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夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

東京郊外は、雨降る日を待ちわびて・・!?

2009-08-23 09:22:15 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であり、
処暑の頃が過ぎた今、盛夏の頃の暑さも過ぎ去り、
幾分涼しげな朝涼(あさすず)のひととき朝を迎えている・・。

夕方も庭のテラスに下り立ち、煙草を喫ったりしていると、
風は樹木の間を通り抜け、私のたたずんでいる所にも、風が吹き抜けていく・・。
風は日中の熱さを流した後、秋めいた風で心地良いのである。


盛夏に彩(いろど)ってくれたアメリカ芙蓉(フヨウ)の花も終りを告げて、
花梨(カリン)の樹木とブロック塀の間に、
クロッカスに似た玉すだれ(タマスダレ)の白い花が群生して咲き、朝のひとときなど白い花が心に沁みてくる・・。
私は齢を重ねた64歳の身であるが、
これまでの人生の汚れきった心を何かしら浄化させてくれる花のひとつでもある。

紫露草(ムラサキ・ツユクサ)がそばに咲き、群生しているが、
小花の青色の澄み切った色合いも心に沁みてくる・・。

そして、薄暗くなった夕暮れ時、 玉すだれの白い花は、
ぽぉと白い花が浮き立っていて、妖艶なただよいを感じさせてくれる花である。


ここ数週間前頃からは群生させた秋海棠(シュウカイドウ)の花が、
可憐な淡紅色の花の彩(いろど)ったりして折、
この付近に、高砂木槿(タカサゴ・ムクゲ)の淡紫色の花が咲き続けて、
暑さの苦手な私は慰められてきた。

この時節、処暑の頃になれば、日中は残暑が厳しいが、
このように朝、夕、夜のひととき、
庭に下り立ち、秋めいてきた情景に心を寄せたりしている。


このように過ごしてきた私であるが、ここ10日ばかり雨が降らず、
この先の一週間も雨マークが表示されていなく、
心の片隅は戸惑っているのである・・。

過ぎ去った7月は平年以上に雨降る日々が多く、
天上の気候の神々はどうしたの、と大いに戸惑っていたのであるが、
乾期となった今は、懐かしく思われる。

昨日のひととき、テレビのニュースなどで、農作物の多くが高騰しています、
と報じられていた。
私は年金生活で買物を担当しているので実感しているが、
幼年期に農家の児であったので、何よりも農家の方がお気の毒と思ったりしたのである。

このような心情もあり、そして庭の樹木、草花は雨を待ちわびている状況もあり、
『ときには・・雨の降る一日にならないかなぁ・・』
と私は家内に云ったりしていると、
『洗濯物・・困るわ・・』
と家内は私に云ったりした。

『だったら・・深夜にしっかりと雨が降る・・こうした時間帯であれば・・』
と私は身勝手なことを云ったりしたのである。


いずれにしても、雨の恵みをもたらす天上の気候の神々から、私の住む地域は見放されているらしく、
この時節は晴れ間の日が3日続き、曇りの1日、そして雨降る1日、
このようなサイクルが私としては望ましいのであり、
秘かに願いながら、空を見上げたりしている。



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改めて、私なりのブログと自己存在感・・。

2009-08-22 11:11:44 | 定年後の思い

私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であり、
昨日、【『ネット検索、月間4775万人…6年で3倍・・』の記事、私は読んだ後は・・。】と題して投稿した。

そして、この投稿文の結文の前に、
【・・
私は退職後の年金生活で驚いたのは、
ブログの飛躍的な利用者の増加であり、私と同様に、心の思いを自己発信する人が多いことであり、
そして2007年6月より、【YouTube】に於いて、日本語版を開始し、
音楽のバンドラの箱が開けられた、
と思いながら音楽の曲が大半自在に聴くことができたことである。
・・】

と綴ったりした。
命題の検索の急増はもとより、私は日常にブログは欠かせない存在であり、
ときおり【YouTube】に於いて、音楽を甘受しているが、
昨夜の深夜に、私はとってはブログはどのような存在なのかしら、
と考え込んでしまったのである。

私は2004の秋にある民間会社を定年退職したのであるが、
まもない時、ブログの世界を知り、
あるサイトに加入して、2005年2月7日に於いて、
『ブログと自己存在感・・。』と題して、投稿していた。

【・・ ブログが昨今に急速で、加速されたかのように広がっている。
何故、これほど話題になり、注目され、利用されているか、
私が利用した理由を書き込めば、ひとつのヒントになると思ったりしている。


昨年の秋の定年退職の前後、私はホーム・ページを立ち上げようとしていた。

理由として、この星の下で生まれ、育ち、何を考えて、やがて死んでいくことに、
生きたいたことのひとつの証(あかし)を残していきたい、
と思ったのである。

ホーム・ページの場合は、原則として実名公表なので、
政治・外交・軍事・社会・宗教・文化等の公表に、
著名人でない上、これといった専門知識がない素人の私には、一種のためらいがあった。

私の好きな山川草木のよしなごとは書けても、
身過ぎ世過ぎの年金生活の日常を過しているので、文章にほころびが生じる、と思ったのである。

世の中の専門知識を有する学者の随筆は、
論文等、或いは大学教授としての前提で、一面の遊び、としても綴ることが出来るので、
私のような素人としては、こうしたためらい、たじろいがあり、
開設したところで、来訪者が少なく、
そのうちに自身が書き続けられるか、と自問したのである。

こうした折、ブログ、ブログに準じた簡素なホーム・ページのブログを知ったのである。


ブログの場合は、匿名が圧倒的に多く、ある程度の心の節度があれば、
公表できる利便性の要素が十二分ある。

新聞、雑誌の投稿には、それぞれの発行元の編集部などのの見解のもとで、
掲載が決められている現状であるが、
このブログの場合は、ある程度の節度があれば、何の制約も無く、
その方の自身の政治・外交・政治・軍事・社会・宗教・文化等の分野の思いでも、
自在に公表できます。

そして一旦発信されたならば、当人が削除しない限り、
この星の下で存在し、ある一面、怖いところも付随するが、
読まれるか、無視されるかは別問題として、確実に残るのである。


そして誰にしても、ある程度の知識があれば、日常生活を綴っても、
自己の存在感を提示できる世界がブログ、と思ったのである。


ここで思い出したのですが、十五、六年前、腰痛が酷く、救急車にお世話になり
三度目の入院となり、徹底的に治療に専念しょうと観念し、
一ヶ月近く、入院していた時であった。

病室のベットに休んでいても、周囲の社会は順調に動いて、
自分の存在は一体どこにあるのか、ということであった。

私はこの時、中島みゆきを熱愛していた時期で、この中で特によく聴いた曲がある。
ベットの中で、腰を牽引しながら、CDウォークマンで何度も聴いたりしていた・・。
慰め、救い、そして再起への励みを頂いた曲である。
       
この中島みゆき・女史は、私にとってこの星の下での女神である確信し、
現在でも、希有な存在感を提示できる人であり、敬愛をしている。 ・・】
 
私はこの投稿文を深夜に読み返し、自身の定年後の心の思い、揺れを振り返ったりした・・。


私は定年退職するまでは、屈折の多い人生を過ごしたのであるが、
この地球に生を受けたひとりとして、私が亡くなる前まで、
何らかのかけらを残したい、と定年前から思索していた。
あたかも満天の星空の中で、片隅に少し煌(きらめ)く星のように、
と思ったりしたのである・・。

私はこれといって、特技はなく、
かといって定年後は安楽に過ごせれば良い、といった楽観にもなれず、
いろいろと消却した末、言葉による表現を思案したのである。

文藝の世界は、短歌、俳句、詩、小説、随筆、評論などの分野があるが、
私は無念ながら歌を詠(よ)む素養に乏しく、小説、評論は体力も要するので、
せめて散文形式で随筆を綴れたら、と決意したのである。


私は若き日のひととき、映画・文学青年の真似事をした時代もあったが、
定年後の感性も体力、何よりの文章力も衰えたので、
ブログ、ブログに準じたサイトに加入し、文章修行とした。

そして多くの方に読んで頂きたく、あらゆるジャンルを綴り、
真摯に綴ったり、ときには面白く、おかしく投稿したりした。
そして苦手な政治、経済、社会の諸問題まで綴ったりしたが、
意識して、最後まで読んで頂きたく、苦心惨憺な時も多かったのである。


私の最後の目標は、人生と文章修行の果てに、
たとえば鎌倉前期の歌人のひとり鴨 長明が遺され随筆の『方丈記』があるが、
このような随筆のかけらが綴れれば、本望と思っている。


このような思いが、つたないなりに私は秘めたりしているので、
日々に感じたこと、思考したことを心の発露とし、原則として国内
旅行で自宅を留守にしない限り、毎日数通ぐらいは投稿している。

そして、何より肝要なことは、人それぞれ光と影を持ちあわしているので、
つたない私でも、ささやかな光、そして秘められた影があるので、
余すところなく綴るのが命題と思ったりしている。


このような身過ぎ世過ぎの年金生活をしながら、
言葉による表現、読書、そして思索の時間を過ごしたりすると、
年金生活は暇、安楽というのは私にとっては死語である。

長々と綴ったりしたが、最後に信愛している中島みゆき女史に敬意し、
『HAFE』、『エレーン』に続き、最も感銘している『永久欠番』を掲げることにする。

この『永久欠番』は、『歌でしか言えない』と題されたアルバムの中で、
六曲目に選定された曲で、1991年10月23日に発売され、
私の人生観に影響を受けた稀(まれなアルバムのひとつである。

【YouTube】に投稿されたお方の中で、特に魅了された方から拝借させて頂く。

http://www.youtube.com/watch?v=720iyPtOQRc
【 『永久欠番』 作詞、作曲・中島みゆき、 編曲・瀬尾一三、 唄・中島みゆき 】




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『ネット検索、月間4775万人…6年で3倍・・』の記事、私は読んだ後は・・。

2009-08-21 15:26:18 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であり、
今朝、読売新聞の朝刊に一番心を動ごされたのは、圧倒的に多い衆院選に関しての記事ではなく、

【ネット検索、月間4775万人…6年で3倍】

と題された見出しで、私は読みながら思わず微苦笑した・・。

この記事に関しては、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】に於いて、
同一の記事がネット上で掲載されて折、無断であるが掲載させて頂く。

《・・
総務省は20日、ヤフーやグーグルなどインターネットの検索サービスの月間延べ利用者数が、
2008年1月は4775万人に上ったとの推計を発表した。

2002年1月(1646万人)の約3倍に急増し、検索を利用した広告市場も拡大している。

1人当たりの月間平均利用回数は8.9回で、2002年1月の約2倍。
検索可能な情報量も、ブロードバンド(高速大容量通信)の普及で動画や音声ファイルが増えたため、
2009年1月は6877テラ・バイト(テラは1兆倍)と、2003年1月(1199テラ・バイト)の5.7倍に急増した。

パソコン向けに検索サービスと連動したネット広告(検索連動広告)の市場は、
2008年度が前年度比20.4%増の1245億円となった。
2010年度には1524億円に達し、現在のラジオ広告市場(1549億円)に匹敵する見込みだ。

(2009年8月20日23時05分 読売新聞)
・・》
注)記事の原文をあえて改行を多くした。


私は民間会社を35年ばかり勤めて、定年退職を迎えたのは2004の秋であった。

私は大学を中退し、アルバイトをしながら映画、文学青年の真似事をした後、
30代を迎えた時を想像すると家庭を持ち妻子を養う自信がなく、
早々と断念して、コンピュータの専門学校のソフト系を一年間学んだ。

そして、ある企業に中途入社が出来たのは1970年の春だった。
この後の20年は情報畑に勤務し、汎用、オフィス・コンピュータなどの運営はもとより開発も従事したりした。
そして50代の初め管理畑に異動した後、55歳の直前に出向となり、
物流会社に勤務して、定年を迎えたのである。

このように長々と綴ったのは、バッチ(一括)処理は数多く携わってきたが、
オンライン処理などは直接に担当したことはなく、
ましてインターネットを活用する直接業務は皆無であった。
そして出向先に於いては、携帯電話も必須業務でなく、無知のまま定年を迎えたのである。

私は定年退職後に備え、自宅のパソコンを一新させたのは、退職時の二年前であったが、
多忙な勤務状況であったので、自宅に於いては個人的な電子メールの送受信などには余裕がなく、
殆ど個人的な資料を表計算を利用して作成したり、ソフト会社から販売されている日記に綴ったりしていた。

そして、退職時の数が月前に、インターネットを開設したのであるが、
ウェブ環境にただ驚き、ため息をつくことが多かったのである。
全くの初心者の身となり、ホームページの開設を思案したりしていた。

この後、退職後まもない時、本屋のあった一冊の本で、ブログの世界を知り、
私はブログ、ブログに準じたサイトなどに加入した。
そして、四つばかりのサイトに加入し、彷徨(さまよい)ながらも、
殆ど毎日投稿をしている。

この間、ネットを利用して、ニュース、旅行のことなどを検索して、
数多く学んでいるが、
ネットの買物、予約などは技量もさることながら、危険性を配慮して利用したことがない。

私は殆ど毎日ブログ、ブログに準じたサイトに数通投稿したり、
興味のあることを検索をしたり、4時間前後はバソコンに触れることが多い。

私は退職後の年金生活で驚いたのは、
ブログの飛躍的な利用者の増加であり、私と同様に、心の思いを自己発信する人が多いことであり、
そして2007年6月より、【YouTube】に於いて、日本語版を開始し、
音楽のバンドラの箱が開けられた、
と思いながら音楽の曲が大半自在に聴くことができたことである。

このようにつたない利用しか知らないが、
今後は更にネットを利用する方も増え、何よりも検索する量は多くなる、
と携帯電話は無知で、パソコンしか使えない私は深く確信している。




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ふたたび、 『花の金曜日』の想いで・・♪  

2009-08-21 07:58:32 | 現役サラリーマン時代の想いで
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であり、
朝夕は過ごしやすいが、日中は30数度となり残暑は厳しい、と暑さに苦手な私は感じている。

私は愛煙家のひとりであるが、定年退職後まもなくして、
室内禁煙の宣言をして、庭の樹木の下、玄関の軒下など喫ったりしている。

先程も炎天下を避けて、軒下で喫ったりしていると、
現役時代の頃が想いだされた・・。


本社勤務が多かったが、この時節、ワイシャツとネクタイで出社すると、
まずはトイレの洗面所で顔を洗ったりした。

その後、出向時代の時、物流会社の倉庫で、冷房がないフロアーがあり、
不馴れな最初は眩暈(めまい)を感じたりした。

この時は、外廻りでスーツにネクタイの人を考えたり、
或いは炎天下の下で業務をする人を思いながら、耐えたりしたのが本音である。


先程、私は新聞を読みながら、最近はとみに曜日の感覚が薄らいでいるので、
金曜日だった、と教えられる程度となったのである。
そして私はぼんやりと、現役時代の連休前の金曜日の頃を思い出したりしていた・・。


私の現役時代は数多くのサラリーマンと同様に、
月曜日の早朝から業務に精進し、睡眠時間を削り、
金曜日の夜になると、やっと安息が得られる、といった心情であった。


私は大学を中退し、映画、文学青年の真似事をしたりした後、
昭和45年の春、ある民間企業に中途入社し、遅ればせながら社会人となった。
この頃の勤務形態は、隔週の土曜日が午前中勤務となっていた。

その後、何時ごろか完全5日制となって、金曜日の勤務が終わると、何かしらほっとした・・。

どなたが名付けたのかは知らないけれど、
連休前の金曜日を花の金曜日と称して、『花金』と省略し、
社内で花金だから・・と歓送迎会や懇親会を開催されたり、 仲良しグループで呑みに通ったりしていた。

業務が立て込んで夜の9時過ぎに会社にいると、
『忙しいのだったら・・明日の土曜日に会社に来て、じっくりと仕事をすればよいじゃない・・
ともかく・・いつものメンバーで待っているょ・・』
と気のおけない友人が電話を掛けたりしてきたので、
私は仕事を切り上げて、その場所に駆けつけたりした・・。

どなたも同じと思われるが人事異動のたびに、
歓送迎会が部課間で盛んに行われ、私も異動の折には開催してくれた。

50歳を迎えた頃から、人付き合いと体力も疲れ果てて、ある程度のつきあいとし、
私は自宅の最寄り駅の付近の居酒屋で、
毎週の金曜日の10時過ぎに、定期便のように独りでボケッと呑んだりした。

私は弐合徳利のその時に思いついた地酒を2本呑みながら、
板長の進めの単品を3品を食べたりした。
そして絣(かすり)を召した女将や仲居さん達にからかわれながら、
1時間半ばかり心の憩(いこ)いとしていた。

その後、55歳になると出向となってしまい、
勤務先が遠方の上、始業も早くなり、心身疲れきったので、 居酒屋に寄れる余裕もなくなった。
帰宅後、風呂に入った後、11時過ぎに家内と話し合いながら、
弐合徳利の純米酒を呑んだりした。


どの時代でもサラリーマンの方達は、
どなたも多忙な業務な勤務実態で成果を問われているが、
私は花金の夜のひとときは、秘かな息抜きで過ごしてきた。

退職後の今としては、遠い昔の出来事だった、と改めて感じている。


昨今は民間会社で成果主義の影響で、部署間はもとより、仲間うちでも競争が激しくなり、
ノミニケーションが薄らいでいる、と新聞、雑誌などで読んだりしたことがある。

その上、昨年の秋以来、世界的な経済悪化により、より各民間会社のサラリーマンは厳しさが増しているので、
私達が過ごしてきた時代と余りにも違い、過酷な時代であると、憂いたりしている。

退職後の無力な私は、せめて花の金曜日ぐらいは、
料理を頂きながら、お酒を呑み、最近の出来事を公私含めて他愛なく、話し合ったりし、
職場上の交流として、憩(いこ)いのひととき、と長年思ったりしてきたので、
現役の諸兄姉は少し寂しくない、と思ったりしている。

しかし、このような職場の交流がなければ、
帰宅されて、いとおしい妻、或いは主人と、夕食を頂きながら、
気楽に語り合いながら、過ごされる。
或いは、お子様がいれば、ご家族で団欒のひとときは、
何よりの贅沢な花の金曜日かしら、と私は思ったりしている。



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そして天成の歌人に遅ればせながら学び・・。

2009-08-20 17:18:19 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であり、
今朝、このサイトに一通ばかり投稿文を綴った後、ぼんやりとしていた。

ここ一週間は朝夕は過ごしやすいが、昼前後は30度を越す残暑厳しい日が続き、
私の担当である買物を終えると、帰宅後、洗面し、着替えた後は、
暑さに苦手な私は、居間でクーラーの冷風に身を寄せたり、
居間のはずれに簡易ベットに横たわり、本を読んだりしていることが多い。

今朝の10時過ぎに家内が、
『昼過ぎ30数度の暑さになるから・・たまには買物・・おやめになったら・・』
と私に云ったので、私はクーラーの冷風の誘惑に負けてしまい、
パソコンのハードディスクの整備を行うこととした。

バックアップをした後、システムファイルのCデイスクの不要と思われるファイルを削除し、
ディスクの圧縮のデフラグをしたりした。

この後、ぼんやりとここ数年の夏の投稿文を読み返し、
このような投稿もしていたのか、と微苦笑したのである。


【 天成の歌人に魅了された頃・・♪ 】と題して、
一昨年の2007年8月31日に投稿していたが、あえて再掲載をする。

【・・
私は短歌を詠(よ)む力はないけれど、人が詠まれた歌を読むのは好きである。

私が定年退職後の3年生の身であるが、
私なりのつたない自己形成で最も影響を受けた中で、
歌に関しては、ひとつの歌が頂点を極めている・・。


   春は花 夏ほととぎす 秋は月
          冬雪さえて 冷しかりけり

                       道元禅師

この歌に初めて接したのは、東京オリンピックの頃であり、
私は大学を中退した二十歳であった。

日本古来の自然の四季のうつろいを歌っている。
この世を的確に達観し、凝縮(ぎょうしゅく)された表現は、
散文を書く後世の人にとっては、余りにも大変、と感じたのである。


歳月は流れ、昭和56年にある書物に於いて、
岡山県にある洞松寺の住職の赤松月船の解説の導きがあったりしたが、
私なりに理解できたと錯覚していた。

しかし、私なりに無心な心境で受け止めるには、長い歳月が必要であり、
年を重ねた今でも、まだ生臭い自分がいることに気付かされるのである。

私にとっては、人生の命題かしら、と深く思ったりして、
つたなく日常を過ごしている。

・・】

このように投稿していたのであり、苦笑した後、
本棚に行き、一冊の本を探したのである・・。

結果として、私は数年前に買い求めた松本章男・著の『道元の和歌』(中公新書)を再読したのである。
一時間ばかりソファの椅子に腰を下ろし、読んでいたのである。
その後は、居間のはずれに簡易ベットに横たわり、本を読んだりしていたのであるが、
わずか30分過ぎると寝付いてしまったのである。

午後3時過ぎに目覚めると、
夏の疲れか、背伸びし過ぎた書物かは定かでないが、苦笑したりした。

齢を重ね体力も衰えた私は、このようなふしだらな日中を過ごすこともある。



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我が心、ときおり心に寄せるひとつは『平成万葉集』・・。

2009-08-20 08:55:26 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であり、
短歌、俳句、川柳なども素養がなく詠(よ)めないひとりであるが、
ときおり歌人、俳人、そして趣味でさりげなく詠まれるお方の一首、一句を拝読するのは好きである。

たまたま私は読売新聞を購読して40年以上になるが、
『平成万葉の旅』と題された連載があり、その地域に遺(のこ)された万葉集の一首を主軸に、
現代の周辺の住民の方たちの思い、そして変貌する情景などで数多く教示されたりした。

特別に2009年1月13日の紙上に於いては、
【平成万葉の旅 28】団地群に防人の足跡(東京都多摩市)、
と題された特集記事を深く精読したりした。

私は結婚前後の五年間を除き、調布市に60年近く住んでいるので、
多摩市周辺は10数キロ程度の近距離であり、
小学生の頃はハイキングなど、その上に親戚の方が住んだりしているので、
何かとみじかに感じたりしている。
そして、昭和30年代のなかば頃から、急速に変貌する状況に愛惜を深めたりした・・。

そして、この連載特集に伴い、一般の短歌を詠まれる方に応募をつのり、
国内外から寄せられた応募作4万6027首の中から選ばれた、
8歳から104歳までの珠玉の作品の中から、
現代日本の素顔を短歌で描く『平成万葉集』の入選作1000首が決まりました、
と報じられていた。

この詳細の記事に関しては、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】に於いて、
同一の記事がネット上で掲載されていたのであるが、
ときおり私は拝読し、それぞれの地域にお住まいの人の思いなどに、
数多く教示されたりしている。

もとよりそれぞれの一首は、まぎれなく日本文化のひとつである、
と私は思いながら、深く拝読したりしている。


http://www.yomiuri.co.jp/man-yo/




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選挙民の誰でも解かりやすい『衆議院の勢力分布図』・・。

2009-08-19 14:25:38 | 時事【政治・経済】等
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であり、
今回の衆院選の立候補者の公示されたので、
テレビのニュース、読売新聞など読んだりしていた・・。

今回の衆院選は自民、公明両党が連立政権を維持するか、
或いは民主党を中核とした新政権が新たに誕生するか、
政権選択の選挙とされている。

私は政治のことも疎(うと)く、少しボケた身であるが、
先程、ネットのニュースなどで、衆議院の勢力分布図などを見て、
これだったならば、選挙民の誰でも解かりやすい、と微笑んだのである・・。

最初に見たのは、産経新聞が8月18日午後3時53分に配信された記事である。

    【 自民vs民主は263選挙区 】

と題された記事であり、無断であるが掲載させて頂く。

《・・
衆院選は、選挙区300、11ブロックの比例代表180の計480議席で争われる。

立候補の受け付けは午前8時半から行われた。
午後1時半現在の立候補者数は、前回の1131人を上回り、選挙区に1134人、
重複を除く比例代表に235人の計1369人。

政党別では、自民党326人、民主党330人、公明党51人、共産党171人、社民党37人、
国民新党18人、みんなの党15人、改革クラブ1人、新党日本8人。

選挙区で自民、民主両党の公認候補が激突するのは263となった。

比例代表各ブロックの立候補予定者名簿については、
自民、公明、共産、社民、国民新、みんなの党、改革クラブ、新党日本の8党は17日までに発表した。

民主党は調整に手間取り、順位を付けた正式名簿は18日午前に発表。
各ブロックとも選挙区との重複立候補者を1位に並べ、比例単独候補はその下とした。

同党の比例単独候補は計59人。
衆院議員引退を表明していた藤井裕久最高顧問は南関東ブロック35位、
無所属で東京10区から出馬を予定していた小林興起元衆院議員は東京ブロック25位にそれぞれ登載された。

自民、公明両党は、昨年秋の麻生内閣発足から経済対策に集中してきた実績を訴え、
景気回復を最優先に掲げるとともに、「責任力」を強調して政権担当能力をアピールしていく。
対する民主党は、前回衆院選から首相が相次いで交代した与党の責任を追及し
「政権交代」を訴え、子ども手当や農家への戸別所得補償制度などの創設を掲げる。
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090818-00000054-san-pol
消去されましたので、
朝日新聞社の提供による2009衆院選の結果を最下段に掲載。


この記事の左の上段には、『与野党 勝敗ライン』の図表が掲載されていたので、
少しボケた私も解かりやすいと微笑んだのである。

そして、次に見たのは、産経新聞が7月29日午後2時54分に配信された記事である。

【 衆院選「攻防ライン」】

と題された図表で、議席数を主軸とした与党、野党の勢力図であり、
私は微苦笑したのである。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090729-00000556-san-pol.view-000
消去されましたので、
朝日新聞社の提供による2009衆院選の結果を最下段に掲載。


こうしてふたつばかり図表をしばらく見ていたのであるが、
私のように少しボケた身でも解かりやいので、
選挙民の誰でも解かりやすい、と確信を深めたのである。

この図表がお解り頂けない方は、もとより選挙民として投票する資格はないかしら、
と政治のことも疎(うと)い私さえ思ったりしている。


余談であるが、前回の衆院選に於いて、
私は家内と指定された投票所に行った時、入場整理券を受付の方に手渡し、
私は投票券を頂き、小選挙区の投票をするために記入台に向った時であった・・。
前にいたご高齢のご婦人が立ちすくんでいて、
私を見ると、どのお方に投票していいか解からないの、と私に云った。

私は少し困り果てたが、瞬時に明るい声で、
『投票の記入する台の前に・・立候補者の方の氏名が大きく明示されていますので・・
お好きと思われるお方を書いて下さいね・・』
と私はご婦人に云ったのである。

この後の夜のひととき、私はあれでも清き一票かょ、
と何かしら心の純潔を穢(けが)されたようで困惑しながら、苦笑をしたのである。

そして選挙民は、ご自分の地区の立候補者の中で、選定して、
投票所に行くのが、少なくとも選挙民の責務でもある、と思ったりしたのである。


注意)上記の新聞社提供は無念ながら消去されましたので、
朝日新聞社の提供による2009衆院選の結果を添付。
(2010年7月14日修正)

http://www2.asahi.com/senkyo2009/
☆ 朝日新聞社 『2009年 衆院選の結果』 ☆





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私は無知だった若者世代の『おゆとり様』・・。

2009-08-18 17:53:05 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であり、
先程、ネットのダイヤモンド社のビジネス情報サイトとして名高い【DIAMOND online】を見ていたのであるが、
この中のひとつの記事に於いて、私は無念ながら理解できない若者世代がいたので、驚きながら読み、
そしてため息をしたのである。

この記事は【ライフ・健康】のコーナーで、特集連載の『これが気になる!』で、
今回は【第206回】2009年8月18日に掲載されていた。

【 不況しか知らない若者世代「おゆとり様」が日本の消費を変える 】

と題された記事であり、田島 薫・記者が綴られた記事である。
無断であるが、転載させて頂く。

《・・
消費やレジャーには無欲で、ライフスタイルは等身大かつ自然体……。
そんな若者が増えている。
バブル景気を全く知らず、物心ついてからはずっと平成不況。
ブランド物や車、海外旅行への関心も高くない。
彼らは同時に「ゆとり教育世代」でもあるのだが、
そういった新しい層は「おゆとり様」と呼ばれ、その消費傾向に注目が集まっているのだ。

新学習指導要領によって、ゆとり教育が小・中学校に導入されたのが2002年度。
その頃に中学生生活を送っていた層が次々に成人しているが、
彼らは独自の行動様式を持っている。

●異性よりも同性の友人を大切にする
●休日は自宅でパソコン・テレビ・DVD・ゲーム・音楽・読書などで過ごす
●一人遊びもけっこう好き
●貯蓄を重視する

このように、いわゆる「巣ごもり」と呼ばれるウチ志向が強いことが特徴的だが、
最近の草食系男子にも通じる淡白さも感じられる。

さらに興味深いのは、おゆとり様の母親は「Hanako」などで育ったバブル世代が多いこと。
その薫陶を幼少時から受けてきた上、SPEEDやモーニング娘。などの影響もあって、
早くからおしゃれな洋服に馴染み、今もファッションには敏感だ。

買い物は、ネット通販ではなく店舗での直買いを好み、納得のいく商品をじっくり選ぶ。
少ない予算で自分らしいスタイルでいたいと、
注目するのは、やはりユニクロやZARAといったファストファッション・ブランド。
他人と比較することなく、個性や自分らしさを重視する傾向が強いのだ。

その背景には、生まれた頃からパソコンや携帯があり、
自室にこもって適度なコミュニケーションの距離を保つ「個化」の環境が整っていたことにも起因する。
そんな“純粋培養”ともいえる快適な空間で育まれた感性が、
独自の価値観を生んでいるようだ。

またこの世代には、大手メディアの広告効果が低く、
SNSやクチコミのほうがより有効であるといデータもあり、この世代を物語っているようで興味深い。

どこか脆弱なようでいて、貯蓄にせっせと励むなど、
しっかり者の気質も持つ「おゆとり様」。

今後の日本社会の消費スタイルを変えていくのか。
その存在が、社会に何らかの影響をもたらすのか。
今後も注目していきたいところだ。
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。


私は1944(昭和19)年の秋に、東京郊外の農家の三男坊と生を受け、
地元の小・中学校を卒業した後、都会の私立の高校で学び、
大学を中退したのは東京オリンピツクの開催された年であった。
そして、映画青年、文学青年の真似事をしたりした後、
1970(昭和45)年の春に民間の大手企業に何とか中途入社することが出来た。
職場に机を共にしたのは、大学新卒の多く、彼らは団塊世代でもあった。

映画青年、文学青年の真似事をした時代も、
先のみえない日々であったが、お互いに自説を持ち、喫茶店など激論を交わしたりした。
そして、アルバイトなどをしながら、明日はその道でご飯を食べられるように、互いに孤軍奮闘し、
実技は未熟であったが、背伸びした会話も交わしたりしていた。
そして欲しい本などは、一食抜き一週間過ぎお金をためて、やっと購入できた本の数々がある。

そして、遅ればせながら社会人となっても、
机を共にした同僚たちと、熱い思いで、退社後の近くの居酒屋などで、
会話を重ねたりしていた。

この間、恋愛らしきことも多いにしたが、無念ながら失恋が多かったが、
この人といずれは結婚できなければ、と物狂いのようなこともあったりした。

1970年の初めの頃、欲しかったステレオ・セットを購入した時、
月給の6ヶ月分をローンで購入したり、
1980年の初めの頃、パソコン・セットは百万円近くとなったが、
住宅ローンもありながら、何とかローンで買い求めたりした。


いずれにしてもその時の思いは、熱き思いで過ごしてきたので、
昨今の若者の中で、『おゆとり様』の世代がいると教示されても、
サラリーマンを35年ばかりし定年退職後の年金生活の五年生の身としては、
大いに困惑しているのである。

そして余計なおせっかいは承知の上であるが、
社会人となり業務上で難題に対し、死ぬ気で何とかやり遂げようとする言動があるのかしら、
と思ったりしている。




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『小沢氏 どこに導くのか 日本を』・・。

2009-08-18 14:36:59 | 時事【政治・経済】等
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であり、
昨夕、調布市選挙管理委員会から『衆議院議員選挙/最高裁判所裁判官国民審査』と明示された、
『投票所入場整理券』在中と明記された郵送物が配達された。

私は今月の30日の日曜日に於いて、衆議院議員選挙が実施されることは、
心では解かっているが、少し困ったなぁ、というのが本音である・・。


日常は買物、散策などの時に季節の移ろいを享受し、
この時に感じたり、或いは思索していることを心の発露として、
このサイトに投稿するのが生きがいのひとつとなっている。

日常の大半は小説、随筆、歴史書、現代史などの読書しているが、
ときおり自宅の居間で映画鑑賞をしたり、音楽を聴いたりしている。

このように過ごし、ときたま小庭を手入れをしたり、
家内との共通の趣味の国内旅行をして、限りなく美しい情景を心に寄せ、
その地の風土、文化などを教示されているつたない身である。


このようにふしだらなひとりであり、もとより私は政治も疎(うと)いが、
テレビのニュースを視聴したり、読売新聞を読んだり、
月刊誌の『文藝春秋』、『フォーサイト』を精読したりすると、
今回の衆院選が気になるので、ときおり7月29日よりこのことに投稿したりしている。

政治に素人の身で無力な年金生活の身なりに、
その時に感じた心情を綴ったりしてきたが、むなしさを覚えたりしている。


私はこのサイトの7月29日に於いて、
【年金青年、民主党の政権公約で危惧すること・・。】
と題して、投稿したりしている。

【・・
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の5年生の身であるが、
いつものように今朝のひととき、読売新聞で衆院選の自民党と民主党の政権公約の対比表を読んだり、
苦笑をしたりしている・・。

もとより私は政治も疎(うと)く、何よりも限りなく美しい日本の山川草木に心を寄せ、
そして中年女性以上のしぐさ、言葉に魅了されたりする拙(つたな)い身である。

このようなふしだらな年金生活を過ごしているが、
今回の政権公約の対比表を読んだり、
思わず野球のバッターでたとえるならば、自民党の公約は確実にヒットの打てる三割バッターと感じ、
民主党の公約はホームランを打てる強力バッターで、日本を一新できるかしら、
好感したりした。

そして私はぼんやりと考え、あえて民主党に危惧することは、

①公務員労組に支えられている党は、本気で公務員の改革はできるか。
②『新テロ特措法』は延長し、国際世論の賛同を得るようにする。
③景気回復後は、『消費税』増税を明言すること。

朝のひとときに思い立ったことであるが、少なくともこれぐらいは明確に言動できなければ、
いつまでも園児のような優等生であったり、
ときには反抗心ばかり残した大人の群集かしら、と感じたのである。

今回の衆院選を機会に、怜悧な国際社会の中、日本の真の大人になれ、と私は期待しているのである。
・・】


そして私は、このサイトの8月12日に於いて、
【鈴木亘氏の 『「骨太2009」で立ち行かなくなる社会保障』 を拝読して・・。】
と題して、投稿したりしている。

【・・
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の5年生の身であるが、
この一週間は憂鬱な心情となっている・・。

過日、月刊雑誌『フォーサイト』(新潮社)を8月号から購読開始したのであるが、
この中のひとつの記事を読み、深く考えさせられたのである・・。

学習院大学・経済学部教授の鈴木亘(すずき・わたる)氏が、
『「骨太2009」で立ち行かなくなる社会保障』
と題され寄稿されていた。

この命題の横には、
《医療や介護の現場が崩壊したのは、小泉改革のせいではない。
 業界と行政の「構造」を変えない限り、さらに悲惨な未来が待ち受けている。》
と明記されている。


私は民間会社のサラリーマンを定年退職後、年金生活を過ごしている身であるが、
私の余生は幾10数年か不明であるが、
特に現役で奮闘しながら働いて下さる方たちの未来は、悲惨と強く感じたのである。

今回、鈴木亘(すずき・わたる)氏の客観性ある現状問題と今後の冷静な視点に導かれて、
改めて、社会保障を多岐にわたり教示させられたので、多くの人たちと共有致したく、
無断であるが引用させて頂く。

《・・
わが国の社会保障制度は、年金であろうと医療・介護であろうと、
高齢者が使う費用を、その時の現役世代が保険料や税で負担する財政方式(賦課方式)を取っている。
つまり、現役世代がその時の高齢者を支えているのである。

わが国のように少子高齢化が急速に進む社会では、
高齢者数が増える一方で、現役世代の数が減るため、
現役世代一人当たりの負担が急増してしまう。》

この後、著者は具体的に『「高齢者(65歳以上)/現役(15歳~64歳)の比率」推移』をグラフで、
1950年から実績値と今後の予測値を明示し、掲載している。

《・・
小泉改革が始まる直前の2000年、高齢者/現役比率は25.5%と、
四人の現役世代で一人の高齢者を負担する状況であった。
・・
わずか八年後の2008年の比率は33.6%まで上昇し、
三人の現役世代で一人の高齢者を支えている。

一人の高齢者にかかる一ヶ月当たりの生活費、医療・介護費の合計を仮に20万円とすると、
2000年において、現役一人当たり一ヶ月5万円の負担が、
わずか8年の間に6.6万円まで上昇する計算である。

保険料や税負担の引き上げに対する国民の激しい抵抗を考えれば、
これだけ大きな負担増を僅かな期間で実施するのは、政治的に困難を極めたであろう。
そのため、歳出抑制を行って、負担の急増を少しでも緩和する選択肢を選んだのが、
小泉改革の本質なのである。

さらに言えば、1997年の医療制度改革(本人自己負担率を1割から2割に引上げ)、
2000年の年金改革(給付の2割カット)と、
社会保障政は小泉改革の前から既に抑制策に舵が切られていたのであり、
小泉改革は、その方向を「センセーショナル」に前に推し進めたに過ぎない。》

この後、著者は
《・・今から14年後の2023年には高齢者/現役比率は50.2%
と、
なんと二人の現役世代で一人の高齢者を支えることになる。
先の例で言えば、現役一人当たり一ヶ月10万円と2000年時点の倍増である。
・・
2072年の高齢者/現役比率のピーク時には85.7%と、
ほぼ一対一の水準になる。・・》
と余りにも過酷な現役負担を明示している。

こうしたことは、園児でも解かるとおり、
立ち行かなくなることは明らかであるが、著者は現状の問題実態を明言している。

《・・
わが国の医療・介護・福祉の各業界や厚生労働省は、
この必然的な流れに逆らって政治的な抵抗ばかり力を注いできたため、
ついにビジネスモデル・行政モデルを切り替えられなかった。
このことこそが、医療・介護現場の崩壊や社会保障制度のほころびを生んだ真相なのである。


この後、著者は具体的に、
勤務医不足の深刻な状況の原因、
声の大きな業界団体を持たない弱者へのしわ寄せの原因と状況を明確に表し、
今回の「骨太2009」も危惧している。

《・・安定財源を確保した上での「中福祉・中負担」の構築を展望しているが、
もとより欧米諸国は既に少子高齢化は終っているが、
わが国は未曾有の少子高齢化が進展する真最中であり、
今、歳出を拡大させてしまうと、その負担増は現在だけに止まらず、
近い将来のもっと大きな負担増に繋がる。

つまり、「中福祉・中負担」を今の高齢者たちが享受すると、
近い将来の世代は、「中福祉・超高負担」、
或いは「低福祉・高負担」のどちらかの惨状に直面してしまうのである。
こうした事情は、国民に全く知らされていない。


その上、昨今の諸情勢にも、
《・・
歳出拡大に伴う負担増すら、景気対策の名の下に先き送り、
国民健康保険の不足財源への公費充当、
後期高齢者医療制度への公費拡大・・》

このような実態に、
《・・コスト感覚すら失った・・一時的な快楽の後には、
国民を絶望の淵に追いやることは間違いない。・・》
と警告している。
注)著者の原文をあえて改行などを多くした。


私はこの記事を拝読した後、この一週間は憂鬱な心情となっている・・。

高い経済の成長してきた時、私が40代に於いて、
昭和2年生まれの家内の父に、
『お義父(とう)さんの世代の年金・・現役の七人で一人を担ぐのだから・・
安楽に高い年金は頂けるが・・
ぼく達が年金生活に入った時は、現役4人で一人を担ぐ時代と思われるので・・
お義父さんの世代は一番恵まれている・・』
と談笑しながら、私は言ったことがある。

私達夫婦は子供に恵まれなかったので、もとより孫もいないし、
あと数10年先はあの世でお世話になっている身だし、
と私は身勝手なことも思ったりした。

そして、このようなことも妄想したのである。

①現状の厚生労働省、医療・介護・福祉の各業界を抜本的に改正し、新たな行政モデルを構築し、実施する。

②働いて下さる現役世代に、過酷な高負担をして頂く。

③後期高齢者は負担の元凶であるから、70代で亡くなるのが尊ばれる社会風潮にする。

④『消費税』を撤廃する代わりに、明確に『社会保障税』として少なくとも15%とする。

このように妄想したのであるが、①理想であるが現実性に乏しく、
②と③はもとより不可能だし、
やむえず④しかない、と思ったりしたのである。
高齢者の人たちも、これ以上のレベルで現役の方に負担をさせるのは、
余りにも酷であり、程々に負担をするのが、適切と思われる。
・・】


このように投稿してきたのであるが、
私達夫婦は子供に恵まれなかったので、もとより孫もいないし、
あと数10年先はあの世でお世話になっている身である。

今のように程ほどの貯金を取り崩し、年金を頂だき、つつましながら年金生活を甘受し、
団塊世代も含め、私達の世代以上の人々は何かと優遇されているので、
沈黙を重ねれるのもひとつの方法かしら、と思ったりしたのである。

しかし、現実に働いて下さる日本の根幹の世代を思索すれば、
このまま政治の混迷で、社会まで劣化し、世界的な経済の悪化も加わり、
経済の低迷となっている今日、
政治家の諸兄姉は選挙目当てのバラマキ合戦で選挙民を戸惑わせ、
選挙後は一変し、時局が変わったと国民を泣かし、
確固たる明日のみえない日本となると思われる。
そして日本は衰退の道をたどるのは明らかであり、余りにも過酷で惨めな生活になるかしら、
と思ったり、瞑想か妄想は解からないが、無力な私はこのような心情になることが多いのである。


ここ一週間は、民主党の代表代行をされている小沢一郎氏の思いを重ねたりしている。
氏はたまたま民主党に属しているが、特に氏の率いる議員グループが、
今回の衆院選後、『数の論理』に基づいて、どのような怜悧な言動をするか、
ということである。

このことは『文藝春秋』の9月特別号に於いて、
『誰も知らない民主党研究』の特集のひとつで、
政治アナリストの伊藤敦夫(いとう・あつお)氏が寄稿された、
【小沢チルドレン100人で「田中派」復活】と題された力作がある。

そしてこのタイトルの横には、
《 政党を使い捨てにしてきた男が
         再び大派閥をつくりあげる 》
と明記されていた。

私はこの寄稿文を深く精読して、
小沢一郎氏は、今後の日本をどのように導くのか、と思いとなり、
幾重かの妄想を重ねたのである・・。

この何かのひとつであるが、
国際主要国はもとより怜悧な国益に基づいて、外交、軍事、経済力などを背景とした政治が行われている今日、
今後の日本を国際社会に於いて実質発言力ある国をめざし、
強い経済大国を発展させがら、外交、軍事力は強化する。
そして、国民は豊かな経済の中で、世界の主要国よりも遥かに多くの人々が、
明白に実感できる社会を構築する。

このように妄想しながら、
アメリカは対象外であるが、ロシア、中国の両国を実質牽制できる軍事の強化、
そして憲法改正も行い、イギリスとフランスをミックスした歴然とした権利と責務を行使する発言力ある大国かしら、
と妄想を重ねたりしている。

こうした目的を達成する為に、小沢一郎氏の率いる議員グループは、
国際の怜悧な実態を無知なような社民党などは簡単に切り捨て、
民主党の管グループ、旧社会党グループなども離別し、
自民党の若手で同調する議員たちを加えて、新たな党を結成し、政権を獲得し目的に驀進する、
と妄想したりしている。



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我が家、『電気設備』の安全点検日となり・・。

2009-08-17 15:57:36 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であり、
過日、東京電力より『電気設備の安全点検でお邪魔したいのですか・・』と、
電話連絡があり、
結果としては、点検日の日付は本日の午前9時半~12時までということになった。

家内はいつもより早めに室内掃除を念入りにし、
私が暇な主(あるじ)であるので、立ち会うことにしたのであるが、
新聞の朝刊が休刊でもあり、
読み残した月刊雑誌の『フォーサイト』の9月号、
月刊総合雑誌の『文藝春秋』の9月特別号などを読んだりしていた。

10時半過ぎても東京電力の担当者が来宅せず、
私は午前中に買物に行きたかったので、早く来てほしいよなぁ、と内心は思ったりした。

そして、11時過ぎに、
家内と旅のこぼれ話をしたり、雲はぽっかりと数えるばかりの快晴の夏空を眺めたりしていると、
12時の15分前に来宅したので、私は苦笑したのである。

担当者は60歳前後の男性の方で、家の外壁の一角にある電力のメーター計を
チェックしていた。
私は電気関係も無知なので、
メーター付近の配線状況、漏電の有無を測定している、と教えてくれた。

そして室内の分電盤をチェックしていた。
ブレーカーの状況、ネジの緩(ゆる)みなどをし、付近にある洗濯機のアースを見つめた後、
異常ありません、と担当者は私に明るく云った。

わずか5分ばかりの点検であり、私は少しばかり気抜けしたのである。


我が家は電気の東京電力、ガスの東京ガス、水道の東京都水道局、そしてネット、電話のNTT東日本フレッツ光は、
もとより日常生活に欠かせないので、
ときより管轄元からこのような親切な安全確認の定期点検がある。

電気の東京電力の定期点検は、四年毎に実施されているが、
たとえ5分ばかりであっても、安全第一のことを配慮すれば必要と思い、
私は微苦笑したのである。

そして、我が家は電気の使用量はクーラーの冷気に頼る夏季は多いが、ガスの使用は少なく、
寒くなる季節は電気の使用量は少なく、暖房のガスが多くなっているので、
世の中は巧(うま)く出来ている、と私は微笑んだりしている。

尚、我が家は年金生活の身であり、自動車は保有できず、
携帯電話さえ所有していなく、テレビはデジタル対応でなくアナログ放送を視聴したりし、
おかしな家庭でもある。



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戦争を知らない私の防空壕の想いで・・。

2009-08-17 08:38:35 | 幼年・少年時代の想いで
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であるが、
『終戦記念日』の一週間前頃から、かの大戦に伴うテレビでドキュメンタリー、
そして戦争中の体験を語られる人々の番組が放映され、
ときおり私は視聴したりした・・。

私は昭和19年の秋に、今住んでいる近くの実家で生を受けた・・。

農家の子として、長兄、次兄に続いて生まれたので、三男坊となる。
敗戦の大戦の一年前の頃であるので、もとより戦争を知らない身なので、
後年になると祖父、父、母、叔母の同居はもとより、
親戚の叔父、叔母からも、この当時のことを教えて貰った。

北に飛行機を製造する中島工場、
西に軍事物資を生産する東京重機が数キロ先にあったので、
ときおり近くに爆弾が落ち、空襲警報のたびに、
宅地から少し離れた我が家の崖の雑木林にある防空壕に避難した、
と話していた。

祖父と父か中心となって、程ほどの広さの田畑を耕し、
人での足らない時は小作人の人々の手も借りたりしていた。
そして空襲警報が発令されると、何をおいてもとりあえず防空壕に避難したので、
慌しい恐怖の時代でもあった。

少しばかり遠方にあった軍事物資を製造する場所、軍用機を生産している場所を目標に、
米軍の爆撃機が幾たびか飛来し、爆弾を大量に落としたのであるが、
ときには付近の田畑、雑木林に落下した、
と後年に親戚の叔父さんに私は教えて貰ったりした。

250キロの爆弾と云われても私は定かでないので、
更に教えを乞うと、今で云うとプロパンガスの大きな物ぐらいよ、
と叔父さんは私に云われた。
私は大きなプロパンガスのような爆弾が、空から大量に降ってくる状況を想像すると、
身も心も身震いをしたのは、高校生の頃であった。


我が家の実家は、戦時中の頃は、
玄関の中は広い土間となり、その一角の壁面に、各自の防空頭巾をつるしていた。
そして祖父、父、母、叔母の人々に導かれて、
私が生まれてまもない頃の時は、長兄は五歳、次兄は二歳であったので、
防空頭巾をかぶしてもらい、手をひかれながら、防空壕に避難された・・。

私は乳児であり、おしめの取れない時期であったので、
母たちは何かと大変だっただろう、と思い返したりしている。
後年になると、防空壕の内部の土の上に藁(わら)を敷いた上に、莚(むしろ)か茣蓙(ござ)に座り、
家族全員で互いの安否を確認した上で過ごした、
そして二歳過ぎた次兄が一度ばかりであったが、うんちをしたので少し困った、
と叔母たちが話されたので、私達は微苦笑したりした。


後年の小学三年生の頃になると、
図画の授業で先生に引率されて、学校の近辺の丘陵の雑木林に行った時、
コンクリートできた高射砲の台の跡が数多く見受けられた。
米軍の飛行機の来襲に備えて、造られた形跡であった。

この頃までは、小学校の帰路に寄り道をすると、
防空壕がよく見受けられたり、
実家の防空壕も小学の後年の頃までは遊んだりした。

雑木林の崖の一角に、縦横1.8メートルぐらいの入り口に木戸があり、
少し入ってまもなくすると、横に掘られ横幅が広くなり、奥は8メートルぐらいと感じたりした。
少し湿度を感じたりしたが、広間のようにゆったりとしていた。

後年の成人になった私は、
防空壕は入り口からまもなく角度が横になったのは、万一の爆風を避けることであろう、
そして幾分広めの内部は、平素の農作物の保存場所に併用していた、
とおぼろげに思ったりした。


この我が家の実家の防空壕は、私が中学に入学してまもない時、
都道が新設されることとなり、跡形もなく付近の田畑、雑木林も含め、
大きく変貌したのであった。

このように戦争を知らない私は、防空頭巾、防空壕、高射砲台の跡、
この程度しか解からないひとりである。



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恥ずかしながら、『本日の主役は、僕なのですが・・』・・。

2009-08-16 21:26:51 | 青年時代の想いで
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であるが、
私が結婚したのは、昭和51年の春だった・・。

結婚式の1週間前になると、母は突然に思いつめたように、
『やはり・・貴方・・羽織(はおり)、袴(はかま)にしなくては・・おかしいわよ・・』
と母は私に言った。

私はサラリーマンの5年生であり、和服を身に付けた少なく、
着慣れたスーツの代わりに、黒の礼服を着れば良いと思っていた。

『でもねぇ・・結婚式は羽織、袴にして、その後の披露宴のなかばで・・
黒の礼服を着れば・・
そうして頂戴・・』
と母は私に言ったのである。


結婚式の当日の朝、式場の着付け室で私と長兄が和服の着付けをして貰う予約をしていたので、
50代なかばの女性、そして40代と思われる2人の女性が着付けをはじめてくれた。

私の父は小学生の2年の時に死去されたので、
何かと父の代理として長兄が面倒を見てくれたりした。

長兄はこの中のリーダー格と思われる50代なかばの女性人に、寸志を手渡していた。
しばらくした後、
『お兄様・・良いお召し物で・・
やはりある程度以上のものですと・・』
とこの女性の方は、兄の衣装を誉(ほ)めちぎっていた・・。
兄は旧家であったので、日頃から着慣れて折、高価な紋付の羽織と袴を持っていたのである。

私の方は、借り物の《やや良い》の部類で、昔の通信簿だと『4』程度であった。

しばらくすると、兄の着付けに何かと3人掛かりとなって、
私の方は誰もいなくなった。

『本日の・・主役・・僕なのですが・・』
と中年の女性達に聴こえる程度の小声で私は言った。

『あらぁ・・ご免なさい・・そうでしたわねぇ・・』
と40代と思われる2人の女性がきて、私の着付けをはじめた。

『主役の貴方・・スラっとしたお方で素敵ですが・・
でも、少しタオルを当てましょうね・・』
とひとりの方が言った。

私はこの頃は、体重は56キロ程度で、身長は170センチであった。

その後、私のお腹周辺にタオルを2枚あてがって、着付けをしてくれた。

着付けが終わると、私を鏡の前に導いて、
『お似合いですわ・・』
とリーダー格と思われる50代なかばの女性が言った。

私は不馴れな羽織、袴はそぐわなく落ち着きを失った上、
明(あき)らかに誉(ほ)めたおされていると感じ、
『兄貴・・俺・・先に出て・・煙草を喫っているよ・・』
と私は兄に大きな声で言った。

この後、結婚式を終えた後、私と家内は、新郎新婦の記念写真を撮るのであるが、
茶事を習っている家内は華やかな和服を召し、落ち着いた表情を湛えていたが、
私の羽織、袴、そして扇子を持った容姿は、うつろなまなざしの表情で撮られていた。



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改めて、小学生時代の『ラジオ体操』の想いで・・。

2009-08-16 14:39:36 | 幼年・少年時代の想いで
私は東京郊外の小学校に入学したのは、昭和26年の春だった・・。

夏休みになると、近くのお寺の境内でラジオ体操が行われていた。
集合時間は、朝の7時頃だったかしら、と思っているが確かでない。

お寺のお賽銭箱の横の階段の横に、ラジオが置かれて、
NHKの『朝のラジオ体操』が流れると、近所の30名前後の小学生の前で、
6年生の班長が少し高い台でお手本のように始め、小学生達はそれに習って続く・・。

小学生は家を出る時は、必ず所定の出欠カードを持参し、
体操が終わった後、班長から出席のマークをカードに押して貰ったりしていた。

私の長兄、次兄は優等生であったので、6年生になると班長に選出されていた。

3男坊の私は、いじけた劣等性であったので、
学期末に通信簿を頂くたびに、担当の先生から、
『お兄さんのふたりは・・優秀なのに・・』
とため息まじりに私に云われたりしていたので、
私が6年なると、夏の『ラジオ体操』班長に選ばれる確率は少なかった。

結果として、班長は私となり、
この年から何故かしら副班長が設けられて、お寺の娘の同級生が選ばれた。

この夏、私は照れながら、俺でいいのかしら、と心の中で呟(つぶ)いて、
小学生達に出席マークを押したりした。


後年になると、私は小学生の夏休みの『ラジオ体操』を夢をみたりするが、
悪夢のようなことが多く、
私は目覚めるたびに苦笑したりしている。



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改めて、私が映画を観はじめた頃・・♪

2009-08-16 11:30:58 | 映画・テレビ
私は東京の郊外の調布市で、昭和19年の秋に農家の三男坊として生を受けた。

祖父、父は、長兄、そして次兄が生まれ、三番目は女の子を期待していたらしく、
三番目も男の子かと戸惑っていたと思われる。
そして私の数年後に妹が生まれたので、
幼児の私は何となくいじけた可愛いげのない子であった。

私のおぼろげな記憶をたどれば、
私が最初に映画を観たのは、昭和26年の春に小学校の入学前、『長崎の鐘』だった、
と思い返している・・。

この頃は、ラジオからこの主題歌が流れていて、
私の幼児なりに、物悲しさを感じ、涙を浮かべたりしていた。

近所のお寺の境内で、隅にスクリーンが張られ、
夜のひとときを上映してくれた。
私は母に連れられ、近所の方達と共に立ちすくんで観た。
この頃は娯楽が少なく、こうした映画を無料で観られるのは、
稀(まれ)であったので、盛会だったと記憶に残っている。

帰宅の途中、母に手を引かれて歩いていた時、
夜空の銀河の天の川が綺麗であり、
年を重ねた64歳の今の私でも、あのような満天の煌(きらめ)いた星空は一期一会であった。

これ以前に観た映像作品は、祖父が自宅で近所の人達を集めて、
幻灯機で『母をたずねて三千里』を観たのが、幼児なりに記憶があった。

私が小学校の4年頃になると、
映画館にひとりで行き、東映の時代劇の3本立ちをたびたび通いはじめた・・。
『里見八犬伝』、『笛吹童子』、『紅孔雀』等であった。

母より100円を頂き、映画の入場料が子供40円で、電車の往復は10円であり、
帰路の街の中華店でラーメンが35円だったので、たびたび食べたりした。
そして、映画館の売店で残りの15円で都こんぶ等を買えたりした。

この映画館は翌週になると大映映画を二本立てで上映していたので、
予告編も上映されていた。

山本富士子、京 マチ子は大人の人すぎて興味がなかったが、
若尾文子、川上康子、八潮悠子を観たりすると、
都会の綺麗なお姉さんと感じたり、まばゆい文化にふれて、
子供心にため息をしたりした・・。

そして特に若尾文子には、色っぽい女の人、
と私の人生で最初にときめいた人である。

このような映画に熱中しはじめ、
中学、高校も相変わらず映画館に通いつめ、
やがて私は大学を中退し、映画青年の真似事まで一時的に過ごしたりした。



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まもなく処暑(しょしよ)を迎える時節、朝涼(あさすず)となり・・。

2009-08-16 08:07:00 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であり、
先程の6時過ぎに玄関の軒下で煙草を喫ったりしていると、
鈴虫(スズムシ)の鳴き声が聴こえ、遠くから蝉(セミ)の合唱も聴こえてきた。
そして、いつものように定期便のように飛来する小鳥が、
花梨(カリン)の枝にたわむれている。

バスの通る大通りは、平素は自動車が盛んに通り過ぎるが、
ここ5日ばかりは世の中はお盆の時節で、帰省されるお方、旅行などで、閑散としていたが、
Uターンラッシュで少し平素に近づいたのかしら、と遠くに見える通りを眺めたりした。

樹木の葉がかすかに揺れる微風が吹くと、涼しくなったと感じたりした。

立秋が過ぎた今、残暑お見舞い、と古来の人たちから伝えられているが、
日中は30度前後の暑さが残るが、朝夕は涼しく、
まもなく処暑(しょしよ)を迎える時節だと、清々しく涼しげな空気が教えてくれる。

昨日は朝の6時過ぎは24度前後、日中は30度前後の快晴であったが、
微風が吹き、ひと頃の暑かった陽射しが忘れ去るようであった。
そして、夜のひととき、夜風が吹き、身体をゆだねるように身をまかせると、
心地よく感じられる。


私は暑さが苦手な身であるので、

   かそけきは 夏香り残し あさすずに

と戯(たわむ)れに詠んだりし、五七五にならないなぁ、と微笑している。
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