ゆみちゃんの365日

日々の出来事を綴っています。

光陰矢の如し

2010-01-17 01:08:29 | ニュース

1月17日(日曜日)
月日が経つのは本当に早い。阪神・淡路大震災が発生したのは今から15年前になる。朝起きようとしていたところに、突然グラッグラッと地震がきた。私は洋服たんすの前に頭を向けて寝ているので、すわっとばかりに飛び起きた。今まで経験したことのないような大きな揺れだった。余震が来たら寝床の真横にある、1畳の大きなヤグラこたつの下にもぐろうと身構えていた。
そこへ愛妻と長男が二階からドタドタと降りてきた。「どうもないか?」「どうもない」「爺さん婆さんは?」「見に行っていない」「あんたは自分だけ良ければ・・」。
言い訳になるかも知れないが、突然の時は家族のことよりも自分のことで精一杯で、他のことには気が回らないということがよくわかった。爺さん婆さんも、地震にはビックリしていたが、誰も怪我もなく一同ほっとした。早速テレビを見たが、その時点では神戸・淡路で、そんなに被害が出ているなど想像だにできなかった。家屋に被害が無いか点検したが、土壁にビリビリとひび割れが1箇所できただけで、たいしたことはなかった。食器棚も点検したが、倒れたものはあったが割れた食器はなかった。
出勤途中に各家を見たが、屋根瓦が飛んだり壁が崩れたりしている家は見当たらない。あれだけの大揺れの地震なのに、被害がないのが不思議でたまらなかったのは今でも覚えている。
会社へ行くと、地震の話で持ちきりだった。昼前だっただろうか、テレビで被害状況を放映していた。見れば高架の阪神高速道路が、何百メートルに渡りバタッと真横に倒れていた。
周りのビルもたくさん倒壊し、えらいことになっている。死者はその時点では数百人だった。
帰宅しテレビニュースを見た。長田の町が火の海になっているところをヘリで中継していた。まるで戦争で爆弾が落ちたような光景だった。消防車が来ない。来ても水が出ない。
思わず「消防は何をしてる」と叫ぶ自分がいた。

阪神・淡路大震災による死者は6,000人を超えたが、先日のハイチの死者はこれの20倍は超えていることだろう。いつも思うことは、本当の痛みは経験しなければ分からない。
金持ちに、貧乏人の気持ちをわかれと言っても、これは無理難題というものだ。震災で心に痛手を負った方は、何万人もいると思う。15年経っても心の傷が癒えなく、今だ後遺症を引きずっている方がまだまだいることだろう。日本にボランティアの精神が育ったのは、この震災がきっかけだった。
「がんばろう神戸」という文字をユニホームに縫いつけ、頑張っていたオリックスのイチロー選手。その年にリーグ優勝したオリックス。あれから15年、神戸は見事に復興を遂げた。
「1995年1月17日5時46分阪神・淡路大震災が起きた」ということは、死ぬまで忘れることはないだろう。
災害は忘れた時にやってくる備えあれば憂いなしのことわざがあるが、私はこれが苦手だ。楽観主義者と自負はしていないが、裏づけもなく「何とかなるさ」と思っている。
ひょっとして、私は面倒くさがりやだろうか。そーだ、そーだーと誰だ?ソーダーを飲みたければくれてやろう。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
もぅ15年も経ったのか・・・と思いますが (Qちゃん)
2010-01-18 13:37:30
もぅ15年も経ったのか・・・と思いますが
被災された方々の心のキズはどれだけ癒されているのだろうか・・・
まだ慰霊祭などの行事には参加できず、少しの揺れでも気が遠くなるほどにおののいてしまう・・・なんてぉ話しを聞いていると ホントに体験した人でないとこの恐怖は分からないなぁと思います。
TVで観た映像は空襲にでもあったのかと思うほど信じられないモノでした。
今でも忘れられません。

そして、その年の秋Qちゃんは入籍しました。
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>Qちゃん (ゆみちゃん)
2010-01-18 20:02:02
>Qちゃん
入籍の年と地震が同じとは、それは忘れることは出来ませんね。
関東地区にお住まいの方は、いずれ大地震を経験されることでしょう。
ビクビクしながら生活するのも面白くありません。
運を天にまかせましょう。
返信する

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