神門(ごどう)教授による 日本農業の課題分析と対策 である。
結論から言えば、
よい農家とは、(農薬使用不使用、堆肥の有機、化学関係なく)
その土地の土と天候に合わせて、元気で栄養価の高い動植物を常に育てることができる農家のこと。
技能を持った農家が減少しているのこそ 今 1番の問題である。
貿易の自由化を考えると、アジアの小農、米豪州の大規模農に対しても、
(=大規模化で、また、労働力の安さで勝負してくることに対して)
技能集約型農業が一番強い。日本はそれを進めるべき。
日本は今までそれをないがしろにしすぎた。
特に最大の欠点は、農地利用が無秩序でずさんだったことである。
それが、土づくりを大切にし技能を持った農家がやる気をなくすのを助長した。
今後は、
・農地基本台帳をしっかり正確に作り直し、情報を公開し、
・農作物ニーズの実情と農地の必要度を考慮して、市民も含めて話し合って、
「農地利用規定」をつくって、筆ごとの利用規定を定め、
・必要なら農外転用も計画的に行い、農地利用も技能を持ったやる気ある農家に集め、進めていくべきである。
また、消費者も、
・一家で食事したり、新鮮なうちにおひたしや煮しめにするなど保存がきく料理法も駆使し、食品ロスも少なくし、嗜好性食品を我慢するなどしていくことが大切である。
そうやって、技能を持った、やる気のある農家を元気にし、
技能を継承していけるようにすることが肝要、
というのが著者の主張だ。
著書の随所で神門さんは、
農業保護派(ノスタルジー派)にも大規模やハイ的農業にも、消費者にも、国やマスコミに対しても
すべてに対して手厳しい。
ダイコン100円の場合、農家の取り分は30円くらいである。これは、前出の山下惣一さんと同じ認識。神門さんは、でも同世代で比較すれば農家の平均所得の方が上、と指摘する。農家を弱者扱いは決してしない。
また、有機農業がもてはやされているが、偽物の有機もたくさん出回っている、と指摘。
写真や宣伝文句にだまされている。消費者の舌も真贋を見抜けなくなっている、という。
※本当の元気な作物はうまく栄養があり、もちもよい。
例)コメを水につけてほっておく。名ばかりの有機米は微生物もいるが窒素過多などで細胞が弱く、一番早く腐る。慣行農業のコメは微生物がいないからやはり腐る。一番腐るのが遅いのはよい有機米。微生物もいるし細胞壁も強いので腐敗が遅い。
最も大切なことは、元気で強い動植物を育成できるか否か、と指摘する。
大規模化を進めるにあたり、マニュアル依存型農業を国は推進してきたが、
技能の伝達がおろそかになる傾向がある。それだけではだめで、日本の強みは技能集約型にあり、双方が補完されていることが必要なのだ。
(技能集約型もマニュアル依存型もそれぞれ大事。でも基本は技能集約型。)
国が農地利用を農業委員会に丸投げして、放置したので、
耕作放棄地が把握できなくなり、農外転用もなし崩し的に進んでしまった。
また、国は新規就農者ばかりに補助を当てている。
土づくりを大切にしてきた技能集約農家は馬鹿を見るように感じている。
ハイテク農業、その対極の粗放(自然)農業。6次産業化と農商工連携、農地の自由化。
そして一方ではJA悪玉論。
国もマスコミも大はしゃぎでもてはやすが、それは幻想のようなものだ。
昭和初期、経済が停滞した時、やたら満州に新天地を求め、国全体が浮足立ったが、その頃と同じであり、経済が行き詰まり、新天地に逃避しているようなもの。最後は戦争に進んでしまった。
・ハイテク農業も粗放農業も、万万歳ではない。・6次産業などは昔からやってきた。・農地法も抜け道があって、農地転用でぼろもうけを狙う人も多い。まじめな農家のやる気を削ぐ傾向。・JAも力があった時は、農家集団をまとめる力を持っていてよい面で機能していたが、今は無力。金融ばかりで、金融には厳しさがない。組合員に非農家も多く、組合員の再定義と金融の分離が必要。
マスコミも識者も、島国ゆえの閉鎖性で上のような不都合な真実から眼をそらす。
それでは、また惨事を招いてしまうだけだ。
藤本感想)
有機ならば本物の有機。慣行でも本物の慣行。
神門さんは、技能の伝達、その維持に注目し、まじめにじっくりと技能が習得されていく環境を作っていくべき、と訴えておられた。
それを阻む問題を特に「農地利用の転用問題」いい加減さに認め、そこから整え進んでいこう、
とおっしゃっていた。 しかし、実行するには多くの障害が待ち受ける。
農家自身をも敵にする。消費者は無関心である。だから、「正しい絶望法」と題したのであろう。
ここ所沢、東京近郊では同様の傾向が非常にある。
農業では儲からない。それは、我が後援会のTさんもKさんも常におっしゃっていた。
土地を持つ人は道幅を少しでも広げようと要望する。そうすれば、沿道の活用が格段に広がっていく。
農業委員会の集まりに出ると、いつの間にか不動産屋さんの集まりに来たような錯覚にとらわれる。
それらも厳しい現実だ。
それでも、農業は大切だ。すべての産業の必須なのが農業(食べ物をつくること)だ。
農業ジャーナリストの大野和興さんは
「じゃあ、最後はどうすればいいんでしょうか?」との私の質問に対し、
「国民がそれぞれ土を耕すようになること、作る人になることだ」と答えてくれた。
あの時、ずいぶんと回り道な答えだなぁ、と感じたが、輸入を絶たれたロシアが予想外に食糧事情が悪化しないのも今更ながら想起される。大昔、そもそも農業は産業ではなく、自給のためのものだった。
「農のあるマチづくり」これも就任一年目から進めてきたが、指導者がついてくれる農園の拡大や市民農園の増設、これも一進一退あるが進めてきた。
農業自体にも支援をして、強く儲かるようにと、4期目の選挙では、ブランド化を狙って有機農業の推進と学校給食の有機化、無償化を公約に掲げもした。その前段階としては、「武蔵野の落ち葉堆肥農法」を世界農業遺産になるよう働きかけ、実現もした。また、農家にも掛け合って有機農業に対する導入の可能性のお願いや意見などを聞いた。一方では、食の安全の面についての講演を市職員の研修に組み入れて、市職員の理解と機運を高めてきたし、何度も職員とともに勉強会に通って有機給食への道を探ってきた。「オーガニックビレッジ宣言」ももうすぐ実現する。
この2か月くらい、農業関連の本を読んで、農業ではもうからない、のは事実のようだ。
農産品は自然相手で、工業製品と一緒には語れない。大規模化にもリスクが大きい。そして、日本人誰もが毎日必要とする食ゆえに、価格は安く抑えられている。生活にかかわるエッセンシャルなものほど、賃金も安い、とはコロナ禍に露呈したことだが、同じことが第一次産業にも言えるのだ。
昔、砂川議員が「農業はそれなりには暮らせるけど、儲けようと思ったら朝から晩まで、日曜関係なくやらないとだめだ。働きづめなくてもそれなりに儲かる農業があったらと思う。」と語っておられたが、そうなんだなぁ、と今更ながら思う。
労賃が安いアジアにも、大規模化で安い米豪に対しても、日本は普通だったら負けてしまう。
だから、貿易の自由化は限度をわきまえるべきである。また、国内の農産物もそれなりにコストが反映される値段で安定させ、そのうえで、国が所得補償の補助金を当てて、手の届く水準に価格をとどめるべきだろう。
気候変動対策として「みどりの食料システム戦略』は世界に歩調を合わせて決定され、2050年までに農地の25%は有機、と決まった。拙速は巧遅に勝る、とは言ったものだ。先にやるものほどもうかるものだと自分は思う。そして、そういう農業の方が気候変動、地球温暖化などを抑える効力がある。
まずはトライしてみることから、きっと進むべき道は明らかになってくる。
明日を見つめ、今を動く。
未来の子どもたちのために、今の大人がどう動くか、がやはり問われているのだ。