ゆみちゃんの365日

日々の出来事を綴っています。

徒然草(第八段)を勉強しましょう

2009-04-18 03:44:08 | 学問

4月12日(日曜日)の京○新聞の朝刊に「古典の日」として、松村栄子さんと読み解く徒然草(兼好法師)の第三段、第八段の記事が出ていた。中学生のころに習ったといっても、『徒然草』は『方丈記』、『枕草子』とならんで三大随筆のひとつで、作者は兼好法師。序文の「つれづれなるままに、日ぐらしすずりにむかひて、こころにうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。」のこれくらいの訳しか教えてもらっていないと思うのだが、頭の良かったK子さんの記憶はどうだろう。
だって第八段は色気ムンムンで、物好きな先生以外ここまで訳して教えてはくれないだろう。
訳は訳する人の文章センスで全く異なることが良く分る。古文として読めれば良さが判り、それにこしたことはないが、そんな能力は持ち合わせていない。凡人は訳を読み、ただニヤニヤしているだけである。何百年経とうが、今も昔も男は変わっていないのは確かなようだ。

公式 男=スケベ

徒然草(第八段)
世の人の心まどはす事、色欲にはしかず。人の心はおろかなるものかな。
匂ひなどはかりのものなるに、しばらく衣裳に薫物(たきもの)すと知りながら、えならぬ匂ひには、必ず心ときめきするものなり。九米の仙人の、物洗ふ女の脛(はぎ)の白きを見て、通を失ひけんは、誠に、手足・はだへなどのきよらに、肥え、あぶらづきたらんは、外の色ならねば
、さもあらんかし。

1.松村栄子訳
この世に女性の色香ほど男心を惑わせるものはない。人間というのはまったく愚かなものだな。
匂いなどはすぐに消えてなくなるもので、衣に燻きしめた香がしばし漂っているだけとわかっていても、あまりの芳しさについくらっときてしまう。まして手や足や肌の美しくむっちりしているようなのは、香や化粧のせいではなく生の魅力なのだから、久米の仙人とやらが洗濯女の脚の白さに見とれて空から落ちたというのも、まあ無理からぬことだよなあ。

2.吾妻利秋訳
男の子を狂わせる事といえば、なんと言っても性欲がいちばん激しい。男ごころは節操がなく身につまされる。
香りなどは、まやかしで、朝方に洗髪したシャンプー(※注1)のにおいだとわかっていても、あのたまらなくいいにおいには、ドキドキしないではいられない。空飛ぶ術を身につけた仙人(※注2)が、足で洗濯をしている女の子のふくらはぎを見て、仙人からただの嫌らしいおっさんになり空から降ってきた、とかいう話がある。二の腕やふくらはぎが、きめ細やかでぷるぷるしているのは、女の子の生のかわいさだから変に納得してしまう。
■注(※注1 原文:着物に燻したお香)(※注2 『今昔物語』【11】の久米――和州上郡――の仙人の説話より)

3.現代語訳
人の心を惑わせるのは、色欲の他にない。人の心は単純である。
匂いなんてまやかしでしかなく、そっと衣装に香りを足しているのだと知っていても、それは何ともいえない色香であったならば、必ず心は迷うのだ。飛行を楽しむ久米の仙人が、物を洗っている処女のすねの白さをちと見た途端に自我を乱され空から落っこちてしまったのは、本来の素肌の清らかさは、化粧による見せ掛けにはない魅力があり、その美しさに魅了されてしまったからであろう。

4.超現代語訳
人を惑わせるもの、それは色欲。人の心などは本当に未熟なのである。
香りは一時的なものでしかなく、それを承知で衣装に香を焚く。が、そのようにやがて消えて行くものであったとしても、なかなか得ることの出来ない香りを求めようとするのは、これまた当然のことといえよう。久米の仙人が洗濯をしている女性の肌を見て神通力を失ったというのも、確かに納得の行く話しである。手足といった肌が美しく、ふっくらと色づいているその姿は、香りのようなうわべだけの物ではない。となれば、なるほど仙人が力を失ったいうのも納得できる話だろう。

(豆知識)
1.吉田 兼好(よしだ けんこう、弘安6年(1283年) - 観応元年/正平5年4月8日(1350年5月14日)?)は、鎌倉時代から南北朝時代の随筆家・歌人。本名は卜部兼好(うらべ かねよし/うらべ の かねよし)。兼好法師(けんこうほうし)とも呼ばれる。中学校国語の検定済み教科書ではすべて「兼好法師」と表している。卜部家は後の時代に吉田家、平野家などに分かれ、兼好は吉田家系であることから吉田兼好と通称されるようになった。没年には文和元年/正平7年(1352年)説もある。
卜部氏は古代より卜占を司り、神祇官を出す神職の家で、兼好の父も吉田神社の神職であった。後宇多院に北面の武士として仕え、従五位下左兵衛佐まで上ったが、上皇の死後、出家して兼好(けんこう)を名乗った。 鎌倉に2回は訪問滞在したことが知られ、鎌倉幕府の御家人で後に執権となる金沢貞顕と親しくしている。その時、現在の神奈川県横浜市金沢区の上行寺内に庵があったと伝えられる。
鎌倉時代から南北朝時代にかけて歌人として活躍した。『徒然草』は自然の風物などが散文として書かれ日本の三大随筆に数えられ、また当時の社会風潮などを知るための資料にもなっている。

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2 コメント

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Unknown (omachi)
2019-11-28 19:50:11
お腹がくちくなったら、眠り薬にどうぞ。
歴史探偵の気分になれるウェブ小説を知ってますか。 グーグルやスマホで「北円堂の秘密」とネット検索するとヒットし、小一時間で読めます。北円堂は古都奈良・興福寺の八角円堂です。 その1からラストまで無料です。夢殿と同じ八角形の北円堂を知らない人が多いですね。順に読めば歴史の扉が開き感動に包まれます。重複、 既読ならご免なさい。お仕事のリフレッシュや脳トレにも最適です。物語が観光地に絡むと興味が倍増します。平城京遷都を主導した聖武天皇の外祖父が登場します。古代の政治家の小説です。気が向いたらお読み下さいませ。(奈良のはじまりの歴史は面白いです。日本史の要ですね。)

読み通すには一頑張りが必要かも。
読めば日本史の盲点に気付くでしょう。
ネット小説も面白いです。
返信する
Unknown (ゆみちゃん)
2019-11-28 21:49:01
>omachiさん
情報有難うございます。
ウェブ小説は見たことも有りません。
ガラ携なので・・・。
その内、スマホデビューしたならば読んで見ましょ。
返信する

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