気持ち)をいかにとらえ、理解し、気持ちに落とし込んでいくか。

その姿が描かれた映画だった。

その中心には、チェーホフの『カモメ』が介在する(妻は、劇団の女優であり、『カモメ』公演に向け日々取り組んでいた)

女優として、一人の女性として、気づき、乗り越えていく。
  左から梅田誠弘さん 余園園監督 菊地敦子さん 永山由里恵さん

吉祥寺アップリンクにて『夫の部屋』

『雪風』

事実をもとにした映画。 

駆逐艦「雪風」は幾度の海戦でも撃沈を免れ、そのたびに海に投げ出された他艦の兵を救助し帰還を果たす。

いつしか 幸福
艦 と呼ばれるようになった「雪風」

戦後も、引き揚げ船として邦人の帰還のために活躍したという。

こんなことがあったのか!? 

今の感覚で当時の兵に言葉を発しさせるのは違う、という場面もあったが、

英霊の皆様が、何のために命を賭してこられたか、後世の私たちは思いを致さねばならない、と切に感じた。

ユナイテッド・シネマ入間にて

そして、

『それでもわたしは Though I’m His Daughter 』

オーム真理教の麻原彰晃(松本智津夫)の三女のドキュメンタリーだ。

12歳で事件が起こり、家族バラバラになり、どこへ行っても拒否され差別され続けた。

なぜ、事件を起こしたのか、その理由を自分は知りたい。それまでお父さんを死刑にしないで!

行動を起こした彼女の願いむなしく、それから3か月後、死刑は執行される。

彼女の心は行く当てを失ってしまった。

自己を責め、心さまよい、葛藤し続ける。  親戚に会おうとし拒否されても、それでも会って話を聞く。

父親の故郷を訪ね、原点を感じようとする。

観ていて、そうだ、みんな同じ子どもたちなんだ。

家族やこどもたちは全く別であり、その人権は守られなければいけない。 

自分はそこに無関心であった、
と痛感した。


父親の故郷を訪ねて、父親の存在を感じる場面に、すこし救われた気持ちになった。

     長塚洋監督のあいさつ

川越スカラ座 にて

そして太陽(ティダ)の運命』

沖縄をがひとり背負わされた多くの米軍基地。

それに立ち向かう知事(基地の撤廃と経済振興を共に求められる立場)の苦悩と推移、そして、決断を追ったドキュメンタリー。

映画では大田昌秀知事と翁長雄志知事、2人の知事に光を当てる。

翁長氏が、大田知事をスローガンばかりでやらない知事として、議会で糾弾する急先鋒であったことは知らなかった。

そして、大田知事は、選挙でもって翁長氏率いる稲嶺氏に追われてしまう。

稲嶺知事、仲井真知事の後、翁長知事が誕生する。

が、翁長氏も大田氏と同じように悩み、苦悩し、舵を切っていく。

いつしか大田氏と同じ発言をし、歩みが重なっていく・・・。

首長という立場は、すべての声が集まる場だ。

思うようにいかないこともあるし、歯切れよく言えないこともある。

それでも県民を思い、苦悩し、元からの信念を修正しながら、さらなる信念を築き、行動に移していく。

長の身は 皆そういうものなのだ。

        上映後、佐古忠彦監督のお話

翁長知事が

「憲法の上位に安保と地位協定があり、「統治行為論」のせいで、司法(憲法)の上に内閣がいる」

これが問題を阻む根源 と指摘する場面が出てきた。

今、本を読み終えたのだが、全く同じ指摘であった。(その本については後日)

安保条約と地位協定、それと、国連憲章、憲法は絡み合ってできているらしい。

私たちは、もういい加減、(沖縄はじめ日本各地に)米軍がい続けるのはおかしい、というべきである。

川越スカラ座  

なお、鑑賞後、「ふじもとさん?」と私を呼び止めてくれる人があった。

先ほど監督とのトークショウで司会をしていた人。

それは、元県議の舟橋一浩さんだった。

彼は今、このスカラ座を守り、先頭に立ち支えている人。

川越スカラ座は レトロな建物であり、かつ、商業路線に走らず、上質ないいものを厳選して上映している。

立ち話ではあったが、この映画の感想や日本の現状を(また県議会の現状も含めて)語り合った。

有意義な時間に花が添えられた感じがした。

川越スカラ座① 舟橋かずひろ支配人インタビュー

川越スカラ座① 舟橋かずひろ支配人インタビュー

“小江戸”と呼ばれる街、川越。川越旧市街の中心、時計塔のすぐそばに川越スカラ座がある。度々姿を変えながらもこの映画館は多くの人に愛され、何千もの映画を、人を見つめ...

【écouter】-エクテ-

 


        川越スカラ座 外観  時の鐘のすぐ近く

 

 


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内澤旬子の『世界屠畜紀行』

2025-08-13 13:27:58 | 本・映画など


みんな平気で肉を食べているにもかかわらず、

単なる動物に対するかわいそう、ではなく、

その行為、食べられる肉にしていくための職業について、忌まわしく穢れにも似た感情を抱くのは、なぜなのか、

その感情は日本だけなのか、世界ではどうなのか?

疑問を抱いて、世界の屠畜の現場を訪ね歩いたルポが『世界屠畜紀行』だ。

月刊雑誌『部落解放』に連載した記事をもとに本に編まれている。

つまり、その心は、

人間は肉を食べる動物であり、家畜は丁寧に食べてやることが大切で、

それに関する職業は重要な職業であり、差別や陰な感情を抱くのはおかしい、という意志なのだ。

ただその手法が、あとがきの363ページにあるように、

「まず屠畜という仕事の面白さをイラスト入りで視覚に訴えるように伝えることで、多くの人が持つ忌避感を少しでも軽減したかった。」


まるで冒険や探求をするように細かく正確に、明るいタッチで描かれていて、読者をのめりこませていくのだった。

(文章とイラストで話は展開する  こんな感じ)

内澤さんは、日本(東京、沖縄)だけでなく、韓国、モンゴル、バリ島、チェコ共和国、エジプト、インド、トルコ、イラン、チュニジア、そしてアメリカの屠畜場や屠畜場面をめぐる。

職業としての屠畜だけでなく個人の家で、また、犠牲祭として行われる屠畜。

個人の家で行われるものでも、
家族みんなが感謝と喜びで屠畜を受け入れている場合や男性だけで行われるもの、宗教や国による違いもあるという。


だが、概して、屠畜行為は明るいイメージの国がほとんどだ。

差別感はアジア(+インド?)だけのようで 一般的に言われている(仏教の殺生戒からくるのでのでは?)という理由以外、

内澤さんもわからないようだった。本にも明確な答えは書かれていない。

世界的には、
屠畜ができる腕があることが周囲からの憧れであったり、
お金を稼げることが多くの敬意を集めている、
そういう国々が多い。


それほど 肉を食べられる機会は貴重で、かつ、肉はおいしいのだ。


(イスラムの犠牲祭 エジプトでは断食月明けや犠牲祭でつぶした肉は6割を周りの貧者に施すことになっているとか)

紀行の中では、豚、牛、羊をはじめラクダ、ヤギ、鶏他も屠畜される。

それを内澤さんは興味をもって何日もかけて質問し、時にはナイフをもって参加して、文章とイラストで描写する。

まず、頭を(叩いて,撃って)気絶させ、神経を切り、のどを切って血を出させ、

頭を切り離し、舌を抜いてそれにつながる食道を絞り(中身が出て汚さないように)、
一方では肛門をくりぬき直腸で縛って一本の内臓を体から引き離し、


吊り下げられた胴体の皮をはぎ、胴体と足を背割りにし2分割して、その後枝肉に分けていく。

この順番は世界共通である。

日本の屠畜場の場合、切り離された内臓と頭の部分は、それぞれ別の場所に流され、作業が同時に行われていく。

その様子が詳しく描かれていて、とても興味深い。そこに職人技がきらりと光る。

描写の仕方で、内澤さんのワクワク感がこちらにも伝わってくる。


作業は衛生を徹底する。(日本は特に)

日本の牛だとBSE対策が入るので、各部位全て保管され、出所も記録され、結果が出る次の日まで出荷されない。


それでも2004年時点で、牛は2ラインで1日350頭、豚は1400頭捌かれている。(芝浦屠畜場)

捌(さば)くのは、芝浦屠場の場合、まず公務員が。その後内臓や頭は協同組合職員が。

さらに内蔵業者がそれを受け取り、その後焼き鳥屋や焼き肉屋などのお店に引き渡されていく。

リレーのようだ。

また、皮は原皮業者が受け取って脂を落とし、そのあとは、トラックに積まれ鞣(なめ)し屋(皮革業者)さんに行く。

そこで、多くの工程を経て、最後は注文されたとおりに染色され、革になっていくのだ。 

削ぎ落された脂なども別の製品として利用される。

家畜の体はすべて利用され、無駄にはされない。


日本の豚皮は高品質で世界中から買い付けに来るそうだが、毎月130万頭屠畜されながら2004年では、

8万枚(8万頭分)しか日本では作られなかった。今は、原皮の8割が中国、残りも台湾やタイに輸出されている。


労賃の安さから中国や台湾、タイにもっていって鞣(なめ)すのだ。
(昔は国内で60万枚作られていたが、1980年代を境に、労賃の安い海外へ行くようになり、国内皮革業者もおおく閉鎖に追い込まれた。)

日本の皮革業者も従業員はアフリカ系の人が多く、若い日本人は入ってこないという。


内澤さん、アメリカの取材では、テキサス州のプレインビュー工場の前で、帰路に就く労働者にインタビューするのだが、
彼は自分の職を最低の仕事(It’s the lowest job.)と吐き捨てる。


工場の中に入ると、すごいスピードで作業が進んでいた。

そこでは1ラインしかないのに、1日に4700頭の牛をつぶしている。
1960年代後半までは、割のいい仕事だった屠畜作業も、その後、徹底的にコスト削減され、郊外化、機械化、大規模化が進み、労働組合は弱体化した。作業も誰でもできるよう単純化、細分化され、賃金もカットされた。
こうやって、誇りが失われ、賃金も安くなって、職を選べないヒスパニック系の労働者ばかりの職場になったとか。
             (『Slaughterhouse Blues』参考)

賃金含めたコストカットの挙句に、成り立っているのが日本の牛丼の価格なのだ、と内澤さんははっとする。

時代は全てマニュアル化へと進む。 誰でも交換可能になる仕組みである。

そうやって職人が不要とされ、技術が廃(すた)れていく。
また、きつい仕事は外国人に押し付けて、見ないふりをする。
資本主義の悪弊(より安く、より多く、より儲ける⇒資本家以外の働く人が交換可能、使い捨て、存在が軽くなる。
いやなことは外国人に押し付ける。単なる消費者に成り下がり、現実を直視しない。)

はこういうところにも現れているのだ。

私達が食べている肉は、命である。

生き物は、他の命をいただいて自分の命をつないでいる。
「いただきます」 にはそれほどの 深い意味 が込められているのだ。

食卓へ来るまでには、多くの人が携わっている。
命の現場が食卓と乖離して、想像すらできなくなった現代 である。

が、命のリレー、それに携わる人々への感謝の気持ちを 私は忘れてはならない、

命のリレーを皆が自覚していかなければいけない、

と私は思った。(なんか最近の米騒動のとき、食と農の関係を考えたときと 似ているなぁ・・・。)








 

 

 

 

 

 

 


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井上ひさしの『吉里吉里人』 その2

2025-08-02 11:11:32 | 本・映画など

日本国は、負けて占領されて、心も滅ぼされ誘導されて、手なずけられ、おだてられ、脅されながらも、守ってもらってきた。

その現実を直視すると辛いので、見ないよう考えないようにして、今まで来た。

悔しさをばねに、経済的豊かさだけは追いつき追い越せ、と努め、物質的豊かさは手に入れた。

だが、大切なものを失っていないか!?

食と農、エネルギーは? 技術、そして文化は? 防衛は? 

考えた末、吉里吉里人は 覚悟して独立したのである。

上中下巻に分かれる文庫の、中巻以降は、その理想が随所に語られている。

例えば自衛隊問題 以下、愚人会議の議長、ゴンタザエモン沼袋老人のことば
「世の中に何が可哀想だと言って、自衛隊員ほど可哀想なものは無がす。・・・あった方がいいという国民が半数以上だが何にもしてやらねぇ。「朝っぱらから爆音ばたでで五月蠅いではねぇが。主人が会社、子どもが学校、妾(あだす)が美容院さ出払ってから、飛行機飛ばせてけろ。」と勝手放題さ吐(ぬ)かす。・・・まだ有っつぉ。自衛隊員に一体どげな保障があんべかネ。・・・
・・・
お国には、自衛隊があると日本は結局戦争に巻き込まれてしまうのではないか(という人もいるが)、‥私ども吉里吉里人はどちらかというと、その人たちの考えに近い。・・・それらの人々はただ『平和』『平和』と叫ぶのみで、・・・戦力にまさる武器はないか‥‥知恵を絞ろうとしなかった。
保守の上を行く代替案をついぞ準備しなかった革新・・・私たちはそれに愛想を尽かしたのです。」


さらに続く、
「・・・(日本は)燃料の石油のほとんどを国外から買い入れ・・・食糧の60%以上を外国から買い付けている国だ。
・・・日本国の、五十代以上の人間たちよ、あなたがたは後方からの補給が万全でない戦さはかならず負けるということをあの時骨身にしみて知ったはずなのにいったいどうしたのか。・・・もろもろの資源に恵まれ、食糧自給率の高い、自立せる経済大国であるかのような、途方もなく図々しい幻想を、おのが祖国に抱いてはならぬ。すべての思い上がった幻想を捨てよ。
日本国が、よく働くことが取柄の人々の住む、小さな小さな資源小国であることを正視せよ。」



また、農政に対しても べろべろに酔った百姓のベンゾー船津がいう
「(百姓の9割が兼業であることに対して)片手間仕事でなり立って居るのは、政府の保護があるからっしゃ。農協が先頭さ立って補助金ちょーだい・・議員は百姓の票が欲しくてハイハイ、保護してあげますよ。・・・んで百姓さ渡った補助金だの助成金だのを、農機具会社だの肥料会社だのが、そっくり巻き上げる仕組なんだっちゃね。・・・」
さらに
「人間誰しも人並みの暮らしはしたい。『米を作れ。米は有利だぞ。新しい化学肥料もあるし、新しい農機具もできた。(テレビコマーシャルを指摘して)あんたは、”村の加山雄三”になれる。」
「まず農水省のお役人は、アメリカさんの農業技術ば日本の農業さ取り入れるようにと指導したのっしゃ。・・・日本国の田んぼはアメリカさんの機械の寸法さ合わせて作り変えられた。牛だの馬だのが追い立てられで、機械が馬小屋だの牛小屋さふんぞり返った。牛馬の出す堆肥の代わりに化学肥料が入ってきた。百姓は田の草刈りは疲れる言って除草剤ばまき散らした。田んぼの土は瘦せ衰えだ。作物さは農薬が滲みこんだ。だども、百姓衆は『これこそ農業の近代化だ』とかえって嬉しがり、この直輸入農法さコロッと乗さちまったのす。」

「日本国の百姓衆よ、・・・日本国の米作技術は世界一だったつうのに、その技術ばポイと捨て、アメリカさんの麦作り技術さ飛び付いてしまったんだものな。麦作り技術で米さ作っぺつうんだもん、失敗すんのは当たり前だべサ。」「米ば作れ、米と一緒に麦だの大豆だの作って居っと面倒臭せぞ。こう政府がら号令かけられる。農協の指導も、米ば作れ、だ。そこで百姓衆は米作以外の技術ば全部捨てで、米ば作った。・・・」そして、(一反当たりの収穫量が示されて)
・玄米・・・480キロ  ・大麦・・・330キロ   ・小麦・・・280キロ  ・大豆・・・140キロ
「日本国政府の掛け声と農協の指導よろしきを得で『有利なコメ、不利な畑作』(ということが明らかにされる)・・・」

「畑作ば不利つう事実ば作る。これァ、じつは大企業の狙いでもあったんでがす。工業製品ば輸出し、その代わり麦だの大豆だのば輸入すっぺ。そうすっと(売って、買う)つう関係が成り立づ。かくすて日本国は驚異の高度成長ば成し遂げだ。」・・・

※(この時はまだ減反は本格的ではなかったのですね。その後、価格維持の為減反の締め付けが強くなり、井上ひさしさんは反減反を訴え続けることになりました。そして、昨年の米騒動から政府も減反減反減反廃止に舵を切りそうなところに来ています。)

また、通貨制度について もこんな指摘をしている。(吉里吉里国は労働銭ンコ制をとっている)
「そ
の労働銭ンコ制は、働いた時間に応じて賃金が与えられる仕組みでいわゆる不当な搾取ができないようになっているのだ。

内科医師が三人の患者を診察し、
竹細工職人が笊を一個編み、
小説家が三枚原稿を書き、
百姓が肥桶四つ畠へ運び,撒いた
とすると、これらの労働はすべて同じ値打ちであると見なされ、それぞれ一時間労働銭ンコの報酬を受ける・・・」

ただ、この労働銭ンコは買い物には使えない。吉里吉里イェンに換えなければならないという。
なぜそんな面倒なことをするのかと古橋が問うと、16歳の三等医療秘書のトシコ村瀬は言うのだった。

「社会的不公平、そうして不平等ば無ぐする為には、労働銭ンコ制ば採用する以外に方途は無がったんだっちゃ」

そして、時間こそ平等に与えられているからそれしか方法がなかったのだと明かす。
古橋が、有能な外科医が手術しての3時間と雑役夫が3時間草を刈るのが同じ価値とは言えないのではないか、と矛盾をついていくと、ゆえにそれに価値を加味して実際は労働銭は再構築されていると答える。
さらに、古橋が、では雑役夫が1人は一所懸命3時間草を刈り、もう一人は、草を刈ったふりをした場合はどうするんだと突いていくと、16歳のトシコ村瀬は、
吉里吉里人は性善説に立つ。仲間を信用できないくらいなら初めから分離独立などしようとしない と言い切る。

さらに古橋がしつこく矛盾を指摘すると、トシコ村瀬は古橋に鋭い平手打ちをくらわせ
「なじょして古橋先生は重箱の隅ばっか突っつくのだべ。たすかに小さい瑕は沢山あっぺ。だども大局ば見ろて。この労働銭ンコ制にゃ{できうる限り人間が人間から搾取するという不平等、不正からは遠ざかろう〕つう大悲願が込められて居んのだよ」
「不平等、不正だらけの隣国からやってきた古橋先生に、俺達の国の制度の小さい瑕ば拾われて、あーだこーだと言われる筋合いは無いっす。」
と涙ながらに訴えるのだった。

資本論にも通ずる、また、近年の地域通貨の発想も同じだが、不当な蓄積と搾取をいかに遠ざけるか、の思想がいかんなく発揮されていた。

そのほかにも、医療と福祉の諸問題アメリカとの問題、安全保障、エネルギー問題、など、現代に通じる(というよりずっとそのままにしてきたから現代にもそのまま残っているというべきか)課題を指摘し、それを吉里吉里人は乗り越えようとして独立したのだった。

作中で(昭和56年(1981年)頃)指摘された数々の矛盾は、今の日本で最高潮に噴出している。

今まで日本人が見て向ぬふりして過ごしてきたそのツケを

国も、それでも何とか修繕し、繕おうと頑張っているが、

世情の方は、 自暴自棄なまでに破壊願望 のような、そんな心情になってしまっている。

でも、これは戦後80年間の日本人のツケなのだ。 なんでも自公のせいにできるのではない。

我々日本人がどうするのか、覚悟せねばならぬ時代が来た、吉里吉里人のように。




 


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『吉里吉里人』を読む

2025-07-23 15:39:31 | 本・映画など


昔買ってそのままにし、今は本棚に古本の如く黄ばんでしまった本を手にとって読み始めた。

『吉里吉里人{上)』である。

初版は昭和56年、つまり時代背景は、自分が大学生になった年だ。

団塊の世代は35~39歳、昭和一桁の人は40後半から50代。 『Japan as NO.1』が上梓される前年という時代背景を持つ。


あらすじはこうである。

三流作家、古橋健二が取材旅行で岩手県岩泉に向かう途中、岩手の北上川直前で列車が止められ、

不法入国のため車中の人全員が連行されてしまう。

その早朝、日本国からの独立を宣言した『吉里吉里国』への不法入国であった。

吉里吉里国(以前は村)はそれまでに用意周到に独立を計画してきた。

日本国の政策に異を唱え、独立やむなし、と決意して、この日を迎えたのである。

だが、古橋健二はたった2日間で、様々な事件に巻き込まれ、吉里吉里の女性、ケイコ木下と婚約し初の移民となり、初の逮捕者となり、初の文学賞受賞者となり、初の脳移植体験者となる。そして、タッチ制により大統領になったのだが、その就任式において、口の軽さから国家機密を漏らしてしまい、吉里吉里の独立の夢を潰えさせてしまう。 あっけない最期なのであった。

吉里吉里国は奥州藤原氏が隠した金を元に金本位制を敷き、タックスヘブンとすることで世界の企業を引き付けた。
また、医療立国を謳って、吉里吉里国立病院に世界のノーベル賞級医学者を招き、最先端医療を展開していく。
自分の国の言葉に誇りをもって、ズーズー弁が標準語である。

また、その国歌 
 吉里吉里人は眼はァ静がで 鼻筋と心はァ真っ直ぐで 頤と志はァ堅くて 唇と礼儀はァ厚えんだちゃ (1番)

 吉里吉里人は眼はァ澄んで居で 頬ぺたと夢はァ脹れでで 男性器(だんべ)と望みはァ大きくて 女性器(べちょこ)と思慮はァ練れでえんだちゃ(2番)

にも表れているように、性に対して率直でおおらかなのである。

小説自体は東北人の実直さで、世の矛盾を鋭く突いていくのだけど、

終始、なんともおおらかにエッチなので 肩が凝らない。


性に対するおおらかさと言えば、確かに自分が大学生だったころ、東北のとある村で

近所の人たちが複数の家族で村の共同温泉に入っている場面に出くわしたことがあった。

そこが混浴なのでびっくりしたのを思い出した。

あの頃の東北の田舎はまだ、そういう時代だったのかもしれない。

今は、セクハラ、パワハラの非接触時代だ。

少し前まで小田実を読んでいて、大阪弁の語り口と熱さとおおらかさに随分圧倒されたのであったが、

今度はズーズー弁の東北訛り、実直さとおおらかさにどっぷりと浸かったみてぇだっちゃ。






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『平家物語の合戦 戦争はどう文学になるのか』 佐伯真一著

2025-06-02 09:40:29 | 本・映画など

新聞書評に出ていたので、久しぶりに平家物語を思い出そうと思って、図書館で借りてきた。

平家物語にはたくさんの異本があり、大きくは二つに、
つまり、琵琶法師の台本に用いられたとみられる語り本系と、読み本系に分けられる。

語り本系には、覚一本、屋代本、百二十句本があり、
読み本系(こちらは内容に差異が多い)には延慶(えんぎょう)本、長門本、源平盛衰記、四部合戦状本、源平闘諍(とうじょう)録などがある。

筆者は、覚一本を中心にして、各異本を比較し、さらに、鎌倉幕府公式歴史書「吾妻鑑」や藤原兼実の日記「玉葉」、
そして「太平記」や中山忠親の日記「山槐記」、「愚管抄」その他の資料と比較検証しながら、
平家物語の様々な場面を読み解いていく。


壇ノ浦の戦い において、よく言われてきた潮流説(潮の流れが変わって勝敗を決めた)、
水手、梶取を殺したのが功を奏した説、
水手、梶取の非戦闘員を殺すのは掟破り説も、
潮流は勝敗の要因にはなりえない、水手、梶取を殺したのは勝負が大方ついた後、しかも非戦闘員を殺すのは普通にあったことであり掟破りとは言えないこと、
なども諸本を検証しながら、筆者は指摘していく。

また、屋島の戦いは本当は小規模な戦いだったのだが、平家物語では多くのエピソードが語られ、かつ、異本により順番も異なってばらつきが大きい。
有名な那須与一の扇の的の場面は夕方なのに、そのあとも戦闘が続くように書かれ矛盾も目立つ。
ただ、平家の権威を失わせた転機として屋島の戦いは重要だったのであり、その歴史的意味の大きさから
合戦叙述が膨らんでいき、数々の物語を呼び寄せた、のであろうことを、筆者は指摘する。

源平の戦いはその大きさゆえに、「平家物語」は多くの語り手と多くの物語を呼び、さらに様々立場から叙述されてきた。
その感動から様々な解釈がなされ、諸説を生み出すに至ったが、それが真実かどうかはまた別の課題である。


つまり、平家物語は、多様な物語(記事)の集積なのである。

勝者の目線で語られる場面もあり、また、敗者の目線で描かれていたり、第三者の目線で書かれたと感じられる場面もある。
信濃前司行長が琵琶法師の生仏に教えて語らせたと『徒然草』には書いてあるが、
「武士のこと 弓馬の業は 生仏、東国の者にて、武士に問ひ聞きて書かせけり」とあるように、
貴族の行長では描けない箇所の問い聞き、によりさまざまな立場の人の語りが、埋め込まれていったのだ と筆者は言う。

また、目線だけでなく、内容としても、多様である。
曲芸やパフォーマンスのような超人的な武士の活躍が主になる場面あり、
実際経験したものでなければ分からない描写、地の利に詳しいものでなければ語れない情景も描かれ、
だまし討ちのような卑怯な戦法、裏切りも多く描かれ、
一方では、堂々たる戦い、人の生のはかなさ、人生の無常を感じさせる話も盛り込まれている。
鎮魂の意味合いが濃かったり、先祖の名誉譚として語り継がれてきたと思われる部分もある。

繰り返しになるが、源氏と平家の戦いは、日本を巻き込む大きな戦いであり、
驚きと恐怖と悲しみを多くの人に共有せしめた。
その点で、平家物語は単なる勝者による記録としてではなく、多くの人を巻き込んで、
鎮魂の意味も含めて、多くの人に見直され続けて出来上がった文学なのだろう、と筆者は指摘するのだ。
そして、平家物語ができたのちも、その場面から派生してできた文学(能、幸若舞、歌舞伎など、新しきは子午線の祀りなど)が創出されてきた。
『平家物語』は今も文学を生んでいるのだ。

重ねて言うが、平家物語は1人の作者が少しずつ書き足して創作したものではなく、
最初から様々な資料が集められ、諸物語がパッチワークのようにつなぎ合わされできたものと考えられている、のだそうだ。
そして、多様な目による見直しを抱えながらできている、ということだ。

自分としては、佐藤兄弟の活躍、教経最期、忠則最期、木曾最期、知盛のセリフなどが心動かすし、
教科書で教えてきた敦盛最期、那須与一の扇の的なども感動と共に教えてきた。
だが、考えてみるとそれだけではない。
この書を読んで新たに感じることもあった。

例えば、平家の有力な家人、阿波民部重能の裏切りも、その子、田内左衛門教能(のりよし)が捕虜になったことが大きい。
知盛は重能の裏切りを恐れ、決戦を前に斬り捨てることを進言するも、総大将の宗盛に聞き入れられず
これが平家の致命傷となり、平家側の作戦はすべて源氏方に漏れ、
敗色が濃くなるにつれ、雪崩を打つように離反者が続出していく。
壇ノ浦は初めから負け戦なのである。

宗盛よろしく、冷酷に斬れないのも人間の性だ。
また考えてみれば、戦いのテーマは,常に「生き残り」である。
当事者以外は、戦いは迷惑なことも多く、
どちらにつくのが利が多いか、どちらにつくのが生き残れるか
で悩むのだ。
勝ち馬に乗ろう、として悩む姿を今もたくさん見るし、敗色が見えると離反者が増え,一気に瓦解するのも今も同じだ。

そんな感慨も新たにした。

なお、これは自分の選挙では全くありません。自分の選挙は支援者の多くはこれまでの実績を見て、勝利を確信していた様子でした。
 勝ち馬に乗ろう、とする人もいませんでしたが、離反者などまったくいませんでした。
 ただし、統一教会や県議会の虐待防止条例など、私には全く無関係なことに対し、悪意をもって関連付けされ喧伝されたことで、離れた人は一定数おられたと思いますが・・・。

文学研究の本を読むのは40年ぶり、大学時代以来であった。
文学研究は先人による定説を踏まえ、あるいはそれと比較検討を重ね、自分の論を展開するのが1つの型である。
この書を読んでいて、自分もそういう展開に懐かしさを覚えたのだった。
が、一方で、その引用される説が(高橋昌明2021)(近藤好和2005)など、まさに最近の説だという点には 驚きを禁じ得なかった。
(私が学生時代習った日下力先生の研究も引用されていて、その点は快かった!)

私が大学にいたころの文学研究に引用されるのは、戦前、または1960年代までのものが大半だった、と記憶している。
が、それから約半世紀を迎えようとしているのだった。 
時は前に進んでいるのだ。

また、文学研究が今も進展、発展していることにも驚いた。
学生当時は、「古典などの研究は、新たな文献が発見されない限り、もう十分研究しつくされ、新説や新発見を生み出す余地なんてない」ものと考えていた。

だが、この40年で、新たな説は着実に展開されてきたのだった。
そのことにも驚嘆した。 研究とは、地道で静かで、でも着実に前に進んでいくものなのかもしれない。
自分にとってのこれも新たな感慨であった。

以上が、『平家物語 戦争はどう文学になるのか』 の 読後感 であります。


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小田実『円いひっぴい』

2025-04-28 18:08:37 | 本・映画など

円いひっぴいを読み終えた。

読み終えるのに時間がかかった。 
小さな文字でびっしり500ページ超。
万年係長の安井敏雄氏の語りによって当時の日本の庶民、世間が生々しく描かれている。

当時の日本(1971発表)は、戦前から戦中の体験をした多くの大人たちがいて、言い分がある中で、負けた屈辱を抱えつつ、
少なくもアジアの中では一番に這い上がったプライドで支えられつつ生きていた。

その状況がまざまざと感じられる小説だった。
少なくも現代の様ではなかった。(戦争を悪とし、民主主義や自由を当然のこととして受け入れる優等生的な態度ではなかった。)
ポリティカリーコレクトもコンプライアンスもまだ出現していない、人間むき出しの生がそこにはあった。
熱くムンムンして湿っていて、それでいて優しく厚みのある社会だった。

『円いひっぴい』『冷えもの』『羽なければ』は差別に関する三部作だ と小田実は言っている。
『円いひっっぴい』で扱われた差別は、黒人や混血児、敗戦して米軍人との間で生まれた混血児(あいのこ)に対する人種差別だ。
それを世間を描くことで表現していた。
ただ、3部作のどれをとっても、小田実は、おどろおどろしい表現ではなく、「にんげん」小説と言ってしまえるほどに愛すべき人間たちのしどろもどろが描かれていた。
(小田実はそれを政治小説と表現する)

小田実は、『円いひっぴい』に添えたあとがきで、


小説とは、曰く、言いがたしを書く。
どう書いてもよい。自決は民族にとってだけでなく小説にとっても必要なのだ。だが、それはなかなかしんどいものだ。
書き終えるのに7年かかった。バンコクの蒸し暑い宿屋や銃声響くベイルートのホテルの薄暗い照明の下でも書いた。

・・・大阪のばやき漫才。あれも曰く、言いがたしを語っている。
どん詰まりのところだから、ぼやくしかない。

と。また、

本来、大阪弁は実生活の言葉であり、思想を表すには向かない。しかし、思想は生活と離れてはいないはずだ。
ゆえに主人公の安井敏雄を大阪弁でぼやかせることによって、思想と生活の一体化を図った。

というようなことを書いている。

だから、三部作ともその大阪弁ボヤキスタイルで描かれているのだ。
また、言いがたしを書くからこそ、『冷え物』発表後には、べ兵連事務所乱入事件まで起きてしまったのだ。


さて、〇〇氏は巻末の講評で次のような指摘している。

小田実は知識と行動をもって生きた戦後人の代表者であるが、その過程において、きっと世間(その難解なる存在)に対峙し、難渋したことだろう。
そういう、一筋縄ではいかない「世間」の持つ本質を描いて見せたのだ、と。

そうなのか! 小田実自身が世間と対峙してきたのだ!


世間は、いつも大真面目で、保守的で、常識的で、まとまっていて、体裁を気にし、安全を好み、損得高く、時にずる賢く、そして、忘れっぽいものだ。
正論で挑んでも、暖簾に腕押し、反応が無かったり、壁が出来たり、得体が知れぬものなのかもしれない。
小田実が思想し行動をし、熱く訴えるたび、寂しい反応が世間から返ったのかもしれない。

世間はなかなか変わらない。しかし、気づかぬうちに少しずつ変化していく。

当時のあからさまな人種差別の感覚も、いまは格段に是正されている。
表面から潜っただけ、という人もいるかもしれぬが、それでも当時に比べれば、格段に是正され、姿を消した、と僕は思う。

ただ、執筆後55年たっても変わらないのは、やはり「世間」の持つ保守性ではないか。
なお、保守性と言っても思想を保守するのではなく、保守する対象は自らの身、つまり、保身性なのではないか。
僕はそう感じるのである。


以下、円いひっぴいと安井敏雄の会話から (まじめでずるい、愛すべき世間についてこう表している)

ひっぴい)オッチャンはな いつもようけいはるほうにいはったからや。ようけいるほうにいつでもいはったよってそう言えますねん。

ようけいはるほうが世の中ですねん。そのようけいる世の中がことをきめますねん。浦松はんが犯人やいうてきめはりますねん。

またたまたまそうでなくなる場合もある。またようけいるほうになりはるときがある。
そしたら、言いはりますねんな。もうすぎてしもうたことやないか。そう言いはりますねん。


安井敏雄)「ようけいるほうといはらんほうはどこで区別がべつがつきますねん。」

ひっぴい)それは簡単ですねんと・・・芸当するほうがようけいはらんほうですねん。芸当見てはるのがようけいるほう・・・

安井敏雄)「(ようけいはらんほうが)芸当せんと生きられんようになる。」・・・「ほかに方法ありませんか。」

ひっぴい)ありますねん・・・・・たたこうて・・・叩きのめす、殺す・・・

安井敏雄)いまもそう思っているのか?

ひっぴい)芸当やめたからですねん。・・・芸当やめたら、ようけいるほうもへちまもない。芸当やっているからようけいる方が気にかかってよけい芸当をやりますねんな。

安井敏雄)「芸当やめたら⇒⇒⇒ようけいるほうがおらんようになる」

ひっぴい)それはいますねん  ようけいはらんほうが芸当やめはったら、ようけいるほうが気にかからんようになる

戦中、食糧難で動物園のゾウが餓死させられたという。ゾウは餌をもらおうと必死に芸当をして見せたという。でも、与えられるエサはなく、結局餓死させられた。
一番懐かない悪さをするゾウから餓死させられた。他の二匹は素直なゾウで必死に芸をして見せた。しかし、そのゾウも結局は餓死させられた。
そのエピソードを念頭に、差別する方とされる方について、語っているのである。

 

 


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『都市の緑は誰のものか』 吉永明弘・太田和彦 編著

2025-04-15 13:20:33 | 本・映画など

実際に勉強会でお話も聞き、また、法政大学での公開発表にもうかがった吉永先生の本を読んだ。

この本の副題にはこう書いてある。

人文学から再開発を問う と。

神宮外苑の再開発をきっかけに、巻き起こった論争。

都市計画、環境学からの議論は百出しているが、いまだ人文学からアプローチはない。

ゆえに人文学からのアプローチを試みる。

そう提起されて編まれた本だ。


まず、 まえがき は ゴッホの絵を所有者が燃やしてよいか? から提起される。


それは個人の所有物を超えて みんなのもの である。ゆえに答えは [否]であろう。

翻って 都市にとって重要な場所や景観 は どうであろうか? 

人々がそこに愛着や郷愁を感じ、また、誇りを感じる。なくなった場合の喪失感 を抱く。

そういう場所や景観も みんなのもの であり、価値があるのではないか、と。

それは みんなのもの たり得るのだろうか?

再開発は 土地の所有者の自由 なのか? 

みんなのものだとしたら、みんなとはだれか?

それは 今それを利用している人々であり、それをつくり、育ててきた今までの人々であり、将来世代の人々であり、

また、人間以外のいきもの もみんなに含まれるのだ。


    役所近くの樹冠の広がったケヤキ並木

そこから 特に 都市における緑 について論考は絞られていく。

その緑は伐採するが、替わりに他の場所に植樹するからいいじゃないか!(mitigation)

開発側が、よく言う主張である。

確かに みどりの「機能的価値(二酸化炭素吸収、気温上昇緩和、延焼防止・・・)」だけを考えればそうかもしれない。

しかし、「関係的価値」まで含めたらどうか?!

人間には「欠けがえのない存在」という感覚がある。

欠けがえのないもの それは代わりに作るからよい、では済まされないはずだ!

開発側は、その考えを近視眼的だと批判する。 それは容易なことである。しかし、その批判は一方で道徳を損なうものでもある。

そう吉永先生は指摘するのだ。

そして、理由をこう続けるのだ。

人は職場において お前がいなくても替わりはいる と言われたら その人の尊厳は傷つけられるだろう。
(仕事は近年、職人性から脱却し、いかに代替可能にシフトするかがテーマではあったのだが・・・)

人も場所も景観も、「その」人・場所・景観が焦点となった瞬間に、代替化は慎重でなければならなくなるのだ、


そういわれて自分もはたと立ち止まった。

というのも、
代替可能性オマエノ替ワリハ イクラデモイルは 現代社会がもつ人を幸せにしない病理の一つ、と最近ずっと自分は感じてきたからであった。 
(それは自分が様々なバイトをしてきて現代の仕事につくづく感じてきた実感であった。)

歴史とか言い伝えとか物語とか(過去からの関係)郷愁とか愛着とか誇りとか(今の人々との関係)

緑の場合は、さらに未来の人々との関係や他の生き物たちとの関係(生態系)を考慮してよいのだ。

いや考慮すべきものなのだ。

この本はそう自分に語り、励ましてくれたのであった。

  写真は 昨日の中央公園のみどりとケヤキ並木

以下備忘録

・都市計画は  ここに〇〇を建てる だけでなく、ここには何も作らない ことを定めるものである。
・ドイツでは昨年7月より 気候変動への分析と適応計画、モニタリングが義務化された。
・ハンブルクでは降雨の6割を都市内に保水する。フランクフルトでは新築は屋上又は壁(地上3mの半分まで)は緑化が義務に。
・世の中は、スクラップアンドビルドからリユース型再開発に流れは来ている。
 ある市のラガープラッツという工場跡地の例。
 活用案が決まらず20年間テンポラリーユース(一時賃貸)に任せたら、安い家賃ゆえ若い人々が集まり、魅力ある場所になってしまった。
 運動がおこり、そのまま存続となった。 

スポンジシティという考え方が隆盛してきた。(水循環を最適化する考え=緑の気化・緑陰、街路樹増やす、土に戻す、浸透、貯水して再利用)
マルチスピーシーズ都市(多種が生き、生きられる都市)という発想。

・環境美学は、ある環境の連続性の感覚を大事にし、場所の物語を聞き取ろうとする学問。
・都市とはstrageness(驚き)と attachment(愛着)がある場所である。
・都市はしかし異常なほど日常の時間が速く進む。余暇もまた商業的に作られた労働(消費)になってしまった。
 そんな中、自然はそこから隔離させ、ほっとさせてくれる存在だ。人はそこに本当の自由を体感するのではないか。
・時代は、今 バイオリージョナリズム(生態系)>(不等号) コロニアリズム(人間中心の考え方)である。
・順応的ガバナンスによる環境保全 ・でも自然は無くなったら取り戻せない!
・世界の人口の55%が都市に住んでいる。日本でも今生まれる3人に1人が首都圏生まれである。 だからこそ、都市の在り方が問われるべきなのだ。

結論)ではどうすればよいのか?!

1、市民参加との協働を促す 2,制度や計画に「自然の関係的価値」を明記する 3,緑地に対する多様な価値を共有する
4,人々の記憶や物語に緑をきちんと結び付けていく 5,評価する方法を確立する(人々の記憶を物語の形にする、GISを用いて「愛着」を可視化する)
6,多様な主体が協働できる接点を意識的に用意していく

そう書いてあった。(宇沢弘文の社会的共通資本には、そこに 専門家の職業的知見と倫理観 が加わってくる

※)所沢市で言えば、1,3,6はもちろん意識してやってきた。

が、5はできなかったし、2は口酸っぱく言い、プロジェクトチームも作って職員一同で共有に努めたが、でも残念ながら明記まではいかなかった。

そして、次期政権によりその価値は軽んぜられ消去され、風前の灯にされてしまったように見受けられるのである。

堀口天満天神社周辺の緑の保全の際、田んぼを公有地化したの6であるし、カルチャーパークを考える会の活動等は1であろう。
また、私は勝手に物語を作って、それを宣伝していた。
それは、期せずして川を介在して同時多発的に起こった保全活動についての物語であった。
それは、「柳瀬川の最上流をきれいにする会」や「ふるさと創生の会」、「ミヤコタナゴ保存会(これは古い)」の活動であり、
上新井地区の「東川のホタルを呼びもどす会(名称不正確)」の活動であり、安松地区の「柳瀬川をきれいにする会」および、「アユ放流する活動」
や牛沼地区の「東川で生き物観察の活動」であったりするのだが、
発起したのはいずれも団塊の世代の人々であり、
思いは一つ「昔子供のころは〇〇がいた」→「これからの世代にそれを復活してやりたい」という願いであったのだ。
だから、その願いを消すことなく、この10年間が勝負、市もその心意気に呼応して「未来を見つめ 今を動い」ていきたい、というものであった。
ホタル おおむらさき タマムシ ミヤコタナゴ 鯉から鮎へ(恋から愛へ) - ガッツ藤本(藤本正人)のきょうのつぶやき

この本『都市の緑はだれのものか』の終わりの方には次のような指摘もあった。

都市計画や科学や環境学は「一般化・法則」を見出す行為、つまり、誰にでも当てはまる(替わりの効く)システムを求めるものであるが、

人文学は逆に 「替わりのない唯一の個」に焦点を当てていく行為であり、

つまり、人文学は 都市計画の面で言えば「この町」「この場所」「この木」の個別性を追究するのに適している、のかもしれない、と。






 


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『酒を主食とする人々』 高野秀行 著

2025-03-26 12:07:18 | 本・映画など

図書館から連絡が来た。予約していた本が二冊入った、という。

一冊は 順番待ちがすごい本『酒を主食とする人々』、
もう一冊は 他市の図書館から借りられて来た本『都市の緑は誰のものか』である。


どちらも返却は4月3日まで、との条件。

だが、『円いひっぴい』がまだ読み途中である。どうするか?!

そこで 本のトリアージをして、『円いひっぴい』をあきらめ、

人気本の『酒を主食とする人々』(高野秀行著)に取り掛かった。。

冒険家、高野秀行。彼にテレビ局から電話が入る。
クルーが同行し、費用は出しますから、番組としてどこかに行きませんか?
テレビ番組「クレージージャーニー」からの誘いである。

ならばと高野が選んだのは、南エチオピア州にあるという「酒を主食にする民族」への旅であった。

コンソ民族とデラシャ民族、ともに山岳部に住み、平地から追いやられてそこに住み着いた人々。

なぜ、酒なのか。

とれる作物は豊富でないし、発酵物こそ腐らない。火の必要もない。

つまり濁り酒の方が栄養豊富で安全な流動食なのだ。


コンソにある酒はチャガ、デラシャではパルショータと呼ばれる。製法成分も少し違う。

パルショータの方が少し濃く、発酵した酒母ソカテタを育て、それを切らさぬように各家庭で保存している。
日本の味噌と同じだ。

時に水で薄めながら、老いも若きも幼きも妊娠中でも酒を飲むのだった。

それも、アルコール度4~5%のパショータを1日に数リットル
ヒョウタンを半分に切った器を両手でささげて暇さえあれば飲んでいるのだった。


酒のつくり方は、

①アブラナ科のブランゴの葉と茎を石でつぶす。(これが野菜代わり)

②刻んだブランゴをソルガムという植物の粉で覆い、3日間発酵させる。

③別のソルガム粉を混ぜて1週間発酵させる。

④それを石うすで練りこんでから1か月発酵させる。
こうしてできる緑色の練り物が発酵物「シュッカ」

そのあとは、

⑥シュッカをもとにしてさらにソルガム粉と水を混ぜて練り、ソフトボール大の球にして煮込む(糊化)
⑦煮込んだ後はつぶして、室内で広げ、またソルガムの粉をかける。(この粉にも酵母菌がついている)                               
⑧それに麦芽をふりかけ「糖化」を促す。
⑨一晩建つと酵母菌が糖分を分解してアルコールを含んだ液体=酒の素=酒母ソカテタができる。

⑩酒母ソカテタに水とソルガム粉のペーストを加え、さらに一晩おく。 
⑪それに水を加えるとアルコール パルショータが出来上がる。

特にデラシャの人々は、固形物はほとんど取らず、甘酒のような酒を主食にして一生を送っているのだ。
それでいて、体は大きく筋肉も強い。

日本の味噌も発酵食品、納豆もそうだ。昔の家は 糠床を持っていて、それを切らさぬように保存していた。

2つの民族が酒を飲むのも、日本人が味噌汁を飲むのと同じ意味合いがあるのだろう。

妊婦(左下)も 5歳児(右下)も酒を飲む

本の終わりに添えられた エピローグ がまた考えさせられた。
以下、そのまま記述してみた。

「彼ら(デラシャやコンソの人々)は決して「遅れている」わけではない。「自然と共生している」わけでもない。
コンソ人もデラシャ人も強烈なデベロッパーであり、自然を作り替え、コントロールしようとしていた。
酒を主食とする食生活もやむを得ずそうなってしまったのではなく、意識的につかみ取ったものだろう。
その意味では現代の日本人や西洋人と同じだ。ただし、「進んだ方向が違う」のである。だから、西洋文明が世界基準となってしまった今、「遅れている」ように見えるだけだ。
私は前から西洋文明に席巻される前は他にも進んだ文明があちこちにあったはずだと思っていたが、今回コンソ・デラシャを観たことで確信に変わった。・・・(中略)・・今現在、その反省からか西洋人は「多様性」なる概念を世界に広め、新しい価値観にしようとしているけれど、本当に「多様性」を理解しているのかと、ときどき疑問に駆られる。
その最たるものが昨今の飲酒に対するネガティブな態度だ。2023年にWHOは「アルコールは少量でも健康に有害」と明言した。、(中略)、、、それはおかしいんじゃないか。デラシャの人たちの生活を見たらそうとしか思えない。まず、一言で「飲酒」と言っても、飲酒している人の食生活全体は何も言及されない。もし、飲酒に害があるとしても、それはつまみに塩気の強いものや脂っこいものを摂るせいかもしれない。・・・(中略)・・・だいたい、イスラム圏を長く歩いている私には単純に酒を飲まない生活が健康にいいなどとは到底思えない。イスラム教徒の中には、酒の代わりに頭が痛くなるほど甘いお菓子を食べ、お茶を飲んでいるのか砂糖水を飲んでいるのかわからないようなチャイを一日に十杯以上も飲み、これでもかと油を入れた料理を食べている人が少なくない。私のイラクの友人は「イラク人はだいたい、高血圧か糖尿病で死ぬ」と言っている。・・・(中略)・・・デラシャの人たちは油を摂取しない。砂糖もほとんどとらない。塩分摂取も少ない。もっと言えば、固形物の摂取量が少ない。もし本当に飲酒がよくないとすれば、甘いものや脂っこいものや塩辛いものをたっぷり食べ、肉も魚もたくさん食べ、そのうえで酒を飲むからではないか。そういう「全体」を見る視点が現代科学では決定的に欠けているように思える。・・・(中略)・・・彼らは科学がまだ達していない「未知」の領域にいるのだ。西洋文明の方がこの点ではまだ「遅れている」。  


このコメントは確かにそう思った。いろんな価値の中で西洋の価値が世界を席巻しているが、全てがそれで良いわけではないし、それは押し付けかもしれない。今は「多様性」という一途な価値観が強制されているのかも。価値はいつも軍事力と共にやってきて、その土地と人々の心を占領した。
だから、その動きに無批判であったり盲目であってはならないのだと思う。
我が母校、川越高校などの男女別学高校を「多様性(男も女もという思想)」を理由に廃止しようとする動きも思い出される。

追伸:一昨日、所沢市議会が終わったようだが、また、議会として恥ずべき、陰質な仕儀があったようだ。
   赤信号 みんなで渡ればこわくない・・・議会を伝えるマスコミがなくなって久しい。 憤りを覚える。

 

 

 


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ただいま、つなかん  

2025-03-17 17:04:30 | 本・映画など

起きてみれば きのうからの雨が降り続いていた。

ということは、今日は任務が無くなったということで、

家にいるのはもったいない。 映画に行こうと傘をさして外に出た。

ただいま、つなかん

つなかん とは、気仙沼市唐桑町鮪立(しびたち)にある鮪御殿のこと。

この漁港は、昔 遠洋漁業で栄えた港。漁師たちは豪華な家を競い建てたという。

しかし、東日本大震災で津波を受け、解体を余儀なくされる。

それを惜しんだ主の奥さん 菅野一代さんが、学生ボランティアたちの宿所に提供し、
そこを舞台に多くの学生たちが寝食を共にし、活動を重ね、親交を重ねた。
「つなかん」とは、その宿所のことである。

いつしか、学生たちはそこを「ツナ(鮪立)かん(菅野)」と呼び、一代さんも建物を民宿として出発させる。
若者たちは、「つなかん」を絆と青春の原点、心のふるさととして 活動後も何度も再訪し、何人かは唐桑に移住し、所帯を持つ者も出てくる。
そこには、つねに 気丈で前向きで 元気で きらきら輝いている菅野一代さんの存在があった。

菅野一代さんと家族、学生たち、地域の人たち、

震災直後に取材に入ったテレビ局が 彼らの姿を その後も定期的に取材したことで、10数年にわたる記録となった。

だから、映画というよりドキュメンタリーなのであるが、

菅野一代さんのひたむきさ、明るさ、強さ、そして、輝き と それでも襲ってくる運命の酷さ、

神はなぜそこまでするのか?! とずっと考えた。

神はそれに耐えられるものにしかそれを課さない というが、そんな言葉 現実の前に吹き飛ぶしかない。

劇よりも劇的な運命に翻弄されながらも、


いのちたちが どうあらがい どう支えあって カガヤいていくのか!? 

いのち のあり方 を映した(描いた ではない)映画であると 僕は思った。

ただいま、つなかん3月16日(日)~22日(土)田端 シネマ・チュプキ・タバタ上映中
       『ただいま、つなかん』 映画情報  YOUTUBE 映画『ただいま、つなかん』予告編

民宿 つなかん ホームページ 唐桑御殿つなかん


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『不揃いの木を組む』小川三夫著

2025-03-10 12:28:14 | 本・映画など

小田実の『円いひっぴい』を図書館に借りに行って

ふと横を見たら、返却されたての本のなかにあったので読んだ。

宮大工の棟梁が語る、仕事と弟子育てのお話だが、内容が深い。

職人を弟子として働かせるのと学校教育とが度々比較されて語られる。


器用・不器用)
・器用は深くない。 深く考えねばならないとき、器用な奴は 器用に他のことを考えてしまう。
 長い時間で考えれば器用もクソもない。
 ゴールが長いと器用さだけではだめだと分かる。
 十年、二十年ということは少しばかりの器用さなんて影をひそめる。

・不器用の一心 というものがある。斧を研いでいたら針になった、それが大事。

・芸事の世界は鈍が勝ち(西岡常一棟梁のことば)

不揃いの方がいい)
・十年共に仕事をし暮らしていれば自分のレベルがわかる。
 集団で生活していると全てがバレルる。嘘もつけない。
 鵤工舎では いろんなレベルの職人が働く。  ※ 鵤工舎(いかるがこうしゃ)・・・小川棟梁の会社、みんな共同生活。
 大きな仕事をするときは、不揃いの方がいい。

・小川さんの「鵤工舎」は複式学級のようなもの。 
 でも、不揃いが「総持ち」で支えあう。
 大勢を育てるときは不揃いなのがいい。
 同じレベルばかりだと我も出るし、分裂したり、力を発揮しなくなる。

追究)
・どこで仕上げとするか?! 自分がいいと思うまで、そこで何か分かったと思うまではやっておかねばならない。

・うまくなる時は一気になる。

・基準というのは最低の規則なのに、それが目標になってしまう。

時間軸)
・花はゆっくり咲くがいい(小川三夫棟梁のことば)

・立木は寝かせる(乾燥させる)うちに建物になる木に命が移っていく。人材育成も寝かせる時間があっていい。
 ゆっくりでいいから少しずつすこしずつでいいから前へ、と。

・カリキュラムにそって時間の中で効率的に教えるのが学校だが、宮大工の修業は長くも強いものを作るのだから、
 長い期間を通して 自らまねて、身に着ける。
 順序なんてない。その時の仕事が 学ぶこと そのもの。
 
・学校では3年の間にカリキュラムにそって教え、期間が来れば卒業させる。一人一人の特色なんて関係ない。
 そこで、器用な子が重宝される。器用さが助長されて人間として良いことはない。浅くなりがちになってしまうから。

その他)
・徒党を組むな。修業は自分のものだ。

・丁寧にやれ。だが、バカ丁寧ではだめ。手垢がついて汚くなる。

・腹を立てて怒るのはいいことだ。
 あきらめて、まあいいわ、と怒らなくなる方が悪い。
 こっちにも向こうにもためにならない、すすまない。いい仕事もできなくなる。



前回 三部作を読んだ時もそうだったが、目から鱗が落ちるというか、
その子のスピードに応じてじっくり習得させ、よいものを作り上げることに重きがおかれれば 対し方も変わるというものだ。
世の芸術作品も どれだけ速く描いたか、書いたか、なんて評価軸はない。
林業の世界も 100年後を想像して、 今、木を植える。

我が子が通った新所沢幼稚園でのこと。
園児の絵がみんな芸術的ですごいので先生に聞いたところ
「じっくり描き終わるまで描かせてあげるから」とのお答えだったのを、今思い出した。

生業(なりわい) とか お金 の評価軸 が入ってくると、塩梅 やら 器用さ が重宝され始める。

学校も 教えるしごと に成り下がっている。
本当は、じっくり、その子のよさを生かして、伸ばして上げられればいいのに、と思った。

前回の

三部作についての読後感 『木のいのち 木のこころ』天・地・人 、『娯楽する郊外』 、『「あの世」と「この世」のあいだ たましいのふるさとを探して』 - ガッツ藤本(藤本正人)のきょうのつぶやき

 



















 


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小田実 『冷え物』 『羽なければ』 『ある手紙』 『XYZ』

2025-03-05 21:06:27 | 本・映画など

『ガ島』を読んで、もう少し小田実を読みたいと思った。

『冷え物』は大阪の戦後の庶民の、まだ貧しい生活を描きながら、差別 特に朝鮮人差別を中心に同和差別も含めて

生活の中で、市井の人々は、許されざる「差別」に対し、どう理解し、どう受け止め、どう過ごしてきたのか、

その姿を描き出し、

その中から表面と内面、虚と実を暴いて、えぐるように問うた 
にんげん小説であった、と思う。
(のちに書いた『ある手紙』の中で小田実は 
 『冷え物』のなかで、私が描き出そうとしたことは、・・・さきに述べた「善良な」人たちのあいだにひそむ差別でした。 
と述べている。) 

『冷え物』は1969年に雑誌で発表されたのだが、

小田実だからこその姿勢、あえて明らかにして書く作法は、一方で、差別を助長してしまうかもしれぬ危険性も持つ。

問題とされ糾弾され、べ平連事務所が襲われたりする中で、

小田実自身もその批判を深く受け、差別される側の批判(土方鐵による「『冷え物』への私の批判」)と共に、

考えを表したのが、『ある手紙』であった。

『ある手紙』(1971)において小田実は、

差別の現実に触れないよう距離を置く、の
ではなく、積極的に反差別のための文学を表すべき

と考えを述べ、

それでも、差別される側が何に傷つくのか、もっと真摯であらねばならなかった、と記す。

そして、差別される当事者側としょせん外部の者でしかないものとの差、その懸隔にぶち当たり、逡巡する。

いや、懸隔の存在はとっくに意識ずみだったが、指摘されるとそこでとどまらざるを得ない、ということか。

書けば批判があるやも知らぬ、分かっている中 敢えて書くか、留まるか、

小田実は気質としてやはり前者でしかありえなかった。

そこが小田実の小田実たるゆえんだと 私は思った。

『羽なければ』も、小田実によれば同じテーマの3部作(もう一つは『円いひっぴい』)とのことだったが、

むしろいろいろありの人間だもの という小説に私には思えた。


そして、『XYZ』

1997年の作品だけあって、国連平和維持軍まで登場する。   

主人公の老人は、高級住宅街、芦屋に出たイノシシを撃ちに行って、火縄銃の暴発で大けがをして意識を失う。

意識を失う中で老人は様々な時空をさまようことになる。

東西の対立時代 ナチス時代から冷戦対立まで ベルリンの壁 アウシュビッツ収容所の壁

ギリシャの市民都市国家時代 ポリス国家「アテナイ」の理念とその内実 「メロス」国家の制服

それを「壁」を象徴として出現させ その対立と怪しさを描いている
(前者では「ベルリンの壁」など、後者は「定住外国人」としての市民との「壁」) 

また、
自由とか民主主義とか はたまた平等とか、そういう崇高な理念を掲げ 押し付ける「体制」の傲慢、人間のいい加減を暴く。
(描写の中で東ドイツや西ドイツ、東西対立、そしてアメリカが想起させる。また、日本も登場し、うまく立ち回る。)

でも、なんやかんや言ったって内実は、
結局、[
殺す、さもなければ殺される] のループにはまって、人類はずっと戦争をしてきた、のだ。

そこで小田実は、
その無限ループから抜け出して、「コ・ロ・ス・ナ」(と自身に課す)ことに
しか 道はないのではないか

と コロスナ童子を登場させて、提起するのだった。(日本国憲法)

しかし、こちらは良くて、あちらは悪い、と言って胡坐をかいていれば、その「壁」も安泰ではない。

ギリシャの世の夢から老人が目覚めてみると、そこは戦場であり、日本の国際平和維持派遣軍が戦っていた。

老人は野戦病院にいて、病院に引き取りに来た家族とともに「平和の壁」の向こう側 平和・安泰の地に飛行機で向かったのだが・・・、

頼りにした平和の壁はすでになく、そこも戦場と化していた。
(平和の壁には残念ながら コロスナ ではなく、「この「壁」を外からなかへ入ろうとする者は殺せ」とかいてあった。)

殺すのはダメだ、人間が全うすべきは生老病死を全うすることだ、

と悟った老人であったが、時すでに遅し、黒焦げの躯(むくろ)となった猪たちにかみ殺されてしまったとさ、というお話。
(きっとそのイノシシは老人が撃ち殺したイノシシだろう)

なんか警世の本であった。  警世といえばエンデの『モモ』にも似ていた。


『XYZ』まで小田実の本を読んで、総合して今、感じること。 それはこんなことだ。

混沌(こんとん)、有象無象・・・いろんな言葉があらわせるだろうが、

創成期の、原初の、または、戦後期の 人の社会は、ナンデモアリの、ある意味人間臭い時代だった。

その中から先人は、悩み、考え、葛藤を経て、より「よい」社会を作ろうと苦心惨憺してきた。

そういう繰り返しを経て、 正しくないこと、よくないこと よごれ は整理され、社会から排除され、

社会はより「よく」変化していくものなのだと思う。 キレイになっていくものなのだと思う。

ただ、それは自分で深く考えて自ら悩み、汗かいて葛藤を経て 産み出していくものなのだ。

借り物ではならない。

翻って、現代の社会、

社会がより「よく」なる過程で、そのわけを自分の頭で深く考えなくなり、

キレイだけど浅い社会になってしまってはいないだろうか。 

葛藤を忘れ、油断をすれば 元の木阿弥 そんなことを、『XYZ』まで読んだ後に、私は思った。

(全然違う話ですが、UR(公団)は僕はとっても敬意をもって都市づくりを見ているのですが、今やっているCMだけは
ちょっと引っかかるのです。
更新料が ナシナシ のCM ではなくて、・・・が はきはき(掃き掃き)というCM。
本来は、敷地を掃除するのは住民であるのに、当然のこととして
他人を雇って掃除してもらっていること。
考えてみれば、すべてのマンションもそうなのだが、自分の手を汚さず、人に委託すること。
それでキレイを確保しようとしていること。 金を出して他人(ひと)ごとにする。
いまは社会みんなそうなっているが、こんなことにも社会の危うさを感じるのです。)



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小田実 の 『ガ島』 を読む

2025-02-16 17:04:05 | 本・映画など

べ平連の人としてしかあまり存じ上げなかった小田実の『ガ島』を読んだ。
(中高の国語のじかんにはよく「みのる」ではない「まこと だぞ」と先生が言ったものだった)


329ページが細かい字でびっしり埋め尽くされて、

縦横無尽、空前絶後、満身創痍、荒唐無稽・・・でも史実が基にあり、

寄らば斬るぞ、実は大真面目な にんげん小説であった。

小田実自身は まえせつ において これを「政治小説」と呼んでいる。

書いた動機が政治的なものであり、そこに人間のあらゆる情念が表れているから であろう。


ガ島 とは 餓島 であり、蘭英米仏に占領されていた南方に日本軍が進出し、米軍に全滅せられた南洋の島、ガダルカナル島のことである。

武器と食糧の補給を絶たれ 米軍の機銃と爆撃に倒れ、

ある者は餓死し、ある者はマラリアに倒れ、2万人の日本兵が白骨と化したガダルカナル島である。


ひょんなことからその「ガ島」にレジャーランドをつくる計画に巻き込まれ(自らもその気になって)、

人の汗と豚の脂、鬱蒼たるジャングルの雨と湿気と泥にまみれながら、

遺骨収集、慰霊塔建設、なんといってもレジャーランド建設のため、倒(こけ)つ転(まろ)びつ進んでいく

「にんげん」 を描いた小説であった。



主人公は空襲を知る大阪商人の中年男、

「うまいで、安いで、ワッハッハッ」テレビ宣伝でも有名なとんかつチェーン西川の社長であり、

この小説の大半は西川氏の大阪弁で展開される。

また、西川氏と妻の妹キヨ子はともに南洋で父を亡くした、空襲の経験を知る戦争遺児。

そこに日本軍の軍属だった台湾人で今は通訳の陳氏、戦争を知らないかっこつけの野心家の中島、ドイツ人の若者ヘルマン、

さらに、ガ島側からは、戦争に巻き込まれた原住民(土人)の大酋長、戦後生まれの息子で英語も話すシメオン、

呪術師(カヤ)のメダイ婆ちゃん。そして、計画成就のために西川隊一行
に派遣された4人の原住民
(西川氏命名によるプレイボーイ、一言居士、モクモク人間、くたびれ中年男)が、

それぞれの個性を存分に発揮しながら計画の成功目指して奮闘する。



表現も今のコンプラなんて微塵も知らぬ、ナンデモアリの表現で(不倫あり、売春あり、土人あり・・・)

白人に有色人種、日本人にも大阪人あり、台湾人に華僑あり、アメリカ人にドイツ人、土人あり(確かに昔はドジンと言っていた)

現実の描写かと思って読んでいたら想念描写、はたまたいつの間にか夢の中の出来事へと、境なく表現され

情欲と日本遺児としての矜持、ど根性が、あれよあれよと 交錯する。

大阪弁の語りと話の展開が小気味よくテンポを生んで、

ハラハラドキドキ、捧腹絶倒、でも、にんげんっていいなと 感じてしまう小説だった。
(そして、西川隊のジャングルでの行動は戦時の日本の兵隊さんたちの行動に重なっている)


この小説は
昭和49年の執筆で、小田実の執筆ぶりからその当時の感情・感覚というものがうかがわれる。

たとえば、しきりに戦後生まれの若者を「この頃でき の若者」と西川をしてこきおろさせていることや

原住民に日本軍人の勇敢さを語らせたり、兵隊全体へのシンパシーが内容にあふれているところをみると、

小田実ですら戦(前)中と戦後の隔たりがあり、

小田実ですら、戦争に突入していった悲哀とそこにあった日本の理 は認めていたのだ、と感じるのである。

そう考えると日本全体としては さらに言うに言われぬ感情が戦後のそのころには存在したに違いない。

時を隔てて、現代の論理だけでその当時を断罪するのは、やはり間違えなのにちがいない。


実は、恥ずかしながら小田実の本は『何でも見てやろう』を 1年前くらいに読んだのが初めてだった。

まだ、外国に日本人がなかなか行けなかった、戦後まじかに書かれたもので、

その活躍ぶりに 既成の枠に縛られぬ人間はすごいもんだなぁ とワクワクして読んだもので

自治連のゴリラ、安田敏男氏を想起したものだった。

この『ガ島』も その文体、その発想は同様で、

とんかつ西川の西川はんの商人魂は、知人の見澤食品社長を想起しながらニヤニヤして読んだ。

小田実さんの文章(行動)は、何物にも拘束されない、清濁混然とした、自由とエネルギーに満ちあふれている。

それはもしかしたら戦後のその時代特有のものだったのかもしれない。









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『有機野菜はウソをつく』 齋藤訓之 著

2025-01-19 16:23:54 | 本・映画など

このところ 有機 に没頭してきたので 頭を冷やすために読んでみた。

いい本だった。

筆者はこんな想像を提示する。


あなたが巨人につかまってしまう。

捕らえられたあなたを見て、巨人たちが会話する。

「丸のみしようぜ」

「いや、あいつ化学物質使ってるぜ」

「カバンの中にはビタミン剤と風邪薬が入っていた。それに化粧水とオーデコロンとリップクリーム。

虫よけスプレーと虫刺されの薬。それに水虫の薬も。どれも化学物質だ。」

「ゲェッ!」

「おそらく風呂ではシャンプーにコンディショナーやボディソープも使っているはずだよ。」

「おおっ!」

「それにあいつらの国では水に塩素が入っている。家では芳香剤と蚊取り器も使っているよ。外では車の排気ガスを浴びて・・・」

「なんてこった」

「俺たちの有機の規格には合わんよ。食えたもんじゃない」


こう言われると何とも釈然としない。 が、慣行農業を敵視し 有機を唱える人は、これに似ているところがあるのではないか?!


以下 読んだ内容と感想である。


1.化学肥料も農薬も厳格に規制されている。

そもそも化学肥料も農薬も、『沈黙の春』(1961)、『複合汚染』(1974)以降、


改正農薬取締法、食品衛生法、化学物質の審査及び製造等の帰省に関する法律などで 残留性なども厳格に規制されてきた。

(これにはEUに比べて基準が甘いとか、規制がされていないとか、異論もたくさんある。)

2.植物は栄養を無機質の形で取り入れる。

有機農業だろうと慣行農業だろうと、
植物が栄養を取り入れるのは、窒素、リン酸、カリウム(カルシウム、マグネシウム、硫黄・・・)

に代表されるように無機質で、
水に溶け(陽)イオンの形で根から吸収されるのである。

3.日本は養分を保つのに難しい 土と降雨 の環境だ。

土は、構成する4種類に分けられ、1.造岩鉱物 2.粘土鉱物 3.腐植 4.生物 からなる。


土はコロイド状になっているのが最も養分を蓄えられる。粘土の中で土壌溶液に蓄えられるのだ。

土のコロイドがカルシウム、マグネシウム、カリウムの順に蓄えているのがPhとしても良い。 phは大切で、ph6~7が最適だ。


しかし、日本は雨が多く、雨は二酸化炭素を多く溶かし込み、酸性を呈する。
酸性に傾いた雨はカルシウムやマグネシウムを流してしまい、土も酸性になってしまう。
酸性に傾くと造岩鉱物や粘土鉱物から溶け出したアルミニウムや鉄が溶けだし、それにリン酸が結合してリン酸アルミニウムやリン酸鉄になってしまい、
大切なリン酸なのに植物が吸収できない形になってしまう(リン酸の無効化)。

4.有機であろうと化学であろうと、養分を与えるには適期がある。
   これが肝心だが、これが手間がかかるのだ。

根を張るときには与えない。自分で頑張らせて四方にしっかり根を張らせる。
身体が成長するときには、窒素を与え、アミノ酸、たんぱく質を作らせ、光合成により細胞壁を作らせる。
花芽が付く直前には、カリウムとリン酸を与える。と同時に窒素は断つ。
実がなるときにはカルシウムを与える。その時は、リン酸もカリウムも断つ。

これを適切にするには 手間がかかる。 


元肥(もとごえ)は上手くしないと 植物が根を張るのをさぼり、窒素が多すぎ日照不足なら細胞壁を強くできすに徒長を起こす。
また、堆肥は単肥とちがっていろんなものが入っていて、遅効性なので、コントロールが難しい。
窒素は与えすぎると硝酸態窒素として雨に流され富栄養化し、環境を汚染する。また、食べてもおいしくない。
リン酸とカリウムも与えすぎになる傾向。
リン酸はアルミニウムと化合し、無効化するし、アルミニウムの持つ病原菌抑制の力もそいでしまう。

カリウムはどんどん吸収するが、与えすぎで野菜はどす黒くなってしまう。
化学肥料の単肥の方がコントロールしやすいのだ。登録農薬ではない特定農薬(重曹、食酢、天敵など)でも、成分が一様でなくコントロールするのが難しい。
その分 農家の技術が求められる。


5.そもそも「有機農業」は近代科学主義に対するアンチテーゼとして生まれた

そして、ナチスに迫害されたり(シュタイナー農法)、戦後はアメリカではヒッピー文化に浸透したりして、「バック トゥ ザ ネイチャー」反体制の流れとして広まった。

日本はそもそもは有機農業だった。 でも、戦後、化学肥料の即効性も知られてきた。
また、進駐軍のサラダ需要に対しては、堆肥でなく化学肥料を使う「清浄野菜」が効果を上げ、化学肥料も安くなって化学肥料はどんどん広まっていく。

しかし、一方で土が砂漠化することもわかり、畑に有機化合物をすきこみ腐植を進める農法も見直されていく。
「有機」は日本でも70年代、やはりアンチテーゼとして広まっていったが(大地を守る会・MOA農法・ヤマギシズムなど)、

80年代後半には、GATT貿易の自由化に備え、コスト削減として化学肥料と農薬を減らすことが模索された。
有機農法は農協を敵に回し、周囲からも異端視されがちだったが、
90年代、逆に、安い肉が出回って肉から野菜に差別化の流れがくる。
外食産業(すかいらーくグループ)によって「有機」の価値を見出され、「有機」「減農薬」をうたって有機野菜を価値化した。
こうやって野菜が商品化され、有機野菜が「ブランド化」されていった。

6.有機か化学かではなく、結局 姿形のいいものが良い。

虫食いは有機の勲章ではない。やたら虫に食われている野菜は、弱い作物なのだ。
有機でも駄目なものはダメ。まがい物が出回っていないか?
色が少し薄くきれいなのが良い。濃すぎるのは硝酸過多。
農薬も適切に使えば、生き物たちと共存し、環境多様性も保たれるようにできる。
旬の野菜が一番良い。

そして最後に、筆者は農業における指針というか、基準を示している。

もっとも重要なベンチマーク
1.単収を高める。
基本的な態度
1.コントロール可能なもののコントロールを放棄しない。
2.すべてをコントロールできるとは考えない。
3.人・モノ・金・時間の投入を抑えるように考える。
4.技術を高めること。新しい技術を取り入れることを放棄しない。
重要な判断基準
1.土の内容と働きを考えて、その効果を引き出すように働きかける。
2.作物全体が健康に生育し、作がそろうように働きかける。
3.作業や資材等は、環境への負荷を考慮して選択する。
要求される実践
1.作業を記録する。
2.適期作業を励行する。
3.肥料・農薬等は必要な量だけ。
4.管理には有無や数字で、意味のある指標を用いる。
5.科学的に無意味な資材を使わない。
6.法律を順守する。

藤本感想)
まさにその通りだと感じた。
特に、
栄養は無機質で摂取する。有機肥料も適宜適切に使用しないとダメ。むしろ、化学肥料の方が制御しやすい、という点や、
農業も業なのだから単収を上げなければ良いことも広まらない、ことや、
人・モノ・金・時間の投入を抑える手法が支持されるのであって、また、新たな技術を拒否するのではなく柔らかな頭で、技術を高めねばいけないことは痛感した。
そして、なんと言っても美味しそうな均整とれたものが、健康で強い植物なのだ。
自分は昔、美は対象である、という内容の本を読んだことを思い出す。クジャクの羽も線対称、美しい顔も線対称なのだそうだ。
人は均整とれた肉体、整った顔に美を感じる。 それは、生物として強いからであり、それを好むのは、よい遺伝子を残そうとする習性からだ。
そうやって、美しいと映る要素は遺伝子として広まっていく。
見た目 とはそういうものなのだ。

化学(肥料・農薬)の方が簡単で、技がいらぬし、手間がいらない。人間は省力化する宿命だ。
何と言ってもきれいに作付けされ、単収が上がることが基本だ。
それをしっかり弁えて、慣行農業を否定せず、良いところを利用しながら、それでも、土の力を大切にし、有機に寄り添って技を高めていく。
生態系も守っていく。大きな潮流は有機に傾いていると自分は確信するので。

そんな気持ちで、考えを進めていきたい。


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『フード・インク ポストコロナ』を観て

2024-12-13 13:05:00 | 本・映画など


東京では3か所で上映だが、どうも早く終わってしまうかも。

そこであわてて 新宿の「新宿シネマカリテ」で、観た。

    新宿シネマカリテ は新宿駅すぐ 地下1階

コロナの時、アメリカでは多くの作物や肉用動物が余ってしまい、殺されたという。

生産者は悲鳴を上げたが、それを買い上げる大企業は無傷だった。

食品産業などすでに一握りの企業に独占され、生産者からの買値も、製品の売値もみな牛耳られている。

ファストフードや飲料水など、加工に加工を重ねた「超加工食品」は、人の(必要以上に食べたいと思う)欲望を刺激するよう作られ、

肥満、糖尿・・・貧しい人ほど子供のころから体を壊すようになった。

穀物の生産も大規模化するうちに、地下水は枯れ、土壌は飛散し、

大規模プランテーションでは移民が酷使され、漁業では持続不可能なまでに獲りつくし、熱帯雨林は商品作物栽培のため伐採されて、すべてが持続不可能になっている。

食をめぐるシステムがゆがんでいるのだ。

その不公正、不平等に立ち上がった農民、漁師、そして、庶民が声を上げ、

土や水、生物多様性を大切にし、もっと適切な規模で、近くの見える関係の農業、漁業を始め、


ブラジルの給食は地域の食材を使うようになり・・・という人々の奮起する姿を描いたドキュメンタリーだった。

自分が近年学び、読み、考えてきた、目指すべき食をめぐる社会の姿 が描かれていた。

この思い、この流れが、世界の奔流となることを 願う。





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『脱成長の道』をよむ 勝俣誠 マルク・アンベール編著

2024-12-07 17:42:25 | 本・映画など

幸せを感じられない、格差が開いている、不公平で公正でない、自然や環境も危ない、民主主義すら危ない・・・

これらはきっと、市場原理主義、グローバル経済、いや、資本主義の行き詰まりを表しているのではないか?!

(資本主義に代わる)もう一つのオルタナティブな道 はないものか?! 

そう模索する人が増えている。(と思う)

しかし、もっととっくに、

人間の幸せとは何か を見つめ、新たな道 を模索していた人々がいた。

そして、彼らは その結論を正面切って主張していた。


自分は、そのことに驚いた。

「脱成長の道」

・ヨーロッパの方では、欧州評議会が作った指標を使い、各地で「豊かさ」と「生活の充足度」を調査し、

その過程で、人々を巻き込み、みんなで意見を出し合い、社会参加させ、一員として行動していく、

(民主主義を地で行く)作業をしているという。

指標に基づく質問事項は3つ。

1.あなたが充足感を得られる生活状況はどんなものですか? 
2.あなたが不満を感じる生活状況はどんなものですか?
3.現状を改善するためには、あなたは何を行うことができますか?

地域や集団(アソシエーションと呼ぶ)ごとに調査し、集計し、皆で意見を出し合い、みんなにとっての「共通善」のようなものを発見していく。

この作業を通じ、「共通善」、「みんなにとっての幸せ」を見つけ、作業を通じて「共同体」が再構成され、「責任の分かち合い」(主体化)が行われるようになる、という。


幸せの指標と言えば、ブータンのGNH(2008年作成)、タイの足るを知る経済(2002~?)、荒川区のGAH(2007)があるが、


資本主義につきものの「成長と拡大=大量生産・大量消費・大量廃棄、」からは、格差と(自然・社会の)破壊が生まれるので、

そうではない道を探ろう、と幸せの指標を作ったのだ。それらはみな同じ頃にできたようだ。

日本では、ずっと1人当たりのGDPが上がってきたが、生活の満足度は1981年以降ずっと下がり続けている。(一応2005までの調査で)

この傾向はどの先進国も同じであり、一定のものの豊かさを獲得したのちは、幸せは得られなくなるようだ。


この本で著者たちは、次のように提言していた。

幸せを測る指標(ものさし)「成長・拡大・蓄積」から「社会参加・分かち合い・つながり・基本的人権・生命の尊厳・生態系・自然・多様性」におこう。

そのために、もっと我々は簡素に生きよう

より少なく生産し、より少なく消費し、より少なく廃棄する、

「節度」を持って、

自然生態系生物多様性土地の文化など私たちの生きる生存基盤(サブシスタンス)を守る態度で、

1人1人の生命の尊厳を大切にした社会を目指そうではないか! と。


このブログをまとめるうちに、自分は、ある出来事を思い出した。

2011年、市長就任後 エアコンの問題が起きた時、和ケ原商店街で「なぜ狭山ヶ丘中のエアコンを断ったのか」を市民に説明した時、

自分はこの著書と同じような趣旨のことを集まられた市民の皆さんにお話ししたのだった。

会が終わってのち、残られた一人の女性の方が、「そんな社会じゃ、ぜんぜん面白くないじゃないか!」とおっしゃったのを、私は今思い出したのだ。

そう言われて、私はその時、何も言い返さなかった、気がする。

というのも、確かにダイナミックでなく面白さに欠ける、と自分でも感じていたからだ。

自分では「市民の 新たな幸せのために・・・力を尽くしてまいります!」と様々な挨拶の締めに申し上げていたにもかかわらず、である。


さて、考えてみれば、政治の言葉は、いまだ威勢がよく、成長と拡大に満ちている。

「・・・ますますのご発展をお祈り申し上げます」は政治家の挨拶の常とう句である。

自分は、任期途中から、その言葉を使わなくなった。 「発展」を「成熟」に換えたりもしてしゃべっていた。

夏祭りの時なんかは、成熟 だと歯切れ悪く、ピシッと終われず、けっこうそれが違和感だった。

そんなことも思い出した。

でも、学問の世界においては、簡素に生きよう、より少なく作り、より少なく使い、より少なく・・・と正面切っての主張が存在したのだ。

その主張が、いつか学問の世界から政治の世界に躍り出て 経済の世界までに受け入れられていくのは、いったいいつの日なのであろうか。

 


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